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第3話「山田に殺される」(3/3)

「……あぁ、山……桐香さん、だったかな。何か用かい?」


「お昼に見せてもらったアルトリコーダー、良く考えたらあたしの物だったの。返してもらえるかしら」



 努めて冷静に話し掛ける俺に対し、彼女は教室のドアを閉めながら淡々と要求を告げる。

 一字一句全てが理不尽さと不気味さに満ちた要求だが、その要求だけが彼女の目的ならば俺にとってはこの上なく幸せだっただろう。



「あ、あぁ……アルトリコーダーね。 うん、返すよ、 返すから……まずはそのカッターナイフをしまってもらえるかな?」


「どうして?」



 最大長まで刃が出されたカッターナイフを右手に携えたまま、彼女はゆっくりとこちらに歩み寄って来る。


 まるで言葉が通じない相手と状況を前に、俺はもはや冷静さを保つのも難しいまま鞄の中に手を突っ込む。



 手探りで見つけたのは家で開く事も無い教科書の束と、

 昼に食べた空の弁当箱と、

 彼女が所望するアルトリコーダーと、

 それと――




「早くしてよ」

気付けばカッターナイフが彼女の手を離れ真っ直ぐ俺の眉間に




「――うわぁぁぁ――っっ!!!」



 反射的に右手に掴んだ()()ごと鞄を振り上げて頭部を保護する。

 頼りなげな音とともに投擲されたカッターナイフは鞄に防がれ、勢いあまった鞄は中身を辺りにぶち撒けながら手元を離れ――跡には、()()を右手に掴んだまま頼りなげなファイティング・ポーズを取る俺の姿だけが残った。



「――そんなものを他の生徒に向けて、校則違反よ」



 いつの間にか2本目のカッターナイフを取り出してチキチキと刃を出しながら、彼女は俺の携えた刃渡り15cmのサバイバルナイフに対し言及する。



「……カッターナイフを他の生徒に向けるのは校則違反じゃないのかよ」


「これは授業でも使用するものだし校則違反なんかじゃないわ」


「――他の生徒を殺そうとするのは校則違反だろうが!!」



 激昂しながらサバイバルナイフを振り回して彼女に突っ込む。


 もちろん目的は彼女の殺害なんかじゃない、彼女の背後にあるこの教室のドアからの脱出だ。

 こんなもので女の子を威嚇するのは気が引けるが、彼女が怯んでくれた隙に教室を脱出して帰宅途中の生徒に助けを求めれば、これ以上こんな事を続けるハメには――



「校則には『人を殺してはいけません』とは書いてないわ」



 ナイフを振り回す俺の視界から彼女が消える。

 怯んでくれた、と期待(錯覚)した俺の足元に彼女は全身を回転させながら潜り込み、そのままの勢いで、俺の足元に向けて右手を薙いだ。



「――――っ」



 彼女に対し一歩踏み出していた右脚のふくらはぎへの圧迫感と、

 「何をされたのか」を頭が理解した直後の悪寒。


 そしてその次の瞬間、鈍痛と共に切り裂かれた右脚の制服の隙間から鮮血が僅かに迸るのが視界に映った。



「――っく、 痛……ぅ……っ!!」



 遅れて来た鈍痛が波状的に脳へと襲い掛かるのを懸命に堪えながら、俺は反射的に後ずさり体勢を立て直す彼女との距離を、教室の出口までの距離を離してしまう。



 ――正直、甘く見ていた。


 鳴神もみじのように徒手空拳による喧嘩の延長線のような手段ならともかく、こんな直接的な手段で躊躇なく他人の人体を損傷させるような同級生など居るとは思わなかった。

 そんな同級生が――そんな女の子が居るとは、正直考えたくなかった。



「やっぱりカッターナイフだとあまり切れないわね……良く考えたらそのサバイバルナイフもあたしの物だし、返してもらえるかしら」


 かくしてそんな打算(祈り)は外れ、俺は右脚を負傷させられた状態で2人目の殺人鬼に追いつめられつつある。

 このサバイバルナイフがあいつに奪われたらそれこそ一貫の終わりだ、攻撃(威嚇)手段も防御手段も失った俺は一方的に嬲り殺されるだろう。

 そうなる前に何とか、多少の負傷は覚悟であいつの横を突破して――



「――――っっ!!」



 思考が巡り切る前にあいつの右手が振り払われる。

 全身を縮こまらせながら左腕で捨て身のガードを行い、先程と同じ悪寒と圧迫感に苛まれながら必死でサバイバルナイフを振り回す。

 悠々と回避したあいつは今度はがら空きとなった俺の右脇腹に向けてカッターナイフを振り払う。捲れあがった制服の下、ワイシャツ越しに先程よりも強い悪寒と圧迫感が襲う。



 俺が反撃する気力を削がれたのを見計らいあいつは再度カッターナイフを薙ぐ。

 狙いは俺の首筋、制服にもワイシャツにも守られていない急所。

 たまらず左腕で、既に負傷していた左腕でもう一度捨て身のガードを行い。



 ――鈍痛が、血の臭いが全身を包み。


 あいつは、もう一度カッターナイフを薙いで、

 俺は捨て身で防いで、


 あいつは、もう一度、


 あいつは――



「……っく……、 ぁ…………」



 幾度目かの攻撃をボロボロとなった左腕で防いだ矢先。


(――こんなの、無理だ)


 足がもつれた――否、流血により脚力が機能しなくなった俺は当然の帰結のように無様に転倒してしまう。


 ここに至るまで俺に斬りかかられる事はもちろん出口へと突破される隙すら見せなかったあいつは、満を持して床の上で死に体となった俺に跨り、マウントポジション(チェックメイト)の状態で再び攻撃を始める。


 俺はもはやほとんど感覚を失くした左腕と、虎の子のサバイバルナイフが握られた右腕で必死に頭部をガードし続けて、しかしそれも儚い抵抗で――



「返してもらうわよ」



 気付けば右手の握力は女の力ですら無理やりこじ開けられるほど弱っており。

 人差し指を、中指を、薬指を――五指全てを開かれた次の瞬間、とうとうあいつの手にサバイバルナイフが渡ってしまう。



「これで終わりね。 恨むなら自分の身体を恨みなさい」



 霞む視界に、自分の腹に跨りながら両手でサバイバルナイフを振り上げる女の姿が見える。


 ――畜生、訳も分からぬままこんな所で俺は殺されちまうのか……




 観念して目を瞑った、その時。



「…………?」



 ……その時、何も起きない。



 恐る恐る目を開くと、サバイバルナイフを頭上に振り上げながらかたかたと震える彼女の姿が視界に映る。




「……っ…… できる……あたしならできる……っっ」




 視線をぐるぐると回しながら、彼女は自分に言い聞かせるように呟いている。



(……この子、もしかして……)


 その様子に閉じ掛けた活路を見出した俺は出血大サービス中である全身の血流を両腕に集中させ、蜘蛛の糸に対してそうするように彼女の腕をがっしりと掴んだ。


「――っ!? このっ……離しなさいよ……っ!!」

「うるさい! もうやめるんだ山……キリカ! お前本当は人を殺したくなんかないんだろう!?」

「なっ――何言ってんの!!? そんな事あるわけないじゃない、あんたを殺す事なんか訳ないんだから!!」



 こちらの予想通り、キリカは図星を突かれて明らかに動揺している。

 いいぞ、このままテンプレ通りのとどめの決め台詞を言って、キリカが観念した瞬間を見計らって彼女の身体を押しのけて脱出するしかない!




「――こんな事をして、親が知ったら泣くぞ!!!」



「――はぁ~~!!?? 親が泣いてるからあたしがしっかりしなきゃいけないんでしょう!!?」




 ――ってちょっと待て! 何で今の決め台詞を聞いて戦意が喪失するどころか再び俺を殺す気満々になってるんだよ!?


「いやいやいやちょっと待て、待ってくれキリカさん!」

「待つわけないでしょ!? 殺す、殺してやるんだから……っ!!」


 何故だか知らんがもはや迷いが無くなってしまったキリカさんの凶刃を鼻先で捉えながら、俺はボロボロになった両腕で必死に彼女の両腕を押さえ続ける。



 男女の力の差は床に滴る血液によって相殺され続けており、このままだとその差が逆転し凶刃が鼻先とキスしてしまうのも時間の問題だろう。

 とは言え俺にはもはや彼女の両腕を押さえ続ける事しかできない。

 呼吸の調整による力のコントロールを放棄して助けを呼ぶ事もできない。


 俺にはこの体勢のまま、キリカがもう一度思い直してくれるか――もしくは既にクラスメイトが下校し終えたこの教室に誰か戻って来るのを祈る事しかできない。



(部活を終えた子でもいい、たまたま通りかかった子でもいい……)


 声にならぬ声を挙げながら必死で凶刃を押さえ続けるも、その力は確実に失われていく。


(――天使でもいい、悪魔でも……誰か……!!)


 それでも俺は祈った。

 プラスでもマイナスでもいい、この状況をどこかに一変してくれる誰かがあのドアを開けるのを俺は必死に願って――



「え……――」



 果たして教室のドアが、誰も開けるはずのないそのドアが勢いよく開かれた情景に、俺は自分の状況も顧みず呆けた声を挙げる。


 その様子に彼女も思わず後ろを振り返り、そして同じように呆けた声を挙げて――




「――物理の宿題、忘れちゃった!!」




 俺達の視界に映ったのは天使でも悪魔でも、ましてや人間でもない。

 蜘蛛の糸を掴む俺を笑顔で叩き落すであろう死神(鳴神)の姿だった。

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