第10話「ヒーローショーで殺される」(4/4)
『ただいまぁ。 ……っと、どうした、拓真?』
まだ陽も高い昼下がり。
当直明けで帰って来た親父に、俺は泣きながら必死に抱きついた。
――お袋に怒られた時は、いつもそうやって親父に甘えていたような気がする。
『おかえり譲さん。……拓真、また譲さんの真似をしちゃって』
俺に追い付くように玄関で親父を出迎えたお袋が、容赦なく事の顛末を話す。
『窓から降りようとする前に止める事はできたんだけど……ほら見てよ、買ったばかりの服がこんなに伸びちゃって』
『おーおー、こいつはまた派手にやったなぁ。それで母さんにこってり絞られてたのか』
泣きじゃくる俺を大きな身体で受け止めながら頭を撫でてくれていた親父は。
俺が落ち着くのを待ってから、俺の顔を真っ直ぐ見ながら真剣に話してくれた。
『――拓真、いつもと違って今日は父さんも怒るぞ』
『服をダメにしちゃったからじゃない。お前が一歩間違えたら死んじゃうような事をしたからだ』
感情的にならず、静かに諭すように話してくれた低い声は今でも覚えている。
『拓真がまた父さんの真似をしてくれたのはすっごく嬉しいぞ? でも母さんにも内緒でこっそりやったのは駄目だ』
肯定も否定もせず、涙目で親父の顔をじっと見つめる。
『いいか? 世の中には――この家にだって、拓真が死んじゃうような危ないところはたくさんある』
『父さんも母さんもそんな危ないところから拓真を守りたい、と思ってるから……拓真が内緒でこっそりやっちゃうと二人とも困っちゃうんだ』
そう言って首を傾げながら微笑む親父に対して、無言で小さく頷く。
『――だから、まずは父さんと一緒にやってみようか』
『それが出来たら、今度は父さんが居ない時でもいい、母さんに見てもらいながら拓真ひとりでやってみよう』
『上手く出来たら拓真の大好きな照り焼きバーガーを買ってやるぞ、どうだ?』
その提案を聞いて泣いていた事も忘れて大きく頷くと、親父は屈託なく笑いながら俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。
『よーし、それじゃ茜さん、使い古しの服をたくさん出してくれ!』
『えぇ~……服じゃなくて普通に紐を使った方がいいんじゃないの?』
『だめだめ、服を使うって言うのが拓真のアイデアなんだから! なぁ、拓真!』
親父の言葉に笑顔で何度も頷いて。
苦笑するお袋と3人で居間に行って。
タンスを開けて、奥からたくさんの古着を取り出して――。
そんな5歳の頃の出来事が、数少ない俺の親父との思い出だった。
・
「……っく……」
ひどい耳鳴りを抑えるように強く頭を振る。
他に人の気配の感じられない、炎の弾ける音だけが響くデパートの中。
短い夢が覚めたように気を取り戻した俺は、階上から響いた爆音の原因と鳴神の安否の両方を案じながら再び階段を上り、そして4階へと辿り着いた。
「――鳴神! 何処だ……っ!!」
叫びながら燻る臭いの充満するフロアを見渡す。
まず目についたのが西側階段付近、俺や鳴神が初めて異変に気付いた場所……その周辺は3階の同じ場所よりも遥かに激しく燃え上がる炎と、それらに焼かれながら積み上がる瓦礫によって紅く黒く埋め尽くされている。
『このステージでは料理教室とかも開かれてるんだよね。結構大掛かりな調理セットを準備したりして』
司会のお姉さんがそう言いながら、あの辺りに保管されていたプロパンガスのボンベを指差していたのを思い出す。
あのボンベに引火して爆発したのだろうか――そんな事を考えながら反対方向、ステージの方へ視界を向けた矢先。
「―――鳴神っ!!」
ステージの下、楽屋入口のドアの側。
見栄えのする主人公の姿をした鳴神がうずくまるように倒れているのを目の当たりにした俺は、フロア内の安全を確認する事もままならず彼女の元へと駆け寄った。
「鳴神! 大丈夫か!?」
屈み込みながら彼女の両肩を掴んだ瞬間に気付く。
――彼女の肩が、全身が、がたがたと酷く震えている。
「おい、なるか――」
ゆっくりとこちらを振り向いた彼女を見て、呼び掛けようとした言葉が止まる。
それだけありえない表情を、彼女は浮かべていた。
「……拓真くん……」
主人公の仮面が外れたその顔はくしゃくしゃと歪んでいて。
その両目からはぽろぽろと大粒の涙が零れていて。
まるで彼女が彼女で無くなったかのような表情を、鳴神もみじは浮かべていた。
「……だ、大丈夫か? どこか怪我したのか?」
俺の問いに対して彼女はふるふると首を振ったあと。
「――……爆発は……」
「爆発だけは……ダメなの……」
「怖くて……動けなくなっちゃって……」
絞り出すように吐露して、再び俯くようにうずくまってしまう。
……理由は分からないが、どうやら彼女は爆発に対して深いトラウマがあるらしい。
俺を探して4階まで駆け上がってきた彼女は、先程の爆発を間近で目の当たりにしてしまい、恐怖のあまりその場にへたり込んでしまったのだろう。
幸い彼女の身体に外傷や火傷などは全く見られないが……彼女の心が、酷く弱り切っている。
「ったく、俺を助けに来た癖に爆発にビビってヘタレちゃ駄目だろうが」
「……えへへ、そうだね……。 ごめんね…………」
「じょ、冗談だから真に受けてるんじゃねぇよ! ほら、立てるか?」
「……だめ……、 腰が抜けちゃって……。 ごめん……」
彼女と言葉を交わすたびに、今まで聞いた事もないような彼女の弱音が零れるたびに、やるせなさと焦燥感で額に嫌な汗が滲む。
目を逸らすようにフロアを見渡し、爆発の勢いで火の手が急速に広がる様子を見ながらたまらずその汗を拭う。
鳴神の様子を見る限り、彼女の手を引いた程度では一緒に脱出するのは不可能だ。
彼女を抱き上げるか、背負うかでもしないとここから動く事すら叶わないだろう。
(…………。)
もちろん、殺人鬼である彼女を無防備に背負う事は相応のリスクを伴う。
仮に今の彼女の仕草が全て演技だった場合は。
他に誰もいない、証拠隠滅も自動的に行ってくれる絶好のシチュエーションの中で俺は為す術なく首に腕を回されへし折られるだろう。
――だが、それでも。
「ほら、行くぞ鳴神」
俺は彼女の前方に回り背を向けながら屈み込んで。
「え……?」
「え?じゃねぇよ! 俺におぶされって言ってんだよ!」
「……え、え……でも……」
「でももヘチマもねぇ! ――シケた面しやがって、今のお前を見捨てて逃げたら殺されても死にきれねぇだろうが!!」
助けが必要な人の前で自分の保身を考えてしまうのはさっきの一度だけでいい、そう誓いながら。
鳴神を半ば無理やりに背負い、東側階段に向けて駆け出して行った。
・
「た、拓真くん、重くない? わたし、ダイエットとかしてないし……」
「あーなるほど、道理で重いと思ったよ?」
「ご……ごめんね……?」
「だぁぁもう、冗談だからいちいち真に受けんじゃねぇぇ!!」
必死に軽口を叩きながらも、俺は背中に乗せた鳴神の想像以上の軽さに内心驚いていた。
(こんな軽い身体で、こいつは毎日元気に俺に挑んで来ていたんだな……)
それとは別に背中に当たる死ぬほど柔らかい感触にも内心驚いていたが、今はそちらの方向に現を抜かしている場合じゃない。
雑念と邪念を振り払いつつ、俺は階段を下りて3階へ、そしてそのまま2階へ進もうとする――が。
「――なっ……」
階段を下り切った場所から2階フロアや1階への下り階段へと続く境界。
先刻までは自由に往来できたその境界は、既にこちらの往く手と視界を阻むように黒煙が充満していた。
「――……っく」
「……ど、どうしよう、拓真くん……?」
「……ここを突っ切って1階を目指すのは無謀だ、戻るしかねぇ」
想像していたよりも遥かに速い火の手の回り方に忌み事を叫びそうになるが、ただでさえ背中で泣きそうな鳴神を更に不安がらせるような真似は出来ない。
俺は平静を装いながら踵を返し、黒煙から逃れつつまだ比較的安全な3階へと戻る。
(くそ……どうする……?)
火元から一番遠かった東階段にまで火の手や黒煙が到達している以上、フロア中央にあるエスカレーター付近は恐らく既に炎に包まれているだろう。徒歩で2階を通過し1階まで下りる事は最早かなわない。
ならば4階、5階を通過して屋上まで駆け上がり救助を待つしかない……そう考えながら上り階段に足を踏み出そうとした時。
「――きゃああぁぁっ!!」
再び階上から爆発音が聞こえ、同時に悲鳴を挙げた鳴神に強く全身を抱き締められる。
……今から4階に上るのも無理だ。爆発の影響で火の手は3階以上に速く回っているだろうし、何よりこんな状態の鳴神を連れて4階に戻ったりなんかしたら勢い余って絞め殺されかねない。
下りるも駄目、上るも駄目……となるとこの階に留まるしかない。
俺は階段の下から立ち込めてくる黒煙から逃れるように3階フロアへと足を踏み入れた。
(だが……ここに来て、そこからどうする……?)
今はまだ延焼も少なく自由に動き回れるとは言え、このフロアも炎に包まれるのは時間の問題だ。
そうなる前に消防隊が来てくれるのを祈りながらここで待つしかないのか――
「――――あ」
最初の爆発時に走馬灯のように浮かんだひと時の夢が。
親父との思い出としてではなく、この窮地を脱するアイデアとして再び頭に浮かぶ。
(そうだ、今こそあれが出来るかどうか試すチャンスじゃないか……)
あの時にやっていたのはただ親父を真似たくて覚えただけの遊びだった。
しかし遊びだろうが何だろうが、ガキの頃の俺ができたのだから今だってきっとできるはずだ。
(あとは、あれを実行する為の場所があれば……)
通常の建物と違ってデパートのフロア内にそれは見当たらない。
――だが、きっとあの場所になら。
鳴神を背負ったまま、俺は3階フロアの東階段そば、喫茶店へと向かう。
幸いそこはまだ火災の影響を全く受けておらず、そして何より。
「……あった!」
予想通りの光景――デパート内のフロアや他の店舗と違い、喫茶店やレストランには存在する壁一面の窓が広がる光景に、思わず会心の声を挙げる。
屋内を通り1階へと下りる手段が失われた俺達にも、これで地上へと下りる道が開けたわけだ。
「……た、拓真くん……まさか、ここから飛び降りるの……?」
背中越しに不安そうに尋ねる鳴神に対し、大袈裟に首を振ってノーの返答を示す。
ヘタれていない全盛期の鳴神ならともかく、ただのモブ役の一般市民である俺にとっては1メートルの高さすら飛び降りるのに慎重を要する有様だ。
ましてこいつを背負っている状態であれば、2階の高さから飛び降りても手足の骨折は免れないだろう。3階から策も無く飛び降りたら二人ともども頭を強打して死んじまうのがオチだ。
「それで、な? 鳴神、ものは相談なんだが……」
部屋を見渡し、1組のカーテンしか布地のものが無い事を確認した後。
「……お前の私服、伸びてダメにしちゃってもいいか?」
彼女を床に下ろして向き合った俺は、そう言って首を傾げながら微笑んだ。
・
火災の騒音や恐怖から一時的にでも隔離された静かな喫茶店の中。
へたり込んだ鳴神に見守られながら、俺は取り外したカーテンを、鞄から取り出した俺や鳴神の服を黙々と結んでいた。
「拓真くん、何やってるの……?」
「上手く出来上がったら説明するよ。それよりキッペーは何て言ってた?」
「うん、消防車はまだ来てないけど来たらこっち側に誘導しておくって。あと……絶対に焼け死ぬんじゃねぇぞ、って」
頼もしい伝言と共に俺のスマホを返してもらい、再び作業へと没頭する。
7歳くらいまでは自宅で習慣のようにやっていた作業。
――いつか親父にご褒美をもらいたくて、ひとりで出来るようになった後も何度も繰り返していた作業。
実に10年近くぶりの作業であり出来るかどうか少し不安もあったが、脳と手が……そして心がその手順を完璧に覚えていた。
「よし……できた。 後はこっちに繋いで……」
やがて完成したそれ――服やカーテンを結び1本のロープのようにこしらえたものをカウンター席の柱に回し、もやい結びでしっかりと繋ぐ。
そして布地を持ちながら室内を歩いてその長さを、最後まで張った布地を体重を掛けて引っ張りその強さを検証する。
……幸いそのどちらの要素も、そして俺の昔取った杵柄にも問題は無いようだ。
「……拓真くん、もしかしてそれを使って窓から……?」
「ああ。しっかり縛ってあるから俺達二人が下りてもほどけたり千切れたりする事はないはずだ」
「うん……でも凄いね、拓真くん。手際よくこんなのを作っちゃうなんて……」
「――親父が消防士の経験もある救命救急士でな、ガキの頃に親父を真似て良く遊んでたんだよ」
言いながら布地の先端に椅子を縛り付けると、それを持ってカウンター席の柱に一番近い窓――地上へと続く脱出口を開く。
窓の真下、デパートの裏側にあたる地上ではキッペーや妹が泣きそうな顔でこちらを見上げていたので、心配させぬよう笑顔で手を振ってやった。
「拓真くんも消防士になりたいと思ってるの?」
「んー、そう言うわけでもないんだよな……ただ」
「ただ?」
鳴神の問いには答えぬまま、俺は窓から布地を送り出し、先端の椅子を重り代わりとしながら少しずつ地面に向けて下ろしていく。
やがて椅子の先端が地面に辿り着いたと同時に、カウンターの柱に根元を繋がれた布地全体もピンと張り詰める。
俺や鳴神の私服が無ければ……そして服をロープ代わりにすると言うアイデアが無ければ、布地の長さは2階付近で止まってしまっていただろう。
「よし、待たせたな鳴神。俺がお前をおぶって地上まで下りるから、落ちないようしっかり掴まってろよ」
「う、うん。 ……拓真くん、ほんとごめんね……」
「まーだ言ってるのか、腰が抜けて動けないんだから仕方ないだろ」
「そうじゃなくて、わたし……拓真くんを殺そうとしてるのに、そんなわたしを助けてくれて……」
「……お前も楠木みたいな事を言うんだな……いいんだよ、それとこれとは話が別だっての」
しおらしいこいつと話していても面白くないし脱出する時間が勿体ない。
俺は先程と同様、鳴神を無理やり背負いながら立ち上がった。
「そんなに言うなら、無事脱出できた後に何かひとつお礼してくれよ。例えばそうだな、今背中に当たってるそれを3分間くらい……」
「――……~~っ!! もう、駄目だよ拓真くん! お礼はするけどそう言うのは駄目!!」
「痛ててっ!おい、やめろ、今から下りるんだから暴れるな――ぐぅぇぇ……っ!?」
少しだけ元気になった鳴神に絞め殺されそうになりながら、俺は布地を持ちつつ後ろ向きに窓から外へと乗り出して。
ガキの頃に自宅で遊んだように、ゆっくりと壁を伝い地面に向けて下り始めた。
「タク~! 落ちたら俺が受け止めてやるから、慌てず慎重に下りて来いよ~~!!」
下からキッペーの頼もしい申し出を受けつつ、俺は鳴神にしがみつかれながら壁の上に歩を進めていく。
あいつのうるさい声で注目が集まったのか、いつしか集まって来たギャラリーが無節操にスマホのシャッターを切る音も聞こえる。
奇妙な着ぐるみを着た悪役が奇妙なコスプレ姿の主役を担いで火事場から脱出する、などと言う奇妙なスタントシーンが視界の上に広がっているのだ、撮るなと言うのが無理な相談だろう。
「えへへ、目立っちゃって何だか恥ずかしいね……」
「もう少しの辛抱だからな、スカートを押さえようとして手を放すんじゃねぇぞ」
「う、うん、分かってるよ」
軽口を叩き合いながら、俺は約10年前……同じように家の壁を伝って遊んでいた時の事を思い返していた。
『お母さん、見て! 僕、ひとりで地面まで下りれるようになったよ!』
『凄いわねぇ……もう下であたしが見ていなくても大丈夫かもしれないわね』
『すごいでしょ! お父さん、ご褒美くれるかなぁ!』
『そうねぇ………。 ――きっとお父さんも見てくれていると思うわよ』
あの頃の俺は、ただただ親父のようになりたくて親父の真似をしていた。
別に親父のように消防士になりたかったわけじゃない。
親父が俺にとってのヒーローであったように、俺も誰かにとってのヒーローになりたかったのだと思う。
「――鳴神」
少しだけ足を止めて、前を向いたまま呟く。
「俺は、お前を救う事ができたか?」
「……??」
俺の問いに対して鳴神は一瞬だけその意味を反芻して。
「拓真くん、こうしてわたしを救ってくれたじゃない? 拓真くんはわたしのヒーローだよ!」
言葉通りの意味の質問であると捉えたのか、さも当然と言わんばかりに即答する。
――その言葉によって、10年前の俺は、ひとりで遊び続けていた俺はようやく報われた気がする。
「そうか。 ――そうだな……。」
少しだけ目を閉じて、深く息を吐いて……それから、再び壁を下り始める。
辺りは既に黄昏が迫っていて。
暮れかけた夕陽が、ビルの谷間からこちらの横顔を照らすように差し込んでいる。
「――なぁ鳴神、さっきお前お礼をしてくれるって言ったよな?」
「うん。 何にするか決まった?」
「あぁ……今度、照り焼きバーガーを奢ってくれよ」
「うん……? いいけど、そんなのでいいの?」
俺にしがみつきながら不思議そうに顔を寄せる鳴神に対して。
「――俺がずっと食べたかった大好物なんだよ」
あの時の親父と同じように、俺は屈託なく笑った。




