第十話 闇鴉
浦部音楽スタジオにて。
「もう、水くさいわね。先に言ってくれればいいのに。そのくらいのお金、なんとかできるわよ」
「本当ですか!!??」
魚崎 ハイラ。80歳を過ぎ、若い頃の黒髪と伸びた背筋は失ったが、まだまだ元気なおばあちゃんである。
伝説の赤丸部隊の一員として知られているが、音楽の才もあり、現役時代に自身が作詞作曲した「弁天の瞳」のMVは動画投稿サイトにて1000万再生を超え、歌手としても広く知られている。
頑が歌った修羅の道のテーマソングを作曲したのもこの魚崎で、頑とは音楽仲間なのだ。かくいう今日もテーマソングのショートバージョンの収録があり、先ほど終わったばかりである。
「可愛い奏エちゃんのためなら、叩ける額よ。私の番人も倒されちゃったし」
「ハ……ハイラしゃん」
魚崎は汚く泣き出す頑の手を握る。
「奏エちゃん。あなたが戦うのは時代を築いた伝説たちよ。このさき私なんかよりずっと強い人たちが待ち受けている。お金のためじゃなくて、自分の闘志で戦いなさい」
「ファイ!……ズビッ」
「っていうことがあったので!お金の件!なんとかなりました!!」
綾木戦闘所の二階、先輩にしっかり報告する頑のバカ声が響く。
塞いでいた片耳から指を抜き、一枚の書類を頑に手渡す満島。
「そりゃあ、よかったな」
「はい!一安心です!!」
「で、その金はどうやって返すんだ?」
「あっ……どうしましょう……」
固まる頑を眺めながら満島はグラスに入った麦茶を一口飲んだ。
「……なあ、頑。いい方法を知ってるぜ。教えて欲しいか?」
「はい!ぜひ!」
「修羅の道を勝ちゃあいいんだ」
「ええっ!」
「あと6勝で魚崎さんに金を返してもお釣りがくる額がもらえるんだぞ」
「でも、ハイラさんはお金のために戦うのは良くないって言ってましたよ」
「じゃあ、テメェの給料が一生、魚崎さんに吸い取られるだけだ」
頑が満島の手をバシッと握る。
「先輩!修羅の道を勝ちましょう!」
「がめつい奴だ」
「ん?この紙、なんですか?」
ようやく自分が持たされた書類に気づいた頑。
「ああ、気づいてないかもしれないが、この前の戦闘の時、お前バグってたんだよ」
「えっ?」
「申請なしで変身繰り返してただろ。あんなの普通できない。お前がなにがしかのバグを起こして変身のシステムを乗っ取って、勝手に変身しまくってたんだとよ。んで、そのバグでシステムとか、お前の体にどういう影響が出るのか。修正は可能か不可能か、するかしないか、ってのを再現テストをして決めるんだと。その通達だ。目ぇ通しておけ」
「はい」
しかし、頑は書類に目もくれず、満島のことを見つめていた。
「なんだよ。視線がうるせぇよ」
「いや、なんか、上司みたいだなぁって」
「平戦士で悪かったな」
修羅の道では「victory fighter」「アイワンパンチ」の二組が第二の番人を倒し、また一段、頂上への階段を登った。
しかし、そんなことより頑には重要なことがあった。
志田の手術である。
「その方、今度紹介してちょうだい。お父さんとお礼に行きたいから」
「はい。一緒に行きましょう」
志田の母 真由と頑は手術室の前で手術が終わるのを待っていた。
真由は表情を暗くし、頑に言った。
「もし、の話よ。でも真剣に聞いてちょうだい」
「なんですか?」
「この手術で健吾の病気が良くならなかったら。その、今よりは良くなっても、退院ができなかったり、普通の生活が送れなかったら、……健吾と別れるのも、考えてみて」
「えっ?」
「奏エちゃんが健吾のことを好きなのはわかってるわ。健吾だって奏エちゃんのことが好きよ。でも、あなたにはあなたの人生がある。奏エちゃんは若いんだから、健吾に縛られてちゃいけないわ。お金のことだって私たちがなんとかするわ」
頑は立ち上がり、真由の前に立つと自分の服をめくり上げた。
「ちょ、なにしてるの。人に見られちゃうわよ」
ブラジャー丸出しの頑の服を下げようと裾を掴む真由だが、頑は一向に下げようとしない。
「この腹筋、見てください」
真由は頑の腹部に目をやった。そこにはしっかり割れている腹筋があった。
服を戻し、頑はシャドーボクシングを始める。
「このパンチ、見てください」
真由は拳の速さのあまり唖然としている。
「縛られてるから頑張ってるんじゃないんです。いま、健吾の手術でもう一つ心臓がいるなら私は喜んで差し出せます。大好きだから」
「奏エちゃん……」
その時、手術室の扉が開き、医者が出てきた。
「先生、手術の方は?」
二人は医者に駆け寄った。
「無事、成功しました。もう大丈夫です。安静にして、異常がなければ二週間後には退院できるでしょう」
頑と真由は泣きながら抱き合った。
木刀が沙夜の首元へ迫る。
柄で払って、体をひねり、後ろ回し蹴りを満島に決める。
満島はかろうじて左腕でガードするが、次の瞬間には反対側から木刀が襲う。
沙夜は寸止めし、木刀を収める。
「まだまだね、空雄」
「本当に義足か?その足」
ここは木原流道場。沙夜が幼少の頃から稽古に励んできた道場である。しかし、過疎も過疎。訪れるのはこの二人のみである。
師範の武田 洋介すらめったに来ない。理由としてはオンラインの格闘技講座が大盛況で動画の撮影や編集が忙しいからである。
誰もこず、ビル群の裏路地にあり、道路に面していないこの道場は静かだ。
「空雄、聞いてよ」
「なんだ?」
「この前二人が第一の番人倒してからさ、何度か奏エちゃんとトレーニングで戦ったんだけど、私さ、一回も勝てなかったんだよね」
「マジか」
「正直、最初は二人が修羅の道を勝てるとは思ってなかったよ。でもいまは違う。あんたがしっかりサポートしてやれば、あの子は虎にでも龍にでもなれる。修羅の道の阿修羅にでも」
「そうなってくれれば楽でいいが」
「あんたがしっかりするんだよ。奏エちゃんは確かに強くなったけど、まだ強さってヤツに慣れてない。最適の選択をしないで自分の強みで押し切ろうとしたり、自分の強みが通用しなかった時簡単に折れる。その辺をカバーしてあげなよ」
的確なアドバイスだった。
「わかった」
「やってまいりました!!あまりに険しい試練!ピーナッツ修羅の道!」
今回の仮想空間は夜の森だ。視界が極端に悪く、戦士側は圧倒的に不利な環境だ。
「実況は清水 武雄。解説は河合 優也さんです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「本日は修羅の道、第二の番人「カラス」との最終戦です。戦闘終了後にイージー版にて第二の番人「カラス」のイベントが配信開始となります。ぜひ修羅の道をご体験ください」
前回の番人「タテ」は修羅の道のコンビが三組も勝利しており、研究も攻略も十分だったはずだが、イージー版ユーザーの誰一人勝利することはなかった。
「すでに二組がこのカラスを打ち破り先へと進んでいます。河合さん、このカラス、どういった印象でしょうか?」
「そうですね。「アイワンパンチ」の二人は結構苦戦してましたが、victory fighterの二人が、変身の相性もあって、すんなり倒しちゃったので、世間一般的にはあまり強敵とは思われていないみたいですが、黒尾さんの番人なので、やっぱり戦闘技術は凄まじくて、勝利した二組は殴り合いでは勝ててないんですよ。なので、真っ向勝負は難しい、という印象ですね」
「なるほど、そうなってくると、勢いや力技でなんとかしてきたセブンライトは厳しいということでしょうか?」
「正直、そうですね。空雄くんの根性が通用する相手じゃないと思います。ただ、前回の奏エちゃんの連続変身。ある種あれが変身の最上級な気がするんですが、奏エちゃんの成長率から考えると、まだ強くなっているんじゃないかなと……。ロボットも倒してますし、黒尾さんの戦闘技術に追いついている可能性もあると思います」
「頑が要ということですね」
二人は闇に閉ざされた森の中にいた。木々の隙間からわずかな月明かりがさしているが、視界はかつてないほどに悪い。
「先輩先輩。私、明日、健吾のところに行けるんですよ。ようやく集中治療室から普通の部屋に移されて会えるようになるんです」
頑はいつになく上機嫌だった。
「頑、浮かれるのはいいが、今は戦闘に集中しろ。金の件、忘れたのか?」
「わかってますよ!今日もビシバシいきますよ!」
「頼むぜ本当に……」
「任せてください!藤高さん、準備オッケーです!戦闘開始お願いします!」
「わかりました〜。満島さんも大丈夫ですか〜?」
「大丈夫です。お願いします」
「では〜、戦闘を開始します」
いつもなら相手が召喚され、その姿や序盤の攻防で作戦を練るのだが、今回は二人の視界に相手の姿が映っていなかった。
「この闇に乗じて攻撃を仕掛けてくるつもりだな。遠隔衝撃パワーグローブを」
頑と背中を合わせて召喚されたグローブを装備する満島。
「ですね。近接戦闘戦車に変身」
戦車になる頑。
「あっ!先輩!戦車、赤外線見えます」
「マジか。どこにいるかわかるか?」
「いや、木が多くてわかんないです」
「……切るか」
「了解です。アイアンブレードをアームに装備」
頑戦車のアーム部分に鋭い刃が取り付けられた。
満島は腰の剣を抜刀する。
「相手は襲ってくるだろう。一気に行くぞ」
「はい!」
満島と頑は別々の方向に駆け出した。
「セブンライト!森林の伐採を始めた!!」
「この視界の悪さじゃそうするしかないですよね」
「剣とアームのブレードで次々と木をなぎ倒していく!!」
「……来ますね」
頑はジェットで車体の重さを乗せ、満島は体の補正に加え、遠隔衝撃パワーグローブで筋力強化もされているため、二人はたやすく木を切っていた。
ドウゴオアアアッスッッッ!!!!
唐突に満島は顔を殴られ吹っ飛ぶ。
とっさに受け身を取って、すぐさま起き上がる。
「来たか……」
殴られた方へ剣を構える満島だが、
ゴアシ!
背後から後頭部を掴まれ、
ボアスドオオオオオォォォンン!!!
後ろに引かれ地面に倒され、
バスウゴオオオオオオオオオオオォォォォォンンン!!!!
なんの抵抗する間もなくはるか上空へ蹴り上げられる。
満島の上昇の勢いが落ちないまま、今度は真上から腹部にかかと落としが襲ってくる。
「ブガッ……」
けり落とされた満島が地面にぶつかる前に、さらなる追撃。足を掴まれ仮想空間の壁際までぶん投げられる。
ドワアアアアアアアァァァァンン!!!
やばいな。見えない上に速すぎる。
「赤外線スコープを」
召喚されたスコープをすぐさま装備すると、満島の目の前には背中に鳥の羽を生やした大男が立っていた。
バッサアアアァァァン!!
「満島!とっさにグローブの衝撃を放つがカラス!飛び上がってかわしている!」
「速いですね」
「ええ、さらに闇に紛れるというのは戦士としては厄介なんじゃないですか?」
「そうですね。単に見えないだけじゃなく、その速さで相手の視界から外れるような動き方をしますからね。殴り合いで勝つのは相当苦しいと思いますよ」
たいして溜まってない状態で撃っちまったが、今のを避けるのかこいつ。
満島は刀を構えた。
カラスは凄まじいスピードで満島に迫り、右ストレートを放つ。満島は左にかわしてカウンターの水平切りを繰り出す。
ズアスッ!
カラスは剣を左手で握って受け止め、裏拳を食らわして剣を奪うと、満島の太ももを突き刺した。
ズビシュッ!!
カラスは満島にトドメをささなかった。
まだしっかりと状況を理解せず、満島が戦っている間にと、木を切り続けている頑の方へ向かって行ったのだ。
「頑!そっちに行ったぞ!加勢する!」
満島は足の剣を抜き、なんとか立ち上がる。
ッダガアオオオオオォォォォォンンン!!!
唐突に満島は顔を殴られ吹っ飛ぶ。しかし、満島の視界には頑の方へ向かっていくカラスの姿が映っていた。
……違う。速いんじゃない。二体いる。
地面に落ちた満島は立ち上がろうとするが、
ッドスアアアアアアアアアアアァァァァァンン!!!!
カラスのあまりに重い飛び膝蹴りが肋骨を数本へし折る。
「グエッ……」
息ができねぇ。
「……か、頑。……二体……いるぞ……!」
絞り出したかすれた声は頑には届いていなかった。
二体目のカラスは満島の戦闘不能を確認すると、頑の方へ向かっていった。
満島の赤外線スコープは殴られた衝撃で壊れ、満島は闇の中で頑戦車とカラスがぶつかり合う鈍い金属音を聞いていた。
体がピクリとも動かねぇ。痛みは消えた。こいつは退場だ。
ッズザアアアアァァァァァンン!!!
目の前に何かが降ってきた。
「かた……くな……」
満島は敗北を覚悟した。
頑は強くなっている。しかし、二人掛かり、それもどちらも速さ、力、技術を持った化け物だ。負けても仕方ない。
退場する寸前、満島は目の前の闇に目を凝らした。
目の前に降ってきたのは頑ではなく、カラスの片割れ。それもとてつもない傷の数だ。
どこから降ってきたのかと上空を見上げると、月明かりの下、頑は空中で変身を繰り返し、凄まじい速さでカラスの羽をアームのブレードで切り裂き、拳で顔を叩き、足で胴体を蹴っていた。
頑の姿は定まらず、それらの攻撃がほぼ同時に行われている。カラスはなんとか抵抗しようと頑の体をつかもうとするが、変身を繰り返しているためすり抜ける。
その隙を見逃さず頑はブレードでカラスの喉を貫いた。
ブザーが鳴った。
「頑!!変身能力はすでに極まっているか!!カラスを相手に一方的にノックアウト!!!セブンライトがまた一つ駒を進めました」
「やはりあの変身は強いですね。近接戦においては歴史が変わる強さな気がします」
「確かに戦闘技術の高い頑 願子の刺客も、黒尾さんの番人も倒しましたもんね」
「この修羅の道。戦士たちが修羅に挑んでいくはずなのに、奏エちゃんは修羅になっていってますからね」
「自らも修羅にならなければ登れない道ということですね」
画面が切り替わり、映し出されたのはいつも通りの真っ白な仮想空間。
一人の青年が立っている。画面に向かって手の平を構えると、手の平には光り輝くちりが集まり、画面に向かってまばゆい光線が放たれ画面は真っ白に染まる。
「修羅の道、古長 進一が作り出した第三の番人「トニトルス」狂い惑う」
再現テストの結果、頑のバグは修正不可能であったため、バグによって引き起こされるあらゆる影響を勝敗に考慮しないという条件付きで容認された。
つまりバグを使って勝ってもいいが、バグで悪影響が出て負けても文句は言うなということだ。
こういったバグはこれまでも度々起こっていた。
頑の母 願子が瀕死になった時に見せる閃光のような速さの攻撃や、桐原 理生の感情が爆発した時に出る攻撃力上限の一撃。共通点は二人とも21年前に乱入した訓練用戦闘プログラムのバグ、ララとロロに殺されているということだ。
ララとロロとの戦いが終わり、二人が長期の休暇から復帰し、しばらく経ってから段々とこのバグが確認され始めた。
当時、たくさんの議論がなされ、バグの修正ができるまで二人の謹慎を求める声もあった。それほど一方的な強さのバグだったのだ。しかし、修正は不可能であり、バグによる影響も無害だとわかると、他の戦士たちも申請すれば使えるようにして戦士たちの平等化を図った。
ところが、願子の閃光は速すぎてまともに体を動かせず、桐原の一撃は防御力は上がっていないため、一撃当てれば痛みでこちらの意識が吹き飛ぶ。結果、誰も使わなかったが、今でもバグ1バグ2と申請すれば全戦士、使えるようにはなっている。
そのバグの一つに頑の変身バグは追加された。
瞬時に変身を繰り返すバグだが、これもまともに体を動かせる戦士がいないため使われることはないだろう。
一方、当人はそれどころではなかった。
「そ、それってつまり……」
松浦大学病院。第3棟1階の病室で、志田から告げられた言葉に頑の思考は停止した。
「うん。結婚しよう」
久しぶりの再会。愛しい人の生還。頑はさっきまで泣きじゃくっていたが、ピタリと泣き止み、ポカーンとアホみたいな顔で固まっている。
「リハビリして、退院したら音楽の仕事やるからさ。落ち着いてからになるけど、いい?」
「うん……」
わずかに頷いて返事をするが頑の意識は戻ってきていない。
「奏エちゃんが僕のためにたくさん頑張ってくれてたの、知ってるよ。全部母さんから聞いたよ。ありがとね。今度は僕がお返しする番だよ。絶対、幸せにするからね」
「うん……」
徐々に意識が戻ってきた頑は、再び瞳に涙を浮かべる。
「ああ、お金の件は僕が払わなきゃいけないやつだから、うちでなんとかするよ。奏エちゃんは気負わなくていいからね」
「うん……」
頑はゆっくりかがんで、ベッドに横になっている志田の胸に顔を押し付ける。志田はその頭をそっと撫でる。
「奏エちゃん。大好きだよ」
「うん……」