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所々に設置された非常灯を頼りに、私達は薄暗いロビーを進んだ。インフォメーションや軽食売り場にも、勿論人の気配は無かった。
「きゃっ!?」
「おい、何してんだ」
段差に躓き掛けた所を、咄嗟に彼が右腕で支えてくれた。高校球児らしい逞しい腕に縋り付きながら、何とか体勢を立て直す。
「ご、ごめんなさい。敷いてある絨毯のせいで、よく足元が見えなくて」
「チッ、まぁこの暗さじゃ仕方ねえな。いい、明るい所へ出るまでそのまま掴んでろ」
「ありがとう」
初めて触れる異性の腕だったが、不思議とドキドキはしなかった。ただ彼女を真摯に想う彼への申し訳無さが募るばかりで。
半ば引き摺られるように奥へと進み、四つのシアターの入口へ。事前に聞いていたらしく、彼は躊躇無く二番シアターへと歩を進めた。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「怖い事言わないで」
先程までその蛇に噛まれ、半死半生の目に遭っていたのだ。包帯の下はまだ腫れてズキズキ痛むし、寝不足のせいで頭も若干ボーッとしている。そう言えば、
「あの。さっき襲われたって言っていたけど、怪我は?」
「無えよ。あんだけ方々爆発しまくってて、自分でも奇跡的だと思うがな。けど、くそっ!」
バリバリッ、苛立たしげに頭を掻く。
「こんな閉鎖空間であいつに襲われたら、本気で洒落にならねえぞ……」
お前みたいな足手纏いがいたら尚更な、目線でそう続ける。不本意ながら激しく同意だ。ただでさえ衰弱した今の状態では、普通に走る事すら困難だわ。
(でも、これでハッキリした。彼の所にも現れたんだわ、彼女とは別の暗殺者が)
しかもそちらは未だ、ターゲットの殺害を諦めていない。危機は去っていないのだ、私と違って。
「心配していても仕方ないわ。とにかく進んでみましょう。それに今の所、少なくとも正面玄関からは誰も入って来ていないみたいだし」
「何?」
人の出入りがあれば教えて欲しいと、念のためロビーの観葉植物達に頼んでおいたのだ。そして、まだ彼等からの合図は無い。恐らく裏口も存在するだろうが、少なくともこれで襲撃の可能性は半分に減った。
「自分でも上手く説明出来ないけれど、私には分かるの。信じて、とは生憎言えないけれど……」
「どっちなんだよ」バリバリ。「だがま、疑いはしねえよ。お前みたいなお嬢様がすぐバレる嘘を吐くとも思えねえしな」
「お嬢様ですって?私は学校にもロクに行っていない不良娘よ。見た目通りの御令嬢なんかじゃないわ」
キッパリ否定すると、同胞の蒼い目が大きく見開かれる。瞳に浮かんだ同情に、意外?私は小さく頭を横へ振った。
「いや。今となっては俺も、何故あんな下らない場所に通えていたかが分からない。しかも毎日遅くまで球遊びなんぞ……済まん、あんたを誤解してた」
「慣れているわ。謝る必要なんて無い」
―――まさか、選りにも選ってお前が決勝に残るとはな、桜。驚いたぜ、全然強そうに見えねえのに。
―――偶々くじ運が良かっただけよ。でも、今からやって夕食までに終わるかしら?
―――俺達は誰かみてえにゴネて時間を伸ばしたりしねえだろ。どんなに長期戦でも、流石に寝る前までには決着が付く。ってな訳で特別ルール、一手の持ち時間は三分でどうだ?
―――スピーディーな真剣勝負、って事ね。OK、受けて立つわ。
「ところであなた、チェスの経験は?」
「は?何を藪から棒に……無えよ。んな頭使うゲームは苦手だ」
「あら、勿体無い」
昔のあなたは深夜に及ぶ勝負の末、見事僅差で優勝したのに。
「??まぁいい。取り敢えず、何時でも逃げられる気構えだけはしとけよ―――行くぞ」
「ええ」
私達は左右の取っ手をそれぞれ掴み、同時に引き開けた。




