第2話「通学路で殺される」(3/3)
「……~♪」
ニコニコと微笑みながら、それでいて隙のない歩調で鳴神はゆっくりと近付いて来る。
その様子に俺は若干パニックになりながらも、何とか現状を整理しようと頭をフル回転させた。
キッペーが走り去って行った、小道を下った先にある入り口。そこまで辿り着けば他の学生達や買い物帰りの主婦で賑わう大通りに出られて、あいつも俺の殺害どころではなくなる。
……だが俺達は既に小道に入って大分登ってきてしまった。今すぐ回れ右して全力で駆け下りても、恐らく辿り着く前に昨日のように追い付かれるだろう。
あとはあいつをかわしてそのまま小道を登って……駄目だ、引き返すよりも分が悪い。じゃあやっぱり後ろに――
「――――っ」
後ろと前を交互にチラ見していた俺の視界から、
あいつの姿が消える。
――昨日の悪夢が頭をよぎり反射的に左腕を側頭部に挙げた次の瞬間。
左腕を襲う強烈な衝撃と激痛と共に、鳴神もみじの全体重が乗った跳び回し蹴りが炸裂した。
「ぐ、ぅ――っっ!!」
左腕のガードごと頭部を、全身を吹き飛ばされそうになり、斜面に右足を踏ん張って懸命にこらえる。
ちくしょう、体格は普通の女子高生だってのに丸太でぶん殴られたような衝撃だぞおい!?
「――~~♪」
昨日と同じように必殺の初撃を俺に凌がれたあいつは、昨日と同じように愉しそうに笑っていやがる。
しかし俺は昨日とは違い、体勢が崩れたとは言え大分余裕は残っている。
昨日と同じようにあいつがフォロースルーを描いているうちに、俺は坂を駆け下りて大通りに――
「あぁっ、待ってよ!」
小さく驚いたような声が背後に響いた次の瞬間。
「ぁが―――っ!!!」
予想よりも早く、予想よりも疾く着地で勢いを殺さぬままに飛んできたあいつの跳び蹴りを背中に食らってしまい、俺は坂道を転げ落ちるように吹き飛ばされる。
「ぐっ……、 くそっ……くそ……っ!!」
転倒の衝撃で左足がイカれたのを感じながら、必死で坂の上へと視界を移す。
そこには既に容赦なく追撃を加えようと飛び掛かる殺人鬼の姿が映し出されていた。
「――誰か! 助けてくれ!! 誰か……っうおぉぉぉ――っ!?」
昨日と同じように情けなく声を張り上げながら、俺はあいつの跳び蹴りを辛うじて回避する。
情けない話だが今の俺ではあいつに全く歯が立たない、道沿いの家の住人達が俺の声に気付いて来てくれるのを、それを見てあいつが手を止めてくれるのを祈るしかない。
「人殺しだ! 火事だ! 地震だ――」
滅茶苦茶に叫ぼうとする俺の口を封じるようにあいつのハイキックが飛んでくる。
それを懸命にガードしても矢継ぎ早に次の攻撃が頭部目掛けて襲い掛かり、俺にそれ以上声を挙げる余裕すら与えさせてもらえない。
「痛っ――」
何度目かの攻撃を防いだ矢先、痛めた左足から力が抜けるように尻もちを着いてしまう。
その好機を見逃す事なく、あいつは俺の頭部めがけて水平に右脚を振りかぶって――
「――うわぁぁぁ――っ!!」
不安定な体勢のまま、俺は前のめりに倒れながらがむしゃらに両腕を伸ばす。
そして辛うじて掴んだ彼女を纏うどこかの布を掴み、そのまま彼女のバランスを崩そうと無我夢中で引きずりおろした。
「え――」
予想外の俺の行動に対し呆けたような声を挙げる彼女。
両手に掴まれたのは彼女の膝下までずり下された紺色の筒布。
そして見上げた俺の視界に映ったのは――彼女の下腹部を包む水色の股布。
「――きゃあああぁぁ――っっ!!!」
全ての光景が、見事な陰影が立体感を表する水色の情景がスローモーションで流れる中、歳相応のつんざくような悲鳴が辺りに響く。
膝下に絡まったスカートが枷となり完全にバランスを崩した彼女は、黄昏の下に晒された水色を隠す間もなく俺に覆い被さるように転倒する。
――チャンスだ!
今のあいつの状態なら跳び蹴りも出来ないし、何とか大通りまで逃げ切れる――!
「――だめ、待って……っ!!」
「うぉぉぉっっ!?」
坂の下に駆け出そうとした身体を、怪我が祟って僅かに前に出すのが遅れた左足を死に体の彼女に掴まれ、再び俺は地面へと倒れ込んでしまう。
そこへこいつは下着も丸出しのまま覆い被さり、そして昨日のように首に両手をかけてくる。
「くそおぉぉ……っ!!」
ここまで来たら後は力勝負だ。
俺はこいつの両腕を掴み首への脅威を制しつつ、そのまま転がるように身体を反転させて俺が上に覆い被さる形として、こいつの戦意が喪失するまで衣服を掴む両腕に力を――
「なんかすごい声が聞こえたけど、だいじょぶかい~……?」
…………。
鳴神の体勢を制圧したまま声の聞こえた方向を向くと、人の良さそうなおばちゃんが塀の扉を開けて小走りで近付いてくるのが見えた。
おばちゃんの視界に映ったのは恐らくこんな光景だろう。
人気の少ない路地に倒れ込む女子高生と、その上に覆い被さる不審者。
女子高生のスカートは膝下までずり下がっており、不審者の狼藉から逃れようと必死で抵抗している。
その抵抗を物ともせずに不審者は女子高生の気力を削ごうと躊躇なく衣服を掴む両腕に力を――
「――……おまわりさ――ん!!!」
おばちゃんの歳相応のつんざくような悲鳴が辺りに響く。
――終わった。
命は助かったけど、社会的生命は終わった。
そんな事を考えながら、俺はそれでも、二度目の危機を凌ぎ切った事実に対し安堵感と共に不思議な充足感を覚えていた。
・
「……はぁ……。」
既にとっぷりと日が暮れてしまった夜道を歩きながら、俺はひとり大きく溜息をつく。
あれから俺達は駆け付けたおまわりさんに補導され、交番でみっちりと事情聴取を受けるハメとなってしまった。
『――君たちが友達で、あの場所で行われていた事が乱暴でもいじめでも無いのは分かった。 でもね君たち、だからと言ってやっていたのが……何だっけ?』
『プロレスごっこ!プロレスごっこなんです! そうだよな鳴神!』
『う、うん! あの、昨日もやってたから、わたし達の担任の先生に聞いていただければ――!』
誓って狼藉を働こうとしたわけでは無い事は証明したかったが、だからと言って「この女に殺されそうになって必死で抵抗していた」なんて世迷い事を正直に話しても信じてもらえるどころか余計話をこじらせる事になりかねない。
わたわたと苦しい弁解を続ける俺達を前に、一向に調書の作成が進まないまま目元を全力でしかめるおまわりさんの表情が今でも印象に残っている。
『――まぁ、事件性は無さそうだし今回は厳重注意に留めておくから。後で保護者にも連絡しておくからね』
結局のところあの小道での騒動は「仲の良い男女による公共の場における不純異性交際未遂」として片付けられる事となった。
さっきからポケットの中で震え続けるスマホが、既にお袋に連絡が行った事を暗に物語っている。
「……はぁぁ~………。」
もう一度、深い溜息をついてしまう。
パトカーで最寄りの駅に送られ、そのまま電車で帰った鳴神の保護者にも同じく連絡は行っているだろうが、あいつは「ターゲットを殺し損ねた」と報告すればそれで済む話だ。
一方で俺は「帰宅途中に女子高生を押し倒してスカートを脱がせた」事に対する弁明を家族会議のもとで行わなければならない。明らかに不公平な話である。
「――そういや、あいつの保護者もやっぱり忍者なのか……?」
ひとりごちながら街灯が照らす静かな坂道をゆっくりと登る。
普段は畑仕事をやってるって言ってたが、あいつも手伝ったりするんだろうか。
畑仕事だけじゃなく、忍者ショーみたいな事をやって収入を得たりもするんだろうか……?
「――っと」
徒然に考えながら歩いていると、引きずった左足がもつれて転びそうになる。
気付けば左の靴の紐が完全にほどけてしまっていた。
「踏んだり蹴ったりで結構激しく動いたからな……」
呟きながら靴紐を結び直そうと屈んだ、次の瞬間。
「――?」
頭上を何かがかすめる感覚と、近くの塀に何かが勢い良く当たる金属音。
靴紐を結び終えた俺は金属音のした塀の側に目をやり――
「――……っ!?」
――刃渡り15cmほどのサバイバルナイフが落ちているのを視認した。
もし俺が靴紐を結ぶ為に屈んでいなければ、このナイフは俺の頭部を直撃していたかもしれない。
金属音の大きさからかなりの速度で投げられていただろう。この夜道に、周りも居ない状況で、誰かが俺を――
「――鳴神ぃぃ――っ!!」
こんな事をする奴なんか他に考えられない。
あいつめ、電車で帰るフリをしてこんなものまで使って俺の事を――!!
「もう許さねぇ! 出て来い、鳴神!!」
時刻も憚らず叫びながらナイフが投げられたであろう方向に向けて駆け出す。
比較的開けた道の脇、ちょうど身を隠すのに都合の良い小道を見つけた俺は、そこからナイフが投げられた事を確信しつつ犯人を追う。
静寂が包む夜道の中、俺以外の誰かが走り去る足音を確かに感じる。
しかし追うのが遅れたか、いくら走っても一向に人影が視界の奥に浮かぶ気配はない。
「……くそ、逃げられたか……?」
やがて微かな足跡すらも聞き取れなくなった俺は、息を切らしながら夜道に立ち尽くす。
左足の怪我は大分回復していたものの、全力で走り続けるにはやや心許なかった事は否めない。
相手が逃げたと言う事は、逆に言えば今日はこれ以上殺そうとする気は無かったと言う事だ。
そう思い直し家路へと引き返そうとした――その時。
「ん……?」
小道の脇に何か落ちている。
土埃も被っておらずつい最近落とされた事が伺えるそれは、俺にとっても馴染みのある学校指定のアルトリコーダーだった。
犯人の手掛かりかもしれない、そう思い俺はリコーダーを拾い上げる。
先端の留め紐が千切れた布ケースの裏に、サインペンで名前の書かれた名札が貼付されているのを見付ける。
「……『山田』……?」
自分以外の気配が消失した夜の小道の中。
二つの遺留物を手に、俺は自分に纏わりつく謎と脅威が増していくのを感じた。