六十一話 「押山司陰、武器を捨てて両手を挙げなさい」
「ん?」
博士の背後から誰かが近づいてくる。
博士の殺気も分からない程度の戦闘力、それにしては白い上等な耐晶装備を着ていてこの区域に入る権限を持っている。
その男性は博士もよく見知った顔だった。
「新司令の昼片さん、どうしてこちらに?」
「いえ、旧友に会いに来たのですよ。幸運にも、私はちょうど今この近くに滞在しておりまして」
「あら、旧友とは私のことですか。てっきりカミナシのことかと」
大人と子供の睨み合いだが、当人たちはそれほど喧嘩腰になっているつもりはない。
なぜならそれだけの余裕があるから。
「ヴェラ博士、私がここに来た理由はご存知でしょうか?」
「現実改変の彼が眠っているので暇なのでしょう? 他の方はどうしたのかしら? 見捨てたの?」
「まさか。秘密裏に脱出させました。優秀な部下のおかげで万事スムーズに行きましたよ」
「それであなたはここで私に命乞い?」
「あなたに私が殺せるなら、そうすればいい。でなければお願いを一つ聞いてください」
それを聞いた博士は顎で彼に指示した。『目線を合わせろ』の合図だ。博士は少女の身体なので身長が低く、しばしばこうしていた。
昼片がしゃがんで満足そうに頷く。
「私が世界最強と呼ばれているのはご存じない?」
「ご冗談を。世界最強は核兵器のことでしょう? まさかアトミックパワーをご存じない?」
「あいにく私の専攻は物理でないの」
これ以上の応酬は無駄だと判断して、博士は端的に「お願いは?」と尋ねた。
「これから一芝居を打ちます」
「聞き間違いかしら? 常に芝居をしているのにそれ以上に何をするの?」
「その間、あなたは思う存分暴れて構いません。それで元素計画は完成します」
博士の返事を待たずに昼片は区域の奥に消えていく。
彼女が指を差して見えない力を集めようとしたら、彼は振り返って笑った。
・・・・・
司陰が目覚める。
(体が軽い)
血に塗れた体は不快でしかないが、さっきの負傷にも拘わらず体が軽い。
彼は自分の身体を確かめながら、なぜか損傷が完治されていることを発見した。服の穴と床の血の池ははそのままに、自分だけは負傷などなかったかのように万全の状態。
(マノさんが治してくれたのかな。カミナシさんが「マノには生きている者なら回復させられる力がある」と言ってた)
今更ながらこの部屋は靄の部屋だった。いつか見たような家具と布団が血塗れで佇んでいる。ここまで汚れたらもう処分するしかないだろう。
汚れていないものはもう……、
「あっ」
棚の上の黄緑色のウランガラスのグラス、いつか靄が親からもらったと言っていた。父親の形見なのだろう。それなのに置いてあるということは靄はいまここにいないのか。
気づけばこの部屋には誰もいない。割れた窓ガラスの外にも誰も見えない。
まるで自分だけ取り残されたような。
突然物音がした。
司陰はハッとして魔装を呼び出した。他に誰かがいるようだ。
扉に銃口を向ける。【紺黒の銃】はなんだか戦闘に参加できなかったことに不満げなように、鈍い紺色の輝きを持っている。
しばらくして、部屋に入ってきたのは。
「……カミナシさん?」
「また二人っきりになったね。果たして誰の導きか――――」
「皆は無事ですか?」
「私の全力でこの部屋の二人は安全地帯へ送り届けたよ。靄は気づいたら消えてたからなんとも言えない」
「それって……」
「死んではないと思う。……『月霧』次第かな。博士は対価次第では友達への戦略兵器の使用も辞さないぐらいだもの。まあ、とにかく死んでないと思っていいから」
カミナシの物言いでは司陰は逆に少し不安を覚えた。
死んでない、が植物状態を意味する言葉でなければいいが、本当にこの人は分からない。
「司陰君、10秒後にジャンプ」
「えっ、はい?」
「7、6、5、4、」
「ジャンプしないと死ぬんですね。わかりました」
カミナシの「――――1、0!」のカウントダウン終了と同時に建物が強く揺れて轟音とともに傾きだした。そして軋む音の直後に床が抜ける。
司陰は咄嗟にウランガラスを空のポケットに入れてベランダの手すりに掴まった。
司陰はカミナシと二人で宙ぶらりんになっている。
「いや~、楽しいね」
「どこが!?」
足場はなく、もし落下したら硬い舗装にぶつかって運動エネルギーを体感することになる。
どうしてこの状況でこの人は笑えるのかと、司陰は不思議でならなかった。
「照準器がこっち見てるよ」
「逃げ場がない、どうすれば、」
いっそ日晶体が助けてくれれば……、と思っていたら空から巨大な腕が降りてくる。透明な液体で構成されているので、地面にぶつかるよりはましだ。
司陰はカミナシの身体を抱いて突風とともに迫る腕に飛び移った。
(成功……!)
二人の身体は無事だった。
何故エノンが助けてくれたかは分からないが好都合、このまま逃げれば……、と思った時。
咆哮が響く。苦しそうな声。
見れば腕と本体を繋ぐ部分が欠損していた。空中には粉雪のようなキラキラと光る物質が舞っている。
「『月霧』! 博士が本気出してきたよ!」
「これはマズイ!」
支えを失った腕の残りは司陰たちと一緒に落下している。
そしてもう止められない。
数多の高層建造物に衝突しては跳ね返り、ビルごと潰れながら最終的に結晶化して四散した。
司陰とカミナシは巨大な腕そのものが潰れたおかげでなんとか生き残って地面にたどり着いた。
「カミナシさん、次は――――」
司陰は言葉が続かなかった。
彼女は遠くにいた。咲田が晶化ナイフをカミナシの首にあてていた。
「押山司陰、武器を捨てて両手を挙げなさい」
「なんで、」
「不思議がることはないでしょう。あの時は一時撤退しただけです」
咲田の視線は鋭い。
それはもう同胞を見る目ではない。
「白澄大隊長の助力があれば不意打ちで殺せたのですが……。私も妙に消耗していますから、ここは一騎討ちといきましょう。どちらかの魔装が砕ければ負けです。敗者は勝者の要求を吞む。どうですか?」
「……消耗している?」
咲田の様子は若干気怠そうなぐらいで十分万全に見える。
ともかく、白澄大隊長はおらず、言い方から他の隊員が近場にいないらしい。
「どうしますか?」
「やりましょう」
靄はここにいない。
でも、勝つしかない。
先手は司陰だ。
咲田の両手はカミナシを拘束するために塞がっている。【紺黒の銃】の弾は見て避けられるほど遅くない。
だが、放たれた弾丸は咲田の髪に触れただけだった。
(速い……!)
「私は近接戦闘ではあなたのパートナーより強い、分かっていますね」
咲田は弾丸を避けた後、カミナシの拘束を解くと司陰に直線で向かってきた。
(なんでカミナシさんを優先しないんだ?)
「考え事をしていると死にますよ」
咲田は一瞬で迫るように司陰の目の前に現れた。
巧みな緩急のせいで感覚が狂ったようだ。
相打ち覚悟の爆発弾倉も【冷渦の細剣】の鋭い突きで瓦礫の隙間に消えた。
司陰は咲田に蹴られて残存したビルの中層階から危うく転落しかけた。
壁の突き出た部分を手で掴んでよじ登る。
すると、咲田が【冷渦の細剣】に螺旋を纏わせながら、それを司陰へ向けていた。
咲田が別れを告げる。
「今までご苦労様でした」
「死ぬわけにはいきませんよ」
咲田の動体視力をもってすればどこに跳んでも撃ち抜かれる。
【令渦の細剣】による電力をかき集めて収束した一撃。
これに対し、司陰は切り札を使う覚悟を決めた。




