番外編「バレンタインで殺される(1/3)」
この回は短編小説として別URLに先日投稿していたものに若干の加筆修正を加えて、本編のURLに別章として組み込んだものです。
人物関係などは第13話(臨海学習回)終了時のものを参照していますが、番外編と言う性質上、時系列としては第14話以降の展開を無視した内容となっております事をご了承ください。
「剣菱先輩!これ、受け取ってください!」
2年生の教室が並ぶ階の廊下には似つかわしくない、1年生の学年章を身に着けた女の子に呼び止められた俺は。
綺麗にラッピングされたハート形の箱を他でもない俺自身に向けておもむろに差し出された。
「お……おう。 ありがとう、長浜さん」
「長浜、で良いですってば! ――それじゃあ、もうすぐ授業が始まるので失礼しますね!」
爽やかな香りを残して去っていく後輩の後ろ姿を夢心地で見送る俺を、後ろから親友が茶化すように羽交い絞めにしてくる。
「見てたぜ、タク? 今年は美奈ちゃんからもらえるかも、と話してたが見事実現したじゃねーか!」
「あぁ、そうだなキッペー……この1個だけで俺はもう感無量だよ」
「去年からお前に彼女が出来ない事を心配してた俺も感無量だよ……これでもう思い遺すことは無いぜ」
自分の事のように喜ぶキッペーに苦笑しつつ、可愛らしい包装の小箱を――この日と言う聖戦に対し見事勝利を納めた証を眺める。
2月14日、聖バレンタインデー。
かつて自らの命を賭して愛と信仰を説き続けたバレンタインさんの命日はチョコレート業界の謀略によって愛憎や嫉妬が渦巻く聖戦の日となり、彼の理想も空しく思春期の男子諸君の多くが愛に飢えながら野垂れ死ぬ様相を全国各地で生み出してしまっている。
かつてはこの俺――剣菱拓真も迫害される側にあった。
『たっくんおかえり~。はい、チョコあげる! ……またないてるの?』
何の戦果も得られぬまま満身創痍で帰宅し、小学生の妹が頑張って作ってくれたチョコのようなものを頬張り、その苦さを噛みしめながら年々少しずつ上手くなっていく様を、妹の成長を喜ぶ……そんな行事として、今日と言う日を耐え忍び続けていた。
しかし今年は違った。
ひょんな事から1年下の後輩である長浜美奈ちゃんと知り合い、付き合い始めたわけでは無いがデートもして、好意も伝えてもらえて……。
そんな経緯を拠り所として、今年こそはと赴いた戦場で、その望み通りに朝から一番首を勝ち取る事ができたのだ。
もはや今日は思い残す事は何もない。むしろ今すぐに早退してクッキーの作り方を特訓しなければならないくらいだ。
「でも、もみじちゃんも後でタクにチョコ渡すって言ってただろ? もらわずに帰っちまっていいのか?」
「あー……。 まぁ、そっちは別に明日でもいいような……」
「何でだよ、みんなに配ってた義理チョコとは違うチョコなんだし、多分本命チョコだろ?」
「だといいんだがなぁ……」
急にテンションが下がるのを感じながら、先程の教室内での出来事を思い返す。
『みんなー! 日頃お世話になってるお礼にチョコを持ってきたよ~!!』
俺とキッペーが教室で談笑してた時、少し遅れて登校してきたその女は――鳴神もみじは、その背に背負った大きな袋をポニーテールと共に揺らしながら開口一番言い放った。
その出で立ちはまるで聖バレンタインではなく聖ニコラウスであり、明らかにイベントの趣旨を2か月ほど勘違いしているようにしか見えなかったが……その姿が余りにも普段の彼女らしいと言えば彼女らしいのも事実であった。
5月から転校して来た鳴神は、その男女分け隔てない明朗快活な性格によってすぐにクラスの皆と打ち解け、人気者となっていた。……一部の男子にとってはその豊満な肉体によって人気が出ていたのかもしれないが。
ともかくそんな経緯が今日まで続いていたからこそ、鳴神サンタの配るチョコレートも違和感なく受け入れられて、クラスの男子も女子も喜んで受け取っていったのである。
『はい、キッペー君も!』
『サンキューもみじちゃん!』
『……あ、あれ、鳴神、俺のぶんは……?』
『拓真くんには、その……後で別のを渡すね!』
彼女に言われるまま、俺はクラスの中で唯一チョコを渡してもらえない男となってしまった。
……しかしその意味深な台詞のせいで、クラス中の男子から、女子からすらも嫉妬の目で見られるハメとなったのが何とも理不尽な話である。
「あんな事言ってたもみじちゃんだけじゃない、キリカちゃんやすみれにだってチョコをもらえるかもしれないだろ?まずは皆と集まる昼休みまで待ってようぜ」
「う~ん……」
正直なところ全く乗り気ではなかったが、こいつや鳴神の話を無視して家に帰るほどの理由も見つからない。クッキーの作り方は明日から始めても多分間に合うだろう。
(まぁ……あいつはともかく、鳴神にならチョコをもらうぶんには問題はないか……)
既に別の意味で今日と言う日を生き抜く事を考えつつ。
俺は鳴神にチョコをもらう可能性が一番高いであろう昼休みを待つ事にした。
・
「チョコ?そんなもの用意してないわよ」
昼休みの屋上、いつものように集まった5人のうちのひとりである山田桐香はにべもなくそう言い放った。
「そ、そんな……キリカ様……」
がっくりと項垂れるキッペーを尻目に、俺は特に感慨も無くひとまずは安堵する。
今朝あんな事を言っていた鳴神もニコニコと微笑みながら惣菜パンを食べ続けており、特にチョコを渡してくるような素振りは見えない。
……まぁ、この二人からはチョコをもらおうがもらうまいが正直大きな影響はない。
問題は残る一人だが……。
「ははははっ! そんなに項垂れるなよ、羽賀? 私はちゃんと用意しているぞ?」
――その残る一人、楠木すみれが項垂れるキッペーに一箱のチョコを差し出す。
そして涙を流して喜ぶキッペーを尻目に……こちらへ向けてぐるりと首を回して来る。
「――ほら、剣菱にも用意しているぞ」
俺に向けてチョコが差し出された瞬間――俺はもちろん、鳴神やキリカの表情も僅かに固まる。
キッペーを除いたその場の空気が、鋭く研ぎ澄まされるのを感じる。
「あ、あぁ……ありがとう、楠木」
「もっと喜んでくれても構わないぞ?何せ手作りの本命チョコだからな」
長い黒髪を揺らし、楠木はいつものように食えない笑顔でけたけたと笑う。
そんな俺達の様子を、鳴神とキリカは穏やかならない様子でそわそわと見つめている。
楠木に一歩出し抜かれたのだから当然だろう。
――俺への告白じゃない、俺の殺害の第一歩を。
5月に鳴神が転校してきてから、俺はこいつら3人に隙あらば命を狙われ続けていた。
鳴神もみじは忍者の末裔としてその圧倒的な体術によって。
山田桐香はイタリアン・マフィアの一族として父の才能を受け継いだナイフ捌きによって。
そして楠木すみれは……何の組織に所属しているのかは知らんが、あらゆる毒を用いて俺の命を脅かしてきた。
そんな楠木が渡して来たチョコレートなど何が入っているか分かったものではない。本命チョコどころか絶命チョコ、義理チョコどころかKILLチョコと言っても過言ではあるまい。
他の二人のチョコならともかく、楠木のチョコだけは絶対に食べるわけにはいかない、いかないのだが……。
「……いや、うん。そうだな、嬉しいよ、楠木」
悲しい事に健全な男子高校生である俺は、生まれて初めての同級生からの手作りチョコに対し本気で喜んでしまっていた。
本来であれば今すぐにでも屋上から投げ捨てるべきこの危険物を手に取りながら、不覚にも口角が吊り上がってしまっていた。
「ふふ、どういたしまして。帰宅途中にでもゆっくり味わってくれよ?」
楠木は小さく笑いながらそう促してくる。
帰宅途中に俺がひっそりとチョコを食べてひっそりとお亡くなりになる、と言うのが恐らく彼女にとっての理想的な展開なのだろう。
流石にその展開にまんまと乗るほど俺は馬鹿ではない……が、このチョコに対して何の反応も示さない、と言う無粋な真似も出来ればしたくない。
キッペーに毒見でもさせるか、本当に毒が入っていれば無関係な一般人であるキッペーが死ぬハメになるし、楠木だって止めようとするはず……
(……いや、待てよ)
ふと思いついた俺は楠木に提案する。
「なぁ……楠木、お前のチョコ、今ここで食べちゃってもいいか?」
俺がひっそりとチョコを食べるのが彼女にとっての理想的な展開であるならば。
一番まずい展開はその正反対の状況……つまり今この時のように、キッペーや他の生徒が周りに大勢居る時に俺がチョコを食べる展開だろう。
こんな目立つ場所で俺が死んだら大騒ぎとなってしまう。そうなれば真っ先に疑われるのは楠木だ。
そんな事態を避けるため、流石に彼女も止めようとするはず――
「あぁ、もちろん構わないぞ。 昼食を食べたばかりなのに大丈夫か?」
――……あれ?
「あ、あぁ。早く食べてみたくてな」
特に止められる事なく、俺は包装を剥がして箱を開ける。
箱の中に5個ほど詰められていた一口サイズのチョコレート、そのうちのひとつを取り出しても、楠木は全く止める素振りを見せない。
まさか俺がここで服毒しても問題ないのか……いや、それは絶対にありえないはず……
「――……んぐ」
覚悟を決めて、その一粒を口に放り込む。
すぐに甘い味とハーブの微かな香りが口いっぱいに広がる。
「……どうだ?」
「…………美味しい」
「ふふ、そうか。 ……良かった」
身体には異変は無く……美味しい、と言う感想しか浮かばない。
直前まで抱いていた猜疑心と恐怖心を押し出すように甘さと幸福感が広がっていき、半ば混乱しながら次々と食を進めてしまう。
「おお、俺の方はホワイトチョコレートじゃん! タク、1個交換しようぜ!」
「あ、あぁ。でも……」
ちらりと楠木を見て、当たり前のように彼女がその行為を承諾するのを確認しながら、俺は恐る恐るチョコを交換する。
……そして俺がもらった方のチョコを、毒入りだと俺が思っていたチョコをキッペーが食べても、キッペーの様子に異変は見られない。
つまり、楠木がくれたチョコは正真正銘、普通の手作りチョコだったわけで。
俺は彼女を警戒するあまり、そのチョコに対して素直に喜ばぬまま全て食べてしまったわけである。
「……その、楠木。……悪かったな」
キッペーが居る手前「毒殺を疑った」とは言えず、曖昧な表現で楠木に謝辞を述べる。
「……まぁ、普段が普段だからな。仕方ないさ」
楠木もまた、曖昧な表現で言葉を返してくれる。
彼女に対する猜疑心が晴れていくと共に……彼女の気持ちに対する素直な嬉しさが心に広がっていく。
周囲の空気も自然と弛緩していく中で。
ただ一人、キリカだけが気を張り詰めたまま俺を見ていた事に、その時の俺は気付かなかった。




