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番外編「バレンタインで殺される(2/3)」

 その日の放課後。


 鳴神のチョコの行方を探りながら最後の授業まで出てしまった俺は、果たして彼女の動向が最後まで掴めぬまま帰路へと着きかけていた。


「タク、もみじちゃんから何か連絡はあったのか?」

「特に何も無いな……俺達が掃除してる間に帰っちまったみたいだし」


 あいつが自分の言った約束をすっぽかす、と言うのもあまり考えづらいが、恐らく何かやむを得ない事情が出来てしまったのだろう。

 朝の時とは違い、いつの間にかあいつのチョコが気になっていたのも事実ではあるが……彼女の動向が掴めない以上は仕方がない。



「まぁ、チョコについては明日また聞く事にするさ。帰ろうぜ、キッペー」


 そう言って外靴に履き替えようとした俺を、1件のスマホの通知が控えめに呼び止めてくる。



「どうしたタク? もみじちゃんからか?」

「――……いや、キリカからだ」



 「屋上に来て」。

 LINEの画面には、ただ一言そう書かれていた。



「おおお……っ! タク、これってもしかして、もしかしてじゃないか!?」


 目ざとくスマホを覗き込みながらハッスルするキッペーを尻目に、俺は違う意味で鼓動を速くさせる。


 ――この時間に、屋上に行く。

 それはつまりキリカ(殺人鬼)と1対1で対峙する事を意味している。



「…………キッペー、帰ろうぜ」

「いやいや何無視しようとしてるんだよ! キリカちゃんが可哀想だろ!?」

「いや、もう遅いし、用事は明日聞くから……」

「いやいやいやキリカちゃんにとっては今日!今日なんだよ! そんなの分かるだろ!?」


 山田桐香の正体など知る由もないキッペーは、そんな平常時であれば紛う事なき正論をまくし立てて来る。

 俺としても「彼女に殺されるのが怖いから屋上には行けない」と言う訳にはいかず、このままではただ彼女の気持ちを踏みにじる唐変木の烙印を押されてしまう。



「わ、わかった! 行く、行くから……キッペー、一緒に来てくれないか?」

「な~に女々しい事言ってるんだよ! 俺が行ったらそれこそキリカちゃんがこっそりタクを呼んだ意味が無いだろ!?」


 最後まで正論を押し通されて、俺はキッペーを玄関に待たせたままひとり屋上へ向かうハメとなる。


「鳴神からの連絡は……無しか」


 ここまで来たら覚悟を決めるしかない。

 俺は鳴神に「キリカに屋上に呼ばれた」とだけ短信を送り、屋上へと続く十三階段を上った。




「…………。」


 扉を開けた先に広がる、既に黄昏が辺りを包む空間。

 その先に、山田桐香は金髪のツインテールをなびかせながら立っていた。



「――何の用だ、キリカ!」


 いつでも逃げられるように警戒しつつ、彼女と距離を取ったまま問い掛ける。


「……教えるから、もう少しこっちに来なさい!」

「用事だけならそこからでも言えるだろう! お前がナイフで襲い掛かってくる危険がある以上、これ以上は近づけない!」

「――あのバカのチョコはへらへら無警戒に受け取っておいて、良くそんな事が言えるわね!?」


 正論のような感情論のような、そんな激昂と共に――彼女は携えていた鞄から大きめの箱を取り出した。


「そ……それは、キリカ?」

「い、言わなくたって分かるでしょ……チョコレートよ」


 この距離からでは聞き取れないほどのか細い声で告げながら、キリカはその箱を俺に向けて掲げる。

 ラッピングのされていないその白い箱には2本のリボンが巻かれており、ささやかながらもその箱が贈り物である事を示唆している。



「で、でも、さっきはチョコなんて用意してないって……」

「……上手く作れたチョコが1個しかなくて、あんたの分しか用意できなかったのよ。あの時あんただけに渡したら吉平に悪いと思って……」

「そう、だったのか……」



 あの時にがっくりと項垂れていたキッペーの姿を思い出す。


 それだけキリカのチョコに固執していたあいつが、さっきは俺ひとりだけ呼び出された事に対して手放しで喜び応援してくれた。

 そしてあいつのアドバイスどおり、キリカは俺に対して純粋な気持ちでチョコレートを用意してくれていた。


 そんな二人の気持ちを……俺は昼休みに楠木に対してそうしてしまった時のように、警戒するあまり裏切ろうとしていたのだ。



「…………。」


 ゆっくりと、彼女に向けて歩み寄る。

 未だ警戒心は失くさないつもりでいたが――彼女の気持ちに応えたい気持ちが、それを上回っている。



「――キリカ、ごめんな」

「……。」


 やがて彼女の触れ合える距離まで――彼女のナイフの攻撃範囲まで近付いた俺は、そのまま、彼女が握りしめる白い箱を手に取る。



「これしか上手く作れなかった、って言ってたよな? そんな貴重な1個を俺なんかがもらっちゃっていいのか?」

「…………。」


 返事の代わりに、箱を掴んでいた彼女の両手が静かに離れる。

 俺はそのまま……彼女からの贈り物を自分の元へと引き寄せる。



「ありがとう。……嬉しいよ、キリカ」



 静かに俯く彼女を、受け取った白い箱を、黄昏が優しく照らしている。

 その光景に微かに見惚れながら、俺は白い箱を留めるリボンを静かにほどいていく。


「――えっ……、ちょ、ちょっと、拓真?」

「あーいや、せっかくだから今すぐ食べてみたいな、って」

「っ、や、だめ……その、ここじゃあれだから、家でゆっくり食べて……」

「何でだよ、キリカが一生懸命作ってくれたチョコなんだろ? どんなチョコなのか見てみたい――」


 彼女の制止も構わず、俺は箱の蓋を頼りなく押さえていた2本のリボンをつつがなくほどき終える。

 後はこの蓋を開ければ――



「――ダメって言ってるでしょ――――っ!!」



 ――それまでの空気(ムード)に刺し込まれるはずのない殺気に対して、反射的に上体を仰け反らせる。


 刹那、首の皮1枚隔てた先に存在する彼女の領域(テリトリー)を目視できぬ一閃が通り抜けた。



「――のわあぁぁぁ――っ!!?」


 箱を落としそうになるのを必死で保持しつつ、一足飛びで距離を取って彼女の二撃目を凌ぐ。


「お、おい! キリカてめぇ、やっぱりそうするつもりだったんじゃねぇか!」

「違う!違うけど……違わないわよ!!」


 支離滅裂な事を言いながらナイフを振り回して来るキリカをなだめながら必死で逃げ回る。


 ――的確に急所を狙ってくる普段の彼女と違い、その動きは余りにも精彩に欠けている。

 どうやら俺の行動のどれかが彼女に我を忘れさせたようだが、いったい何がいけなかったんだ。

 やはり俺なんかが彼女からチョコをもらっちゃまずかったのか……?



「き、キリカ! 落ち着け! チョコは返すからさ!」

「――あれだけキザな事を言っておいて、今度は返すだなんて……この、鈍感!朴念仁!間抜け!スケベ!!」

「いや、最後の方は今は関係ない――っうわぁぁぁ――っ!!」



 上段から振り下ろされる渾身の一撃に対して、思わず俺は掴んでいた白い箱で防御を試みてしまう。



 ――次の瞬間、縦一文字の軌跡と共に箱は真っ二つに切り裂かれて。

 箱ごと二つに割れた中身のチョコレートが、倒れ込んだ俺の胸の上に乗るように落ちてきた。



「あ――」



 呆けた声を挙げながら動きを止めるキリカと――二つに割れたチョコレートが同時に視界に入る。


「あ、あぁ……」


 上手く固まらなかったのか、凸凹の目立つ表面の上に不揃いに散りばめられたデコレーション。

 お世辞にも見栄えが良いとは言えないが、努力の跡がひと目で分かるそのハート型のチョコレートは、俺の胸の上で無残にも二つに割れてしまっていて――



「――……うわぁぁぁ――んっ!!」



 ――彼女にとっては惨めな出来のチョコが目の前で見られた恥ずかしさと、同時にそのチョコが目の前で破壊された悲しさに。

 双方の感情に挟まれて泣き叫びながらナイフを振りかぶって来るキリカの姿が見える。



(……ヤバい――っ!!)



 胸の上に乗ったチョコレートが地面にずり落ちるのを気にするあまり、逃げようとする身体が完全に止まってしまう。



 次の瞬間、錯乱したキリカの凶刃が、そのチョコを破壊するように俺の胸元に振り下ろされて――




「キリカちゃん、だめぇぇ――――っ!!」



 聞き覚えのある激昂とともに。


 まるで宵闇の流星のように突っ込んできた鳴神もみじが、その勢いのままキリカの胸元に危険で強烈なタックルをぶちかましてきやがった。



「んうぅぅぅ――――っ!!?」



 聞いてるだけで痛々しい叫び声を挙げながら、哀れキリカはナイフを放り出しながら数メートル吹き飛び、そのまま意識を失ってしまう。

 ……余りにも恐ろしい攻撃だ。次にこいつと対峙する時には今の攻撃にも気を付けなければなるまい。




「拓真くん、大丈夫?」

「あ、あぁ」


 鳴神に手を引かれ、キリカのチョコレートをもう一方の手で保持しつつ起き上がる。

 こいつにとっても今の状況は俺を殺すチャンスのはずだが……何故か彼女にはその素振りは一切感じられない。



「……キリカちゃんの事、許してあげてね」


 キリカが泣き叫んだ場面とその理由を見ていたのか、鳴神は自分の事のように申し訳なさそうに俯く。


「殺されかけるのは今に始まった話じゃないし構わねぇよ。 ただ……」

「ただ?」

「……ただ、そんなに恥ずかしがるような見た目でもない、とは思うんだけどな」

「……うん、そうだね」


 二つに割れたハートのチョコレートを手に取り、ひと口だけ頬張る。

 見た目は不揃いであるものの、その中身は甘く、ほのかにほろ苦く……とても美味しい。



「キリカちゃん、このチョコが喜んでもらえるか凄く不安だったと思うの」


「みんなで拓真くんにチョコを贈ろうって話し合って、だけど殺し屋からチョコを贈られて喜んでくれるのかな?って……」


「わたしもそう思っちゃって、今まで渡そうかどうしようか迷っちゃって……科学室ですみれちゃんに相談してたら拓真くんからさっきのLINEが来て、慌ててここまで飛んで来たの」



 後ろ手に何かを隠しながら、鳴神はもじもじと独白を続ける。



「……男子高校生ってやつは単純だからな。例え殺し屋からでも、女の子にチョコをもらえたら嬉しいもんだよ」


 もちろん殺しを止めてくれるのが一番嬉しいけどな、と付け加える俺に対して鳴神はくすくすと笑う。……いや冗談じゃなくて本気だからな?



「……それにしても、何でまたみんなして俺にチョコを贈ろうって話になったんだ?」



 一番気になっていた疑問に対して。

 鳴神は少しだけ、間を置いてから答える。



「……一番、お世話になったから」


「転校してきてから色んな事があって、クラスのみんなにもお世話になったけど、拓真くんに一番お世話になったから……」


「そんな話をしたら、キリカちゃんやすみれちゃんも乗り気になってくれて……」



 そこまで話して、一呼吸置いて。

 後ろ手に隠していたハート型の箱を、照れくさそうに取り出して。



「だから、ね? 拓真くん、一番お世話になった貴方に……ハッピー・バレンタイン!」



 満面の笑みで差し出されたその贈り物が、夕陽の光を受けながら彼女の笑顔に負けないくらいキラキラと輝いている。



「――……あぁ。ハッピー・バレンタイン、鳴神」



 朝から彼女が抱いていた想いを。

 朝には興味が無かったのに、いつの間にか凄く気になってしまっていた彼女の想いを……ようやく受け取る事ができる。



 丁寧にラッピングされたその包装は、奇しくも楠木からもらったチョコのそれと同じものだった。


「楠木と同じラッピングなんだな。二人で包装紙を買いにいったのか?」

「ううん、それは偶然だよ。昨日LINEで完成品を見せ合った時にたまたま一致しててびっくりしちゃった」

「へぇ……開けてみてもいいか?」


 もちろん、と微笑む鳴神を見ながら丁寧に包装を剝がして、ハート型の箱を開封する。

 その中身も見事に綺麗なハート型のチョコレートとなっており、なるほどこれはキリカが自分のと比べてしまうのも無理はないかもな、とほくそ笑んでしまう。



「いただきまーす……うん、楠木やキリカのと同じくらい美味しいよ、鳴神! 何かちょっと不思議な香りがするけど……」

「…………?」


 俺の感想に対して、鳴神は喜ぶわけでもなく何故か訝しげな反応を示している。


 犬のようにスンスンと鼻を利かせて、俺の食べている姿とチョコを交互に見つめて……



「……? どうした、鳴神……」

「…………っ!! 拓真くん、待って! そのチョコ――!!」

「え、これが、どうかした、か――……」



 ――言い終えぬうちに、チョコを呑み込んだ胸の中が急激に脈動を速める。



「――が、 ぁ――……?」



 ドクドクと速まる鼓動は全身に広がり、身体中の毛穴から脂汗が噴き出す。



「――! ……くん! ――たく…… ――っ!!」



 必死に呼びかける鳴神の声は鼓動の音に掻き消されて。

 焦点の定まらぬ視界が、そのまま急激に歪んでいく。



 ――まさか、これは毒か?

 鳴神がチョコに毒を仕込んだのか?


 しかし彼女にはそんな素振りも、そもそもそんな知識もないはずだ。

 ならば一体だれが――



(――……!!)



 楠木と同じチョコの包装。

 前日に互いに確認できたチョコの外装や中身。

 そして、鳴神が先程まで相談に行っていた場所。




(まさ、か――)




 疑念が確信へと変わる前に。


 俺の視界は、黄昏よりも早く闇へと染まっていった。


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