中編 山と月と記し
白く長い髪。まるで銀糸のよう。
優れたる容貌。まるで白磁のよう。
服の上からでも分かる抜群のスタイル。人形、とは違うかもしれない。
「……黙ってれば綺麗なやつだ」
ゴッドレスは思う。彼女はわざわざ百回同盟に入らずとも順調に生きていけるだろうに。感覚の摩耗も意識しなければ問題にもならない。人間いつかは死ぬもの、それを逃れよとする方が無理がある。なのに、他人のために活動しようとは酔狂なやつだ。
ゴッドレスはそっと彼女に薄い布団をかけて、自らはまた作戦立案の作業に戻っていった。
・・・・・
目的の会合はビルの一階部分を貸し切って行われていた。
参加者が続々と入場している。それなのに、ゴッドレスはその流れに入ろうとしない。
彼は黙々と眺めているばかり。
「まだ入らないの?」
「来場者の確認が先だ。パーティー会場に入ってからはなるべく事を急ぎたいからな。今回用意した招待状は偽造だ。だから警備は誤魔化せても主催者の目は誤魔化せない。我慢してくれ」
「それは分かるけど……」
彼に押し付けられたのは水色のドレス。しっとりとした柔らかな布地で仕立てられ、背中に入ったスリットが大胆に肌を露出させている。
仕事柄慣れていないわけではないが、髪を結って化粧までした上にこの妖艶さを醸すドレスを着ていると人目を引いて仕方がない。ジロジロ見るような無礼な人間はこの場にはいないといっても、雰囲気も相まっていたたまれなくなる。
スーツ姿のゴッドレスが周りの視線を遮るように一歩前に出てから言った。
「慣れろ。ドレスコードがある場所なんて今時そうないが、ないわけでもない。それはシェンルンがお前のために仕立てたドレスだからな、大事に使えよ」
「どおりでサイズがピッタリなわけだ」
ピッタリすぎて胸が強調されている気がしないでもない。
シェンルンは何がとは言わないが比較的控えめなので、彼女に選んでもらった服はだいたいサイズが小さめになる。
ゴッドレスが腕時計を見て入り口に進みだした。
ついていこうとしたら、急に立ち止まったので背中にぶつかった。
「……何してるんだ?」
「それはこっちのセリフ」
「いや、知り合いがいた気がして……」
今入り口には一組の男女がちょうど入場しているところだった。仲睦まじそうに腕を組んで、談笑しながら中に入っていく。
ゴッドレスはそれをまたしても黙って見ていた。
羨ましいのだろうか?
「腕貸して」
「腕?」
彼が差し出した腕を自分の腕と組ませる。こちらの肌に冷たいスーツの布地が当たって少し冷たい。
彼は怪訝そうにそれを見ている。
「エスコートが必要か?」
「要不要の話じゃなくて、普通はこうするんだと思うよ」
「……」
照れてる。
照れてるな。頬が赤い。
この男、擦れてるとは思ったが、人の心まで失ったわけではないらしい。
「そういえば、私とはよく喋るよね。シェンルンの前では無口だったのに」
「……お前が例外なんだ。人間と話すとその裏の排他性を垣間見て不快になるのだが、お前からはそれを一切感じないんだ。なんだ、その、ペットと話しているみたいな」
「ペット」
腕を振りほどいて会場に早歩きで進む。
慌ててゴッドレスがついてくるが知ったことではない。
それにしても、人間不信な彼は過去に何があったのだろうか?
『――――計画変更だ。会場の人間は全員始末しろ。そのための爆弾はもう運び込んである』
「……待て、エーディエスト。どういうことだ? 協力を求めるはずだったんだろ」
『より効果的な手法を発見した。そのために、そこの人間たちを始末することが最善の手になる』
「……」
『起爆コードは0816だ。ぬかるなよ』
ゴッドレスは唖然としていた。
会場の隅で電話していたかと思うと、彼の表情が急に曇りだした。
「エーディエストって誰?」
「シェンルンと同等の立場の人間だ。百回同盟では俺より上の人間だと思えばいい。そして、奴はここの人間を全員殺せと言うらしい」
息を呑んだ。
ゴッドレスの表情は真剣そのもので額に汗がにじんでいる。
この会場にいる人間は百人近い。それをまさか全員殺せというのか。
「……彼らは記憶を引き継がないから」
「……そうだな。死んでも忘れて次の世界ではまた同じように生きるだろう。彼らに摩耗の概念はない。だが、俺達には罪の意識が残る」
ゴッドレスは会場のただ一点を見ていた。
入場時にも見ていた男女だ。やはり彼にとって特別な人であるらしい。拳を痛いほど握りしめ、彼は血が出るほど唇を嚙んでいる。
この男は小心者だと思う。賢いけれど、それを活かす大胆さは兼ね備えていない。大事な人を守りたくても、仲間を裏切ることもできない。
しばらくの沈黙の後。
「ねえ、ゴッドレス。やっぱり、やらないと――――」
「っくそ!」
「あっ」
彼は勢いよく会場を飛び出していった。
周りの人間は私に同情の目を向けている。「可哀そう」と男に置いて行かれた私に哀情を抱いたに違いない。華やかな花を遠巻きに見物するように。
ドレスなんて着なければよかった。
私は彼の背に追いつけるだろうか。
ゴッドレスは外に出ていた。
彼は私の予想に反して会場から少し離れた場所で立ち尽くしていた。
彼の脇からタブレット端末が滑り落ちる。道路に落ちてガラスの割れる音が響いた。
「ねえ、ゴッドレス」
「……」
「ねえってば!」
通行人たちが振り向く。
彼らは一様にドレス姿の私とスーツ姿の彼を見て目が釘付けになった。傍から見れば珍しい痴話喧嘩に見えるかもしれない。
彼は振り向くことなく言った。
「……あいつは、あいつらは、俺の友達だった。生まれ変わりなんて知る前からの。何やってもうまくいかない俺と唯一縁を切らずにいてくれた人間なんだ。……そうだ、そういえばあいつは薬関係の研究に熱心だった。海を渡ってあの場に来ていても、不思議ではない……」
「でも、」
「……殺すべきなんだろうな。エーディエストの言う通りに」
百回同盟は存在が消滅しかかっている人間の救済組織である。世界から消えてしまう彼らを救うためなら、他の幸福な一般人が多少の不幸を被るぐらい構わない。そういう理念をウ―シェンルンから聞かされている。
折り合いをつけなければならない。
だが、彼はまだだった。
「仕方ないよ」
「仕方ない……か。恩を仇で返して仕方ないで済ませていいのか?」
「来世で、」
「あいつらに来世はない!! 記憶の断絶は死だ!! 俺たちが観測している視点だと連続しているが、あいつらからしたらそれは断絶なんだ!! 俺は、俺は、殺せない!!」
しんと辺りが静まり返る。
いや、微かな声がある。嗚咽の声だ。ゴッドレスの目から零れた涙の滴る音。何かにひびが入っていくような幻聴。
彼は私に切実に訴えた。
「……そういえば名前、聞いてなかったな」
「名無しでいいよ」
「そうか。なあ名無し、そのタブレット端末を俺の代わりに壊してくれ。真に友情のあるべき姿を俺に……!」
彼は数歩後ずさった。
いつもの寡黙さが戻ったのか、無言で私の行動を待っている。
私は今、少々人前では恥ずかしい姿でここにいる。でも、羞恥に惑わされずに何をするべきかは決めていた。
開いた背中から冷気がそっと差し込むように、私の身体を怖気が這い上がる。今、私は彼の運命の舵を握っている。
今の私は魔性の女だ。一人の男の運命を意のままに操れる。彼がとうとう投げられなかった賽を私は好きなように出目を出せる。
もしかしたら、私の頬は紅潮しているかもしれない。
曖昧な私の、初めての経験。
英雄的なプロポーズ、あるいは生娘が処女を捧げる瞬間や最後の審判の時のような、世界を動かす働き。
0816。
私の背後で、ゴッドレスの積み上げてきたものが爆発音と共に全て崩れ落ちていった。




