80話:お勉強大好きロリサキュバス
「この本。この本に、たぶん私のビョーキのこと書いてあるの。読んでメシュトロイオンさん!」
サキュバスの少女アルノは本棚から一冊の本を取り出し、我へ差し出した。
表紙も中身もぼろぼろに破れている本だ。
夢魔の文字、つまり地球の文字で『よく分かる病』というタイトル。
初心者用に分かりやすく噛み砕いた医学書、といったところか。
「本。私読めないけど、いちおー、お父さんが持ってきた。私の病気のところに、お姉ちゃんが葉っぱ挟んでくれてるよ」
確かに扇形の葉が一枚、栞として挟んであった。
そのページを開くと、一つの項目に赤線が引いてある。
我はその文章を読み上げた。
地球の文字を完全に読める訳では無いので、途切れ途切れではあるが、
「『魔導無昇華病』。ふむ」
書かれている内容は以下。
所々が破れたり汚れたりしているため、完全な文章では無い。
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≪魔導無昇華病≫(まどう むしょうか びょう)
別名、魔導無昇華詠●症候群。(まどう む●ょうか え●● しょうこうぐん)
魔力を有す生物が発症する病。
上記生物は通常、食物または他者から奪ったエネ●ギーを体内で魔力へ変換する機能を有している。
しかし魔●無昇華病を発症すると、その変換機能を失ってしまう。
種族によっ●は命に係わる重大な病である。
確認出来る全ての異界を合わせても、一万年に一人現れ●かどうかの奇病。
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……一万年に一人だと?
大変な病ではあろうが、それほど珍しい症状であるとも思えないが……
と思ったら案の定、説明文の続きに、
『とはいえ、魔力を体内変換出来なくな●という症状自体は珍しく無い』
とも書いてあった。
更に続きを読んでみよう。
『類似症状の他病と比●、魔導無昇華病が一万年に一人の奇病と呼ば●る所以は、その──』
その──
何だ?
ここから先、次のページが無くなっている。
「あ。それは私が遊んでて破いちゃった。です」
アルノがテヘッと笑った。
気になる所で続きが読めなくなっているが、まあ破れているものは仕方ない。
それにだいたい症状も分かった。
アルノはこの『魔導無昇華病』の患者という訳か。
他者から奪ったエネルギー……サキュバスならば『異性の精力』を、己の魔力として昇華出来ぬ症状。
そういえば先程アルノの姉が、アルノのことを「魔力が足りずに知能も体も子供のまま」と言っていた。
おそらく、この魔導無昇華病のせいで発育が悪いのであろう。
我ら悪魔族は別に魔力が低くとも、いやいっそ皆無であろうとも、体や知能の発育には何の影響ない。
魔力が無くとも、オヤツや米やパンや肉や野菜を食べれば成長出来るからな。
ただ『魔法が不得意な悪魔』になるだけ。他の分野を伸ばせば問題無い。
しかしサキュバスは事情が違うようだ。
成長における魔力の重要度が高いのだろう。
魔力を体内で生成出来なければ、体も上手く成長出来ないらしい。
先程アルノはパンや果実も食べていたので、『物を口から食べる』という行為も必要ではあるのだろうが……それだけでは今の少女姿くらいが成長限界ということか。
「えっと。読んでくれてありぃがと……ありがとございますメシュトロイオンさん。まだちょっと私のビョーキについてはよく分からなかったけど……」
アルノは丁寧に頭を下げる。
そして床へ四つん這いになり、文字勉強用の絵本を再び読み始めた。
熟読しながらも、己の指先を口に咥えている。癖になっているのだろう。
そんなサキュバス少女の姿を見ながら、我は考える。
普段のアルノの様子は知らぬ。
だが少なくとも出会った直後の頃よりも、今のアルノは言語能力が向上しているような気がする。
我が魔力を与えたことで、魔導無昇華病により不足していたアルノの魔力が補充され、知能年齢にも影響したのだろうか。
「ねえメシュトロイオンさん。この文字はなぁに?」
「それはFだ」
「じゃあこれとこれとこれは?」
「UとCとKだ」
「ありぃがとございます。じゃあ続けて言うと、この文字はファッ」
「やめろ。続けて言うな」
◇
アルノの学習能力は、目を見張るものがあった。
約六時間ほどで絵本三十冊分の文字と文章を全て理解。そして記憶したのだ。
「この本もだいたい分かった。付き合ってくれてありがとう、メッシュさん」
アルノは相変わらず指咥えたまま、我に礼を言った。
なんとなく帰るタイミングを失った我は、なんとなくそのままアルノに文字を教えていたのだ。
「お安い御用だ」
しかしよくよく考えてみれば、我はまだアルノから正式な『願い』を聞いていない。
魔力を分け与えたのは勝手なサービス。
文字を教えたのも、ただの話の流れ。
今のアルノならば具体的な願いを思いつくかもしれない。
改めて尋ねてみるとしよう。
「ところでアルノよ。お前は……」
その時、唐突にドアが開いた。
「夕食よアルノ……またこんなに本を散らかして。どうせ読めないのに」
アルノの姉が入室。
我は前と同じく、咄嗟に棚の上へ隠れた。
四つん這いで床に絵本を広げていたアルノは、姉の登場に目を輝かせた。
文字を学習した自分を見て貰いたかったのであろう。
立ち上がり、姉へ近づこうと歩き出し、
「お姉ちゃ……」
そこまで言って口をつぐんだ。
姉が、食事を盆ごと全て床にぶちまけたのだ。
パンと錠剤が転がり、果実が潰れ床を汚す。
先程の昼食の時も全く同じことをしていたのだが……今のアルノは、姉の行動を見て固まってしまった。
「ふん。じゃあねアルノ、食べたらすぐ寝るのよ」
そう言って姉はドアを荒々しく閉め、去っていった。
結局アルノの変化には気付かず。
アルノは床に転がっているパンを拾い上げ、埃を叩き落とし、一口かじろうとし……寸前でやめる。
「……私。朝までの私は、お姉ちゃんに優しくされてるって……本気で思って……たんだけど……」
そう呟き、しゃがみ込み、床に落ちている盆の上にパンを置いた。
「こんな扱いだったんだね。私って」
◇
それからのアルノは、今までの遅れを取り戻すが如く必死に勉強をした。
我はそれを見守ることにした。
何故ならアルノが、
「私のお勉強、手伝って。おねがい。傍にいてね」
と頼んできたからだ。
それに我も、単純にアルノの変化に興味が湧いた。
しかし我の手伝いが必要であったのは、最初の二日目くらいまで。
三日目に、アルノは文字を完全に理解していた。ついでに足し算と引き算も会得。
四日目には夢魔の歴史を暗記。
五日目には小数、分数、掛け算や割り算。連立方程式。
六日目には法律。それも夢魔世界の全ての法を暗記。
七日目には微分積分、行列演算。
八日目には基本的な物理学。少し応用も。
九日目には人体や動植物の知識。
といった具合に。
国語、算数、理科、社会。
興味の向くままゴチャ混ぜにといった傾向はあるが、尋常ではない勢いで勉学知識と一般常識を身につけていった。
十日目には既に、義務教育どころか高等教育を修了する程のレベルになっていた。
当然アルノの家族も、この変化にはすぐに気付いた。
二日目くらいまでは、
「理由は分からないが、魔導無昇華病の症状が突然緩和したのか?」
と希望的かつどこか呑気な解釈をするのみであった。
が、日が経つにつれアルノの桁外れの天才ぶりを目の当たりにし、比喩でなく腰を抜かす毎日。
その間、我はずっと家族に見つからぬよう潜んでいた。
家族がいなくなるとアルノの前に姿を見せ、特に何をするでもなくアルノの様子を見守る。
アルノは机に座りずっと本を読んだり筆を動かしたりしているが、たまに我の顔を見て、
「えへへ」
と、少女らしい笑みを見せた。
いつの間にか、指を咥える癖は無くなっていた。
◇
そして十一日目。
今日も我はアルノが勉学に励む姿を、傍で黙って見ていたのだが、
『やあ兄上、久しぶり。調子はどうだい?』
頭の中に声が流れてきた。
弟のマートの声だ。
魔界からテレパシーで連絡してきたようである。
「マートか。どうした急に」
『ふふっ、十日も召喚されっぱなしだと聞いてね。兄上想いな僕としては心配で堪らなくて、様子を見てあげているのさ。それに魔導無昇華病の患者を見つけたと聞いてね。しかも兄上が魔力を貸し与えたことで、治っちゃったんだってね?』
マートは、我の現状を概ね把握しているようだ。
我の業務を監視している鑑定係が所長へ報告し、所長が更に上へ報告し、最終的に魔王であるマートの耳にまで届いたのであろう。
「魔導無昇華病を知っているのか」
『一万年に一人の面白い奇病だからね。ふふっ、凄く興味深いよ……おっと、そろそろ僕もお仕事の時間だ。またたまに様子を見にくるから、その時はよろしくね兄上』
「おい待てマート。魔導無昇華病とは……」
マートはテレパシーの通信を切った。
久しぶりに兄弟の会話が出来ると思ったら、一方的にマートが話しているだけだったな。




