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定期券を使い、郊外行きのバスに揺られる事二十分。又隣街フソルの停留所で降り、目的地までは更に徒歩十分の距離だ。
到着したのは入口に鬱蒼と蔦の茂る、名も無き植物園。街外れ、しかも少なくとも築三十年以上の施設だが、物好きな見学者が絶えない不思議な場所だ。
お馴染みの無人ロビーに入り、入場チケットの販売機の横を通過。尤も園長もアシスタントの私も、券の所持確認をする事自体皆無なのだが。
(でもカウンターは回っているし、律儀に買ってくれる人がいるのよね。大掃除の時位しかお金も回収しないのに、何だか申し訳無いわ)
そう苦笑しつつ、順路に沿って正面のドアを開いた。
キィ。「おはよう、杏小母さん」「ああ、桜か。今日も時間ピッタリだな」
彼女が用務員職を辞めたのは三年前。その半年前に管理人不在だったこの施設を格安で買い取り、現在は住居兼仕事場にしていた。
扉の先は我が植物園の目玉にして、唯一のそれらしい施設。総面積七百平方メートルの温室だ。そこでは今日も、生まれも育ちもバラバラな植物達が元気に生い茂っていた。
アブラムシ対策の手製消毒薬を噴霧中だった園長は、マスクと帽子を外す。そうしてからこちらを振り返り、細い眉を顰めた。
「暗い顔だな。また親御さんと揉めたか?」
「………」
「まあいい、丁度休憩にしようと思っていた所だ。行こう」
初対面の時より近付いた背を見上げつつ、杏小母さんが母親だったら良かったのに、ふとそう思う。彼女が頑固なのは呼び名だけで、他は凡そ強制も命令もしない。それでいて誰より良き理解者なのだ。その圧倒的信頼感足るや、酒浸りの養母とは比較にならなかった。
一旦建物に戻り、受付奥から彼女の居住区へ。未だ情緒不安定な私をリビングのソファに座らせ、小母さんはキッチンへと消える。数分後、戻って来た手は硝子ポットと私専用のカップが。そこに特製のラベンダーティーを淹れ、そっと差し出す。
「ほら」
「ありがとう、小母さん」
こくっ。蜂蜜の甘さと、少しキツめの爽やかな花の香り。そして温かい液体の感触が、ささくれ立っていた心を穏やかに解いていく。
「ハーブも粗方摘んでしまったから、また新たに植えておかないとな。で、今日は何の作業をしようか?」
「そうね、そろそろ入園口の掃除に着手したいわ。まずは壁一面にビッシリ伸びた蔦を取り払うの。それに周りの樹の剪定と、あと雑草も全部抜いて。入口が綺麗になったら、少しはお客さんも増えるかも」
「別に客入りはどうでもいいのだが……まあ、桜の意見にも一理あるな。いい加減鬱陶しくなってきたし、何よりこれ以上放置し続けると近所から苦情を貰いかねない」
「決まりね。なら私、早速高枝切り鋏を持って来るわ」
整備用の道具が収納された倉庫は、園の裏口手前の部屋だ。ついでに梯子も引っ張り出しておかないと。
自分のカップにもラベンダーティーを注ぎながら、随分やる気だな、杏小母さんは屈託無く笑う。
「そんなに気になっていたのか?」
「だって家主の小母さんと違って私、毎日二回もあそこを通るのよ?厭でも目に付くわ」
「それは済まなかったな。だが無理に一日で終わらせる必要は無いんだぞ。施設のメンテナンス以外、基本的に仕事なんか無いんだ。二人で気長にやろうじゃないか」
のんびり屋の園長はそう告げると、そら、ポットの残滓を私のカップへと注ぎ淹れた。