63話:逆の逆は元通り、ではない
「めめめメッシュにぃぃぃい」
ラスが我へ抱きつき、泣きじゃくった。
我も強く抱き返す。
「当主! 何故馬車を止めるのです!?」
「何が起こった?」
我が起こした騒ぎに気付き、他の馬車も走りを止めた。
中から十数人の親戚たちが降りる。
馬車御者も全員親戚の者だった。計画漏れを防ぐためか、召使いなどは一切使っていない。
親戚たちが様子を伺いながらゆっくりと近づく。
そして彼らは、我の祖父──つまりルヴェ家当主の首なし死体を見つけ、次々と驚愕の表情を浮かべた。
「死……?」
「まさか……当主様が!?」
「メシュトロイオン、貴様がやったのか……!?」
我の手に付着している血を見て、彼らは早くも当主殺しの犯人を探り当てた。
「ふざけるな!」
「貴様、自分の祖父を殺したのか!?」
「信じられん……」
と次々に責めるが、誰も直接我を取り押さえようとはしなかった。
我はまだ少年であったが、それでも敵わないと分かっていたのだろう。
「お、お、お前……メッシュ……なんて馬鹿なやつ……」
不快な親戚ブタマンチョ(名前)もいた。
しかし彼は強がるような台詞を吐いているが、誰よりも震え恐怖していた。
まあどうでも良い。
それよりも如何に母から逃げるか、が一番の問題であった。
とりあえず親戚たちは放っておく。
祖父を殺してしまったが、これ以上無駄に血族を傷つけることもあるまい……と、その時の我は考えたのだ。
しかし母は、親戚一同へ向かって言った。
「ふふふふ、私の息子がワガママを言って聞かないの。あなた達、メッシュを拘束しなさい」
そう命じ、骨を軋ませながら右腕を挙げた。
親戚たちは皆一斉に緊張した面持ちとなり、顔に大汗をかき身体を硬直させる。
「で、でも……」
「しかし……」
「あら。どうして動かないの? 早くしなさい。先代当主が死んだ今──」
母は祖父の死体を一瞥し、笑みを浮かべた。
美しくも恐ろしい、彫刻のような笑顔。
「私が当主よ。ルヴェ家当主──神位は『逆堕天聖浄神』。このピュグラ=ルヴェが、あなた達に命じているの。選びなさい。私の命に背いて死ぬか、私の息子に殺されるか。ふふふふ、おほほほ」
人形のような目が冷たく光った。
ピュグラ=ルヴェ。それが母の名である。
しかし母の意図が分からなかった。
この選択では、どちらにせよ親戚たちは死ぬ。
我もなるべく血族を殺したくは無いが……『なるべく』だ。
結局は我も悪魔。祖父を殺したのと同じように、必要に迫られれば簡単に殺す。
先程その『覚悟』をしたばかりだ。
「あ、あ、ああ……」
「うおおおおあああ!」
追い詰められた親戚たち十余名が、一斉に我へ襲い掛かってきた。
我はラスを抱えたまま、
「しがみ付いていろ」
と言って高く飛ぶ。
「うひぇぇぇぇぇ」
ラスが恐怖で叫ぶ中、我は上空から親戚全員を捕捉。
「すまないな。われは子供だから手加減できない」
そう謝り、両手から魔力を放出した。
人数分の黒い波動。
洒落っ気無しの、殺傷力を優先させた技。
「がっ」
「ぶぁっ」
「ごぼ……」
親戚たち全ての頭を砕いた。
当然、皆即死である。
「ひ、ひぃぃ……ひ……」
ただ一人だけ生き残っていた。ブタマンチョだ。
腰を抜かし、色々な体液を垂れ流している。
コイツだけは我に襲い掛からず、怯えて馬車の裏に隠れていた。
逃げる者にまで攻撃する余裕がなかったため、そのままにしておいたのだ。
どうせあいつには何も出来ない。放置で良い。
「吹っ切れたわねメッシュ。今までお城で一緒に暮らしていた家族たちを殺すなんて……素晴らしいわ」
母が細く折れそうな腕で拍手した。
我は地面に降り立った後、母へ言う。
「せっかく一族の皆で逃げたのに、誰もいなくなってしまったな」
仲間がいなくなれば、母も諦めてくれるかもしれない……と、子供らしい甘い期待があった。
しかし、母はそう甘くない。
「気にしなくて良いのよ。親戚の皆さんを誘ったのは、寂しがり屋で威張りたがり屋のお爺様。母としてはね……ふふ、はっきり言ってあの人たちは邪魔だったの。皆どうせ神にはなれない。彼らは悪魔のまま天界へ行き、悪魔として神──母とメッシュのお情けで生かされるだけの運命。ただの汚いペット。可哀想な未来しか待っていなかったの」
神にはなれない……とは、どういう意味なのか。
我は少し気になったが、質問する気にはなれなかった。
「『母』と『メッシュ』。私たち二人が重要なのよ。二人がいれば天界を支配できる……ふふふ。あらごめんなさい。もちろんラスも大事よ。ラスちゃんならきっと神になれるわ」
母がいつもと同じような笑顔を見せた。
しかしその『いつも通り』がラスの怯えを増幅させる。
「ひぅ……」
と小さく唸り、我にしがみ付く腕に力を込めた。
「邪魔な人たちの掃除ついでにメッシュの心が成長した。皆も最後にルヴェ家の役に立てて、きっと喜んでいるに違いないわ。さあメッシュもう充分スッキリしたでしょう? 母とあなたとラス、三人で天界へ行きましょう。きっと楽しいわよ」
「断る。われとラスは魔界へ帰ると言っただろう。天界へは母上一人で引っ越してくれ」
「あら。まだワガママを言うのね。母は悲しいわ」
母は突然全身の力を抜き、両手をだらりと下げた。
ゴキリ、と大きく骨が鳴る。
「お仕置きが必要と言いたいところだけど、でも母は折檻が嫌いなの。昔のように優しく抱いてあげるから、安心して一緒に行きましょうね」
次の瞬間、背後の地面から二本の巨大な腕が生えた。
「なに!」
「ぎゅぇぇぇぇ!?」
我とラスの驚く声が響いた。
当時の我はまだ子供であったため油断していた。
死角からの強襲に対応できず、巨大腕に掴まってしまう。
「む……離せははうえ」
「『逆堕天聖浄神』。それが今の母の神位──つまり神としての称号よ」
母は我の懇願を無視し、唐突に神の話を始めた。
「お話したわよね。『堕天とはただの宗旨替えじゃない。肉体が変質し、神から悪魔へ──別の生物になる』って」
「……うむ」
確かに聞いた。
この亡命騒ぎに巻き込まれる直前。
およそ一時間か二時間ほど前。ついさっきだ。
そのついさっきまで優しかった母を思い出し、我は複雑な気分になった。
「もっと詳しく、正確に教えてあげましょうね。この話を聞けば、母と共に行く気になるかもしれないわ」
「…………」
「堕天による肉体の変貌。そして魔力の変貌。悪魔に変わってさえしまえば、神であった頃より数段強い力を得るのだけれど……でも、変貌には大きな苦痛を伴うの。その苦痛に耐えきれる神は、実はあまり多くは無いのよ。初代魔王ルキフェロイオン様と共に天界を去った神は、千人を越えていたわ。ただの千人の神では無く、選別された力の強い千人……それでも無事生きて悪魔へ変貌出来たのは、たったの三十人。3%」
その3%の中に、母や祖父もいたということだろう。
「神から悪魔へなれるのなら逆も然り。そう、『悪魔から神』への変貌も可能よ。聖浄と呼ばれる現象。これも3%しか生き残れないわ」
「……ははうえは、その3%になる自信があるのか」
「母の場合は3%では無いのよ。だってもう既に堕天してるもの。堕天した者が聖浄出来る可能性……天界の研究によると10のマイナス24乗%……つまりほとんど0%……要は、とっても少ない可能性って意味ね」
母の全身から鈍い音がした。
骨が、肉が、隆起している。
腕から尋常ならざる力が洩れている。
闇より深く昏く、光より強く輝く。
見た者の脳が混乱する程に、強い魔力の波動。そして強い神力の波動。
「……ははうえは、その0%に」
「ふふふふ。ええ。ちょうど今完成したわ……逆堕天聖浄神。堕天と聖浄を繰り返し、双方を遥かに超えた圧倒的な力を得る……数多の異界全ての歴史上で、数える程もいなかった魔神」
周囲の空気が急激に冷えた。
まるで世界ごと、母の存在に畏怖しているようだった。
我に抱きついているラスが、がたがたと大きく震えだした。
「そして……このピュグラ=ルヴェの特別な子であるメッシュ。あなたもそう……」
母は、我を掴む巨大な掌の隙間に腕を差し込み、我の頬を撫でた。
「あなたは生まれついての逆堕天聖浄神。全宇宙の歴史上でも、唯一無二の存在なのよ」




