一話 災害の始まり
それはある一つのニュースから始まった。
ある地方の山間部で地元住民が多数の獣の死骸を発見した。どの死骸にも出血や病気の様子はなく変死体として話題になった。結局どの死骸もくまなく調べても原因は分からず新しい感染症や何者かによる毒物の散布などがネットでは噂された。そして、ほどなくして噂はすっかり忘れ去られた。
次のニュースはある都市で一人の若者が遺体で発見されたものだった。遺体に外傷はなく体内から毒物も検出されず、死因不明の遺体として話題になった。遺体のあった路地裏の近くでは死亡推定時刻の数分前まで友人と一緒にいたところを目撃されており、すぐに若者の友人が疑われた。しかし、当時路地裏からは離れたところにいたことが目撃されており、遺書などは見つからなかったものの自殺として処理された。遺族は再捜査を訴えていたが、数か月後にテレビに出た時には再捜査については全く言及しなかった。
同様の事件が多く起こったために若者の自殺を止めるための動きがメディアを通して全国各地に広まったが、すぐにその動きは徐々に様相を変していった。なぜなら変死体の年齢層が中高年にも拡大していったからである。しかし、その広まった動きはやがて収まり、ありふれた噂の一部となった。
噂が広まりだした時期からその国では国庫に用途不明の予算が計上され始めた。
・・・・・
『――――応答せよ――――現場の警察官は応答せよ』
ある都市の周縁部の一軒の民家で殺人事件が起きた。
三日間その家の住民が外出を行わなかったので、不審に思った近隣住民が夕方に家を訪ねた。しかし、訪ねた住民は帰ってこなかった。すぐに騒ぎになり警察に通報がされた。そして、現場についた二人の警察官のうちの一人は二人目の犠牲者となった。
異変に気付いた警察が家を包囲するころにはさらにもう一人の犠牲者が出た後だった。
『――――現場の警察官に通達――――突入開始、犯人が抵抗する場合は射殺しても構わない』
「なんだこいつ!銃が効かないぞ!」
「頭を撃て!早く撃ち殺せ!」
その夜、小さな民家の中は地獄絵図となった。突入した警察官を待っていたのは三十代程の一人の女性。その女性は部屋の一つでうずくまっており、その部屋の中には三人の死体があった。警察官が声をかけてもその女性は反応せず、たまらず警察官が近づいたところ、最も近かった一人の警察官が心臓ごと体を手で貫かれて即死した。
「来るな!助け……グハッ」
一人一人と警察官が殺されていった。銃弾をものともせず人の首を簡単に折ってしまうその女性の目には光がなかった。
「いやだ……死にたくない……」
最後に残った警察官の命乞いは聞き届けられず、最終的にその部屋に残ったのは理性を失った化け物と、七人分の表情の歪んで冷たく綺麗な死体だった。
『――――現場の隊員へ連絡、目標は七名を殺害。推定ランクはBランク。被害人数の多さから既に知能獲得の恐れあり。以降は現場の隊長が指揮を執れ』
「了解。目標が潜伏中の家屋を破壊する許可を要請」
『了解。家屋の破壊許可を与える』
付近の住民が皆避難し光の消えた住宅街の真ん中で、夜の雲影に紛れた人間達が家へと近づいていく。ドアは開いており、その内部はまるで新たな獲物を誘い込んでいるかのように暗い。
「雨城は裏口があったら抑えてろ。佐野は左にまわって窓を見張ってろ」
「「了解」」
リーダー格らしき男の命令で隊員と呼ばれた者たちが即座に配置についていく。それぞれ配置についた後は慣れた様子で、状況に見合わないほど落ち着いているように見える。
裏口を見張るよう言われた隊員のみ顔が少々こわばっているのは、内心は緊張しているのかもしれない。
「なるべく一撃で仕留める、が、失敗して逃げたらどちらかが仕留めろ。足止めでも構わん。では、突入開始」
隊長と呼ばれた男は頭から灰色のマントを被っていた。彼はそのマントを激しくたなびかせながら家屋の中に踏み込んでいった。
家の中は静まり返り、その静けさが不気味な印象を生んでいた。
彼はわき目も振らずに奥の階段を目指して廊下を突っ切った。普通に考えればどこに敵が潜伏しているかわからないので危険な行為だが、今回に限ってはそれが正しかった。目標は二階の一室に居る、それはその目標が自ら振りまいている情報だ。
大方六人も釣込んで味を占めたのだろう、と彼は考えた。
とにかく七人分の仇は討たなければならない。知能がついたといっても人間には遠く及ばないことを思い知らさせてやる、彼はそう意気込んで二階のその部屋へ踏み込んだ。
彼が部屋へ足を踏み入れた時に最初に見たものは人間だった。正確には人間を模した化け物に違いないが、その月晶体の体は透過しておらず、髪の毛の隙間から覗く顔は肌の色をしていた。それはあり得ないことだった。なぜなら月晶体は人に化けることはあっても所詮はマネキン程度で、ほとんど人に見えないと言っていいほどお粗末なものだからだ。
だから彼は咄嗟に目標の頭を潰すことを躊躇した。
「っ! この野郎!」
彼は咄嗟に左へ跳んで体を一回転させて悪態をついた。
彼がさっきまで居た場所には透き通った何かが刺さっていて、それが彼の眼前の化け物から飛んできたために避けざるをえなかった。
だがそこは部屋の隅。
無数の針が彼をめがけて飛来した。
「くそっ!」
その部屋は狭くはなかったが広くもなく、高速で飛来するそれを避けるには距離が近すぎた。
彼は灰色のマントで顔を覆って針を防ぐが身動きが取れなくなった。
顔が正面から逸れたことで、今まで意識の外に置いていたものが目に移って眼底へ刻まれる。それは六人分の亡骸。最後の顔はそれぞれ異なるが全員碌な最期を迎えられなかったのは明らかな様子だった。直視などできようはずもない。そして、当然七人分あるはずのそれらが一人分欠けていることを見落とした。
彼は戦闘中につきその事実に気が付かなかった。
幸か不幸か彼への有効打にはならないと見るや、化け物はその攻撃を止めて顔を覆った彼へ数メートルの距離を一気に詰めて襲い掛かった。
ただ、それは月晶体にとって完全に悪手で、彼へもたらされた貴重な反撃の機会だった。
彼は対峙する化け物を一切見ることなく拳を引いた。その拳は武骨な籠手で覆われており、彼がそれに見えない力を籠めると赤く輝いて一気に加速し、目の前の無防備な腹に一撃を加えた。
外へ出さないように床へ押し付けられた人型の月晶体は床に穴をあけて破砕音とともに階下に落ちていった。
隊長が追撃しようと穴へ飛び込むが、そこにはいるはずの月晶体はいなかった。
「まずい、逃がしたか」
「隊長、この家もはずれです」
「こっちもです」
「わかった。一旦本部の探知を待つ」
月晶体は先ほどまで強烈な死臭を漂わせていたために、気配を消されてしまうとまるで居場所を掴めなくなった。
これもあるいは作戦のうちだったのかもしれない、と、隊長は考察する。
七名の人間を殺した、月晶体にとってその意味は重い。
七名分の知識を取り込んだのだ。これをこの区域、あるいはもっと広大な範囲に潜む奴らのボス、統制月晶体が取り込めばまた奴らは進化するだろう。
そもそも、戦闘中に見せた極小の針は異能を使う彼ら、魔装使いですら視覚外から葬り去りうる非常に危険な武器だ。それが使われるようになれば全体の脅威度が上がるだけの危険度がある。
隊長は以前に本部の研究員から「絶対に異能の月晶体は逃すな」、と厳命されている。だから逃がすわけにはいかないが、目標はとっくに彼の知覚外へ出ていた。
もう逃げたかもしれない、そう思いつつも本部の連絡を待っていた彼らを襲ったのは急激な魔力の膨張の反応だった。
「自爆だ! 跳べ!」
自爆、なんてことはないありふれた攻撃方法だ。それは月晶体にとっても。
三年ほど前に初めて確認されたそれは当時名の知れていた隊員を一撃で死に追いやった。
それは入隊してそこそこの時間を生き抜いた隊員には防ぐのはそう難しくはないはずだった、だが、不意打ちで食らえば良くて入院、悪ければ死だ。
彼らがいたのは一軒の住宅の屋根上、屋根の下にいつの間にか潜り込んでいた月晶体は三人の知覚をすり抜け確実に仕留めにかかったのだろう。
強大なエネルギーに起こされた爆発は周辺の家ごとなぎ払い、地面を抉り、クレーターを作り上げた。万物を抉る膨大なエネルギーが吹き荒れた。
避難は完了済み。民間人は周辺には近づかないよう対策済みだった。
「生きてるか、雨城、佐野。生きてたら反応しろ」
『雨城、無事です』
『佐野もです』
幸運なことに彼らは手足の一つも失うことはなく、無事に爆発から逃れられた。戦闘服であり彼らが所属する組織の制服でもある灰色のマントは大半が焼け落ち、残った生地も黒焦げでもはや本来の役割を果たせなくなってしまった。けれども彼らの命がたかだか数百万の装備で守れるなら安いというものだった。
ひと段落着いた、と思われたところで本部からの連絡が入る。
『本部より現場の隊員へ、月晶体の消失を確認。自爆と推測される』
「了解。巻き込まれた後だが、全員無事だ」
『負傷状況は?』
「隊服が使えなくなったが、全員ほぼ無傷だ。しかし、装備の破損で戦闘継続は不可能。よって支部へ帰還する」
『了解――いや、待ってほしい』
「どうした?」
急に人が動き回る音が流れ、スピーカーの奥が騒がしくなった。スピーカーの奥――本部の管制室で何かが起きているらしい。
『現場の隊員へ連絡。戦闘区域へ民間人が紛れ込んだ。それと――――』
月晶体との戦域は今回のように多大な被害が出る場合がある。故に民間人は侵入しないよう情報的にも物理的にも対策されている。それでも侵入してしまう場合はある。例えば素質を持っている場合など。
もっとも、素質があっても民間人は民間人だ。アリが象に出くわして踏み潰されるように、月晶体と運悪く出くわせば死ぬ。
『――――月晶体がその民間人の近辺で生き残っている』




