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第9話「健康診断で殺される」(3/3)

「……ぅぐ……っ、ぁぁ……」


 助け(三人)の来ない部屋の中。

 俺は文字通り真綿で締めるような力で、少しずつ呼吸を、血流を阻害され続けている。


「……先生、やめて、ください……大声、出しますよ……?」

「出したかったら出していいわよ? 多分部屋の外には誰もいないと思うけど」


 彼女の言葉を聞きながら、俺はこの部屋――旧校舎の奥にわざわざ設けられた仮設の問診室まで歩いて来た時の事を思い出す。

 こちらを恨めしそうに見ながらキッペーが入った外来の先生の問診室から更に歩いて2、3分……その間、俺は誰とも会う事がなかった。


 問診が終わるまで疑似的な密室と化すこの部屋を問診室に指定したのは恐らく彼女自身だろう。

 この部屋()の中で俺を待っていたのか、それとも他の誰を待っていたのかは定かではないが……少なくとも、俺がこうして彼女に絡めとられてしまったのは事実だ。



「……っ、 っく……」


 不意に彼女が身体をこちらに預け、鎖骨に舌を這わせてくる。

 予想外の刺激に息を詰まらせるこちらに構わず、彼女は喉笛に回した指を艶めかしく締め付けながらゆっくりと頭を、肌に当てた舌を胸板へと下ろしていく。


 やがて胸板の頂点へと達したその舌の細やかな動きは、この期に及んで俺の劣情を揺り動かし、彼女の下腹部と俺の下腹部の接点を僅かに上へと持ち上げてしまう。



「あらあら……元気ね、拓真君……健康診断なんて必要ないみたい」


 くすくすと笑いながら、彼女は啄むように俺の心の一点を執拗に責め続ける。

 そのたびに俺の邪な一点は、無様にも彼女との接点を歪ませるようにその存在を誇示していく。



「身体はこんなに正直なのに、どうして上の口は強情なのかしら。あの日の理科室(四人のプロレスごっこ)の話も訂正する気はないみたいだし……」


「あんまりだんまりだと拓真君、やきもきした()()()に愛されるあまり殺されちゃうわよ?」


「……だから、ね? 拓真君の身体のこと、拓真君の心のこと、まずは私に全部話して……?」



 一文ずつ、ゆっくりと言葉を紡ぎながら。

 彼女は名残惜しそうに舌を離しつつ顔を傾けて、胸板の中心に摺り寄せるように優しく耳を押し当てた。



「ふふ、聴診器を使うよりもずっと良く聞こえるわ。拓真君の鼓動が、上から、下から……」


「問診が終わったらまた触診をしましょうか。 全て正直に答えてくれたら、貴方も私も一緒に()()を触れ合うような診察をしてあげるわよ……?」



 言葉巧みに誘いながら接点を下へと押し返し揺り動かす彼女の動きに、あの日のように全てを話してしまいそうになる。


 ――しかしあの日とは違い、もはやその誘惑すらも彼女の罠である事が分かってしまった。

 あの三人の助言を鵜呑みにした結果ではなく、自身の検証と実感の末に、今の言葉が彼女の挑戦である事が分かってしまった。


 その誘惑にあっさりと屈してしまったら、それこそ彼女は快楽をもたらしもせずあっさりと俺を葬り去ってしまうだろう。

 だからと言って黙秘を続けていても、今しがた彼女が警告したとおり俺の命の保障は無い。


 迂闊にも彼女の巣に掛かってしまった今の俺には、そんな理不尽な彼女の問診(挑戦)答える(応える)しか生き延びる術は無いのだ。




「――それじゃあ聞くわね……最初にも聞いたけど、『最近は身体に異常はない?』」

「……最初に答えたとおり、特に異常は――」


 言いかけた回答を、首筋に爪を立てて遮られる。


「………っ」

「嘘は駄目よ? 先生、鼓動の音を聞けば貴方が嘘をついている事くらいわかるんだから」

「――っぐ、ぁ……っ!」


 彼女に甘く囁かれながら、立てられた爪が想像以上に深く、鋭く首筋の肉を抉っていく感触に思わず声を挙げる。

 目線の真下、見えない部分で自分の温かな液体が肌を伝うのを感じながら、俺は自分に与えられたチャンスが、命の灯火(シグナル)がひとつ消えかけるのを実感する。



 ――確かに、「身体に異常はない」と言えば嘘になる。

 しかしその事を正直に答えることは、自分の身体の異常を答えることは即ち()()()()()()()()()()()()()()()()()事になる。

 だから俺は、嘘が嘘にならぬよう言い方を変える事しかできない。



「――嘘じゃありません。俺の身体は異常もなく良好……自分でも嘘かと思うくらい、すこぶる良好です」

「…………。」


 俺の回答に対し、彼女は自分の全身をこちらに押し当てながら顔を向けて来る。


(……ぅ……)


 そしてその体勢のまま、こちらを見ながらしばらく考えるように沈黙した後。



「……なるほど、ね。 わかったわ」


 こちらの意図が通じたかのように引き下がり、次の質問へと移った。



「それじゃあ、次の質問ね……亡くなった貴方のお父さんの体調も、今の貴方と同じくらいすこぶる良好だったのかしら?」

「――えぇ?」


 先程とは違う意図の読めない質問に、思わず呆けた声を挙げてしまう。


「……子供の頃だし良く覚えてないけど、すこぶる良好、ってほどでは無かったですよ。ごく普通の元気な父親でした」

「ふぅん……お母さんとは仲が良かったのかしら? 二人の馴れ初めは?」

「確か母が大怪我をして、その救命を父が行ったのが初対面で……って、先生、これ問診と関係ないですよね?」

「うふふ、言われてみればそうね。 ……でも素敵な出会いだったのね、お父さんとお母さんは」


 まるでピロートークのような語らいによって空気は弛緩させられ、毒気を抜かれたように彼女の体温に身を委ねてしまう。



 ……この質問がただの世間話なのか、それとも対応を間違えると即座に命を奪われる猛毒なのか、彼女の意図を全く読む事ができない。


 しかし、次の質問は。



「――ところで、さっき話してた人以外に『死んでしまいそうなほど迫られている』子はいるのかしら?」



 あの日と同じこの質問は、わずかでも答えに窮したら即座に心臓へと到達する抜き身の刃だ。


 あの日のように馬鹿正直に答える事はできない。

 しかしこちらの鼓動を聴き続けている彼女に対して適当な嘘で誤魔化す事もできない。



 その二つの条件を満たす返答など存在しない、詰みの状況のようにも思えるが。


 ――俺の一芝居によって、その返答は既に()()()()()()()()



「そんな子は居ませんね? プロレスごっこをする女友達ならともかく、死にそうなほど惚れてくれる子が居るほど俺はモテないですよ」



「――…………。」



 こちらを見ながら、狐につままれたような表情を見せた先生は。


 次の瞬間、普段の彼女からは想像できないほどの笑い声を挙げた。



「――あははははっ……!! そう、そうだったわね! 今までの話は()()()()()()()だったわね――!」



 現校舎まで聞こえるんじゃないか、と心配になるほどの声で笑いながら、花崎先生は上体を起こしながら下腹部に固く押し付けていた体重を後ろに逃がす。



 ――彼女がどう深読みしていたのかは知らないが、俺の話は「大人の女性に死ぬほど迫られて困っている」と言う相談である。

 その相談に対して彼女は「他にも死ぬほど迫って来る女性は居るか」と聞き、俺は「そんな人は他には居ない」と答えた。

 『俺を殺そうとする女性』は居るが『死ぬほど迫って来る女性』は居ない、だから俺は嘘をついていない――そんな詭弁を、俺は毅然と答えたのである。


 先刻まで感じられた――あの日とは違い胸元と喉元で存分に感じられた――彼女の殺気が急速に晴れていくのを感じるあたり、その詭弁は彼女にとって正答であると判定されたのだろう。



「いいわ、今日の問診はこれで終わりと言う事にしておいてあげる」

「……もう終わりでいいんですか? まだあまり答えてない気もしますが」

「なぁに、まだ答え足りないの? ……でもいいのよ、拓真君が答えられること、答えたくないこと、それが分かっただけでも今日は充分だわ」


 そう言いながら俺を開放すべく立ち上がろうとした先生は。

 なおも食い下がるように接点に食らい付く俺の下腹部をじっと見つめると、再び妖しい笑みを浮かべながらその接点を押し潰すように跨り直した。



「――そうね……そう言えば、『全て正直に答えてくれた御褒美』がまだだったわね……?」


 言うが早いか彼女はしなだれかかるように上体をこちらに預けて、両手をこちらの首に――そしてそのまま流れるように頬や脇腹に――まるで絹織物のような肌触りで纏わりつかせてくる。


 柔らかなふたつの弾力をこちらの胸板に押し当てられ、首筋に付いた傷跡を癒すように舌を這わされ、気付けばベルトが外されているズボンの中を華奢な五指にまさぐられて……


「いやいやいや、ちょっと待って先生! 俺、全て正直に答えてないのに何で――」

「あら、今更さっきの回答は嘘だったとでも言うの?」

「あ、いや、そんな事は……」

「私の気が変わらないよう、ちゃんと最後まで正直者でいなきゃ駄目よ? ……こっちのように、ね」


 耳元で吐息混じりに囁きながら、唾液に濡れた胸板の頂点を撫で回しながら、彼女はズボンの中に住んでいる正直者の足元(根元)を焦らすように何度も指先でなぞり続ける。



「せ、先生、やっぱり、待って――」


 先刻までとは違い殺気の全く感じられない、ただ純粋に(獲物)を悦ばせる為だけに振り撒かれた彼女の色香と手管に――半ば望んでいたとは言え突然すぎる展開に、ただひたすら戸惑うままに拒絶の言葉を発してしまう。

 しかし彼女は聞く耳を持たぬままズボンに両手をかけてずり下ろそうとし、それを阻害するように引っ掛かったそれを、彼女の質問(触診)に正直に答え続けていたそれを愛おしそうに眺める。



「……身体はこんなに正直なのに、どうして上の口は強情なのかしら……?」



 その正直者は再び彼女自身に押し潰され、彼女の両手は俺の両頬を優しく包み込んで。



「ま、待って、先生、こんなの……」



 顔を反らす事も許されぬまま、彼女は俺の強情な口を塞ごうとその唇を俺に――




「すみませーん、花崎先生ー? こちら全員問診終わりましたけど、そちらももう終わりますかー?」



 コンコンと鳴るノックの音と、誠実そうな男性の声がドア越しに響き。


 室内を包む淫靡で異様な空気が弾けるように霧散していく。



「……もう、いいところだったのに。 ――はーい! こちらももうすぐ終わりますよ~!」


 ドアの方に向けて呼びかけながら、先生はまるで魔法が解けたかのように俺を解放しつつ診察台から降りる。

 そして乱れた白衣や髪型を正しながら入口に向けてつかつかと歩き、戸棚に何かを戻し、入口の施錠を解いてドアを少し開け、外にいる誰か――恐らくは外来の先生と一言二言会話を交わしている。



「と言うわけで問診は終わりよ、拓真君。御褒美があげられなかったのは先生も残念だけど……」


 いそいそとズボンやシャツを元通りに着直していた俺に対して、ドアを閉めた先生は再びゆっくりと近付いて来る。

 そして俺の隣に座るように診察台に腰掛けると、



「――後で保健室にいらっしゃい。他の生徒も来るからここでの続きは出来ないけど、代わりに何かひとつ、どんな質問(問診)でもイエスかノーで答えてあげるわ」


 耳元で囁きながら、あの日のように妖艶な表情で笑った。







 放課後。

 キッペーの掃除待ちを理由に鳴神達の下校の誘いをかわした俺は、花崎先生との約束を果たす為に保健室へと向かった。


「あら~、剣菱君! 来てくれたのね、どうぞどうぞ~~」


 先程とは違いいつものぽけぽけとした先生の様子に一瞬だけ安心しかけるが、


「――あぁでも、その前にスマホの電源は切ってね? 先生、そう言う小細工は好きじゃないの」


 ポケットの中でスマホの録音アプリを起動させている事を一瞬で看破され、大人しく従いながら即座に考えを改める。



「それで、どんな質問(問診)をするか考えてきたの?」

「……はい」


 真っ暗になったスマホの画面を見せながら答える。


 ……彼女の提案はあの窮地を乗り切った俺に対する彼女なりの御褒美であり、彼女にとってはあの場で行われるはずであった行為と同等の価値を持つ機会(サービス)なのだろう。

 その価値を取り違える事のないよう、間違っても彼女のスリーサイズを聞くだけで終わるような真似をしてはいけない。……仮に聞くとしてもイエスかノーで答えられる形となると「バストは92cm以上ですか?」と言う曖昧な聞き方しかできないのだが。



「………。」


 スマホを机に置きながら、少しだけ思考を遡らせる。



 真っ先に聞きたいと思ったのは『先生も人を殺した事があるのか』と言う質問だった。

 ――しかし、そんなイエスだと分かり切った質問をする為に彼女はこの機会を与えてくれたわけでは無いと思うし、俺もそんな分かり切った質問をするべきではないとも思った。


 次に聞きたいと思ったのは『先生は俺を殺そうとしているのか』と言う質問だった。

 あの窮地に陥ってまで知りたかった疑念を100パーセントはっきりさせるにはおあつらえ向きの質問だが、あの窮地においてもなお彼女が()()()()()()()()()()()()その事実をわざわざ彼女自身から引き出すメリットは無いように思えた。



「…………。」


 次に聞きたいと思ったのは俺の事ではない、俺の親父の事だった。



 ――そもそも、先刻の彼女の問診には明らかに違和感のある問答があった。


 なぜ、彼女は突然親父の事について質問してきたのか?

 俺と親父に何か関連性を見出したから質問したのではないか?

 彼女にとって俺と親父との関連性が気になるのは何故だ?



 ――親父の事故死と、俺が殺されようとしている理由に何か関連性があるからじゃないのか?



「………………。」


 最後にもう一度、質問の妥当性を検証する。


 『親父の事故死と俺が殺されようとしている理由は同じか』。

 これでは「殺す」と言う表現が多過ぎて彼女のうやむやな態度を瓦解させてしまう。


 『親父は誰かに殺されたのか』。

 これでは彼女も分からない、イエスともノーとも答えられない質問である可能性も少なくない。



 そもそも『親父が事故死した』『親父が殺された』と言うワードは事実が外れていた時点で彼女に「ノー」や「分からない」と言う逃げの回答を得る隙を与えてしまう。

 その隙を潰し、「殺す」と言う表現も使わずに俺と親父の関連性を問いただす質問は……やはりこの表現しかない。



 俺は深く息を吐き、そしてゆっくりと花崎先生に問い掛けた。


「『俺の父親が死んだ理由と、先生が俺に迫ってくれる理由は何か関係があるんですか?』」




「…………。」


 今度は彼女が熟考する。



「……ふふっ、『迫ってくれる』、ねぇ……可愛い表現ね」


 関心するような、微笑ましく一笑するような素振りを見せたあと。




「そうね……()()()()、イエスよ」



 こちらを見据えて、はっきりと彼女は答えた。




「本当は『わからない』と答えても良かったんだけどね……私もそう思ってるから、そう答えちゃった」

「……ありがとうございます。参考になります」

「ふふ、どういたしまして。 ……ところで、どう? この問診だけじゃ何だし、他の生徒が来る前にさっきの続きを――」

「いえ……結構です。すみません、失礼します」


 それだけ言うと、俺は踵を返して保健室を後にする。



 彼女の魅力的な誘いすらも寄せ付けず蒸発させてしまうほどに、俺の心は――10年間燻っていた疑念は熱く昂っていた。


 花崎先生があの行為と同じ価値観をもってイエスと答えた以上、少なくとも彼女の中では親父の死と俺の殺害依頼との間に関連性がある事に確信があるのだろう。

 仮にそれが事実であるとして、ただの事故死で片付けられた親父の死が俺の殺害依頼と結びつくか?


 ――間違いなくノーだ。

 親父は誰かに殺されて、その誰かが今度は俺を殺そうとしているに決まっている。



「……くそったれ」


 あの巻物に記されていたように、その誰かの名前に心の中で大きくバツ印を塗りたくる。



 俺自身の命を守るため、そして親父の無念を晴らすため。

 俺は俺の命を狙う黒幕の正体を突き止める事を固く誓った。


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