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迅速に血清は打たれたが、それ以上に毒の回りが早かったらしい。小母さんのベッドの上、切れ切れに覚醒と睡眠を繰り返しながら、私は大量の脂汗と共に悶え苦しむ羽目になった。
「うう……」
「気をしっかり持つんだ、桜」
額を拭う濡れタオルの冷たい感触と、付き添う小母さんの優しい励まし。高熱のせいだろうか、何時しかそこに別の複数の声が重なった。
「桜、諦めないで」
「あと少し我慢すれば楽になれるから」
「早く元気になって。そしたらまた私達と沢山お話しようね」
あぁ、温室の植物達か……やった。やっと、また聞こえるようになった……。
―――♪♩♬♪
これは、民謡……?言葉の意味は分からないけれど、不思議と落ち着く響きだ。しかも歌っているのは、どうやら例の蛇使いの女性らしかった。
「上手ですね、歌……」
そう話し掛けたつもりだったが、生憎言葉にならなかったようだ。返答は無く、代わりに首元をタオルで拭われた。
ようやく熱と息苦しさが過ぎ去ったのは明け方。窓の外がうっすらと白み始めた頃だった。
脱水でだるい上半身を起こす。その震動に、桜?ベッドに凭れてうつらうつらしていた小母さんが目を覚ました。書き物机の隣には真新しい岡持ちが。食べた記憶は無い。彼女と暗殺者が額を突き合わせて啜る様子を想像し、何だか微笑ましくなった。
「済まない。彼女が去り際に峠は越えたと言ったので、つい気が緩んでしまったようだ」
緩く頭を左右に振る。
「若い頃は二、三日徹夜しても平気だったんだがな。年は取りたくないものだ。ほら」
「ありがとう、杏小母さん……」
渡された常温のスポーツドリンクを一気飲みし、カラカラの身体を潤す。その間にも、外の植物達からひっきりなしに労わりの言葉を貰った。懐かしくも優しいその囁きに、溢れ出る涙を袖で拭う。
「桜?」
「杏小母さん。あのね、私……」
両耳に掌を添えただけで、察しの良い彼女には瞬時に伝わったようだ。おめでとう、深く頷いた後、ポケットから徐に一枚のメモを取り出した。
「粥なら口に出来るか?―――それを食ったら着替えて、この住所まで行きなさい。もうあの家へ戻る気など更々無いのだろう?」
「当然よ。でも、“白の星”の環紗の……映画館?ここに一体何があるの?それに杏小母さんは」
付いて来てはくれないの?視線でそう問い掛けると、彼女は何処か寂しげに微笑んだ。
「残念だが私にそんな資格は無いよ、初めからな。桜」
女性にしては分厚い掌で私の両手を包み込む。そして真贋入り混じった眼で以って、真っ直ぐに私を見据えた。
「必ずここへ戻って来るんだぞ―――待っているからな」