五十八話 「好きです」
司陰の眼下には大都市の全景が広がっている。
天を衝くようなの摩天楼の群れの間には崩壊した建築物が散らばり、今がちょうどアポカリプスの始まりであることを示唆しているようだ。
向かう先は借り家ではあるが住み慣れた家。
地下にて。
「――――いいわ。その条件でいきましょう。今、現実改変で敵の概念の対象が月晶体からカミナシ個人に移っている。元素機関の人間なら影響を避けたかもしれないけど、改変の影響を受けた人間はあなたの手で説得して」
エノンは承諾し、司陰とカミナシを亜音速で地上へ運んだ。
透明な液体の中を浮遊する感覚はどこか懐かしいようなものだった。
・・・・・
地上へ降り立った司陰を待っていたのは靄だった。
耐晶コートはボロボロで白色が焦げ付いてくすんでいる。その他の装備や服も破れているところが目立つ。なにより靄は全身傷だらけで止血した包帯すら赤黒く染まっており、なんでそこに立っているのか不思議な状態だった。
彼女の手には【熱供の短剣】が一本だけ握られている。
「……大丈夫ですか?」
「……」
二車線の道路を挟んで対峙する司陰と靄。
エノンはカミナシを抱いて張り詰めた状況を傍観している。
「あの、正気ですか……?」
「私は、ずっと、潜土砲手と戦って、潜土■■と戦って、■■■■と戦って……」
司陰は息を呑んだ。
靄は現実改変に抗って記憶を部分的に元の状態で保っている。
でも彼女の身体と精神は看過できないダメージを負っている。
「靄さん休みましょう。家へ帰って、俺が何か作ります」
「戦わないとみんなが死んでゆく……司陰君も……」
「俺は死んだことになってるんですか」
司陰は道路に足を踏み出そうとして、逆に一歩下がった。
靄の虚ろな目が怖い。彼が本物か確かめているようだ。
「偽物なら始末しないと」
「待って」
「司陰君」
司陰は咄嗟に右へ跳んだ。
無造作に振るわれた短剣はその刃の延長線上に凄まじいエネルギーが集合していて、アスファルトと地面が液体のように割れて溶けて後方へ流れていく。加熱された空気は膨張して局所的な突風を生んで司陰の頬を撫でた。
あと少し遅れたら体が真っ二つだ。
熱刃攻撃。
驚くべきはその射程と威力。放射攻撃並みの射程で地面の抉れ方も倍以上。元々空気中の粒子の結合を解放して集合させていた刃だったのが、まるで魔装そのもののように揃って動く刃になっている。この速度なら振るわれたと思ったら斬られたことにも気づかず死ぬだろう。
「本当に死ぬ!」
「逃げるな」
反撃に放った【紺黒の銃】の弾は容易く見切られて横薙ぎの熱刃と共に返って来る。司陰が跳んで避けたらその刃は街灯を根元から切って遠くの街路樹まで切り倒していた。周囲に人がいないことが幸いだ。
このままでは埒が明かないので司陰は搦め手に出ることにした。
煙幕を張って射程の有利を消す。もちろん司陰の銃も使えなくなるが、ゼロ距離近くまでいけば状況は変わる。
意外なことに靄はその場から動かなかった。
いや、動く必要がなかったのだろうか。
彼女の背後から近づいて振り下ろした晶化ナイフは【熱供の短剣】を横から当てられた衝撃で砕け散り、尖った破片が司陰の肌を掠ると同時に彼の腹を靄の足が蹴とばした。
司陰は道路の真ん中まで転がる。背中のアスファルトは硬く冷たい。
「……相変わらず強い」
「黙ってて」
地に伏せた司陰の腹を靄は踏みつける。
彼の呻き声を無視して彼女は踏み続けた。やがて彼の抵抗が弱くなると彼女は話し始めた。
「私、ずっと戦ってたの。今も昔も、誰のためでもなく。お父さんはきっと国民のために戦って散ったけど、私はそんな高尚な思いは持ち合わせてない。両親が私から遠いところに行って、その孤独を紛らわす唯一の手段が魔装を使うことだった。笹池隊長も城島先生も私が戦えるから優しかったんだよ」
「それは違――――」
「黙ってて」
靄の強めの踏みつけで肺の空気が押し出され、司陰の言葉が途切れる。
靄の顔は無表情に見えて、目尻に涙が浮かんでいた。
「おかしいよ。なんで強いと妬まれるの? なんで弱いと疎まれるの? みんなが平等なんてありえないのに。自分と離れた人間は傍にいたらいけないの? どうなの司陰君」
「みんな――――」
「だから黙っててよ」
何度目か分からない踏みつけで司陰も意識が朦朧としてきた。
もはや自分の目が曇っているのか靄の顔が曇っているのか分からない。
「学校では遠巻きに見られて、コートを着ている間も一人で死と戦って、笹池も真賀丘さんも私を大人として扱って、まるで誰からも私が弱くあることは許されないみたいで、私だってまだ人肌が恋しくなる時ぐらいあって何が悪いの!」
「……」
「なんで喋らないの!」
司陰の腹は今度は間違いなく理不尽に踏まれた。
思えば、靄は朱柚が司陰にくっつくことを事あるごとに咎めていた。親がいない子の甘えたい気持ちを誰よりも理解する靄自身が、結局のところはそれを強く渇望して、それ故に自制し続けていたのかもしれない。
司陰はそういう意味では鈍感すぎた。
彼は親がいなくともどうにかできて、甘えることも幼少期の終わりと共に忘れてきてしまった。あるいは、それは彼が本質的に人との関わりが必要ない生物だという証なのかもしれない。
「ねぇ、応えてよ。司陰君は私が戦えない人間になってもずっと傍にいてくれるの? 魔装がない私でもいいの?」
司陰のお腹に大粒の涙が落ちた。
靄は狂気に飲まれたわけではなかった。
「好きです」
「あっ……」
司陰は最後の力を振り絞って体を起こし、靄の身体を引き寄せた。
立ち込める煙の中、二人は地面に倒れこむ。
司陰は靄の潤んだ目をまっすぐ見て告げた。
「好きだから一緒にいるんですよ。靄さんが優しいから傍にいるんですよ。ちょっとこれ言うのは恥ずかしいですけど、靄さんの風呂上がりの香りとか、洗濯物に混じってる下着とか、意識したら顔が赤くなりそうなんで意識しないようにしてるんですから」
「変態」
「それは言わないでください……」
靄は司陰の耳元で「たまに胸に目がいってるよね」と囁いて、司陰が固まったところで「嘘。見たことないよ」と言った。
「ねぇ、一つお願いしてもいい?」
「なんでもどうぞ」
「婚姻届書いて?」
「……それは互いに適正年齢になってからですね」
「書くだけだよ?」
「死亡フラグになりそうなんで嫌です」
「けち」
笑い合って、抱き合って、そうしているとやがて煙も晴れた。「さっきのは冗談」「知ってます」という小さなやりとりだけをして地面に寝ころぶ。
みんな避難して静かな街で、二人で空を見上げる。
「せっかくだから恋人のステップでも踏んでおく?」
「それって」
「もちろんキス――――」
パチパチと拍手が響く。
わざとらしい拍手をしたスーツ姿の男が二人にゆっくりとした足取りで近づいてくる。
「恋物語も素晴らしいのですが、そろそろエノンを待たせるのもやめましょう。久しぶりです、押山司陰君」
「……シャットさん」
「今はネイトとお呼びください。あるいは十一番のどちらでも」
かつて燕尾服で司陰の前に現れた男は再び現れた。
後ろに、「甘い恋物語、羨ましい!」と叫んでいる金髪の女を伴って。
令和四年最後の投稿です。
みなさんよいお年を。




