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桜子さんの奥様劇場

冬林檎 狡い友

作者: 秋の桜子

 外泊なんだ、と友人の飯塚がやもめ暮らしのアパートに、突然訪れて来たのは師走の朔日。どんよりと雲が広がる空の下、道を吹きゆく透き通る風に触れれば、ピリっと痛みを感じる様な寒い日のこと。


「居たからいいものを、留守だったらどうするんだ?」


 それなら帰ってたよ、と室内に入りダウンジャケットを脱ぎながら、ちょっと待って、車を待たせてあったと、友は連絡をした後屈託なく話す。


「相変わらずだね」


 原稿用紙と、書籍がとっ散らかっている部屋を見回し、クスクスと笑う、前に見舞いに行ったときより幾分痩せてはいるが、顔色はいいな、と思いつつ万年床を慌てて畳み部屋の片隅へと寄せた。


「お茶………、コーヒーあったっけ?あー、ちょろっとある!」


 お構いなく、突然手ぶらで来たこっちが悪いしと答えると、かつて知ったる何とやら、せんべいみたいなペラペラ座布団を見つけ出すとそれに座る。


 窓際に置いてある座卓の上に、赤い林檎が一つ置かれているのを見つけると、これは?食うに食わずの貧乏人が果物買うの?と笑う。


「あー、それな、教授に『林檎』で書けって言われてさ、無い金から何とか捻出して、果物屋で一番高いの買ってきたんだよ」


「林檎でか、ゼミのみんな元気なのか?」


「ああ、お前が早く良くなって、出てきてほしいって話てるよ」


 ポットに湯が湧いた、俺はなけなしのインスタントコーヒーをマグカップに入れて湯を注いだ。



「……、ぴゅうヒュウと木枯らし吹く、鼻水小僧の頬の色」


 はい?マグ二つを運ぶ俺に奴は話してきた。『林檎』だろ?突然振られた話しに目が点になる俺。


「ガキのほっぺたか、林檎のほっぺ、そりゃほっぺただろ?色だし『林檎』じゃねーよ、なんかズレてるよな、お前の創作視点っての……」 


「でも林檎だ。頬の色で、ほっぺたの赤、そして林檎を思い出したんだろ?お前は、ならば『林檎』で書いたことになる」


「?なんか上手く騙されてる様な気がするが、そんなのでよけりゃ、わざわざ一食抜いてまで林檎なんか買わなくても書けるじゃんかよ、なんか狡いな」


 クククク、相変わらずアタマ硬いな、また林檎について随筆でも書いたのか?どうせならほら話書きゃ楽しいのに、と真面目に話す俺に言ってくる。


「悪かったな、真面目に書いたんだぞ!教授が出来のいいのは短編集作るのに拾ってやるって、言われたし、うん、今回は皆結構ガチで書いたんだ、下書きだけど読むか?」


 十数枚のそれを机の上からかき集めると、薄いコーヒーをすする友に手渡した。じゃあ久しぶりに読ませてもらおと、マグカップを畳の上に置き読み始めた友、久しぶりの空間。俺は飲みながらじっと待つ、以前は読んだり読まれたり、やり取りがあった。



「……、相変わらずの説明文だな、林檎についてって題名なのか?林檎で書くのだろ、そこの林檎でも抱えて妄想しろよ。女に置き換えるとか、俺は赤いそれを剥く、白い肌が現れ、硬く見えるが、柔らかなそれに歯を立てたとか」


「はい?何そのエロい話は!俺の文章を汚さないでくれよ、古今東西の林檎の史実に基づいて書いたんだぞ!説明文って言うな!それにお前のは林檎と全くの関係性が、無い」


 あるよ、ねーよ!ある、全然無い!俺はそんなのは認めない、はい?ガチガチの石に色塗った林檎だなあ!その頭、はあ?フニャフニャの赤い水風船みたいな頭に言われたくねーよ!しばらく創作論議で時間が過ぎた。


「……、そろそろ帰るよ、時報に合わせて車に来るように頼んでるから、コホ……、今度は説明文じゃなくて、ほら話を読ましてくれよな」


 いつの間にか夕が近づいて来たらしい、近くの工場のサイレンが響いた。携帯で時間を確認した友、あー!帰れ帰れ!と俺は彼を追い出した。



 ――「ふーん、()()()()()()書いた()()ね」


 教授がゼミの部屋に来た折、俺は提出したあれはどうでしたか?と聞いてみた。


『林檎について』ズキンとした。奴が言ってた題名だ。


「君は資料を集め調べ上げるのが上手い、農家の仕事のあれやこれ、林檎の種類にと書き込んでいたね」


 穏やかにそう言われた。


「林檎農家の青年と、都会から嫁いできた娘の話ですから。青年がいちから教えるのですので、専門的な記述が多かったと思います」


「そうだね、林檎について云々、しっかりと勉強させて貰ったよ、次は『林檎』で書いてきてね」


 林檎で書く。何がどう違う?やつのアレが口に出た。


「ぴゅうヒュウと木枯らし吹く 鼻水小僧の頬の色……」


「りんごのほっぺたか、それは君ではないね、飯塚か、彼は元気にしているの?ああ、会いたいねぇ、話をしたいよ」


 俺の言葉に嬉しそうに喰い付いて来た教授、ザワザワとする。頭の中も胸の中も腹の中も、ジリジリと熱くなる。外泊した時であった事を手短に伝えた。離れたかった、この場から、嬉しそうに話をする教授から、教授が待っている飯塚の話から、俺は逃げ出したかった。


 狡い、お前はここに来なくても、作品を提出しなくても、教授やここに集っている皆の中にいて、この先読みたいよね、置きっぱなしのそれを手に取り読まれて、短編集にも入れられると聞いた。


 狡い、狡い、お前は俺をグチャグチャにする!俺はムシャクシャしながら、日々の糧の為バイト先へと向かった。本当ならばこんな事せずに、ひたすら調べて書くことに時間を使いたいが、地方から出てきている俺は、そうはいかなかった。


 ここでもか、ここでもか!自宅通学をし、小遣い稼ぎ程度のバイトをしていた飯塚、今はそれすらしなくてもいい奴が、心底憎らしかった。


 夜になり仕事が終わる。酷く疲れて部屋に帰った。待つ人などいない安普請に、お飾りみたいな鍵を開け入ると、灯りをつけた。冷たく散らかった部屋に、林檎の香りがしていた。


「食べようか」


 それを手に取った、奴の白い顔が思い浮かんだ。ナニが妄想しろだよ!バカなんじゃないか!俺は林檎を元に戻すと、きちんと重ねられた原稿用紙をぐしゃぐしゃに丸め、ぎゅうぎゅうなゴミ箱に押し込んだ。


 なぜだか会いたくなった。携帯で連絡しても出ない、しばらく家にいると話していたので、夜に失礼かと思ったが、俺は奴の家に自転車で向かう事にした。ウインドブレーカーのポケットに、小憎たらしいソレを引っ掴むと押し込んだ。 





『一個を二つに分けた、タンとまな板に刃が当たる、半分をさらに二つに、そして三角に芯を取る。レモン水を用意しておいた。色止めに塩水やお酢を使うのは、香りや味がそれに染まるようで、好きでなかったから。レモンならばまだ良い。ナイフで皮をさりさりと剥き、一つをトプンと入れた。


 片割れは、気まぐれにうさぎを作った。不格好。互い違いの耳、眺めてから立ちのままで齧る、シャリシャリと噛み砕く。


 チャポ、漬けておいたそれを取り出すと、おろし金でシュッシュッとすりおろしていく。青いガラス皿の上には薄い乳色をしたシャアベットの様なそれの姿。甘酸っぱい香りが狭い台所に満ちる。銀のティスプーンを引き出しから取り出した。海辺の小さな雑貨屋で見つけたそれは、異国の古いデザイン。


 つい、とすくって口に入れる。ジュースが広がる、しゅるりとした舌触り。スプーンを青い皿に添えるとお盆にのせて運んだ』


 俺は読んでいる、一文字ひともじ丁寧に書いてあるそれを。夜半にも関わらず辿り着いた飯塚の家は、煌々と明かりが灯されていた。嫌な予感の下でチャイムを鳴らした俺。


 あの子が呼んだのね、朝に連絡しようと、顔なじみの母親が出迎えてくれ、父親が部屋へと通してくれた。ベットの上に飯塚がいた。サイドテーブルに一輪の花と線香が点てられている。すぅ、と上に昇る煙の一筋。


「なあ、この先どうなるの?誰かに食べさすの?それとも自分で?『林檎』これは林檎の話だよな、うさぎだよ、すりおろしだよ、書いてないけど林檎だよな、なぁ、この先は?飯塚、お前狡いよ、神様……」


 ポケットの中の林檎を取り出した。ブレーカーを脱ぐ、トレーナーの袖で赤をゴシゴシとこする。磨く、クルクルと回し磨く。白い蛍光灯の灯りがツヤツヤと光を与える。



 コトンとそれを供える。



「なあ、林檎食べないか?あの時一緒に食べてりゃよかったな ……」



 終。


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― 新着の感想 ―
[一言] 切なかったです。 対人関係って、何というかこう、もどかしいですよね。 (伝える力の無さを露呈させていくのが本当に恥ずかしいのですけれども……)
[良い点] 一緒に林檎を食べていれば良かったなぁ、 このひとことが味わい深いですね。 才能の差を嫉妬していた主人公ですが、ようやく何かに気づき始めた、といったところでしょうか。 二人双方に、持って…
[良い点] ずるいって言葉を、いいなぁ、の代わりに使う人を好きでは無いのですが、それは、ずるいに、嫉妬や羨望、どうしても手に入らない何かが込められてるはずなのに、簡単に使われるのがイヤなんだなぁ、と、…
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