第8話「自宅で殺される」(3/5)
「…………。」
時計の音だけが不気味に響く中、家にひとり残された状態となった俺はこの窮地をいかに脱するかを考えていた。
まず思い付くのが警察への通報だが、当然ながら今の状態で「殺人鬼が家にいる」と通報しても駆け付けた警察が目撃するのは家で仲睦まじくしている俺と鳴神の姿だけ、俺の通報は悪戯扱いされてこっぴどく怒られるのがオチだ。
最低でも鳴神が本性を表してからじゃないと警察への通報は無意味だろう。
「せめてお袋が戻ってくるまで警察に見守ってもらうよう依頼できたら――」
そんな叶わぬ願いを自ら一笑に付そうとした俺は、ふと次の打開策を思い付く。
「……待てよ、家に来てもらうだけなら別に警察じゃなくてもいいのか」
鳴神が殺人鬼となるトリガーは「俺と二人きりになる」事なのだから、その状況さえ刷新できれば来てもらうのは警察じゃなくてもいい。
すぐさま俺はキッペーの携帯へと電話を掛けた。
「……。」
受話口から呼び出し音が鳴り続ける。
「…………。」
無情にも受話口から呼び出し音が鳴り続ける。
「…………出ねぇ!!」
30秒ほどコールしたところで諦めて電話を切る。
もともとこちらからの電話には碌に応答しない奴だったが、改めてこの窮地で反応が無いとこいつも共犯者なんじゃないかと錯覚しそうになる。
畜生薄情者め、いつかお前が殺されそうになっても絶対電話には出てやらないからな。
「……くそ、他に誰か、今から電話してもすぐに来てくれるような奴は……」
電話帳やLINEの記録を見ながら必死で候補を探し続ける。
普段キッペーとばかりつるんで他の友達とはあまり遊んでなかった交友関係の狭さが、まさかこんな形でツケとして回ってくるなんて――
「拓真くーん?」
不意に2階から聞こえてくる声に背筋が張り詰める。
まずい、今あいつにここまで降りて来られたらお袋が居なくなったのがバレてしまう……!
「ちょ、ちょっと待ってろ鳴神! 今そっちに行くから!!」
慌てて居間を飛び出して階段へと向かう。
角の踊り場まで上がったところで階上を見上げると、そこには今まさに2階からこちらに降りようとしている鳴神の姿があった。
「あっ――」
思いがけず鉢合わせたせいか、彼女は呆けた声を挙げてその場に立ち止まる。
可愛らしいフレアスカートからは健康的な太股が無防備に曝け出されて。
そしてその頂点にある薄桃色の逆三角形が、天井の照明をバックにくっきりと影を浮かび上がらせていて。
その形が、色彩が、階下の俺からは彼女が意識しているよりも遥かに鮮明に見上げる事ができて――
そんな夢のような光景に見惚れる暇もなく、俺は彼女が階段を下りようとするのを片手で必死に押し返すような身振りで制する。
「ど、どうした、鳴神?」
「あっ……えっと、ゲームで遊ぼうと思ったんだけどケーブルを忘れちゃって、拓真くん家にあるかなーって……」
「お、おう、部屋にあるぞ? ほら、戻った戻った」
片手から諸手に増えた俺のジェスチャーに素直に従い、鳴神はスカートを押さえながらくるりと振り返る。
あんなゲームやこんなゲームであれば次の展開への期待が膨らむ場面なのに。
今の俺には次の展開が来ない事を祈り続ける事しかできなかった。
・
「……それで拓真くん、家系図は見つかったの?」
「あ、い、いや……お袋が探してみるから、部屋で待っててくれって」
「ふーん……」
そんな空虚なやり取りを交わしながら、俺と鳴神は無事接続が完了したゲームで黙々と遊んでいる。
とりあえずはこいつをここに繋ぎとめる事ができたものの、このままお袋が帰ってくるまで二人でカートを乗り回し続けられる保障は、居間で家系図を探し回るイマジナリーマザーの存在をこいつが信じ続けてくれる保障はどこにもない。
(くそ……キッペーが電話を折り返してさえくれれば……)
無言を貫くスマホに念じるあまり俺自身も口数少なくなってしまう。
室内にはしばしば沈黙が流れ、鳴神はコントローラーを握りながら落ち着かない様子で身体を揺らしている。
……まずい、このままではバツの悪くなった彼女が居間に降りてお袋の手伝いをしようとか言い出しかねない。
頼む、キッペー……この場を打開してくれ……!
《――~~♪》
(――来たっ……!)
俺にとっては福音とさえ思える着信音に即座に反応し、コントローラーを投げ出しながらベッドの上に置かれていたスマホに飛びつく。
しかしその音は福音などではなく。
受話口から聞こえてきたのは天使の声ではない、俺を更なる窮地へと陥れる声だった。
『もしもし、拓真ー? お楽しみ中ごめん、ちょっといい?』
「――んなっ……!? おふく……」
思わず最後まで言いそうになるのを懸命にこらえる。
電話の相手がお袋である事が鳴神にバレたら、居間にいるはずのお袋からの電話である事を感付かれたら、即ちお袋が家に居ないという事が彼女にバレてしまう。
「ど、どうしたんだよ」
『いや、あたしもしかしたら鍋に火をかけっぱなしで家を出ちゃったんじゃないかと思ってさー。ちょっと確認してくれない?』
「あ、あぁ、いや、多分大丈夫、だと思う」
『んー?なんか声小さくて聞こえないぞ、どしたー?』
何とか最低限のやり取りで用事を済ませようとする俺の意図は無情にも通じず、お袋はトーンとテンションを更に上げて受話口の向こうから話し掛けてくる。
ご親切にも鳴神がポーズを掛けてくれたおかげでゲームの音楽はストップし、室内には俺の不自然な応答だけが響き続ける。
「……だから、大丈夫だって! ……見たから!」
「……あぁ、 あぁ! わかってるって……!」
「……なに言ってるんだよ……! もう、きるぞ!」
逃げるように通話を終えて振り返ると、コントローラーを床に置いて不思議そうに俺を見つめる鳴神と目が合い、反射的に目を逸らしてしまう。
「誰から?」
「……いや、その……キッペーからだった」
「ふーん……」
こちらを見つめ続ける鳴神と目を合わせられぬまま、俺はスマホを置いてベッドから立ち上がろうとする。
……大丈夫だ、再びゲーム機のそばに戻って、コントローラーを取って、そしてゲームを再開すれば何事もなくごまかせる――
「キッペー君、そんなに高い声じゃないよね?」
突如跳びかかってきたそいつに両肩を掴まれ、
俺はそのままベッドの上に押し倒された。
「――っが……っ!!」
すぐさま首を絞めようとする鳴神の両腕を懸命に押さえる。
男女の力の差は体勢の優劣で相殺され、互いに譲らぬまま拮抗状態が続く。しかし少しでもこいつの両手が俺の首に掛かればその拮抗も一気に崩れるだろう。
「おい、やめろ、鳴神! 下にはお袋が――」
「居るの? でも、今の電話おばさんからだったんでしょ?」
頼みの綱のブラフはあっさりと見破られ、ショックで力が緩みそうになるのを懸命に堪える。
「ち、違う、お袋からなんかじゃ――」
「だって受話口から女の人の声が漏れてたもん。なんで『キッペー君からだ』なんて嘘ついたの?」
「い、いや、それは……」
「――おばさんから電話が来たのを隠したかったから嘘ついたんだよね?」
お袋を隠すためについた嘘が、皮肉にもお袋からの電話である事を名探偵に推理させる結果となってしまう。
かくして確信を得たこいつは腕の力を更に強め、その腕の切っ先は俺の喉元へと少しずつ迫っていく。
「ぐ、ぅっ……だいたいお前、今日はそんな事しに来たんじゃない、ってさっき言ってたじゃねぇか……」
「そのつもりだったんだけど、わたし、やっぱり我慢できない……ごめんね、拓真くん……?」
あんなゲームやこんなゲームで主人公があんな事やこんな事をする直前の白々しい台詞を吐きながら、鳴神はあんな事やこんな事を行おうと両腕の先端を俺の喉笛に触れさせる。
「く、そ……駄目だ、やめろ、鳴神……」
ヒロインがあんな事やこんな事をされる直前の台詞を吐きながら、俺はばたばたと両脚を動かして鳴神の身体を跳ね除けようと試みる。……が、腹の上に跨られ両太股でがっちりとホールドされた安定感・重量感抜群の肢体は到底バランスを崩しそうにない。
電話が掛かってくるか、お袋が帰ってくるか、あるいは部屋の窓を割って野球ボールが飛び込んでくるか……そんなアクシデントでも起こらない限りこいつの体幹が動じる事はないだろう。
(くそ……キッペーが電話を折り返してさえくれれば……)
無言を貫くスマホにもう一度念じるが、その願いは無情にも叶いそうにない。
薄情な親友を、自らの運の尽きを一笑に付そうとした俺は――ふと次の打開策を思い付く。
(……待てよ、この状況なら電話をするのは別にキッペーじゃなくてもいいのか)
相手はキッペーでもお袋でもいい、とにかく誰かから電話が掛かって来さえすれば鳴神はある程度は動揺するだろう。
――いや、それよりももっとこいつが動揺する電話相手がいる。そいつから電話が掛かって来る事はまずありえないが、こちらから電話する事ならできる。
スマホはベッドの上に投げ出されここからじゃ手も届かないが、この状態でも掛けられる電話相手がいる。
鳴神の両親指が首に完全に引っ掛かり、俺の喉笛を押し潰そうとした瞬間。
俺は祈りを籠めて叫んだ。
「――ヘイSiri! 110番!!」
果たして人間よりも敬虔な機械は俺の祈りに対して即座に応じ。
無機質な電子音と共に画面に光を、息吹を宿らせていく。
《スピーカーフォンで緊急通報用の電話番号に電話をかけます。 3、2、1――》
淡々と発せられた合成音声と画面に表示されたカウントダウンの文字が。
驚きのあまり目を見開きやがったあいつに、まだ俺のルートのエンディングが確定していない事を性急に突き付けてやっていた。




