第2話「通学路で殺される」(1/3)
「へぇ、俺が休んでる間にそんな子がねぇ」
他の学生達が賑わいながら歩く海沿いの大通り、そこからひとつ外れた小道。
昨日は俺一人で歩いていた通学路を肩を並べて歩きながら、キッペーは興味深そうに俺の話――愛の巣の崩壊やプロレスごっこの下りは大きく省略したが――に耳を傾ける。
「鳴神もみじちゃん……だっけ、性格も良さそうないい子じゃん。それに結構可愛いんだろ?」
「ああ、それに結構でかい」
「でかいのか……ますます最高じゃん、そんな子が昨日1日タクとイチャイチャしてたとか許せねぇ」
「いや、イチャイチャしてたわけでもないんだがな……」
昨日の出来事を思い返しうなだれる俺の肩をバシバシと叩きながら、キッペーは羨ましそうに笑う。
畜生、そんなに羨ましいならマジで代わってくれ。
――昨日はあれから鳴神の尾行や襲撃を受ける事もなく、無事に帰宅する事ができた。
警察やお袋に殺されかけた事を相談しようかとも考えたが、結論としてしばらくは俺一人で問題を抱える事に決めた。
鳴神自身の証言と「放課後プロレスごっこをしていた」と言う第三者の証言をもとに警察に駆け込んでも碌な対応をしてもらえないのは明らかだったし、何より女手ひとつで俺や妹を育ててくれたお袋に余計な心配は掛けさせたくなかった。
当然ながら目の前にいる親友にも本当の事を言うわけにはいかない。
俺はキッペーの肩を叩き返しながら、「鳴神もみじを良いなと思う同志」として立ち振る舞う事にした。
「でもよタク、もみじちゃんがお前の隣に座ってるならしばらく他の男子よりも優位に立てるんじゃねぇか?」
「いや、そこは元々キッペーの席だろ……昨日は花崎先生が鳴神の席を用意してなかったからそこに座ってたけど、今日は別の座席が用意されてるんじゃないか?」
「あぁそうか。 って待てよ、今うちの教室で空いてる場所って……俺の左隣だけじゃね!?」
「って事だ。 良かったなキッペー、これからはお前が鳴神に対するアタックチャンスを独占できるぞ」
「うぉぉ楽しみだぜ~~!! 悪いなタク、お前は右から俺達がイチャイチャするのを見ててくれよ!」
短く刈られた逆毛をぴんと張りながら興奮するキッペーに対し、俺は心底羨ましそうに笑う。
やれやれ良かった、これである程度はあの女に付きまとわれる事も減るだろう。……そう思っていたのだが。
「――あ、拓真くん! おはよ~~!!」
始業時間ギリギリに教室に到着した俺達を待っていたのは、既に昨日と同じ席……すなわちキッペーの席に座りながらぶんぶんと手を振る鳴神の姿だった。
控えめに手を振り返し、隣で(いいじゃんいいじゃん!)と興奮ぎみに彼女の第一印象を評価するバカと共に教室へと入ったところで、鳴神は今日が初対面であるバカの存在に気付く。
「あれ、もしかしてキッペー……君?」
「はいっ!始めまして、羽賀吉平ですっ!」
さっきまでアタックチャンスの独占を目論んでいたバカは当人を目の前にして直立不動でかしこまっている。本人曰く女の子にとってそれが一番印象が良く見えるらしいが、俺には全く意味が分からない。
「はじめまして! キッペー君の事は拓真くんから聞いてたよ、1年生の頃からの親友だって!」
「お、おい鳴神! あまり余計な事は言うなよ!」
「ふふ~ん照れちゃって~~。 ……ってごめん、ここキッペー君の席だったよね?」
「あぁいや全然座ってていいっすよ!むしろ俺がもみじちゃんの席に座るから……ってあれ?」
そこまで言ったところでようやくキッペーも事の問題に気付く。
今日こそは用意されていると誰もが思っていた転校生のための座席が、今日すらも用意されていなかったのである。
「みんなおはよ~、ホームルーム始めるから早く座ってね~~」
「先生すみません、わたしの席がまだ用意されてません!」
「あれ、鳴神さんはそこの席……じゃない、そっか、そこは羽賀君の席だったわね~。どうしよう、羽賀君の席が無くなっちゃったわ……?」
いつものようにぽけぽけと戸惑う花崎先生によっていつの間にか座席難民が鳴神からキッペーへとシフトしてしまう。
哀れキッペーはきょろきょろと教室内を見回す花崎先生をしばらく眺めたあと、
「ごめんね羽賀君、今日はこれしか無いけど我慢してくれるかしら……?」
天使のような悪魔の提案に満面のスマイルで快諾し、みかん箱に教科書を乗せて正座でその日の授業を受けるハメになった。
・
4時限目が終わり、弁当を食い終えた俺は2本のペットボトルを持って屋上へと赴く。
そして少なくない生徒が駆けまわるのを横目に、いつものようにフェンス際でぼーっとしてるキッペーの背中に近付いた。
「よっ」
俺の声に対し振り向いたのと同時に、キッペーに向けてペットボトルを軽く放り投げる。
「おう、サンキュ。タクの奢りかこれ?」
「今日はずっと正座で大変そうだったからご苦労様代だよ。……まったく、いくら花崎先生とは言えあれはパワハラで訴えても良かったんじゃねぇか?」
「香ちゃんは可愛いから逆らえねぇんだよなー……怒ると怖そうだし」
「……そうか??」
「ああいうタイプは絶対に怒らせちゃいけないんだよ」
冗談めいて笑いながら、キッペーはペットボトルの蓋を開ける。
炭酸が抜ける爽やかな音が、雲が点在する青空の中に吸い込まれていく。
「……もみじちゃん、凄かったな」
「…………あぁ」
キッペーの横に並んで眼下に広がる街並みを、そしてグラウンドを眺めながら。
俺達はともに4時限目の体育の授業を思い浮かべる。
先日その身をもって痛感したとおり、鳴神もみじの運動神経は図抜けていた。
100m走のタイムも、走り高跳びの記録も、遠目で眺めているだけで他の女子達と比べて圧倒的な差をつけているのがわかった。
――おまけにあのスタイルで全力で走るのだ。いかなる矯正器具を着用したところでその双丘の律動は到底制し切れるものではない。
そして律儀にもシャツが中に入れられたブルマからはみ出す健康的な両脚、他の女子のように委縮することなく胸を張って堂々としているばかりか、俺達や他の男子の視線に気付くと無邪気に手を振ってくれる明朗な振る舞い。
そして走り高跳びの際はその全身が大きく反った状態で惜しげもなく晒されて――
「――タク」
「なんだよ」
「俺、今まで体育は嫌いだったんだよ」
「身体が思うように動かん、とかジジィみたいな事言ってたよな」
「だけどこれからは体育ある日は絶対サボらないようにするよ」
「……俺も」
キッペーと違い自分にとっては眼福と共に「あの身体能力で追われた時にどう対処するか」と言う問題も生まれてしまっていたが、せめて今だけは考えなくてもいいだろう。
俺達は「鳴神もみじを良いなと思う同志」としてペットボトルの盃を交わし、やがて訪れるであろう水泳の授業に想いを馳せるのであった。