第5話「ハーブティーで殺される」(3/3)
(あ……、え……?)
挿す側だと思っていたのが突然刺される側だと認識させられ、俺は半裸で動けないまま絶望と困惑の狭間を行き来し続ける。
そんなまさか、同じ学級に3人も殺人鬼が居るなんて事が、その3人とも俺の命を狙っているなんて事がたった今まさに実際に起こっているなんて事は――
「君が来ると分かっていればもう少し楽に殺せる猛毒を用意できたんだが、今は神経毒しか用意できなくてな……怖いだろうが辛抱してくれ」
起こっていた。今はっきりと「殺す」と言う単語が聞こえてしまった。
(……畜生)
身動きが取れぬまま、我が身に降りかかる理不尽と暴力に対する悔恨の想いに苛まれる。
……何で俺ばかりこんな目に遭わなくちゃならないんだ。
女の子に好かれたと思ったら殺人鬼で、落とし物を女の子に返そうとしたら殺人鬼で、あまつさえ今日はただの雑用を済ませようとしただけなのに出会ったのが殺人鬼で――
「あまり派手に血を流すと排水が追い付かないから、なるべく最低限の解剖で臓器を取り出すからね」
言いながらそいつはマジックペンで俺の腹に切断予定の場所を記していく。
俺の嘆きとは裏腹に、こいつは俺の処刑の段取りを淡々と進めていっている。
(畜生、なんでこいつは……)
なんでこいつは、こんなにも冷静なんだ。
下着に白衣1枚と言う扇情的な姿も単に返り血で制服を汚さないための理性的な処置で。
半裸にした俺の姿も単に効率的に内臓を抉って殺すための理性的な処置で。
まな板の上の鯉のような俺を前にして任務達成の高揚感も殺人を控えた恐怖心もなく、まるで日常の出来事のように、彼女は淡々と――
「――ふざけんなぁぁ――っ!!!」
最初の殺人鬼に殺されかけた理不尽――その時とは似て異なる理不尽に対する叫びと共に、俺は身体に取り付くそいつの全身を跳ね除けるように全力で起き上がった。
「――え……っ」
予想だにしなかった出来事に対し呆けた声を挙げながら、そいつは大きく棚に背中をぶつけ、その勢いで崩れ落ちた棚の上の書類や段ボールが彼女の上に圧し掛かる。
――いや、と言うか俺自身も予想外だ、引きずられている間は全く動かなかった身体がいつの間に動くようになったんだ?
いやしかし身体が動いた以上、彼女に殺される理不尽を回避する為にはとにかく逃げるしかない。
「ま、待て! ――くそ、熊の捕獲にも使われてる神経毒だぞ、なんで動ける!?」
思いのほか物騒な薬を盛られていた事に戦慄しつつ、箱や棚の瓦礫にまみれたそいつを置いて洗浄室を飛び出す。
そのまま倉庫を抜け、理科室を抜けて廊下まで辿り着けば他の生徒に見つけてもらえる可能性はぐっと上がるはずだ。
――だが、やはり身体は思うように動かない。
このまま全身を引き摺って逃げ続けても、恐らく倉庫を抜ける前に瓦礫を抜けたあいつに追い付かれてしまう。
(――ぐっ………っ!)
俺は倉庫を抜けるのを諦め、咄嗟の判断で倉庫の最奥、不気味に立ち並ぶ人体模型の陰に滑り込むように隠れる。
「――くそっ! 待て、剣菱――っ!!」
程無くして瓦礫から脱出したあいつが洗浄室から出てきて。
「――っ!! ――……!」
……そのまま、脇目もふらず倉庫を抜けて隣の理科室へと消えていった。
(……ふぅ……)
暗幕のカーテンが閉められた薄暗い倉庫に静寂が戻る。
ひとまず殺人鬼の追跡をやり過ごす事ができたが……このままここに潜み続けていても、いずれは廊下まで飛び出したあいつが辺りをある程度見回し、「標的は廊下までは逃げていない」と判断し、そしてここまで戻って来たあいつに見つかってしまうのがオチだ。
かと言ってこの不自由な身体でこの倉庫を飛び出し、戻って来るあいつと鉢合わせるリスクを掻い潜りつつ廊下まで脱出し切るのも現実的ではない。
(あとは、頼れるのは……)
文字通り震える手でズボンのポケットからスマホを取り出し、LINEを起動する。
表示されたのは先程つれない返事を送った友達二人とのグループ通話の画面。
(……くそ、指が震えてボタンが……)
まだ、室内は静寂が続いている。
しかし『たすけて』と入力しようとしたフリック入力は、
手元と視界が歪んで『たさかね』と送信されてしまう。
幸いにもすぐに既読マークが1件着いてくれて鳴神かキリカのどちらかにSOSが読まれた事が分かるが、このままではそもそもこれがSOSなのかどうかすら相手に伝わらない。
(……まだ、あいつが戻って来るまで時間がある……落ち着いて……)
祈りを籠めるように1文字1文字フリック入力を行い。
『りかしつ』
の4文字を、かろうじて送信したところで――
入口のドアを開く音が室内に響き、
あいつが戻ってきた。
(くっ……)
暗い室内でこれ以上スマホを操作していたら明かりによってこちらの居場所がバレてしまう。
俺はこれ以上の通信を諦め、祈るようにスマホをポケットの中にしまった。
「…………。」
楠木すみれは小瓶とガーゼを手に、薄暗い室内を注意深く見まわしている。
恐らくあの小瓶はハーブティーを淹れる時にあいつが理科室の戸棚から取り出していた、そして俺向けのハーブティーに混ぜられていた神経毒の詰まった小瓶だろう。
あいつに見つかり次第、俺は不自由な身体で満足に抵抗もできずにあの神経毒を直接吸わされ、今度こそ完全に身動きが取れぬまま洗浄室に連れ込まれるのがオチだ。
(……鳴神、キリカ……どっちでもいい、ここに来てくれ……)
もはやこの場所からこれ以上逃げる事もできず、ひたすら息を潜めながら二人がこの場所に辿り着くのを祈り続ける。
あの二人と同じように同業者が抑止力となる保証は無いが……今この場所から救いを求められる存在は彼女達しかいない。
「…………。」
どくん、どくんと自らの鼓動が響く音すらも聞かれまいかと恐れる中。
「…………剣菱さーん」
わざとらしい、高めの声で俺の名前を呼びながら。
「どこですかー?」
あいつは倉庫の入口近くに並ぶロッカーをひとつひとつ開けて中を確認する。
「……いませんかー?」
ひとつひとつロッカーの中身を確認したあいつは、そのたびにロッカーの扉をわざと叩き付けるように閉める。
(――……っ)
何度も、何度も激しい金属音が室内にけたたましく響き、そのたびに緊張感と恐怖心で声が漏れそうになる。
……落ち着け、あいつは今俺が居る場所とは正反対の方向から捜索を始めている。
薄暗い倉庫内は思ったよりも広く、探索にはかなりの時間が消費されるはずだ。
その間に鳴神かキリカがここに来てくれれば、あとは彼女達が何とかしてくれるはず――
[ピロリン♪]
(――――っ!!?)
ポケットの中のスマホが聞き慣れたLINEの通知音を発する。
授業中は消音モードにして、放課後は消音モードを解除する……そんな無意識な操作が行われていたままのスマホが、恐らく二人のどちらかが俺のSOSに返信した事を陽気に伝えてくれる。
「――――っ♪」
――即座に、ぐるりと、あいつの首がこちらの方向を向いた。
冷や汗にまみれた手でスマホを消音モードに切り替えるが時すでに遅い。
「剣菱さーん♪ そちらですかー?」
白衣をはためかせながら、小瓶の中身をガーゼに何度も押し付けながら、あいつは笑顔で真っ直ぐこちらに歩いて来る。
その様子を標本の隙間から見ていた俺だったが、すぐにあいつと目が合う事を恐れ、背中を向けてうずくまってしまう。
「…………どちらですかー」
急にトーンが低くなった声が間近で聞こえる中、
全身を丸まらせて、震えを抑えながら必死に息を潜める。
あいつは標本が並ぶすぐ横、整然と並んだ鉄製のデスクを調べ始めた。
デスクに手を掛ける音が聞こえて、恐らく下を覗き込むような沈黙があって。
再びデスクに手を掛ける音が聞こえて、下を覗き込むような沈黙があって……。
「……気のせい、か……?」
さらにトーンの低い、唸るような声を最後に。
彼女の足音が遠くなっていくのが聞こえる。
(……助かった、か……?)
張り詰めた緊張を僅かでもほぐすように、小さく息を吐きながら丸めていた四肢を床に投げ出す。
後はこのまま鳴神かキリカが
「 み つ け た 」
目の前にそいつの顔が
「――うわああぁぁぁ――――っっ!!!」
悲鳴を挙げながら反射的に逃げようとした全身を抑え込まれる。
なぜ、どうして? 確かにこいつの足音は遠くなっていった、いやあれはそう見せかけてその場で足踏みしていただけだったのか、そして油断した俺が文字通り尻尾を出すのをじっと見ていて――
「むぐ――っ!!」
背後から抱え込まれ座らされるような形で全身を押さえ付けられたまま、問答無用でガーゼを顔に押し付けられる。
ハーブティーに少しずつ混ぜられていた時とは違う純度100%の神経毒。吸い込んだら一巻の終わりだ。
呼吸を止めながら必死に脱出の機をうかがうものの、痺れから回復し切っていない今の身体では女の子1人の力すら跳ね除ける事ができない。
(――くそ……っ! このままじゃ、息が……っ)
パニックに陥る脳が、拘束を振り払おうとする全身が急速に体内の酸素を消費していく。
だめだ、このままだと俺は完全に身体の自由を奪われ、そしてあの部屋にまた連れていかれて、メスで腹を、内臓を、血を、命を――
「――――拓真っ!!」
閉じかけのドアが勢い良く開き室内に陽の光が差し込む。
薄暗い室内に響くのはかつて俺を殺そうとした殺人鬼の声。
(――キリカ……っ!!)
叫ぼうとした歓喜の声は唇の痺れに、当てられたガーゼによって掻き消される。
楠木すみれは俺を抑え込んだまま、自らもキリカに見つからないように即座に息を潜めた。
「拓真! ……どこなの!?」
ガーゼで塞がれた隙間の視界の中、キリカがきょろきょろと室内を見回しているのが見える。
「……拓真……?」
そしてヒロイックな叫びを急にトーンダウンさせながら、キリカは倉庫の奥の洗浄室へと探索の足を向ける。
――まずい、このまま何も見つからなければ、彼女は俺のSOSがただの意味不明な言葉の羅列だと結論付けてしまう。
キリカが洗浄室から戻り、そしてこの倉庫を出てしまう前に、何とか俺達を見つけてもらわなければ今度こそ詰みだ。
……しかしどうする?両手はこいつの身体に挟み込まれるように押さえ付けられて床を叩く事もできない、両足もこいつの脚が絡みついてカカトで床を叩く事もできない、声ももちろん挙げられない。
出来る事と言えば両手両足を僅かに伸ばすことだけ――
(――っ)
懸命に伸ばした右足のつま先が何かに僅かに触れている。
見上げると先程まで俺の身を隠してくれていた人体模型が、俺の足に触れて僅かに揺れている。
(これを倒せば、他の模型も倒れて、大きな音が――)
2回、3回……つま先で触れるたびに少しずつ、本当に少しずつ人体模型の振れ幅が大きくなっていく。
いいぞ、このまま、向こう側に倒れてくれれば――
(――んぐぅ……っ!!)
突如全身が大きく引き戻され、つま先すらも人体模型に届かなくなる。
――楠木すみれが俺の目論見に気付いたのだ。
(――くそっ……くそぉ……っ!)
やがて模型の揺れが納まってしまったのと同時に、キリカが洗浄室から戻って来る音が聞こえる。
「もしもし、もみじ? ――ごめん、あたしの思い違いだったみたい。理科室には来なくていいわ」
絶望的な状況報告を間近で聞きながら、彼女の足音が通り過ぎる音を聞きながら、俺は呼吸の停止が限界を超えつつあるのを感じる。
畜生、足があと数センチ伸ばせられれば……
こいつの絡まる脚を一瞬でも解く事ができれば……!
(――これ以上暴れないで)
勝利宣言ともとれる耳打ちをしながら、こいつはガーゼを押さえる力を更に強めていく。
(……くそ……っ)
この期に及んでこいつは冷静で。
俺だけが必死に空回りし続けていて。
(――むかつく……。)
せめて、最期にこいつをぎゃふんと言わせないと死んでも死にきれねぇ……
薄れる意識で、震える両手で。
後ろ手で押さえ付けられたまま僅かに動かせる範囲で両手を動かし、色気もへったくれも無いこいつの白衣の下へと滑り込ませる。
そして藁をも掴む溺死者のように、白衣の下に存在する布切れをしっかりと掴み――
(うらあぁぁぁ――っ!!!)
かくして呼吸の限界を迎えてガーゼの上で思い切り息を吸い込んでしまった俺は。
その勢いに身を任せ、半ばやけくそ気味にその布切れを。
座り込む彼女の股布を思い切り引き摺り下ろし彼女のラベンダーの花園を露わにした。
(――っ、 ゃぁぁああ――……っ!!?)
声にならない悲鳴を挙げながら、彼女の両脚の力が一瞬だけ抜ける。
それを感じながら、全身に神経毒が急速に廻るのを感じながら、無意識に懸命につま先を伸ばし人体模型を突き飛ばす。
突き飛ばされたそれが大きくぐらつき、やがて他の人体模型を巻き込みながら派手に倒れる音と、
その音を聞いて怒声を挙げつつこちらに迫るキリカの足音を聞きながら。
(……ざまぁ、みやがれ……)
俺は終始ムカつくほど落ち着いていた彼女が最後に取り乱した事に。
歳相応に取り乱してくれた事に満足しつつ、全身の激しい痺れと共に意識を失っていった。




