第6話「ハニー・トラップで殺される」(1/2)
『拓真、今日はここで泊まっていこうね』
――泣き腫らした顔のまま、お袋がそう言っていたのを覚えている。
10年前。
警察から電話で呼ばれたお袋は、身重の身体を抱えて、まだ6歳のガキだった俺を連れて事故現場へと向かった。
その先の記憶は断片的にしか残っていない。
山中の現場で燃え上がる救急車の残骸。
真っ赤に重なるパトカーや消防車のサイレン。
警察署で事情聴取を受けるお袋の後姿。
そして警察の人の厚意で泊めてもらった、仮眠室か何かの天井。
まだガキだった俺はなんでお袋が夜まで警察と話をしているのか、なんでお袋が泣いているのか良く分からなかった。
早く家に帰って親父と遊びたかったけど、そんな我儘を言うとお袋がもっと泣きそうな気がしたのでぐっと我慢して、無理やりに目を閉じて眠った。
――親父と二度と遊べなくなった事を知ったのは、それからしばらく経ってからの事だった。
そんな当時の気持ちを思い出してしまうから。
俺は自宅の部屋とは違う、見慣れぬ天井を見ながら眠るのが嫌いだった。
・
「――っく……。」
嫌な思い出と、最悪の体調を纏いながら目を覚ます。
視界に入ったのは、あの時と大差ない見慣れぬ天井だった。
「あら~、 拓真くん、目が覚めた~?」
いつものようにぽけぽけとした言葉を聞き、自分が寝ているのが先週もお世話になった保健室のベッドの上である事に気付く。
全身の痺れはいまだ続いているが、辛うじて動く両手で自分の腹部を撫で、そこに大きな穴が開いていない事を確認し安堵する。
「花崎先生、その……楠木と山田は?」
「二人なら鳴神さんと三人でついさっき理科室に行ってくれたわよ~。剣菱君の代わりに消毒液を運んで来てくれるって」
「あぁ……そうか。 すみません先生、頼まれたのにお役に立てなくて」
「いいのいいの~。元はと言えばあの子達が悪いんだし」
何でも花崎先生がお手洗いに向かう途中、別作業に駆り出されていた科学部の顧問の先生に偶然鉢合わせたらしい。
そこで『理科室で剣菱君を待っていたのではないか』『こっちの作業に呼ばれたので部長に任せて理科室を出てきた、消毒液は既に準備してある』『だとしたらこんなに待っても剣菱君が戻って来ないのはおかしい』……と言うやりとりがあり、心配になって理科室へ向かおうとした矢先、死にかけの俺を担いだ鳴神、キリカ、楠木の三人と廊下で出くわしたとの事だ。
「鳴神さんとだけじゃなく三人とプロレスごっこをして、そのまま階段を転げ落ちるなんて……たまたま当たり所が良かったからいいけど、下手したら死んじゃうわよ~?」
ほぼ間違いなく鳴神が通したであろう言い訳を真に受けて叱る花崎先生に対して力無く苦笑する。
何で俺は先生のお使いを放置してプロレスごっこで遊んでいた事にされてるんだ。そしていつまで初手プロレスごっこデッキを使うつもりだ鳴神、いい加減他の言い訳カードの構築も検討してくれ。
「それにしても女の子三人とプロレスごっこで遊ぶなんて人気者ね~、剣菱君」
「ははは……いやまぁ、はい」
俺が寝てるベッドに近付きながらぽけぽけと笑う先生に対し、もはや否定する気力も起きず更に苦笑を強める。
実際しているのは女の子三人とのプロレスごっこだが、まぁ当たらずも遠からじって感じだろう。
「それで、剣菱君は誰が一番好きなの~?」
いつものようにぽけぽけとした口調で話しながら、花崎先生はベッドの端、寝ている俺の腹部付近に腰掛ける。
ぎしり、と軋むベッドの音が、いつもと同じはずの先生の口調に、表情に心なしか緊迫感をもたらしている。
「……え、いや、あの子達とはそんなんじゃないっすよ。 ただの友達で……」
「普通の男の子はただの女友達とプロレスごっこなんてしないのよ~~??」
まったくもってド正論な言葉にそれ以上の反論をいきなり失ってしまう。
畜生おぼえてろ鳴神、次にこのクソデッキを使われても完璧に穏便に言い訳できるよう、今度メタデッキを構築してやる――
「――本当にあの子達はただの女友達なのかしら?」
心なしどころじゃない、明らかに緊迫感を帯びた花崎先生の声色に震えが走る。
震えが走ったのは精神的な意味ばかりじゃない。
――ニコニコと微笑む先生が、右手を布団の中に潜り込ませて俺の左脚の太股を内側から撫で回している。
仔猫をあやすような手つきによって、肉体的に強制的に震えを走らさせられてしまう。
「……あ、あ……いや、そう、です……よ?」
「嘘。 吉平君ならともかく、拓真君がただの女友達とプロレスごっことやらをするほど不真面目で不謹慎だとは思えないわ」
太股に纏わりつく仔猫をあやすような手つきが、少しずつ早く強くなりながら少しずつ上へ上へと昇っていく。
俺の太股の根本へ、根源へと侵略しようとするその魔の手から逃れようと全身を毛虫のように動かすも、すぐに頭がベッドの端に当たりあっさりと逃げ場を失ってしまう。
「い、いやぁ……俺もキッペーと大差ないし、女友達とプロレスごっこくらいは……」
「――じゃあ、先生ともする?」
その言葉の意味を反芻する間も無く、花崎香は右手で俺の左太股を掴んだまま、上半身を俺の胸元へと大きく倒れ込ませてきた。
(――んふぅ――……っ!!)
瞬間、胸元に圧し掛かる圧倒的な弾力と共に、香水の香りに僅かな酸味の混じった匂いが顔中を包む。
『花崎先生、いつも良い香りだよな』
『一番前の席の奴はあの香りをいつも嗅げるとか羨ましいよな』
『……それにデカいよな』
『あぁ……いつ見てもデカいな』
いつしか親友と交わした会話を思い出す。
そして今まさにその匂いとデカさを図らずも独占してしまっている事実に、俺の精神と肉体は再度震わされてしまう。
「あのぽけぽけした先生がこんな事をしている」と言う困惑が、「あの良い香りでデカい先生がこんな事をしている」と言う興奮によって塗り潰されてしまいそうになる。
「……っ、う、 花崎先生、やめて……」
右腕を俺の左太股に、左腕を俺の首筋に回し、固め技の真似事をするように全身を密着させる彼女に対して必死に理性を振り絞りながら制止を促すものの、彼女は一向にベッドの上の蛮行を止めようとする気配は無い。
「拓真君、プロレスごっこはそんなに強くないのね。本当にいつも彼女達とこんな遊びをしていたのかしら?」
そればかりか、彼女はその整った顔を、素敵な香りと匂いを耳元に近付けて。
「――それとも、彼女達とは別の遊びをしていたのかしら?」
俺が隠していた核心に裸足で踏み込んで来た。
「……あ、いや……」
「プロレスごっこなんて嘘。 拓真君、彼女達に虐められているんでしょう?」
「…………。」
虐められている……完全な正解ではないもののニュアンスは極めて的を射ている。
思わず言葉を止めてしまう俺に対し、彼女は太股を撫でまわす右手を更に上へと移動させていく。
「――ね。 先生、拓真君に相談してほしいの」
彼女の右手は俺の太股の内側、その頂点へと遂に達して。
「先生これでも大人だし、拓真君が困っていたら力になってあげられると思うの」
その更に上、情けなくも既にその右手を阻むようにそびえ立っている頂へとピアノを弾くように昇っていく。
「だから、ね? 本当の事を言って?」
「そうすれば先生、虐められてきた拓真君のストレスをここで和らげてあげるから」
「――今だから言うけど、先生、拓真君の事は特別に思ってたの。 だから、先生、何でもしてあげるから……」
潤ませた瞳を間近に寄せながら、こちらが少し口を突き出せば触れてしまいそうな距離で瑞々しい唇を流暢に動かしながら。
香さんは頂まで登りかけた右手を腹の上まで下ろし、そのままズボンとトランクスの隙間へと潜り込ませ――そして、頂の麓の直前でぴたりとその手を止めた。
「……っ、 香……先生……っ」
目の前に差し出された果実を食べさせてもらえないもどかしさに、食べてくれないもどかしさに思わず彼女の名前を呼びながら身体を震わせてしまう。
言うまでもなくこれは「本当の事を打ち明けてくれたらこれ以上の事をしてあげる」と言う香さんなりの駆け引きだ。
だがしかし本当の事を打ち明けたら鳴神達三人を裏切る事に……
(……いや待て、別に裏切っても問題は無いんじゃないか?)
よくよく考えたら鳴神達三人を裏切る事によるデメリットは「より殺されそうになる」事だけだ。
そんなもん今更デメリットでも何でもないし、何なら信頼できる大人に現状を話す事で状況が好転する可能性まである。
後は「香さんに虚言癖だと思われかねない」と言うデメリットもあるにはあるが……。
そもそもそんな些細なデメリットよりも「香さんにストレスを和らげてもらえる」と言う、キッペーはじめ全男子生徒が羨む圧倒的なメリットの方を俺は選ぶべきじゃないのか???
「……わかりました、香さん……話させてください、そして癒してください……」
かくしてコールドゲームであっさりと心の天秤が傾き切った俺は、香さんに寄り添われながら現状を打ち明ける事に決めた。
「うん……もちろん……♪」
香さんは満足気に俺の首筋に顔を寄せ、既に完全にめくりあがった布団をよそに全身を俺の胸板に圧し掛からせ、そして右手の指を幹と麓の側でトントンとリズミカルに叩き続ける。
その刺激と匂いにもはや本能は我慢の限界を超えて、一刻も早く癒しを求めて、たまらず俺は話の核心から話し始めた。
「……最初は、鳴神もみじでした……」
「うん」
「彼女が転校してきた初日、俺は彼女を案内して、そして旧校舎に行って……」
「……うん。 続けて……?」
麓に右手が添えられる。
――もう駄目だ、ここまで来たら全てを、早く全てを話すしかない……。
「机を並べていた俺の後ろから、鳴神が急に――」
「――ちょっと待ったぁぁ――――っっ!!!」
けたたましい叫び声とドアが開け放たれる轟音と共に殴り込んで来たのは三人のお邪魔虫。
俺や香さんの目論見よりもかなり早く戻ってきた彼女達は、女性が運ぶには少々きつそうな重さの荷物を丁寧に下ろしつつ凄い剣幕でこちらに詰め寄ってくる。
「……って、って言うか! 何やってんのよあんた達!! 校則違反、校則違反よ!? 不純異性交遊よ!?」
キリカは顔を真っ赤にしながら俺に向かってわちゃわちゃと抗議し、
「……私だけでなく花崎先生にもそんな事をするとはな」
楠木は俺に向かって静かに非難の視線を向けて、
「……――♪」
鳴神はいつものようにニコニコと俺を見つめていたが、
正直なところ俺には鳴神が一番恐ろしく見えた。
そんな三人の様子に全く動じる事なく。
「あらぁ~……お帰りなさい、思ったより早かったのね~?」
ベッドから身体を起こした花崎先生は。
いつものようにぽけぽけと三人を出迎えるのだった。




