5話:悪魔の肉は臭くてマズイ
部屋に押し入って来た姉上は泣き顔で、
「聞いてよ聞いてよメッシュくん!」
と叫び、我の胸にしがみ付いてきた。
小柄な女だが我の眷属。その力強い突進で弾性のある巨大な胸を押し当てられ、我はよろけた。
「マートちゃんが酷いのよぉ~! お姉ちゃんをイジメるの!」
「マートが姉上を?」
至極当然のことだが、マートはネア姉上にとっても弟(妹)にあたる。
「男の子マートくんは普通だけど、女の子マートちゃんが酷いの~! お姉ちゃんをすっごくぞんざいに扱うの。お姉ちゃんのこと嫌ってるの!」
「確かに女のマートは姉上を……というか女性全般を嫌っているな」
弟であり妹であるマートは性別を自由に入れ替えることが出来る。
入れ替えた際は――あくまでも二重人格では無いのだが――思考や思想の傾向、物事の好き嫌いなどが変わってしまうと言っていた。
女になった時は、どうしようもなく同性が大嫌いになってしまうらしい。かと言って別に男の時は男嫌いになる訳でも無い。なんとも不思議な身体である。
「マートちゃんったらイヂワルなの~。この前なんて、私がお仕事の報告をしたらね」
「へぇ姉上もきちんと国の仕事をしていたんだね。兄上の娼婦だと思っていたよ」
「なんて、冷ややかな顔で言ったのよ~! 酷いの酷いの酷いの。メッシュくんとは、興味本位でお互いの身体を貪り合っただけなのに~!」
「確かに貪り合ったな」
貪り合う、とは性的な意味では無い。
本当に食べたのだ。姉弟同士で血と肉を。
それで我は『悪魔の肉は不味い』ということを知った。
悪魔の幼少期にありがちな通過儀礼……だと思う。我と姉上だけでなく、他の兄弟やイトコも同じように肉親や友人や恋人の肉を食ってみた経験があると言っていたからな。
マートは無いらしいが。
「とにかく女のマートは気難しい。出来るだけマートが男の時に報連相することだな」
「うん。ぐすっ。そうすりゅ…………うう。泣いたら喉乾いちゃった」
そう言って姉上は我の首に手を回し、抱き付いて来た。
爽やかな花のような、悪魔らしからぬというかむしろ悪魔らしいかもしれない髪の香りが我の鼻腔をくすぐる。
……などと完全に油断していると、左首筋に突如刺すような激痛を覚えた。
血飛沫が飛ぶ。
真っ白な壁とベッドシーツに真紅の模様が描かれた。
我は眉をしかめ、口の周りを真っ赤に染めた姉上を睨む。
「痛いぞ姉上」
「ごめんねメッシュくん。でも美味しいよ。美味しいよ~。やっぱり可愛いメッシュくんの血が一番美味しいよお」
姉上が牙を立て、我の動脈を喰い千切ったのだ。
ごめんね、と謝りながらも噛むのをやめない。
数多の勇者達でさえ傷付けられなかった我の肌を、いとも容易く噛み砕く。
流石は我の眷属である。
「ああん美味しい。弟のお肉凄いよお。うぁぁあ~この食の楽しみがないとお姉ちゃんのメンタルは壊れちゃうのよ~」
以前お互いを試食してから、姉上は我の体が好物になってしまった。
事あるごとに我の血を飲み、肉を喰らう。
まあ我の体はすぐに回復するので、喰われた所でさしたる問題は無い。
しかし我の血肉も他の悪魔同様に、臭くて苦くて食えたものでは無い。姉上の味覚はまこと変わっている。
「姉上、せめて一言断ってから食べてくれ」
我は魔物に殴られようが、勇者に刺されようが、雷に穿たれようが、たいていの事では痛みなど感じぬ。
しかしだからこそたまに『同等の力を持つ者』に攻撃されると、痛覚という珍しい体験にビックリしてしまうのだ。
「ごめんね、でも久々にメッシュくんの匂いを嗅いだらもう我慢出来なくて。ねえ心臓も食べていい~?」
姉上は我の耳にそう囁き懇願し、抱きしめている腕の力を強めた。
しかし我は冷静に断固として断る。
「ダメだ」
「ええ~ダメぇ?」
心臓を抜かれても我は死なぬが、流石に痛みで五分ほど悶えるからな。
そうこうしていると姉上はようやく満足し、
「ごちそうさま~」
と言って我から離れた。
顔下半分が鮮血に染まっている。が、姉上が指先で頬に軽く触れると、ただそれだけで血化粧が消え綺麗になった。
「でもメッシュくんも大変ね~。レンタル召喚獣なんて現場のお仕事のテコ入れを押し付けられて」
姉上は話題を変え、血染めのベッドに腰掛けた。我も隣に座る。
テコ入れ。押し付けられた。
テコ入れとはつまり――国の七番目の経済的支柱である召喚事業を更に盛り上げるため、力のある王族が自らレンタル召喚獣となる……その役を我がマートから押し付けられた、と。
親族や大臣達からはそう認識されているのだろうか?
「大変ではない。確かにレンタル召喚獣という仕事は王族や貴族がやる仕事では無いらしいが……我は嫌いでは無い」
「まっ。そうなの? でも大丈夫? 職場でイジメられたりしてない? そのイジメっ子を返り討ちで惨殺しちゃって、職場で浮いてな~い?」
「職場の者達には良くしてもらっている」
イヤミを言う女職員はいるが、何よりも所長が物凄く気を遣ってくれるからな。もはや気の毒な程の気遣いようだ。
それにもし大変だったとしても、我は甘んじて受け入れる所存だ。
苦労を経験するのもまた良いではないか。むしろ現状ほぼ苦労していないのが勿体無いくらいだ。
「亡き父上が言っていたからな。『男は叩かれて殴られて大きくなるものだ』と」
「大きくなるって、おちんちんが!?」
姉上は口に手を当て「ま!」などと言って顔を若干赤らめ、我の腰を注視した。
「それではただのマゾヒストだ。そうじゃなくて、人間的に大きくなるといった意味であろう」
「あら。お父様ったら熱血漢ね~」
そうだ確かに父上は熱血だった。努力の人であった。
二代目『宇宙最強の魔王』であった父上は、初代『宇宙最強の魔王』であった偉大な祖父殿と何かと比較され、多大なプレッシャーの中で生きて来たからだ。
その点、我やマートは世代が違うので祖父殿とはあまり比べられない。気楽なものだ。ぅはっはっは。
などと笑っていては父上に悪いか。
「ともかく我は、現魔王であるマートより与えられたレンタル召喚獣という『役割』を実直に果たすつもりだ」
「まっ。メッシュくん偉いわ! お姉ちゃん感動して色んな所がゾクゾクしちゃった」
姉上はそう言って、隣に座る我の頭を撫でた。
いつまでも子供扱いされるのは困りものだ。
しかしいくら文句を言っても姉上は態度を改めないので、最近の我はもう諦めて成すがままにされている。
「あん。スキンシップしてたら、また食べたくなっちゃった~」
そして再び、我の首が噛み砕かれた。
◇
翌日。
「あーおはようございまーすメシュトロイオン先王陛下ー」
出勤すると、鑑定係の女悪魔がビリビリに破れた黒いゴシックドレスをひらつかせ、我の傍へと寄って来た。
「本日は今のトコロー、B級のお仕事くらいしか……あっ」
鑑定係が急に口を閉じ不機嫌な顔になった。
まあいつも不機嫌そうな態度なのだが、今日はまた特別に目が据わっている。
「……むー。誰ですかーその女ー? 腕なんか組んじゃってー?」
鑑定係は拗ねた口調で尋ねながら、我を――いや我の腕にぶら下がるようにしがみ付く、ネア姉上を睨み付けている。
我は最近覚えたぞ、これは庶民のケンカ作法だ。つまり姉上にケンカを売っている。理由は知らないが。
しかし不遜な目線を向けられた姉上は、怒るどころか、
「まっ! よく分からないけど面白そうな展開ね~」
と楽しそうに我を肘で小突いてきた。
我は別に面白くもなんともない。さっさと仕事を終わらせて帰ってオヤツを食べたいのだ。今日は飴玉の気分なのだ。