第11話「告白されて殺される」(3/3)
「――わぁぁ……」
ケーブルカーに揺られておよそ5分弱。
雁待岬に到着した俺達を待っていた光景に、長浜は自然に吐息が漏れたかのような感嘆の声を挙げる。
「おう……これは確かに凄い眺めだな」
「先輩、あっちの方が良く見えるみたいですよ!」
「お、おう」
こちらを振り返りながら駆け出す彼女に釣られて、情けない声を挙げながら岬の先端へと向かう。
丘のようになった小さな坂道を越えて、「雁待岬」と書かれた石碑まで辿り着いて――
「……うわぁぁ………っ!」
そこには日没時間15分前、まさに水平線に着座しようとする夕陽が空や海を紅く広く染めていく光景が辺り一面に広がっていた。
「先輩、せんぱい! 写真撮ってください! 私そこに立ちますから!」
そう言って手渡された彼女のスマホを掲げて、石碑のそばに立ってポーズを決める姿にファインダーを合わせる。
――夕焼けに全身を染めて満面の笑みを浮かべるその姿は、思わず見惚れてしまうほどに可愛らしく、美しかった。
「えへへ、有難うございます先輩!」
石碑からこちらへと再び駆け寄り、俺からスマホを受け取った彼女は。
「……本当に、ありがとうございます」
スマホを持った両手を胸に当てて、深く息を吐くように呟いて。
「あの時助けてもらって、お礼をしなきゃいけないのは私の方なのに」
「私のわがままで先輩に付き合ってもらって、こんなに楽しませてもらって……」
「……本当に楽しかったです。 ……本当に、嬉しかったです……」
ひとつひとつ、精一杯に紡がれていく言葉に対し、俺は嬉しさと戸惑いの狭間に潰されながら気の利いた言葉も出せず立ち尽くしてしまう。
――参った。
こんなにも真摯に、真っ直ぐに言葉を投げかけてくれているのに。
俺は未だに、彼女に殺される事を恐れている。
「――剣菱先輩。 私……――先輩の事が好きです」
「出会ってからまだ全然経ってないし、先輩も嘘かと思うかもしれないけど……好きになっちゃったんです」
「だから、先輩さえよかったら、私と――」
空と海を染める黄昏よりも真っ赤に染めた顔をこちらに向けながら。
美奈ちゃんはゆっくりと、本当にゆっくりと俺に向かって近付いてくる。
「――っ……。 お、俺は……」
彼女の想いに気圧されるように、じりじりと無意識に後退してしまう。
――多分、今この瞬間の俺は客観的に見れば地球上の誰よりも瞬間最大風速が幸せな男なんだと思う。
普通の男であれば迷う事なく彼女を抱き寄せ、最高のロケーションの中で彼女の想いを受け止めていただろう。
手慣れた男であればそこからすかさずAを、そして周りに誰も居ない状況に乗じてさりげなくBを、あわよくば帰り道に然るべき場所に寄り道して一気にCを――。
(――……くそっ……)
そう、この場所は周りに誰も居ない。
世間ではまだ平日であると言う事もあり、師匠直伝の隠れ観光スポットであるこの場所には地元民の1人すら見当たらない。
(くそ……、くそっ……!)
そんな状況で手の内が読めない女の子と対峙すると、俺は思い出してしまうのだ。
旧校舎で跳び回し蹴りをまともに喰らい首が横に反転したことを。
いつもの学び舎で凌遅刑に処されそうになったことを。
理科室で一服盛られ生きたまま解体させられそうになったことを。
誘惑に負けるか回答を誤れば即座に殺される窮地に立たされたことを。
そんなどうしようもない日常を――身体がどうしても思い出してしまうのだ。
(――……くそぉ~~っっ!!)
彼女の想いと自分の想いに強く反発するように、俺の身体はじりじりと後退し続けてしまう。
「……せ、先輩……やっぱり、だめですか……? 私なんかじゃ……」
「――ち、違う! 嬉しい、凄く嬉しいんだ、君の気持ちは! ただ……」
「――ただ、何ですか、先輩……っ!!」
彼女の強い想いが俺の無様な反射行動を一瞬だけ上回り。
反発し合う磁力を押し退けるように大きな一歩を踏み出した彼女の手が、暖かく熱の籠った両手が一気に俺の両腕へと到達する。
「――う、うわぁぁぁ――っ!!!」
その瞬間、今日までの間に素敵な女性たちに同じように距離を詰められたトラウマが一気に想起した俺は。
最早すぐ後ろに立ち入り禁止の柵が迫っている事も構わず跳びはねるように後退し、すべからく即座に後ろ手を着くはめとなった柵にそのまま全体重を預けて――
「――え」
整備が行き届いていなかったのか、それとも俺の体重が余りにも重かったのか。
木製の柵はその機能を果たせぬままあっさりと抜け落ちて。
俺の身体は死に体の状態のまま、命の保証が為されていない立ち入り禁止の区域へと転げ落ちていった。
・
「――先輩……っ!?」
長浜の悲鳴が聞こえる中、葛藤や困惑の思考が瞬時に危機感一色へと染まる中、下り坂となった芝生を転がるように滑り落ちていく。
――まずい、この芝生を転がり切ってしまったら後は――
「ぐっ――!!」
芝生の先、切り立った岩肌へとすがるように懸命に掴まる。
直後、滑落の勢いのまま下半身がその更に先――断崖絶壁の真下へと放り出される。
「せんぱい――っ!!」
「――……っ」
どっ、と脂汗が噴き出すのを感じながら。
辛うじて上半身を岩肌部分に乗り上げられている状態で、俺は崖っぷちにぶら下がるように空中で下半身をばたつかせている。
脇を転げ落ちた小石は足元の遥か真下、白波が弾ける岩礁へと吸い込まれていく。
仮に岩肌から手を放し墜落してしまった場合、確実に命は無いだろう。
そればかりか俺の死体も海の藻屑と消え、お袋に遺骨すら遺せないかもしれない。
「先輩!! 大丈夫ですか!?」
「……あぁ、何とか大丈夫だ……!」
たった今滑落した芝生の上、柵の付近から顔を出して呼びかけてくる長浜に対し、俺は懸命に顔を上げて彼女と視線を合わせながら健在をアピールする。
……とは言うものの自力で下半身を持ち上げて芝生部分まで這い上がる程の余裕はない。手を離せばただちに墜落してしまう今の体勢を維持するのが精一杯だった。
「どうしよう、どうしよう……! 先輩、今そっちに行って先輩を引き上げて――」
「駄目だ! こんな足場の悪いところで俺を引き上げようとしたら長浜まで落ちてしまうぞ!」
「で、でも、このままじゃ先輩が……!」
彼女の言う通り、このままでは俺は為すすべなく墜落してしまう……が、だからと言って彼女に命の危険を冒してまで救ってもらうわけにはいかない。
「――先輩だって、あの時命の危険を冒してまで私を救ってくれたじゃないですか!」
「俺はバカだからいいんだよ! お前はそんな危ない真似はするんじゃねぇ、山岳部でも救助は自分の安全を確保してから、って習うんだろ!?」
「そ、そうですけど……! 山岳部、山岳部の事は今は……――あっ」
何かを閃いたように彼女は柵の奥、石碑があった方向へと姿を消していく。
そして程なく、先程まで携帯していた紙袋に入っていたロープ――登山グッズ屋で彼女が購入した新品のクライミングロープを両手に抱えて戻って来る。
「せ、先輩、待っててください! 今、行きますから……!」
泣きそうな声を挙げながら、それでも健気に、長浜は自分の安全を確保するためにロープを電灯の鉄柱へと縛り付ける。
『私、小さい頃から登山が大好きで。中学の頃からずっと山岳部だったんですよ』
――喫茶店で楽しそうに話していた彼女の姿を思い出す。
デパートで鳴神を救った時の俺と同じように、彼女は自らの経験を糧に俺を救おうとしている。
「殺人鬼かもしれない」と僅かでも疑ってしまった彼女が、俺への恩を返すために俺を救おうとしている。
「……よし、た、多分これで大丈夫……! 先輩、い、いま、助けにいきます……!」
やがて鉄柱への固縛が終わった彼女は、あろうことかロープを手に掴んだまま柵を乗り越えようとしている。
「――お、おい、待て、長浜! 自分の身体に固定しないとロープの意味がないだろ!」
「わ、わかってます、けど……今日は固定ベルトまでは買ってなかったから、ロープを手で保持するしかなくて……」
「駄目だ、そんな状態で俺を引き揚げるなんて無謀すぎる! ……とりあえず、そのロープだけでもこっちに寄越してくれ!」
「え、えぇっ!? ――ま、待って下さい、ロープだけで先輩を助けられるんですか……っ!?」
もはや完全に混乱してしまった長浜は、ロープを両手に握ったままその場に座り込んでしまう。
――無理もない、自分でも他人でも死の危険を間近で目の当たりにして平常心でいられるわけがない。そんな奴がいるとすれば余程殺されかけるのに慣れている奴だけだ。
彼女を責める気は毛頭無い、俺は何とか自力で助かる道を模索しようとするが――
「……っぐ……」
――岩肌を掴む両手が痺れてくる。
宙に浮いたまま風に晒され続ける下半身の感覚が薄れてくる。
刻一刻と悪化していく条件の中、自らを救う手立ても思いつかぬまま墜落死する時が無情にも近付いていく。
(……くそ……っ)
ただ死ぬだけならまだいい。
このまま長浜の目の前で、彼女に自責を負わせながら死ぬ事だけは――
「――美奈ちゃん! それ、貸して――っ!!」
――聞き覚えのある声。
嫌と言うほど聞き慣れた声と共に、その殺人鬼はやってきた。
「――――鳴神っ!!」
思わず叫びながら丘の上を見上げる。
彼女は長浜から託されるようにロープを手に取り、その先端の金具を自らのベルトのバックルに装着して。
ただそれだけの装備を文字通り命綱として、躊躇いもなく柵を跳び越えてこちらに向けて駆け下りてくる。
「なるか――」
もう一度、彼女の名前を呼ぼうとして。
感覚が無くなった俺の両手が、上半身ごと岩肌から滑り落ちるように離れていく。
「拓真くん――――っ!!」
――そんな俺の様子を見たあいつは。
一瞬も迷う事なく、俺を追い掛けるように崖から飛び降りてきやがった。
「――っあ……っっ!!!」
絶叫を挙げる事すら叶わず、ただ自分の全身が宙に浮かんだ感覚を、数瞬後に訪れるであろう確実な死に対する恐怖を味わった次の瞬間。
少しばかり乱暴な衝撃と共に、俺の全身は柔らかな感覚と柑橘系の爽やかな香りに包まれる。
「舌噛まないでね!!」
最低限の彼女の警告に対して無言で応えながら、俺は俺を空中で捕まえてくれた鳴神にしがみついて衝撃に備える。
走馬灯すらも遅く流れる中、重力に抗わず落下し続ける俺たちはやがて繋がれたロープの最大長の落下地点まで到達して――
「――――っ……!!!」
二人分の体重がベルトのバックル一点に集中した衝撃を。
常人であれば為す術なく腰の骨が粉砕されるであろう衝撃を、鳴神は俺を抱き締めたまま全身を思い切り回転させて最大限外側へと逃がす。
「う、うわぁぁぁ――っっ!!?」
果たして俺だけが情けない声を挙げたまま、二人はロープの反発力によって大きく跳ね返って。
再び反対方向に跳ねて、そしてもう一度反対方向に大きく揺さぶられて……
やがて俺たちは断崖絶壁の下、互いに身を寄せたままロープに吊るされた状態で静止した。
「……無茶しやがって」
「えへへ、腰さえ抜けてなければこのくらいは朝飯前だよ」
「……デパートの3階程度の高さから必死に下りた俺が馬鹿みたいじゃねぇか」
全身を彼女に預けたまま、鳴神と耳元で囁き合う。
「と言うか、何で俺を助けたんだ? ……言いたかないが、俺を蹴落としていればそれで殺しの依頼は達成できただろ」
「美奈ちゃんが見てる前でそんな事はできないよ? ……それに、そんな方法で拓真くんと決着は着けたくないよ」
「そうかい……」
どこぞの戦闘民族のようなこいつの矜持は全く理解できないが、今はそんな彼女によって一命を取り留められた事実に感謝するしかない。
「――さて、ここからどうする? 流石に俺を抱えてこのロープをよじ登るのはお前でも……」
「ちょっと無理そうだねぇ……でも、キッペー君たちが119番してくれてるはずだから多分大丈夫だと思う」
「んなっ――お前だけじゃなくてキッペー達までここに来てるのかよ!?」
「ふふふ、最初のパスタ屋のところからみんな見てたよ? 美奈ちゃんとのデートがみんな気になってて、ここにも1本後のケーブルカーで追いついて……」
……全く気付かなかった。
こいつといいキリカや楠木といいキッペーといい、揃いも揃って忍者の素質があるんじゃないのか。
「――……ぱい! せんぱい……っ! 無事ですか……!?」
真上の崖の向こう、更に丘の上から長浜が呼ぶ声が小さく聞こえる。
「ああ、無事だぞ……っ! 長浜が結んでくれたロープのおかげで助かった……っ!!」
「――そんな、私、何もやってない……、なにも……う、うわぁぁぁ――っ!!」
こちらの声が聞こえて安心し緊張の糸が切れたのか、丘の上から大声で泣きじゃくる声が聞こえる。
「……もう、君を好きだって言ってくれた子を泣かせちゃって……反省しなさい、拓真くん?」
「元々はお前たちのせいで俺がトラウマになったからこのデートも滅茶苦茶になったんだよ……むしろお前らが反省してくれ」
「……んん~? そんなこと言っていいのかな~? 何ならここじゃなくて真下の海で頭を冷やして反省してもらっても……」
「うわぁぁぁやめろ! 悪かったから両手を離したり掴んだりするな!!」
そんな洒落にはならないやり取りをしていると、やがて最近聞いたばかりの消防車のサイレンの音が岬の麓から聞こえてくる。
その音に釣られて真横を見ると。
岬の一合下、ちょうど俺たちの見える高さの道路からキッペー達が手を振る姿が、そしてその輪に加わるように必死で駆け下りてくる長浜の姿が見えた。
・
[今日はお疲れ様、楽しかったよ]
かくしてレスキュー隊によって無事救助され、意図せず長浜と鳴神たちとの顔合わせも経て。
つつがなく……でもないが五体満足でデートを終える事のできた俺は、自室のベッドに座りながら今日交換したLINEで長浜に話し掛ける。
[お疲れ様です、私もとっても楽しかったです!]
[でも、ごめんなさい。私、剣菱先輩を助けられませんでした]
すぐに彼女からの返信が返ってくる。
落ち込む彼女をフォローしたかったが、[そんな事ない、君がロープを結んでくれたおかげで]と入力したところで彼女から次の言葉が飛んできてしまう。
[剣菱先輩を助ける鳴神先輩、すごくかっこよかったです]
[私じゃかなわないな、と思っちゃいました]
[剣菱先輩、鳴神先輩のことが好きなんですか?]
(……いやいやいや待て待て待て!)
矢継ぎ早に繰り出される長浜の言葉に対し、慌てふためきながらただ一言[ちがう]とだけ返信する。
[そうなんですか?お似合いだと思うけどなぁ]
にんまりと笑うスタンプを添えて発言したあと。
長浜は一枚の写真を貼り付けてきた。
(――……。)
[あんまり綺麗だったので撮っちゃいました]
大変な状況だったのにごめんなさい、と添える彼女の言葉に対して。
[綺麗に撮れてるな]
鳴神への想いとかは関係ない、素直な感想を吐露した。
[いつか鳴神先輩みたいにかっこよく剣菱先輩を助け出せるよう頑張りますね!]
[ああ……でも頼むから無茶はしないでくれよ?]
[はい! それと、先輩さえよければ夏休み中にまた遊んでくれませんか?]
[ああ。今度は長浜のお勧めの場所に連れてってくれよ]
[はい!!]
殺人鬼でも戦闘民族でもない、普通の女の子である長浜との普通のやり取りを見届けた後。
俺はベッドの上で、先ほど彼女に送ってもらった写真を眺める。
――沈み切った直後の夕陽が黄昏色に染める一面の海原を背景に。
切り立った断崖絶壁と、その下で1本のロープで繋がれた俺や鳴神の姿が黒色のシルエットに浮かび上がっている。
そんな普通でない情景が収められた異常な写真。
(…………。)
必死に鳴神にしがみついている自分自身の情けない姿に苦笑しながら。
(――やっぱり、プリクラの写真よりもこう言う写真の方が好きだな)
五体満足の全身をベッドの上に投げ出して。
奇妙な高揚感に身を馳せながら、大きく深く息を吐き尽くした。




