第8話「自宅で殺される」(2/5)
「それで拓真くん、どうする?ゲームする?」
俺の劣情もよそに呼吸と体温を落ち着かせた鳴神は、ショルダーバッグの中身をごそごそと漁りながら無邪気に問い掛けてくる。
確かに彼女とカートを乗り回すのも魅力的な提案であるのだが、まずは本命の用事を済ませて、その上で殺される心配も無いと判断できてからでも遅くはあるまい。
「いいか、下にはお袋もいるし、もし変な事したら大声で叫んでやるからな」
「むー、信用ないなぁ……今日はそんなつもりで来たんじゃないってば」
少しふくれながら彼女はバッグの奥へと腕を伸ばし、手探りで探し当て――そしてゆっくりとそれを取り出した。
「それ、か……」
鳴神の手に納まる大きさのその巻物は、装丁や留め紐こそ色褪せているものの目立った損傷はなく、鳴神家の書物として大事に扱われている印象を感じた。
彼女もそれを誇りに感じるのか、謎のドヤ顔を浮かべながら留め紐を丁寧にほどき、そして外見と同じように汚れや損傷のほとんど目立たない中身をちらりと見せてくる。
「どこか巻物を広げられるところあるかな。 床……は椅子や足で踏んじゃいそうだし危ないかな」
「机の上はちょっと狭そうだし……ベッドの上でいいか」
「うん!」
頷きながら彼女はベッドの上から降り、こちらに背を向けるように床に膝立ちになりながらベッドの上に巻物を広げる。
「ここから鳴神家の文字が書いてあって、剣菱家の文字は確か……あった! ほら、ここ!」
こちらを振り向きながらうきうきと巻物を指差す鳴神に釣られるように、俺も椅子から降りて彼女の右隣に膝立ちになる。
途端、ふわりとした柑橘系のような香りを彼女の近くから感じ鼻をくすぐる。
「鳴神家の事はお父さんの名前まで書いてあるんだよね。剣菱家の方はどう?」
「い、いや、爺さんの名前も書いてないみたいだな」
「そっかぁ……でも剣菱家のこの人と鳴神家のこの人が線で繋がってるんだよね。お父さんから何代先になるんだろ? いち、に、さん……」
「――~~っっ!!」
鳴神が自分の先祖を指で辿りながら身体を右に寄せるたびに、右隣に居る俺との距離がどんどん狭まり、彼女の体温と爽やかな香りもどんどん強く感じられていく。
いくら女の子とは言えここまで良い匂いがするものなのか。このままこいつの先祖を辿っていけばそのうち「オレンジ」とでも書かれてるんじゃないか??
「ちょ、ちょっと待て鳴神、 近い、近い――」
「……じゅういち、じゅうに、じゅうさん……」
「おい、聞いてるか、なるかみ、おい――うわぁぁっ!!」
そのまま鳴神に右肩を密着され、熱心に数える彼女を押し返すわけにもいかず押されるままとなった俺は、最終的にベッドの隅に転がるように押し出されてしまった。
「――って、ごめん! 拓真くん、大丈夫!?」
「い、いや気にすんな。 それで、何代先で繋がってたんだ?」
「……えーっと、驚いてどこまで数えたか分からなくなっちゃったけど……多分15代先くらい、かな?」
彼女の照れ笑いに対して小さく溜息をつきながら起き上がり、線で繋がった剣菱と鳴神の文字を見つめる。
約15代先と言うとだいたい300年前くらいだ。そんな遥か昔とは言え、俺と鳴神の血が繋がっていると考えると不思議な縁を感じて――
「……? いや待て鳴神、これって……」
「ん?」
ふと気が付いた俺が巻物の上端を指差し、釣られるように鳴神がこちらに身体を寄せてきた瞬間。
「拓真~! お菓子持ってきたわよー!!」
けたたましい音と共に部屋のドアが蹴飛ばされ、デリカシーの欠片もないお袋がお盆いっぱいに盛られたお菓子を持って現れた。
「ちょっ……ノックぐらいしろよ!」
「あれあれ~、そんなぴったり近付いちゃって、もしかしてお邪魔な時に来ちゃったかしら~?」
「そんな事ねぇよ!ただこれを二人で見てただけだよ!」
「でもそんな事言いながら拓真は別のところを見てたんでしょー?」
「あぁもう、いいからお菓子置いてさっさと出てってくれ!」
「はいはい、机の上に置いておくわねー?」
ニヤニヤと笑いながら机の上にお盆を置いたお袋は、そのまま帰るかと思いきゃ俺とお袋の言い合いをキョロキョロと眺めていた鳴神の方に向き直す。
「うるさくてごめんなさいねぇ。拓真の母の茜です、狭い部屋だけどゆっくりしてってね」
「うぇ、えっ……母……っ??」
少し大袈裟にぺこりとお辞儀するお袋に対し、鳴神はわたわたとお袋の方を向き直しながら正座で深々とお辞儀を返す。
「あっ、そ、その……鳴神もみじと言います、よろしくお願いしますっ!」
「鳴神……なるかみ…………あぁ~~!!」
――やばい、気付かれた。
「うん、拓真をよろしくね、鳴神さん! 何ならおばさんに構わず――」
「あーはい終わり終わり!お時間ですお客様お帰り下さい!」
「えー、お母さんもっと鳴神さんとお話したいなー。ほら、あの日の事とか――」
「ああぁぁもう出てけ! 今日はもう閉店!閉店でーす!!」
食い下がるお袋の背中を無理やり押して部屋から追い出し、後ろ手でドアを閉めながら溜め息をつく。
――2週間ちょっと前、下校時に鳴神に殺されかけて抵抗したあげく警察沙汰となったあの日の夜。
「仲の良い男女による公共の場における不純異性交際未遂」と言う報告を警察から受けたお袋は、へとへとで帰宅した俺に対し嬉々とした表情で詳細を問い詰めて来やがった。
『相手が嫌がったわけではないのよね? ……ないのね? ならいいじゃない! 何ならその鳴神さんをお母さんにも紹介しなさい!』
警察沙汰になった事も気にせず我が子に春が来た事を勝手に喜んだお袋は、その相手である鳴神もみじに会える事を勝手に楽しみにしていた。
こいつがその鳴神もみじである事にもう少し早く気付かれていたら、お袋は菓子でなく菓子折りを部屋に持って来ていたかもしれない。危ないところだった。
「……あー、悪いな鳴神。お袋が騒がせちまって」
「うぅん、気にしないで~。お母さんと仲がいいんだね、拓真くん」
そう言って笑う鳴神に対し、特に否定もせず頭を掻きながら座り直す。
女手ひとつで俺や妹を育ててくれたお袋には感謝こそあれ嫌悪の気持ちなど毛頭ない。さっきのやり取りも上辺だけの冗談である事はお袋にも伝わっているだろう。……多分。
「……と言うかお母さん、すっごく若いね……。玄関で会った時お姉さんだと思ってたから、母ですって言われた時にびっくりしちゃった」
「あー、良く言われるし本人も良く言ってるな。あれでもアラフィフ一歩手前なんだが」
「――嘘ぉ!? 30代、と言うか正直20代にも見えるよ!?」
「お袋が20代だとしたら……えーと、中学生の頃に俺を産んだことになっちまうな?」
指折り数えて計算する俺に対して笑いつつも、鳴神は驚きと感心の表情を崩さない。
このやり取りは男友達が俺の家に来るたびに何度もやってきた気もする。
まぁ正直なところ、俺から贔屓目なしに見てもお袋が実年齢とは分不相応にやたら若く見えるのは確かではある。
『実を言うと勤務先では結構モテるのよ~!』
自宅でほろ酔いになるたびにそう自慢しているのもあながち嘘では無いのだろう。
そんなにモテるならさっさと再婚して俺や妹を安心させてくれ。
「……それで何だっけ、拓真くん? 何か気付いたの?」
「あー、いや、鳴神……この巻物ってもしかして、家系図じゃないんじゃないか?」
「え?」
きょとんとする鳴神に示唆するように、俺はもう一度巻物の上端を指し示す。
そこには剣菱と鳴神の苗字を繋ぐ線とは別の線が、二つの苗字の上から伸びて真っ直ぐ別の苗字へと向かっている。
「この線、一番右の方まで伸びてるね。えっと……藤堂?」
「右端にある藤堂って苗字のところから色んな苗字の家系に線が伸びてるな。鳴神の手前には藤原や藤崎って苗字もあるし、剣菱の後ろには一ノ瀬とか二ノ宮とか……なんだこれ?読めないが他の苗字も色々ある」
ベッドの端まで到達するほど巻物を広げながら、俺は幾種類にも書かれた苗字を読み上げていく。
「女の人が結婚して苗字が変わったんじゃないの?」
「それにしてはどの名前も男の名前ばかりだろ。そもそも家系図にしては女の名前が全くと言っていいほど見当たらない」
「ってことは、この巻物って……」
「多分だけど藤堂さんっていう殿様が率いてた組織の系統図なんじゃないか?鳴神のところは忍者なんだし、この組織図が今でも大事なんだろ」
俺の説明に対して、彼女は合点が言ったような未だ納得できないような、複雑な面持ちで考えるように上体を反らせる。
「うーん……それじゃ剣菱家のこの人と鳴神家のこの人が線で繋がっているのは何だろう?」
「その代の時に同期だった、って意味なのかもな。それこそ鳴神の親父さんに聞いてみればいいんじゃないか?」
「ん~……まず怒られちゃいそうだけど、そうしてみる」
ポニーテールをへたりと垂れさせる鳴神を横目で見ながら、俺はやれやれと言った様子で巻物を片付ける。
俺と鳴神が遠い親戚であると言う説は外れたが、俺と鳴神の祖先は同じ主君の下に仕えていた事があったらしい。
だと言うのに子孫は殺し合うハメになってるとか、ご先祖様が知ったら泣くぞ?
「……それにしても藤堂か。 ……藤堂、ねぇ……」
「どうしたの?」
「いや……」
巻物を紐で束ねながら、むかし婆さんの家に遊びに行った時の事を思い返す。
同じ未亡人同士お袋と婆さんの話がやたら盛り上がってた記憶があるが、その中で婆さんが「藤堂家」って言葉を何度も話してた気がする。
後は何か古い本みたいなのを詰めた箱をお袋が受け取っていたような……。
「……鳴神、もしかしたら俺んちにも似たような系統図があるかもしれない」
「ほんと!? 見てみたい!」
「まだあると決まったわけじゃないけどな……ちょっとお袋に聞いてみるから、部屋で待っててくれ」
「うん!」
鳴神をひとりこの部屋に残すのも気が引けるが、俺は心を鬼にして彼女に留守番を命じる事にした。
だいたいこいつと一緒に居間に降りたら、それこそお袋にどんな顔して迎えられるか分かったもんじゃない。
「椅子に座ってていいから、適当にお菓子でも食いながら待っててくれ」
「うん!」
「……それと、本棚とか押し入れの中とかは詮索しないように」
「うん! ……うん?」
不思議そうに頷く彼女を見て早くもひとりで留守番させる事に不安を覚えつつ、俺は部屋を出て居間へと向かった。
・
居間に入るとお袋が室内を歩き回りながら電話で話していた。いやに真面目な声のトーンを聞くに、恐らく仕事先からの電話だろう。
目線と手振りで「ちょっと待っててね」「構わないよ」のやり取りを済ませた後、ソファーに座りお袋が通話を終えるのを待つ。
「…………。」
ソファーに身体を埋めて、お袋の声と時計の針の音を聞きながら。
俺はふと、テレビの横に置かれた写真立てに目線を移す。
まだ6歳のガキだった俺を中心に、左にはぎこちない笑顔の親父が、右には妹を宿したお腹を撫でながら満面の笑みを浮かべたお袋が写っている写真。
――四人全員が写っている、唯一の家族写真。
「うん、うん。 ……あー、それはちょっと大変だねぇ……」
笑顔で電話応対を続けるお袋の姿は、写真の中で笑っているお袋の姿と比べても全くと言っていいほど変わっていなかった。
まるで親父が死んじまったあの日から時が止まっているんじゃないかと錯覚するくらいに。
お袋は、この写真の頃から全くと言っていいほど変わっていなかった。
「ごめんね拓真。どうしたのひとりで?」
やがて通話を終えたお袋が、写真と同じように笑顔で語りかけて来る。
「あー……いや、ちょっと相談事があってな」
「何?どうすれば鳴神さんと一線越えられるかアドバイスして欲しいの?」
「ちげーよ!! 実は……」
俺は自室で鳴神とやり取りしたいきさつと、婆さんの家に行った時の記憶を話す。
最初は何の話か合点がいかない様子のお袋だったが、やがて当時の記憶に辿り着いた様だった。
「……確かにだいぶ前に義母さん家に行った時にそんなのを預かったような覚えもあるわね。義母さん、私はもう後先短いからあんたに託すわーとか言ってた気がするなぁ」
お袋なみに若作りでピンピンしてる癖にどの口が言ってるんだあの婆さんは、と思いつつお袋が記憶を辿るのを邪魔せず黙って聞き続ける。
「あれどこにしまったかなぁ……全然覚えてないけど、多分庭の奥の倉庫にしまったんじゃないかな? あたし、大事そうなものはとりあえずそこにしまってるし」
庭の倉庫……確かここの土地の以前の持ち主が作ったとかいう、石造りの立派な倉庫だ。
あまりに立派なので取り壊さずに残しておこう、と親父が提案したらしいが、結局ほとんど使われる事なく何が入っているかすら分からない状態で放置されている。
「でもあの倉庫、鍵もかなり立派なのが掛かってたよな? 俺、あそこの倉庫の鍵が開いたの見た事ないぞ」
「そうそう、倉庫の鍵がどこにあるかも思い出さなきゃいけないんだけど――」
そこまで話して、お袋は言葉を一旦止めて。
「――ごめん、倉庫の事は後でいいかな? 母さん、これから会社に行かなきゃならないの」
お袋は俺にとって絶望的な宣告を下した。
「……え、え? でも、お袋、今日は会社休みじゃ……」
「そうなんだけどたった今呼び出されちゃってねぇ。どうも部下ちゃんがヘマやらかしたみたいで」
頼れる上司は辛いわー、みたいな顔でお袋はてきぱきと仕事着に着替える。
何とかして止めたいところだが、女手ひとつで俺や妹を育ててくれたお袋の仕事を他ならぬ俺が邪魔するわけにもいかない。
「多分夕方頃には戻ってこれると思うから、それまでは鳴神さんとゆっくり過ごしてても大丈夫よ、頑張りなさい?」
素敵で下世話なウインクを年甲斐もなく放ちつつ、お袋は颯爽と家を出ていってしまう。
しっかりと外から施錠する音も聞こえ、後には俺と鳴神だけがこの家に残された。
「…………。」
鳴神を2階の自室に残したまま、1階の居間でひとり鼓動を速める。
まるで俺がプレイしたあんなゲームやこんなゲームと同じ状況だ。
ヒロインを家に招いて、主人公の親がしばらく家を離れて、主人公とヒロインが二人きりとなって、誰も二人の行為を邪魔する者は居なくなって――。
そんな心躍る状況が、思春期の男子の誰もが夢見た状況が、今まさにこの屋根の下で実現している。
このまま流れに任せれば、俺はめでたくエンディングを迎えられるだろう。
――たったひとつだけ、あのゲームと違うのは。
俺が命を宿させる側でなく、命を消される側であると言う事だった。




