五十四話 月食、月晶体を蝕みし者
「司陰君!」
床の大穴に司陰が吞まれていく。伸ばした手は空振り、月晶体の口が閉じられて急速に地下に沈んでいく。
靄が勢いそのままその穴に閉じこもうとしたところで、追いついた菜小が背中に抱き着いて止めた。
「死にたいの!? どう考えても罠なのに!?」
「なら放射攻撃で!」
「届かないって!」
轟音が遠ざかり、月晶体が取り逃したことがやがて鮮明になる。
靄は階下まで突き抜けた大穴を見下ろして呟いた。
「どうして……なんで司陰君を……?」
・・・・・
そこはかび臭い場所だった。天井から漏れる地下水のせいでジメジメとして、すこぶる居心地が悪い。
司陰が目を覚ました時、地面はコンクリートでゴツゴツとし、それ以上に悪寒が背後からしていた。
「目覚めたか。人間もどきよ」
ここは広大な地下空間。
そしてその空間いっぱいに響き渡る声でその怪物は声を出した。
司陰が振り向けば、おそらく月晶体だろう、水晶の山が築かれている。
頂上に鎮座するのは見たことのない男。いや、人間の男に見える何かだろう。もう外界は肌寒い季節だというのに、そして地下はなおさら寒いというのに、その怪物は露出の多い格好で足を組んでこれまた水晶の玉座に座っていた。
「……誰?」
「知らないのも無理はない。我はついこの前までこの姿を人目に晒したことはなかったからな。ゴッドレスと呼べ。我はそう、ちょうど貴様らの言う統制月晶体、地球上にはいないとされてきた月晶体だ」
その怪物、ゴッドレスが指を一振りすると、その指の先から液体が噴き出し、それが地面に着地する頃には長い砲身と不定形の脚部を持つ異形の月晶体――――潜土砲手になってしまった。
「あ……」
「どうした? 今更怖気づいたのか? これは我が作品の最高傑作の一つ。地面を潜って日本列島全土、あるいは世界全てを侵略し、強力無比な砲弾で全ての障害物を駆逐する」
「世界全て……? まさか、海を渡るなんて――――」
「水に弱いのは変わらずだが、何も不可能は存在しない。元の月晶体どもの低能では思いつきもしなかったが、簡単な話だ。地殻を潜行すればいい。ちょうど人類の作るトンネルのようにな」
司陰はハッと辺りを見渡した。終わりの見えない空間を埋め尽くすのは夥しい数の潜土砲手。
災害殲滅隊の総力、いや、全世界の総力を挙げて果たして倒せるのか――――。
「――――来たな。我らが宿敵。人類の希望のお出ましだ」
水素爆弾の威力でも抜けないように設計された天井が軋む。
パラパラと砂礫が落下し、たわんだ天井に亀裂が十字に入る。
一度亀裂の進行が止まった。
そして次の瞬間、光の柱が降り注いで天井に丸い穴をあけた。
耳をつんざく破裂音と目を焼く強烈な光が空間を席巻する。天井の破片が火山弾さながら潜土砲手たちを潰し、空間を支える柱が傾いてその下にいた潜土砲手ともども破砕する。一騎で熟練の魔装使いを苦しめる潜土砲手たちがいともたやすく粉砕される。
光の柱が消滅し、天井から降りてきたのは水晶細工のように精緻で透明で――――まるで月晶体のような見た目の――――龍の首。
高層ビルすら飲み込めるほど巨大な口が開き、また全てを焼き滅ぼす――――司陰の目の前で病院を仲間ごと消した――――無垢の光がゴッドレスに放たれる。
それをゴッドレスは地面の月晶体を盾のように浮かべて身代わりにさせることで凌いだ。
身代わりとなった月晶体は蒸発して霧と舞う。
「ふむ、ここは太陽光が届かないというのに無理をする。そんなに我を殺したいか」
地上まで吹き抜けた穴から天女が降ってくる。
いや、神々しいが天人ではない。無関心といった表情で純白の服をたなびかせながらゆっくりと降りてくる。穴から差し込む光が揺れる布を透かしてさながら一枚の絵画のようだ。
それを見て、その怪物は不敵に笑う。
「カミナシ、まんまと罠にはまりおって。そんなにこの少年が大事か? お前は昔からそうだ、本当に大事なもののために他を切り捨てる覚悟がまるでない。成功のためなら他を踏みにじっても構わないだろう、そう思わないのか?」
「私は君とは価値観を共有できない。だから、問答をする気はない。そして、ここにいる君は本体。つまり君を殺して私は後顧の憂いをここで絶つ!!」
水晶の龍が咆哮して空間がピリピリと震える。
口から放たれた光の柱がまた怪物を狙い、月晶体を展開した盾と激しく衝突した。
熾烈なせめぎ合いはカミナシ側の光線が途絶えることで決着がついた。
水晶の龍の首が薄くなり、口内で光が何度も点滅するがもう光の柱は放たれなかった。
カミナシは龍に「エノン、無理をさせたね」と労うように告げると、龍はスッと薄くなって空気に溶けるように消えた。
それを見てゴッドレスが頬杖を突きながら言う。
「終わりか? つまらないな。我が相手をしたいのはカミナシ、お前であって有象無象ではない。あまり退屈させるなら街をいくつか地図から消してやろうか?」
「君の短気さにはほとほと呆れるね。私がわざわざ出向いたんだ。君には思う存分苦しんでもらう」
「そうか、ならまずは小手調べといこう」
異次元の戦いに気圧された司陰に向けて、ゴッドレスが手を振り下ろした。
コンクリートが巻きあがり、走る亀裂が司陰を真っ二つにする直前にカミナシが庇った。
彼女の背中が裂け、鮮血が辺りに飛び散る。白い服と肌が赤く染まる。
「カミナシさん!」
「……気にしないで。すぐ直る」
その宣言通りカミナシの傷はすぐに塞がって出血はすぐに収まった。流れた血はそのままだが、失血に苦しむ様子はない。
その時、カミナシの胸が跳ねたかと思うと、口から血を噴きとめどなく零れる。彼女の背中には透明な槍が刺さっている。
彼女はぐったりと司陰の肩にもたれかかった。
「そんな……」
「死なないよ。死なない。私の神経が苦痛を感じる限り、私は不滅だ。でも、できることなら司陰君、ここから逃げて欲しい。君がここにいたら戦えない」
「今のあなたを置いて逃げられません」
「ゴッドレスにとって君は人質だ。そして、同時に切り札でもある。君の覚醒を急いで今まで手を打ってきたが、ごめん、間に合わなかった」
「謝られることなんて一つも…………俺はいつも他人に支えてもらってます。親がどこかへ行った後も、すぐに笹池小隊長と靄さんに助けてもらって、一人で任務に就いた時も結局あなたに助けられた。俺一人で成しえたことは何もなかった」
巨大な落石が二人の上に降り注ぐ。
それを、カミナシは力なく垂れた手で光の剣を一振りし、砂礫に還した。
「いい。人間一人ができることなんてたかが知れている。かつて私は君と同じように平凡に生き、そして無様に死んだ。その後本当は地獄に送られるところを、この世という名の地獄に送り返された。なんどもそれを繰り返せば嫌にもなる。銃弾に撃たれ、ナイフで腸を裂かれ、高所から突き落とされ、精神がすり減るのを実感しながら真の死の恐怖と共に生きていた。自分の無力さを呪って、生きる意味を探して、そして最後に百回同盟に出会った。同じように人生を繰り返す、真に自分と同じ境遇の仲間。楽しかった。嬉しかった。でも――――すべてゴッドレスに壊された」
ゴッドレスは次第に不機嫌になっていく。
司陰を殺そうとする攻撃は苛烈になり、カミナシから零れた血の池が辺りに広がっている。
「いい加減、内緒話は止めてもらいたい。我もむやみにお前を傷つけたくないが、本気を出さぬなら容赦はしないぞ」
「あいにく、君に容赦される筋合いはない」
内部は液相、外が固相の月晶体で構成された腕がうねり、カミナシの居る場所を狙った。
その時、地面に広がったカミナシの血が沸騰したように泡立って猛烈な光と衝撃を出し、その腕を空間の端まで吹き飛ばした。
ゴッドレスはもう一度腕を構成しようとするが、それに先んじてカミナシが光剣を放ってそれを貫いた。
弾けたそれを見てゴッドレスは笑う。
「面白くなってきた」
「残り短い君の余生だ。よく楽しむといい」
ありったけの月晶体をかき集め、ゴッドレスは質量と圧力で押し潰そうとする。
カミナシは無数に増殖する光剣で応じる。
地殻と空気に世界を揺らす衝撃が走った。




