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 ギィィッ……。「御邪魔します……」「おい、来てやったぞチョビ髭」


 床からの非常灯を頼りに、シアター内の階段を慎重に上る。閉館中なので当然スクリーンは暗転し、座席も見渡す限り無人……あ。

「あそこ、誰かいるわ」

「は?」

 現在地点から五段上列の中央、ぽつんと見える小さな影を指差す。暗くてハッキリとは見えないが、どうやら男の子のようだ。

「本気か?閉まってるのに何でいるんだよ」

 自分の事を棚に上げ、訝しげに眉を顰める彼。と、脳裏に一つの可能性が閃く。

「もしかするとあの子、その男性が送り込んだメッセンジャーかもしれないわ」

「成程な。確かにあの親父、学校経営者とかで無駄に金持っていそうだった。近所の餓鬼に小遣い握らせて、俺達を更に人目の無い場所に誘導する気かもしれんな」

 しかし、だとすれば既に危機を脱した私と違い、現在も狙われている彼には不利な状況だ。

 私は胸に手を当て、一つ提案なのだけど、そう切り出す。

「もしあの子が連絡手段を持っていそうなら、その人に保護を求めてみたらどう?」

「おいおい。胡散臭さで言えば、あいつも五十歩百歩だぞ?だが……そうだな、お前の言い分も一理ある」

 パシッ!拳を掌に叩き付ける。

「いざとなりゃ奴等をかち合わせて、その隙に逃げてやるぜ。お前はどうする?」

「物騒な事言わないで。……考えておくわ」

(他ならぬ杏小母さんの指示だもの。危険だとは考えたくないけれど……)

 互いに思案を巡らせながら、少年の掛けている列へ。

「隣、いい?」

「どうぞ。意外と早かったね、二人共」

 黒髪を首筋まで伸ばした少年はニッコリ笑った後―――見開いた黒の瞳を、妖しい紫色へ輝かせた。


 バリンッ!!「――――っ!!!?」


 瞬間、あれ程強固だった封印の扉が、いとも容易く破壊された。続いて解放された記憶が、魂に開く空洞へと一気に流れ込む。未知の衝撃に、本能的に右側の椅子へ手を突き、危うい所で転倒を阻止した。


―――今は苦しいでしょうけれど、全てあなたのためなのよ……。

―――あなたは今日から私の娘、ララ・アンダースンとして生きていかなければならないのだから……。


 思い、出した……病院の処置室、冷たい椅子。そこに拘束された私は、傲慢にも忘却を強いられたのだ。本当の名前も、生来の異能“ディライト・ビリジアン”の事も、何より『ホーム』での素晴らしい思い出の一切合財を……!!

「あーあ、予想以上にちゃちな封印だなあ。僕、かなり拍子抜けしちゃったよ」

 右側頭部を押さえ現実に帰還した私へ、まだ無理しない方がいいよ桜、“イノセント・バイオレット”の宿主が労わりの言葉を掛けてくれた。

「ジョシュア……ああ、良かった。無事、だったのね……」

「僕はあれ位で死んだりしないよ。って、やっぱりアダムの方が覚醒は遅いか」

 隣席に半ば倒れ込むように気絶する“コバルト・マスター”を揃って見やる。

「そうね。私と違ってアダム、キューの事しか思い出していなかったみたいだし……だけど一瞬で全ての記憶を蘇らせて、精神的な影響は無いの?」

「さあね。仮にあったとしても、僕に責任を問うのはお門違いでしょ。大体これ以上中途半端のままで桜、君は我慢出来た訳?」

「まさか」

 今回の事でつくづく思い知らされた。木咲 桜は異端者。どう足掻いても普通の人間の生活は望めないのだ、と。

「良い返事だ。ついでに微妙なニュースを一つ教えてあげよう。君等の養母を騙っていた夢療法士共、今頃血眼で二人を捜し回っているよ」

 くすくす。

「幾ら未成年とは言え、君とアダムは立派な重犯罪者だからね」

「あら、人の事言えた立場?」

「少し会わない内に口が達者になったかい、レディ?―――と、ようやくこっちも起きたみたいだね」


「っざけんな!!聖族政府だか何だか知らねえが、Drをとっ捕まえた上、俺達を散々玩具にしやがって……!!」


 覚醒と同時に咆哮を上げた“蒼”は、忌々しげに自らの坊主頭を掻き毟る。

「おい桜、ハンカチ持ってねえか!?くそっ!俺とした事が、こんなダセえ髪型を今の今まで受け入れてたかと思うと!」

「やれやれ、一言一句想定内の台詞だ」

 溜息。

「御免ねアダム、もう少しだけ我慢して。君の着替え、迎えの車の中なんだ」

「チッ。ま、用意があるだけでも有り難え。ありがとな、ジョシュア」

「どういたしまして」

 バリバリ。酷く忌々しげに頭を掻きながら、シアター内を探るように睨む家族。

「で、オッサンは何処だ?お前が待っていたって事は、この近くにいるんだろ」

「オジサンなら一応用心して、市街で適当にドライブ中だよ」

 ピロリロリン♪胸ポケットから鳴った携帯を取り出す。

「噂をしてたら到着だね。二人共、裏口へ向かうよ」

「おう」

「ええ」

 私達の承諾に、良い返事だ、記憶と寸分変わらぬ姿の少年はピョン!座席を飛び降りた。




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