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初来院の美女

作者: はくび

人口の少ない小さな町に、七十歳という高齢でありながら、未だ現役の医者、通称『亀先生』の営む治療院があった。

亀先生の治療は気功を使い、薬や医療器具、ましてや手術など一切行わずに様々な病気を治してしまうことで、町中で評判となっていた。

まだ開院して半年あまりだが、すでに地元の高齢者を中心に、多くの人の悩みを解決させていた。

その実績からか、亀気功院は診察希望の患者が絶えることなく、この町では唯一、予約制を取り入れる病院でもあった。


今日も沢山の患者が亀先生の元を訪れる。

「先生こんにちは」

「おや五丁目のおばあちゃん。さあ、どうぞどうぞ」

顔なじみのおばあさんを診察室に招くと、亀先生のお決まりは、まず漢方薬入りのお茶を患者に出すことから始まる。

「さあ漢方茶をどうぞ」

「先生いつもすみません。お茶まで出してもらって」

「いえいえ。これは治療の一環です。患者さんにリラックスしてもらわないと、気功の効果も上がらないのです」

「そうなんですね〜 それにしても先生お一人で大変ですね」

「ええ。実は弟子が数人いるのですが、まったく使いものにならなくて…… 本当はお茶を入れるのも彼らの仕事なのですがね……」

「そういえば来たときに、表に二人ほど男性の姿が見えましたけど」

「ええ。弟子は合計五人いるのですが、困ったことに自分達で勝手にローテーションを組んで、ここには二人しか残らないのです。残りはどこかで遊んでいるのでしょう。まったく私から気功術を学ぼうとする姿勢が、これぽっちも見られない弟子達なのです」

「へえ〜。皆さんまだお若いから遊びたい盛りなのでしょうね」

「それは全員二十歳代ですが、そんな気持ちで気功術を身に付けようなんて、甘いんですよ」

「先生も大変ですね」

「まったくです」

患者から笑いが漏れた。会話とお茶の効果からか、だいぶリラックスしてきたようだ。

「ではさっそく治療に入りましょうか」

亀先生は患者をベッドにうつむせにさせると、患部である腰に服の上から軽く手を当てた。

そして神経を集中させて、手から気功を出し、腰全体に気が行き渡るように手を動かした。

患者から思わず声が漏れた。

「ふ〜温かくて気持ちいいです」

「そうですか。また快適に歩けるようになりますよ」

「本当に亀先生は名医ですね。こんな立派な技術を持っている先生を持ちながら、それを学ばないお弟子さん達はもったいないですよ」

「いえ…… 彼らも気功にはそれなりに興味があるようですし、初めの数ヶ月はそこそこまじめに働いていたのですが……」

「お弟子さんの気持ちも分かりますよ。この町の若い人は皆、東京や都会に出て行ってしまいますものね。遊ぶ場所もない、年寄りばかりのこの町に縛られるのは楽しくないでしょうし」

「ええ、まさにそれなんですよ。しまいには東京に病院ごと移したらどうだなんて生意気な事言い出したり…… まったく何様のつもりか。そんなに東京に行きたいのなら、早く私の気功術を会得して、勝手に出て行けって話です」

「どちらの言い分も分かる気がします。だけど私は、先生にはずっとこの町にいてもらいたいですね。どこかに行かれては困りますよ」

「もちろん私はここを離れるつもりはありませんよ」

「それを聞いて安心しました」

そんな会話が続き、やがて開始から十分ほどで治療は終わった。おばあさんは来た時とは違い、見違えるほど軽やかに歩いて見せた。これが亀先生の力である。弟子二人がおばあさんを出口まで送った。

「よし。そろそろ昼飯にしよう」

亀先生の言葉で弟子五人が診察室に集まり、その隅で弁当を食べることになった。


「先生! 手紙が届いていましたよ」

そう言って弟子の一人が手紙を持ってきた。

亀先生は受け取ると、その内容に目を通した。弟子の一人が聞いた。

「先生? 誰からですか?」

「ああ。私の気功術の先生からだ」

「先生の先生?」

「そうだ。二十年間もこの先生に世話になったんだ。もうずっと前の話だけれどな」

「その先生がどうかされたんですか?」

「先月だったか…… 先生が体調を崩したというので、治療しに行ったんだよ」

「どこにですか?」

「東京さ。昔は先生の所に毎週のように電車で通ったものだ。昔を思い出して懐かしかったよ。先生の体調もすっかりよくなったと書いてある。よかったよかった」

東京という言葉に弟子五人の目の色が変わった。

「先生! 俺達の知らない時に東京に一人で行ったんですか!? それより東京はどうでした? 可愛い子とかいっぱいいたんでしょう?」

「それはそうさ。右を見ても左を見ても美女ばかりだ。まるで映画やドラマの世界に入り込んだようだった」

「先生だけズルいですよ! 出かける時は俺達も同伴させてくれなくちゃ!」

「バカモノ! お前達が来たって、ただの足手まといになるだけだろ!」

「チェッ!」

ふて腐れる弟子達に叱る師匠。いつもの光景だった。

「それよりお前達、早く飯を食え。午後の患者がもうすぐ来る時間だぞ。午後はお前達全員、立ち会うように」

「はいはい。またじいさんばあさんの相手でしょ……」

「いいから黙って飯を食え」

こうして絶えず大目玉の弟子達であった。


そんな時。医院内に突如、聞きなれない女性の声が響いた。

「あの〜すみません」

とても美しい声。まるでうぐいすのさえずりにも思えた。

一同が声の方向に目を向けると、そこには、まるでテレビの中から出てきた女優と見間違えそうなほどの美しい女性が立っていた。

モデルのような体形。人形のように小さな顔。彼女を一目した亀先生と弟子達は、まるで時間が止まったかのように呆然とし、しばらく身動きがとれなかった。弟子の中には開いた口からご飯をこぼす者、手に持っていた弁当箱を落とす者も……

「ど、どちら様でしょうか?」

最初に立ち上がった亀先生だが、声は大きく上ずっていた。

「あの〜 ここで治療をお願いできますか?」

『治療』という言葉を聞いて、弟子達が一斉に立ち上がった。

弟子A「どうぞどうぞ。ようこそいらっしゃいました」

弟子B「さあ中へどうぞ」

弟子C「今お茶を入れますからね」

弟子D「足元気を付けてくださいね〜」

普段は患者が来ると奥に引っ込む弟子達が、患者が違うとこうも変わるものなのかと亀先生は呆れながらに思う。

女性はぎこちない弟子達に促され、診察室の椅子に腰をかけた。

弟子C「お茶お待ちどうさまでした〜」

お茶を持ってきた弟子だったが、女性の前にコップを置く寸前で足をつまずかせ、お茶をこぼしてしまった。キャと甲高い声を上げて女性が身を引く。しかしお茶は女性の服に大きなシミを作った。

亀「バカモン! すぐに布巾をもってこい!」

弟子C「すいませ〜ん!」

亀「本当に申し訳ありません。あのバカが……」

女「いいえ。大丈夫です」

女性は手渡された布巾で服のシミを拭きながら、笑みを崩さず優しく言った。

しかし病院側としては、なんとも気まずい空気である。

弟子E「はいお茶をお持ちしました〜」

今度は別の弟子がお茶を運んできたが……

亀「バカモン! ペットボトルのお茶じゃないか!」

この有様…… さらに……

弟子A「はいお茶で〜す!」

亀「バカモン! 漢方薬が茶の上に浮いているじゃないか!」

弟子B「お茶どうぞ〜」

亀「バカモン! これはさっきの患者の飲み残しだ!」

弟子D「はい今度こそどうぞ〜」

亀「バカモン! それは私の入れ歯を洗う用のコップだ! ええい、どいつもこいつも! お前らはもう引っ込んでいろ! 自分が入れるからもういい!」

弟子達「すいませ〜〜ん」

亀先生は呆れて立ち上がると、女性に深く頭を下げた。

亀「本当に申し訳ありません」

女「いいえ……」

女性は顔を手で隠し、小さくクスクス笑っていた。

そして、ようやく本物の漢方茶が運ばれてきた。

「本当にお見苦しいところをお見せしました。あのバカどもが、馴れない事をするから……」

弟子達は院内の掃除を始めた。といってもフリだけである。

女性が笑いをこらえた様子で聴いてきた。

「あの方達は?」

「私の弟子です。本当にどうしようもないヤツらです」

「そうですか。先生もそのお年で、お弟子さんを沢山持っていらっしゃって大変ですね」

「もう七十ですからね」

「お弟子さんが独り立ちするまで、長生きなさらないといけませんね」

「ええ。考えると気が遠くなりますけど。しかしあなたのような綺麗な方を見ていると、なんだか元気が出て、寿命が延びそうですけどね。ヘヘヘ」

横から弟子が、小声ながらも力を込めて言う。

「先生! 鼻の下も伸びてますよ!」

「うるさい! 黙って掃除していろ!」

またしてもキレる亀先生。その度に女性はクスクスと笑う。その表情も実に可愛らしい。

その様子を見た亀先生が。

「だいぶリラックスされましたか? 私の治療は、患者さんのリラックス状態で効果に幅が出るものですから」

「はい。お茶もおいしくて、気持ちが落ち着きます」

「それはよかった」

またしても弟子が小声で口を挟む。

「先生の方がリラックスできていないですよ」

亀先生はあえて気にとめず、聞き流した。

「では、当気功治療院に来た理由をお聞かせ願いますか?」

「はい」

すると女性は自らの悩みについて話し出した。弟子達の意識も、その発言一点に注がれた。

 

「私には以前から気になっている患部が三箇所ありました。ひとつは乳房で、手でさわってみるとしこりのようなものが。乳ガンではないかと思うと怖くて…… それと、お腹も痛むんです。日をおいても治らないので、もしかして盲腸じゃないかと…… あと一番辛かったのが痔です。長年の私の悩みでした……」

その外見からはとても想像できない女性の苦しみの数々を、皆うなずきながら聴いていた。彼女はさらに続けた。

「私自身、早く病院に行かなくちゃとは思っていたのですが、仕事が忙しかったり、ちょっと恥ずかしくて行きづらかったりで放置していたんです。だけど、患部は日に日に悪化していく一方で毎日悩んでいました」

「そうですか」

亀先生は同情し、自分が治すぞとばかりに意気込み、腕まくりをした時だった。

彼女の次の一言に一同は我が耳を疑った。

「そんな時、先生の治療を受けて本当に良くなったんです!」

彼女は明るく、そう話した。その言葉に一番驚いたのは弟子達であった。

「治療を受けてって…… 先生! この人の治療をしたことがあるのですか!?」

亀先生も動転した様子だった。

「とんでもない! 私はあなたのような方を治療した記憶はありません! 第一、この治療院を始めて半年。あなたのような若い女性が見えたのは初めてです」

「そうなのですか?」

女性もやや目を丸くした。

亀先生は女性に確認した。

「何かの間違いではないですか?」

すると女性はきっぱり答えた。

「いいえ。先生のお陰で、胸のしこりもすっかり消えましたし、痔で苦しむこともなくなりました。本当に嬉しくて、今日はお礼も兼ねて伺いました」

亀先生は依然頭を抱えていた。どうしても思い出せない。

弟子達が亀先生の元に詰め寄ってきた。弟子の一人が女性に聴く。

「それで、先生はあなたの病気を全部治したのですか?」

「いいえ。あいにくその時は、お腹の盲腸だけは治してもらえませんでした。なので、今日はお腹を見てもらいたいと思って」

亀先生の頭はますますこんがらかるばかりであった。

「分かりました。お腹の治療は致しますが…… その前に以前何処でお会いして、治療したかどうしても思い出せないので、教えてもらってもよろしいですか?」

その時、女性の視線がやや下向いた。何かを隠しているかのように。

そんな女性に亀先生が聴いた。

「あなた、お住まいはどちらですか?」

「東京です」

女性は小さく答えた。東京と聴いて、弟子の一人が先生に尋ねた。

「東京っていうことは、先生が先月、手紙の人を治療しに行ったその時に!?」

「それは違う! 私は先生以外誰の治療もしていない。それは確かだ!」

亀先生はきっぱり否定した。

女性は依然うつむいたままだった。言いたい事があるのだけれど、言い出せなくて困っているように見えた。亀先生はズバリ聴いた。

「よろしければ教えてもらえませんか? 私がどこであなたを治療したか……」

すると女性はわずかに視線を上げると、小さく言った。

「言っても大丈夫でしょうか……」

その言葉に一瞬身構えた亀先生だったが、弟子達が女性を促した。

「教えてください!」

すると女性は視線を亀先生の方向に戻すと、静かに一言こう言った。

「満員電車の中で……」

その瞬間、弟子達の視線が亀先生一点に集中した。

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