五十九話 「この狭い部屋にこの面々が集まってるのが不思議ですね」
靄は消耗して残り一本になった【熱供の短剣】を構え、接近者への警戒を司陰にも伝えた。
「司陰君、」
「大丈夫……だと思いますよ。元素機関の人はカミナシさんに従ってるらしいので」
「その人は誰なの?」
「ああ、端的に言えば……真賀丘さんの……知り合い?」
「それは怪しい人だよね?」
彼らと面識があるのは司陰だけだ。靄にとっては初対面。司陰すらまだ信用したわけではないのだから、靄が警戒するのは当然だった。
「お二方、我々元素機関は改変の影響を受けてはおりません。ここは是非協力を――――」
「ネイト黙って! カミナシ様が喋ろうとしているでしょ!?」
「……マノ、声を拾ってください」
マノは狂信的にカミナシに従っているので、一応元素機関ナンバーツーのネイトにも容赦はしない。彼は呆れた様子で会話を中断した。
「――――で――――を、」
「玉座で温かいマンゴスチンを、ですか?」
「部屋で温かいご飯を、ですね。この馬鹿は後で制裁を加えますのでお許しください」
ネイトはエノンからカミナシを預かってマンションの中へ入っていった。マノは彼に人睨みされて震えている。
司陰と靄は少し迷った後、急いであとを追った。
残ったマノは動かないエノンを気にして留まった。
「十番さん、狭い場所は嫌い?」
「閉所には慣れている。けれど消耗したエネルギーの補給が必要よ。私はしばらく空にいるわ。あなた戦闘能力はないのだから早く戻ることね」
エノンの人の身体が日晶体の身体へと融解し、マノを置いて空へと高く舞い上がった。
真理を見通せる者にはこう見える。
その透明な身体が地平と水平の見渡す限りの空を覆っているように。
・・・・・
「この狭い部屋にこの面々が集まってるのが不思議ですね」
ネイトの独り言に司陰も頷いた。
今マンションの一室には司陰、靄、カミナシ、ネイト、マノの五人がいる。
「私は頭数に入ってる?」
「朱柚ちゃんは月晶体でもあり人間でもあるから」
事情を呑み込めていない朱柚も含めて計六人が一部屋に集まっている。
いつも食事に使っている机に椅子は四つしかなく、重傷のカミナシと治療にあたるマノはソファにいて他四人で話を進めることにした。
ネイトが話を切り出す。
「まず私から伝えておくことは、今この世界は少々狂っています。おそらく不完全で強引な現実改変が因果の繋がりを無視してこの状況を生み出しているのでしょう。人類の敵は月晶体からカミナシ様個人へ、ですが概念と違って魔装という強力な存在強度を持つ物体の改変は困難です。結果として、魔装の成長の根拠である過去の戦闘記録を消去できなかった。しかし戦ったはずの相手は存在しない。このパラドックスの解決のために結果が元の状態へ修正されるはずが、改変を加えたゴッドレスがそれを阻止しているので修正力が働かない。何かのきっかけでこの均衡が崩れれば容易く現実が変わります」
ネイトの力説に周りはあまりついていけなかった。特に靄と朱柚は途中から理解を諦めた。
そんな中、治療しながら聞いていたマノが頭の上に疑問符を浮かべながらネイトへ単純な質問を投げかけた。
「私は現実改変は押山司陰の能力って聞いてるよ。ここに本人がいるからどうにかできないの?」
「無理でしょうね。そもそも現実改変は道具にすぎません。扱うには膨大な想像力が必要です。それは量子コンピュータ並みの演算能力と言い換えてもいい」
「量子コンピュータ……」
「超越した神性が必要です。つまりカミナシ様、あるいはその神性を奪ったゴッドレスにしか扱えない。あるいは……」
「日晶体なら可能でしょう」とネイトはつづけた。
視線が司陰へ集中する。彼は焦って話を逸らした。
「カミナシさんならできるんですよね」
「本気で言っていますか? ああ、すみません。分からなくても無理はないですね」
一瞬強まったネイトの語気に場がしんと静まり返った。
彼は立ち上がってカミナシへ近づく。従者のように跪いて小声で会話し、何かの許しを得たようだった。
「見てください」と言って、彼はカミナシの腕を持ち上げてナイフでその白磁のような肌を切った。
マノが何か言いたそうだったが、真剣な様子に黙っていた。
血は零れない。いや、血が通っていない。
「失血!?」
「いえ、人間でなくなりかけているのですよ。あまりに消耗したせいで」
「……すみません」
「あなたにさほど責任はありません。この方は想像以上に長く無理をしてきているのです。とにかく分かったでしょう、現実改変を行うには日晶体の力が必要なのです」
ネイトは作った切り傷へ絆創膏を貼ってから司陰を見つめた。司陰の事情を把握したうえで彼に決断を求めている。
ネイトもマノと同じだ。カミナシが何より大事なのだ。
「……それは、」
「よし! 治療終わり! 温かいご飯食べましょう。腹が減っては戦はできない、ですよね!」
張り詰めた雰囲気はマノが壊した。彼女は傷の癒えたカミナシを思いっきり抱きしめて「触診だから」と言いながら全身を弄っている。
彼女へはネイトから鉄槌が下された。
「堅い、そして痛い」
「それは生きている証です。命があることをカミナシ様に感謝しながら有難く味わいなさい」
「私にもアルファ米ください……」
同マンション内にはカミナシ所有の部屋が合って、そこには一か月分の食料と水があった。マノは乾パン、他はアルファ米で凌ぐ運びとなった。
真っ先に食べ終わった朱柚が口を開く。
「なんだかずっと匂う。司陰のほう」
「え、」
「んー? 私は何も感じないよ」
朱柚のコメントを靄が否定してくれたが、マノは今確実に少し離れようとした。
そんなマノから乾パンすら取り上げてネイトが答える。
「聞いたところでは、日晶体と月晶体は人間でいうところの生理的嫌悪感を互いに覚えるそうです」
「そうですか……」
「えと、そこまでじゃないから……」
「フォローになってない」とは誰も言わなかった。
静かな食事を破ったのは今度はカミナシだった。
「そ――」と言ったところでマノがソファへすっ飛んでいった。カミナシに肩を貸して皆の場所まで連れていく。
「想像力が豊かな人間はそうでない人間と脳内で見える世界が違う。知覚するものさえもあるいは。だから、知覚の元にある現実そのものが違っても不思議ではない」
「誰の言葉ですか?」
「……はっきりとは覚えてない。確か……彼」
「彼?」
「ゴッドレス」
「あっ」
空気がまた一段と重くなる。
だが、カミナシ自身はそこまで気にしていないようだ。彼女は目を閉じて昔を回顧するように話した。
「そう、最初にこの言葉を聞いた時は何が言いたいのか分からなくて流れてしまった。魔装がある今はそれほどおかしい話でもないことだけど。……彼はきっとこの宇宙の誰よりも現実改変の操作に長けている。それはきっとヒドラよりも。私は足元にも及ばない。だから司陰君が頑張ってもどうにもならない」
カミナシの言葉は無情だった。しかしそれは司陰をネイトから守るための言葉だったのだろう。
ネイトは彼女の言葉を疑いはしないようだった。
「司陰君、君のすべきことは何かな?」
「……人類を守ること?」
「大きくでたね。そのための過程はどうする?」
「まずはゴッドレスを倒して、その後月晶体が人類に敵対するようなら倒します」
「つまり、月晶体が敵対しなければゴッドレスを倒して終わり、そういうこと?」
カミナシは小さく笑った。
「この戦いはね、善悪の戦いではないよ。勧善懲悪では何も解決しない。下手をすれば地球丸ごと共倒れ。得をするのは別次元に残った月晶体かもしれない」
カミナシに見られて朱柚は縮こまった。
「まずは、大事な人を守ることを心掛ける。その他はその延長でしかない。大局を見るのは重要だけど、もし大事な人とその他を天秤にかけるなら迷ってはいけないよ」
司陰は頷いた。
突然、ネイトが立ち上がって窓の方を見た。
一見冷静だが普段から考えると慌てているようにも見える。
「来ましたね」
「ネイト?」
「何が来るんですか?」
彼は遠くの何かを鋭く見つめている。
「今の我々は人類の敵、国際月面開発機関が動き出しました」




