第13話「水着姿に殺される」(5/9)
「山田さん? 昼食の時は見かけたけど……もう海の方に行っちゃったかな~」
砂浜から離れた堤防の上、数人の男子がキッペーたち買い出し部隊を待ちながら夕食の設営をしていたBBQ広場で。
その様子を見守っていた花崎先生は、俺の問いに対してぽけぽけと返答した。
「そうですか……ありがとうございます」
「多分そんなに沖には行ってないと思うけどね~。山田さんに用事でもあったの?」
「えぇまぁ、はい」
「バスに乗ってた時から山田さん元気無かったし、それと関係あるのかしら~?」
「……ま、まぁ。はい」
他意の有る無しを判別しかねる先生の問い掛けに対し、思わず目線を逸らしながら答える。
この人といい楠木といい、妙に鋭いのは何なんだ一体。
『山田? あいつは泳げないから沖じゃなくて砂浜か堤防の方にいるんじゃないか。……なんだ、あいつに聞きたい事でもあるのか?』
『まぁ、な』
『水着を着たままナイフは持ち歩けないだろうし、今日のあいつは安全だとは思うが……変に詮索して怒らせるなよ?』
『……あぁ、まぁ、分かった。 じゃあな楠木、看病してくれてありがとな』
楠木とそんなやり取りを交わしてここまで戻ってきたが……どうやら無駄足となってしまったようだ。
せっかくここまで来たのだし食べそびれた昼食が残っていれば、と探してみたが既に食欲旺盛な高校生どもによってあらかた食い尽くされた後らしい。
俺は落胆しながらも花崎先生にお礼を言い、踵を返して砂浜へと駆け出した。
「…………。」
傾きかけた太陽の下、帰り支度を始める人が目立ち始めた砂浜の上。
キリカの姿を探しながら、俺は楠木の言葉を反芻する。
『変に詮索して怒らせるなよ』
――楠木は普段から、キリカの身の上話には触れないでいるのだろうか。
俺が補習の時にキリカとそんな話をしたのは、そして今もそんな話をしようとしているのは、彼女に怒られるほどのお節介なのだろうか。
「……そんなもん、はっきり怒られるまで分かんねぇよ」
独り言ちながら、半ば開き直りながら。
俺はキリカを探して、喧騒も控えめな昼下がりの砂浜を駆け回った。
・
それから10分近くは走り続けただろうか。
もはや同じ臨海学習の生徒はもちろん、一般客すらもほとんど見当たらなくなった砂浜を見回すが、未だにそれらしい姿は見当たらない。
後ろを振り返ると先程まで俺と楠木が居たあたりの喧騒が、キッペーが望遠カメラを構えているであろうBBQ会場が豆粒のように小さく見えている。
(おかしい、流石にこんな所までは来ていないはず……)
ひょっとしてまたどこかで入れ違ってしまったのだろうか。
それとも――。
胸騒ぎを感じながら、砂浜ではなく海辺の、そして沖の方向を見渡す。
サーフボードを片手に波の様子を伺う男、波打ち際で楽しく語り合うカップル、ビーチボートに乗ってのんびりと浮かぶ人……
その先に、遊泳禁止のエリアに差し掛かりかねない位置の沖に、嫌でも目立つ金髪の頭の女性が流れるように浮かんでいるのが見えた。
(――嘘だろ)
楠木の話が確かであれば、彼女はあんな場所に居てはならないはずだ。
人違いであればいいが、もしあの女性が彼女だったら――
「……キリカ!」
思わず声を挙げながら走り出す。
波打ち際まで辿り着き、その勢いのまま沖に向かって泳ぎ出して、他の客もまばらな海面を全力で進んで……。
やがて距離が近付いたその女性が、何かにしがみついて必死で浮かんでいるように見える彼女の風貌が、普段見慣れたそれと同じである事を確信する。
――間違いない、キリカだ。
「――おい! キリカっ!!」
クロールから平泳ぎへと体勢を変えつつ、彼女の名前を叫ぶ。
その声に驚いたようにこちらを振り向く彼女だったが、すぐにこちらに背を向けるように潮流に流されていってしまう。
しかし幸いにもこちらが泳ぐ速度の方が上のようだ、俺は前を見据えたまま平泳ぎでぐんぐんとキリカに近付き、そして遂に辿り着いたその背中に右手を伸ばして――。
「今助けるぞ、キリ――」
「――きゃああぁぁ――――っっ!!?」
その肩を掴んだ瞬間、キリカは予想だにしなかったレベルの悲鳴を挙げながら暴れ出して。
しがみついていた物体――サメ型のフロートをも放り出して、途端に急転落下するように沈み始めて。
「お、おい、暴れんな、キリカ!」
「うるさい、離して! この、変態っ、殺すわよ――っんぐぅ――っ!?」
沈みかけた状態で叫び、不意に海水を吸い込んでしまったせいか、キリカは一際激しく暴れ始める。
……このままじゃ埒が明かない。俺は彼女の上体を抱きかかえて、ついでにサメ型のフロートも回収して抱きかかえて。
「ゴホッ、げほッ……やだ、ちょっと、離して……はーなーしーてー!!」
彼女の罵声を聞きながら、そして彼女の柔らかな……いやまぁ鳴神と比べるとそこまで柔らかくは無いが……ともかく彼女の上体をしっかりと抱き寄せながら。
俺は同時に抱き寄せたサメ型のフロートを浮力を与えてくれるパートナーとして頼りつつ、潮の流れに任せて海岸へと泳ぎ始めた。
・
「……それで、あんたのセクハラについてはどう弁解してくれるわけ?」
楠木やキッペーのいるエリアから更に遠ざかった場所、ちょうど入り江のように岩肌が入り組んで一般客からも完全に隔離された海岸で。
無事にキリカとサメを連れて生還する事のできた俺は、何故か彼女の尋問を受けるハメになっていた。
「せ、セクハラって……お前が潮に流されて遭難しかけてたから助けようとしただけだろ」
「あたしはこれを持ってのんびり泳いでただけなんだけど? どうして遭難しかけてると思ったのかしら?」
「……あー、いや、その……お前が泳げない、って楠木が言ってたんだよ」
「…………あのバカ……」
俺に振り上げた拳をそのまま振り下ろす事もできず、かと言って自らの秘密を暴露した楠木に拳を振り下ろす手段も無く、キリカはバツが悪そうにそっぽを向く。
弁解の為とは言え、彼女の恥ずかしい秘密を言うハメになった俺としても妙に気まずい。
……とは言うものの、言われてみれば今回に限らず女性を救助しようとする際にセクハラ扱いされる可能性があるのも事実だ。
今まで俺は親父の救難技術だけを見習って切磋琢磨してきたが、これからは親父の人畜無害で草食系な、お袋に猛アタックされてようやく辛うじて結婚できたと言われるレベルの精神性も見習っていく必要があるな。
「……ま、まぁ、あんたが勘違いした事はわかったわ。 確かにあたしは泳げないけど……あの時はまだ溺れてたわけじゃなくて、ひとりでのんびり泳ぎの練習をしていただけよ」
「あんな人気の少ない場所じゃなくて、みんなが居るBBQ会場近くで練習した方が安全じゃないか」
「……みんなに、見られたくなかったから……」
そう言って顔を伏せるキリカの姿が、補習中のキリカの姿と重なる。
彼女は誇り高きマフィアの直系であり、その肩書きとは対照的な彼女の欠点を、父親はもちろん誰にも見せたくはないのだろう。
もしかしたら水泳技能だけでなく、他のあらゆる欠点を彼女は独力で克服しようとしてきたのかもしれない。
「あー……」
そんな彼女の努力を勝手に垣間見てしまった俺は。
「……せっかくだし、俺が泳ぎを教えてやろうか?」
つい、そんな言葉が自然と漏れ出てしまった。
「――え、いや、その……いいわよ、別に……」
概ね予想通りの、しかし予想よりもしおらしい口調の言葉が返ってくる。
「いや、その、遠慮しなくていいぞ、お前が泳げないと分かった以上、俺は最大限協力したいと思ってるし」
「…………。」
必死に、そして真摯に本音をぶつける俺に対して、キリカは波打ち際で棒立ちとなったまま訝しげに見つめてくる。
そんな彼女に対して次なる説得の言葉を捻り出そうとした俺だったが……。
ふと、海の上では頭しか見る事のできなかった彼女の全身が――彼女の水着姿が、目前に晒されている事が気になってしまう。
「…………何よ」
「あ、いや……」
言葉を詰まらせながら、キリカの姿を一望する。
楠木とは反対に、いつものツインテールに束ねられた髪が完全にほどかれて水滴を湛えたまま真っ直ぐに下りるストレートのブロンドヘアー。
その髪に隠されるように纏われた白色のセパレートタイプの水着は、彼女のブロンドの金色と透き通るような肌の白色とが合わさって真夏の熱をも奪う涼しげなコントラストを描いている。
楠木の水着よりも更に大きめなフリルでもぼかしきれないその平坦さと、右脇に抱えられたサメのフロートが年齢不相応のあどけなさを演出して。
その一方でブロンドの奥に隠された美しくも人を殺しそうな鋭い猫目と、左太ももにあしらわれた白色のガーターリングが年齢不相応の色気を演出して。
そしてゆったりとしたフリルに包まれつつも頼りなげに下腹部を覆うハイレグの薄布は、その両方の演出が内包された性的魅力を俺に突き付けていて――。
「……いや、その……可愛いな、と思ってな」
直球ストレートの下卑た欲求が口から漏れそうになるのを懸命にこらえたまま。
かろうじて、そんな素直な感想を吐露するのが精一杯だった。
「……と、当然でしょ。この水着もこれもこの間買ったばかりなんだから、褒めてもらわないと割に合わないわ」
罵倒と共に打ち返されるかと思ったその感想は意外にも素直に受け止めてもらえて。
「――そんな事より、泳ぎを教えてくれるんでしょ? ……日が暮れるまでにはみんなの所に戻りたいし、さっさと始めましょ」
サメのフロートをを岩場に置いたキリカは、たどたどしくもこちらの提案を受け入れてくれるように右手を差し出した。
・
「――そう、そうやって顔を水につけたままで、そうすれば身体が浮くから……ほら、手を離すぞ」
他に人の気配が無い、静かな入り江の海辺で。
岩場に置かれたサメのフロート……もとい今まで彼女の泳ぎを指導してくれていたサメ師匠がただひとり見守る中、俺とキリカは手を取り合って泳ぎの練習を続けていた。
「――っ! んん……っ!」
俺が手を離した直後、キリカが不安と疑念からかばたばたと暴れ出し、それが仇となって彼女の身体が沈んでいってしまう。
「……っとと」
思わずその上体を抱え寄せて、そのまま海面へと引き上げる。
「変に手足をバタつかせるとかえって身体が沈んじゃうからな、まずは落ち着いて身体を浮く感覚を掴むところから――」
したり顔で解説しながら……俺は彼女の身体を猫にそうするように無遠慮に抱え上げている事に気付く。
「…………。」
「――のわぁぁ!! わ、悪い、キリカ! 別にやましい気持ちじゃ……」
「……わかってるわよ。もう一度やってみるから、また手を掴んでてくれない?」
「お、おう」
いつもなら投げナイフが飛んできてもおかしくない状況を前に、キリカは意外にも普段のように拒否反応を見せずこちらのアドバイスに耳を傾けてくれる。
流石に水泳の指導という大義名分がある今なら、今までの彼女のように理不尽に怒る事もないようだ。
(……しかし、普段もこのくらい素直ならもっと可愛いんだけどな)
そんな叶わぬ願望を抱きつつ、再び彼女の手を取りながら静かな入り江の海面に身体を預ける。
せめて今だけはこのレアな山田桐香とのひと時を楽しもうか……。
(……いや)
何もこのレアなひと時を今日だけで終わらせる必要はない。いやむしろ終わらない可能性の方が高い。
むかし妹に泳ぎを指導した時は、クロールを習得するまで実に1週間かかった覚えがある。
同様にキリカも相応の時間がかかるはずだ、しかし日が暮れるまでにある程度のコツを掴んでくれれば、ついでにサメ師匠に代わる新たな指導者として俺を信頼してくれればそれでいい。
後は夏休み中に市民プールへと彼女を誘い、今日と同じように彼女の水着姿と素直な性格を楽しみながらマンツーマンで指導すると言う楽しみが……
「……じゃ、じゃあ行くわよ! そこまで辿り着いたら、ちゃんと受け止めなさいよ!」
――そんな俺の計画とは裏腹に。
指導開始から小一時間が経過したところでキリカは既に息継ぎのコツを習得し、今まさに20メートルほど離れた場所から俺の元までクロールで辿り着こうと試みている。
「お、おう! いいか、水を吸い込んじまったら無理せず足を着けるんだぞ!」
俺の言葉に対ししっかりと頷いた後。
「――っ!」
意を決したように海面に顔を着けて泳ぎ出すキリカ。
丁寧にクロールの型を右腕で、左腕で描いて、時折ゆっくりと横顔を上げて息継ぎを行って……。
その姿は岩場で見守るサメのような荒々しい姿ではなくカメのような緩慢な姿にも見える――が、ほんの1時間ほどでカナヅチからカメにまで進化したのだ、サメ師匠も納得の大躍進と言えるだろう。
「いいぞ、キリカ! あと5メートル……、 ……あと3、2、1……よーっし!!」
やがて一度も足を着く事なく見事辿り着いたキリカの両腕を受け止め、そのまま抱きかかえるように水上へと引き上げながら、俺は自分の事のように喜んでしまう。
相対するキリカの顔も自らが最後まで泳ぎ切れた事を自覚したその瞬間に破顔一笑、達成感に満ちたとびきりの笑顔を水しぶきと共に弾けさせる。
「――あははははっ!! ねぇ、ねぇ見たでしょ拓真! あたし、ちゃんと泳げたんだから!」
「あぁ、凄いぞキリカ! 1時間でクロールをマスターするなんて大した才能だよ!」
「でしょでしょ!? まぁ、あたしが本気を出せばこのくらいどうってこと、な、い……」
俺に抱え上げられたまま子供のように無邪気に喜んでいたキリカだったが。
やがて普段の彼女とはかけ離れた自分の今の姿に気付いたのか、突如無言に戻って俺の身体から離れるようにすとんと着地してしまう。
……さっきの彼女の状態のうちにもっと褒めちぎって、もっと素直に無邪気に喜んでもらうべきだったか。
などと彼女が知ったら手刀で刺し殺されそうな事を考えながら、俺は彼女に休憩を促す。
「……ま、まぁ、後はもう少し速く泳げる事になるのが課題になるわね。平泳ぎとかも出来るようになりたいし」
「あれだけ早くクロールと息継ぎが出来るようになったんだし、多分大丈夫さ。俺もまた今度教えてやるよ」
「そう、ね……ありがと」
ぽそりと呟くように言いながら、キリカは砂浜を出て堤防の階段まで上がり、そのまま階段の上に座り込む。
俺も少しだけ距離を離して隣に座り、入り江の隙間に浮かぶ傾きかけの太陽に目を細める。
「――やっぱり、誰かに教えてもらった方が上達しやすいわね」
水滴の伝う金髪を指で梳いていた彼女から、ふと、そんな言葉が漏れた。
「あー……そうかもな。 俺も泳ぎは親父に教えてもらったし」
「あれ、でも拓真のお父さんって拓真が小さい頃に……」
「おう。けどそれまでの間、色んな事を教わったなぁ……ロープの結び方とか、火起こしの方法とか」
「そう、羨ましいわね……。 ――あたしがお父さんに教えてもらったのはひとつだけ」
その言葉を最後にキリカは顔を伏せる。
彼女が父親に何を教えてもらったのかは聞くまでもない。
彼女は今日までその技能だけを――その想い出だけを父親と自分の繋がりとして心に刻み、他人を刻んで来たのだろう。
「…………。」
楠木が俺の詮索を止めようとした理由が分かった気がする。
片親である俺や楠木の家庭環境よりも、山田桐香のそれは遥かに複雑で深刻だ。
補習の時に俺が提案した「父親に好きと言えば何とかなる」と言う楽観的な解決策は、所詮は両親の愛に恵まれた普通の一般人の戯言であり――そうでは無かった山田桐香には到底受け入れられる提案では無かったのだろう。
あの時彼女が卒倒したのも、そんな提案をゴリ押そうとする鈍感で無神経な俺の態度に対し怒りが頂点に達したからなのかもしれない。
……いや流石にそんな理由で卒倒するのもおかしな話か……? ともかく、俺の勝手な杓子定規で彼女の人生を測りながら的外れな助言をするのは、あの時限りで終わりにするべきなのかもしれない。
「――日が暮れかけてるし、そろそろ皆の所へ戻るか。サメの浮き輪、取ってきてやるよ」
楠木の助言通り、俺はそれ以上の詮索はせずに立ち上がる。
「え……い、いいわよ。自分で取ってくるから……」
「1時間もクロールを練習し続けて疲れただろ? いいから、そこでもう少し休んでろよ」
「う、うん……ありがと」
言いながら素直に座り直すキリカに対し軽く手を振りながら。
俺はそれなりに広い入り江の反対側、誰にも構われずに寂しく鎮座しているであろうサメ師匠との合流を目指してのんびりと歩き出した。
「……本当に、いつもあんな感じに素直でいてくれたら可愛い奴なんだけどな」
独り言ちながら、間もなく夕陽へと変わろうとする暖かな陽光が差し込む入り江を歩く。
サメ師匠を回収してキリカの元に戻ったら、後は堤防を上って海沿いの道路を伝って歩いて行けばキッペー達の待つBBQ会場へと戻れるだろう。
二人で歩いている間は何を話そうか。
彼女の家族の事はとりあえず置いておいて、昼食を食べ損ねた忌み事ついでにキリカが食べた中でお勧めの食べ物でも聞いてみようか。
それとも、これから彼女が楽しんでくれそうな事……そうだな、まずは夏休みの間に彼女が平泳ぎをマスターする為の練習プランでも提案してみようか。
そんな事を考えながらサメ師匠を回収して。
同じ時間をかけてゆっくりと砂浜を歩いて。
「おーい、見てくれキリカ、サメ師匠、こんなに砂まみれに――」
やがて辿り着いた堤防でサメ型のフロートを掲げようとした俺が見たのは。
堤防の壁に追い詰められるように立ち竦むキリカと、
彼女に取りつくように詰め寄る二人の男の姿だった。




