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盾持ちのアルミラージ  作者: 七男
2/2

10戦目

「奴隷商の奴め……足元みやがってくそったれ」


 薔薇の刺繍が胸元に施された、シルク生地の黒いドレスを可憐に着こなしてい

る長身の女性から、似つかわしくない言葉が漏れる。

 少々強い南風が女性の顔を横切る度に、ダークブロンドの髪の隙間から生えて

いる灰色の少し尖った耳が見え隠れする。

 狼の獣人であるカリーナは、南の地で行われた人間と鬼人の戦争を終え、同じ

傭兵団の仲間と共に闘技場へ向かう最中であった。

 人間側に雇われ、鬼人達を相手に戦場を駆け回るのは骨が折れた。

 切り込み隊長である彼女の部隊は、彼女を筆頭に腕に自身のある獣人で構成さ

れている為、個だけで言えば最強ともいわれる鬼人達と負けず劣らずの接戦を繰

り広げて見せた。

 しかし、その戦いで失った兵も多く、新たに命知らずの兵を補充する為、大陸

の中央に位置する混合都市【ミズガルズ】に訪れていた。

 混合都市と呼ばれるだけあって、この都市は交易が盛んだ。

 人、物、金を求めるのであれば、中央にくれば必ずと言って良い程手に入る。

 今回で言えば、戦争で持ち帰った戦利品の売買も目的の1つではあるが、カリ

ーナが団長より受けた指令は人の補充であった。

 南に点在する国と違い、しっかりと舗装された道とはいえ、馬車に乗っている

と地面に敷き詰められた石の溝に車輪が入り込み、ガタガタと不快な揺れを体に

伝えてくる。

 先程の奴隷商人との交渉を思い出し機嫌を損ねていた彼女にとっては、この些

細な揺れですら舌打ちをする理由には十分だったようだ。


「ちっ」


 そんな彼女の様子を黙って見ていた団員が声を掛ける。


「まぁまぁ隊長。久々の中央ですぜ?気軽にいきましょうや」


 カリーナの横に座る銀色の短髪が似合う爽やかな青年がなだめる。


「他の部隊の隊長達も、それぞれ任を受けているんですから、僕達もがんばりま

 しょう」


 「それに……」と銀髪の青年は、カリーナと同じ灰色の耳をピクピクさせなが

ら続ける。


「今日は闘技場で10戦目を迎える奴隷の試合が見れるわけですし」


 「あぁ……」とやる気のない返事を返し、カリーナは目線を外の街並みに向け

る。

 奴隷商の店は何店舗か回り、依頼を受けていた兵隊の数は大よそ補充すること

ができた。

 本来であれば宿に戻って寝転んでいても良いのだが、たまたま飯屋で休憩をと

っている際に、尻尾をフリフリしていた猫の獣人と思われる可愛らしい店員から、

闘技場の話を聞いた事が今回の寄り道の始まりである。

 なんでも、今日10戦目を迎える奴隷はとても変わった者らしく、今回の一戦

はこの【ミズガルズ】でもっとも注目されているニュースらしい。

 そんなことを聞いてしまえば、嫌でも興味が湧いてくる。

 勝ち上がった奴隷の末路を知っている身としては複雑な心境ではあるが……。

 つい先ほどのやりとりをぼんやり思い出しながら、移り行く街並みの景色が次

第にぼやけて行くのに気付くと、焦点を戻そうと視線を上に移す。

 

「さて……どんな変わり者が今日の10戦目を迎えるのか」


 独り言のようにカリーナは呟いた。

 空には雲が陰り始め、まるでこれから闘技場で最期を迎えるであろう、まだ見

ぬ奴隷の結末を予期しているかのようだった……。



 ――アビーの姿を見なくなってからどれくらい経過したのだろう。

 キャリーは控室の中で己の半身でもある盾を見つめながら、自身の番を待つ。

 アビーとは、中庭での秘密の会話以降、一度も会うことがなかった。

 他の奴隷に聞いても「わからない」と同じ回答が返ってくるばかり……監視に

至っては、はぐらかして結果を教えてくれない。

 アビーのことなので、無事に外に出て薬草茶以外のお茶でも飲みながら案外自

由に暮らしているのかもしれないな。

 前向きな思考を一生懸命頭から捻り出し、先程から何回も頭を過る、最悪な結

末を掻き消す。

 

 ――遠くの方で歓声が上がる。

 どうやら決着がついたようだ。

 暫く闘技場へ続く道に目を向けるが、私が控えている部屋に戻ってくる者の影

は現れなかった。

 恐らく、先ほどの戦いで命を落としたのだろう。

 次は自分が命を落とすかもしれない。

 恐怖心を拭う。

 私は死なない。私は死なない。

 足が震える。

 これは武者震いだ。きっとそうだ。

 

「おい。出番だ。いってこい」


 監視が私に声を掛けてくる。

 ハッと顔を上げ、無言のまま盾を背中に掛け、闘技場まで続く道を歩き出す。

 入口に向かうにつれて観客のざわめきが大きくなる。

 今まで9回、試合前の緊張感を味わってきた。

 今日死ぬかもしれない。という恐怖心を押さえつける術は身に着けているつも

りだったが、今は初めてこの闘技場で試合をした時よりも、全身を恐怖が覆って

いるのを私の体が教えてくれる。

 まるで、この闘技場で死んでいった者達の亡霊が足に纏わりついているようだ。

 広場までの道のりが以上に長く感じる。

 

「お前が死んじまったら俺だって悲しいぜ?」


 アビーの言葉が脳裏を過る。

 私はまだ笑顔を見せてなかったな……それに、お茶の約束もしたんだった。

 死んでたまるか。私にはやることもたくさん残っているのだから。

 家族の顔、村人達の顔、アビーの顔。色んな人達の顔を思い浮かべる。

 この闘技場を出たら、やりたい事がたくさんあるな……。

 次第に闘技場の明かりが大きくなり、私は闘技場へと足を踏み入れた。

 

「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ」


「!!」


 鼓膜を劈くような唸り声が、思い浮かべていた皆の顔を搔き消していく。

 何処かふわふわしていた私の意識を現実に引き戻した声の主が視界に入る。

 4メートルはあるであろうか?真っ赤な肌と、良心などかけらも持ち合わせて

いないような形相で私を見下す鬼人の姿がそこにはあった。


「皆様!お待たせいたしました!我が闘技場で1番の人気者!アルミラージの登

 場です!」


 審判の女性が、鬼人と周りを取り囲む観客に負けない程の大声を張り上げる。

 

「そんなアルミラージもついに10戦目!鬼人を前にどんな絶望と愉悦を私達に

 もたらしてくれるのでしょう!」


 まるで、私が負けるのが当たり前と言う口調で女性は前説を続けている。

 だが、女性が言っている事は間違っていない。

 私がこの闘技場に送られてきてから、おそらく何人もの奴隷達が10戦目を迎

えているはずだ。

 それでも、誰も10戦目の結果を知らないし、監視達が結果をはぐらかす理由

を漸く理解する。

 全員死んだのだ。勝てるわけのない相手を前に、勝てばこの牢獄から出られる

と甘い言葉に乗せられ、希望を胸に挑んだ者達は絶望し、その様子を観客に嘲笑

われながら……。

 10戦目に敗れたとしても、生きていればまた10連勝目指して頑張ればいい

と監視達は言っていた。そこには死しか待ってはいないというのに。

 私が絶望している間にも、女性は淡々と話しを続けている。


「最後にどんな苦悩の表情を浮かべて息絶えるのか!とくとご覧ください!」


 試合開始を告げる鐘が鳴ったような気がした。


 ――風がきれる音が聞こえる。

 

「!?」


 咄嗟に右に跳ね、大げさすぎるほどの回避行動を体が反射的に行う。

 つい先ほどまで私が立っていた場所は既に砕かれ、石の破片が飛び散っていた。

 鬼人が殴りかかってきたのだと、今になって漸く状況を理解する。

 鬼人はすかさず体制を立て直し、私のいる方角へ拳を振るう。

 さすがにこの距離では鬼人の拳は届かない……次はどうするべきなのか!?頭

の中でこの場を切り抜ける事だけを必死に考える。

 しかし、私の思考を吹き飛ばすように、全身に風圧が襲い掛かる。

 回避で飛んだ状態だった為、そのまま吹き飛ばされ壁に叩きつけられてしまい、

 ギシギシと骨が軋む感覚が体を飲み込んでいく。

 鬼人の振るう拳の風圧が私を捉えたのか!?

 凄まじい速度で鬼人が迫ってくる。助走をつけての渾身の一撃をぶつけようと

――。

 考えるよりも先に、脳が直接筋肉へ伝達を始め、瞬時に左へ体が動く。

 鬼人の殺意の込められた右ストレートは壁を捉え、硬い石を抉る衝突音が耳を

刺激する。

 咄嗟の回避には成功したが、動いた方向の間違いに私は気が付く。

 鬼人も私の間違いに気が付いたのか、好機を逃すまいと、退路を塞ぐように右

腕を壁に半分近くめり込ませたまま、力任せに横殴りを仕掛けてくる!!

 視界に映る全ての時間がゆっくりと流れる――。

 右に回避していれば、広場の中央付近に逃げることができたはずだ。

 左に回避した今では、行動範囲を絞られ、完全に逃げ道がなくなった。

 今更になって、冷静な思考を取り戻すが、既に手遅れだと察すると、盾を構え

右腕の衝撃に備える。

 

 ――!!!!


 重たい衝撃が全身を襲う。

 体が吹き飛ばされ、後ろの壁に衝突する。

 

 「……ぁ」


 呼吸ができない……。


 壁にめり込ませた状態での無理やりな攻撃だったお陰なのか、私が想定した威

力よりは弱く、なんとか意識を保つことができた。

 体が酸素を求めてせき込むが、立ち止まっている余裕などない。

 鬼人は右手を振り切った反動を利用し、今度は左拳を振るい猛攻を続けてくる。

 私は咄嗟に盾を背中に戻し、鬼人の懐目がけて突進した。

 低く!!低く!!

 地面擦れ擦れまで体制を下げ、力任せに地面を蹴り付ける!!

 鬼人の左腕が私の命を潰す前に!!

 相手の股下から覗く開けた場所だけに目線を固定して突き進む。

 鬼人は私の動きに気が付いたのだろう。左腕に込められた殺気が私を再び捉え

るのを、肌で感じ取る。

 このままでは左腕を躱せない――。

 体重を左に傾け、鬼人の左腕を盾で受け流す。

 力が上手く流れるように、決して力の流れに逆らわぬように、絶妙な体重移動

で殺気から逃れる。

 それでも踏ん張りの利かない衝撃が盾を通して背中を駆け巡ってくのが解る。

 何が起きているか私自身も理解できていないが、体の奥から湧き上がる衝動が

私を生かそうと体を動かしてくる。

 衝動に駆られ、金具のスイッチを押して盾を回転させる。

 すると、力の方向と盾が回転する方向が重なり、受けきれなかった衝撃が逸れ

ていく。

 しかし、風圧で私の体は左に大きく吹き飛ばされた。

 盾と体を繋いでいた金具も負荷を掛けたため砕け、私から剝がれていく――。

 視界がグルグルと回転し、方向感覚を失いかけるが、全身に想像を絶する痛み

と衝撃が訪れ、壁に衝突したのだと教えてくれる。

 右手は明後日の方向を向き、絞った雑巾のように渦巻いていく。

 骨って本当に白いんだ……。

 変な思考が私の脳を支配する。

 鬼人が怒号をあげながら此方に向かって駆けてくるのが見える。

 

 「笑顔の……練習……しな……いと」

 

 アビーとの約束を思い出す。

 もう死んでいるのだとしたら、あの世で再開かな。

 体が冷たくなっていく……。

 視界もぼやけていき、暗闇が私を覆っていった。



 ――カリーナは他の客から奪い取った見晴らしのいい席で、先程よりもさらに

機嫌を悪くし、闘技場を見下ろしていた。

 

 対戦相手は鬼人か……。胸糞悪い面をこんなところでも拝むことになるなんて。

 自分の部下を何人も重症にし、奴隷兵を何人も殺した奴の顔など見たくはなか

った。

 しかも、その対戦相手は同じ獣人ではないか……。

 戦う前から結果は一目瞭然だ。

 別に兎の獣人である少女が相手だからではなく、鬼人が対戦相手の時点で奴隷

如きが勝てるものではない。

 カリーナの率いる戦場慣れした屈強な獣人でも1対1で勝利するのは難しいの

だから。

 だからこそ、ここまでの集客率なのかとも納得はできるが……。

 兎の獣人は、その可愛らしい容姿と、戦いを好まない温厚な性格から、人間達

に攫われては欲望のはけ口として使用されてきた者達だ。

 獣人の方が人間よりも基本的な身体能力は高い為、他の獣人であれば人攫いの

中に狂戦士が居ない限りは摑まるような事はないはずだが、彼らは非常に小柄で

力も弱く、疑う事を知らない純粋な心の持ち主の為、簡単に騙されてしまう。

 昔は各地に彼らの村があったが、そのほとんどが襲撃されてしまったと聞く。

 現在は、西の土地に君臨する師子王のお膝元で保護されるようになり乱獲は減

ったものの、隙あらば攫ってしまおうと、今でも縄張り付近では獣人と人攫い達

による小競り合いが続いているくらいだ。

 そんな世界的弱者に置かれている兎の少女が、鬼人相手にどんな悲惨な最後を

遂げるのか、皆は興味津々なのだろう。

 

「胸糞悪いもの見ちゃいましたね……」


 飲み物を調達してくれたのであろう、鉄でできたジョッキを両手に持ちながら

銀髪の青年が横に座ってくる。


「そうだな……せっかくのところ悪いが、見る気がしないよ。帰るかブレット」


 ブレットと呼ばれた青年は頭を軽く下げ、カリーナをエスコートするように手

を傾けてくる。

 カリーナとブレットが闘技場に背を向け宿に帰ろうとすると、鐘の音が彼らの

耳に響いてきた為、音に釣られて2人共闘技場に目を戻す。

 そこでは、鐘の音とほぼ同時に鬼人が少女に突進を仕掛けているところだった。

 強烈な一撃を、少女は辛うじて右に回避することで免れる。

 その光景を見たカリーナは、自身の目に映る光景が信じられないでいた。

 戦場で見えた鬼人達と比べれば大分劣るが、それでも兎の獣人であるあの少女

が避けれる程のろまではないはずなのに……。

 横に居るブレットもまた、目を見開き試合の行方に釘付けになっている。

 しかし、回避に無駄がありすぎる。空中に飛んでは次で摑まる。

 案の定、空中に回避した少女は、鬼人から放たれた拳の風圧に摑まり、壁際ま

で吹き飛ばされてしまっていた。

 壁に衝突した音から察するに、受け身もろくに取れなかっただろう。

 壁に寄りかかり、少女はうずくまったままだ。

 そんな相手に、鬼人が躊躇いなく渾身の一撃を放とうと少女に向けて拳を振い

に襲いかかっていく。

 

 ここまでか!?


 しかし、カリーナの予想をさらに超える出来事が目の前で繰り広げられる。

 少女はまたしても、反射行動で鬼人の追撃を辛うじて躱したのだ。

 咄嗟の回避行動というものは、いきなりできるものではない……。

 少なくとも、カリーナが知る限りの兎の獣人であれば最初の一撃で終わってい

るはずなのに。

 あの少女が過去にどんな経験をすればあのような兎離れした動きができるの

だ……。

 この闘技場を通じて、体に染み込ませたとでもいうのか!?ありえない。

 カリーナの中で、ある考えが浮かぶが、すぐに自身の考えを否定するように首

を軽く横に振る。

 

「あの女の子。まさか本能を……」


 ブレットも同じことを考えていたのだろう。

 たった今カリーナが捨てた考えを口に出し、試合に見入っている。

 仮にそうだったとして、彼女はあの歳でどれほどの死線を潜り抜けてきたとい

うのか。

 そんなことを考えていると、ブレットが横で「あっ!」っと声を漏らし、カリ

ーナの肩を叩いてくる。

 慌てて彼女も闘技場に視線を戻すと、少女の状況を瞬時に理解し、「まずいな

」と舌打ちをする。

 壁際に追い詰められ、鬼人の左拳を体制を低くし躱そうとしているようだが、

鬼人が少女の思惑に気が付かない筈がない。

 圧倒的な身体能力と、洞察力を持つからこそ最強と恐れられているのだ。拳の

照準を再度少女に合わせ、叩き潰そうかという瞬間――。

 少女は瞬時に体の体重を左に傾け、鬼人の拳を寸でのところで受け流そうとし

ている。


「何者なのだ……あの小娘」


 カリーナの興奮は冷めやらぬうちに、少女がさらに驚きの行動にでる。

 鬼人の拳の力の流れに合わせ、受けきれていなかった力を盾の回転を利用し完

全に躱しきったのだ!!

 

「!!」


 その瞬間、少女から溢れ出る闘気をカリーナは微かだが感じ取る。

 盾の回転に鬼人の力も加わり、凄まじい遠心力を得た盾の先端が鬼人の左拳を

切り裂く!!

 真っ赤な血が、少女と共に闘技場に舞う。

 拳の圧に耐え切れなかったのか、盾を留めていた細工入りの金具が砕け、少女

は派手に吹き飛ばされて行くのが見えた。

 鬼人は圧倒的弱者だと思い弄んでいた相手から思わぬ反撃を受け、怒りから我

を忘れて少女目がけて突進して行く。

 持っていたジョッキを乱暴にブレットに渡すと、カリーナは勢いよく観客席の

手すりを飛び越え闘技場へと飛び出していく。


「間に合うか……!?」


「――!?隊長!!」


 ブレットが突然の事にあたふたとしながらカリーナへ声を掛けてくるのが聞こ

えるが、今はそれどころではない!!

 黒のドレスを靡かせながら、華麗に闘技場へ舞い降りると、気絶している兎の

少女を両手で抱え、後ろから迫りくる鬼人の攻撃をひらりと躱し射程外へ逃れて

みせる。

 

 ――会場中がどよめきで溢れ返す。

 突然の乱入者に観客達は一瞬戸惑いを見せたが、クライマックスを邪魔された

事による怒りがすぐに押し寄せたのか、罵声が闘技場に広がっていく。

 審判である女性も「静粛にー!」と声を張り上げているが、もはや誰も言う事

を聞く者はいないようだ。

 鬼人ですら理性を取り戻したのか、目の前にいる乱入者に対してどう対処す

るのが正解なのか判らず、立ち尽くしている始末だ……。

 一行に収まらない罵声の渦の中で、カリーナは抱きかかえていた少女をゆっく

りと降ろすと、腹に力を入れて一気に吐き出す。


「ウオオオオオオォォォォォン」


 彼女の遠吠えが闘技場を突き抜けると、罵声がピタリと止んでしまう。

 周りを一瞥すると、カリーナは声を張り上げる。


「この闘技場のルールは、先に相手に一撃与えた者が勝者ではないのか!?」


 その問いかけに、審判の女性はあたふたしながらも、「はい」と答えてくる。


「では、今回の勝者はこの少女になる。鬼人の左腕を見てみろ!!」


 彼女の言葉に釣られ、観客達の視線が鬼人の左腕に集中する。

 そこには、 盾によって切り裂かれた左腕が今も鮮血を垂れ流していた。

 どうするべきが判断がつかないのであろう。審判の女性がオロオロとしている

と、彼女の横に置かれた椅子に深く腰掛けていた小太りの中年男性が、ノソリと

起き上がりカリーナを見下ろしながら口を開いた。


「確かに、鬼人は一撃をもらったようだ。だが、私にはその少女の方が先に攻撃

 を受けたように見えたが?」


 ネチネチと嫌らしく口角を上げ、その男は観客を巻き込むように演説を始める。


「皆はどうであろう?私には鬼人の拳が兎の少女を殴り飛ばす方が先に見えたの

 だが?」

 

 彼の言葉に、観客達もざわめきを取り戻し、口々に各々の意見を叫び始めた。

 

『アルミラージの一撃が先だった!』


『いや!鬼人の拳のが早かったぞ!』


 まずいな……。これでは収集がつかなくなる。

 カリーナは焦っていた。この後の展開がどう転ぶのか……その結果次第ではこ

の都市どころか、国から目を付けられる事になり兼ねない。

 だが、後に引くことも許されない状況の為、彼女は強気の表情を崩さないまま

小太りの男と睨みあったまま動けないでいた。

 次第に、観客達の議論も終わりを迎え、試合そのものを台無しにしたカリーナ

へ再び怒りの矛先が向けられる。

 

 どうすればいい……どうすれば……。


「いやぁ、バートラム。うちの者が迷惑かけちまったみたいだな」


 ふいに客席から声が上がり、カリーナと、バートラムと呼ばれた小太りの男が

声の方向に目を向ける。

 そこには、栗色の髪の毛をオールバックにしている人間の男性が片腕を上げ、

軽く振りながら立っていた。

 男の後ろには、カリーナと同じ狼の獣人であろう戦士達が5人。獲物をチラつ

かせながら、男の合図を待つようにピタリと並んでいる。

 その様子を確認し、カリーナはホッと胸を撫でおろした。

 そんなカリーナとは相反して、男が視界に入った途端、バートラムの眉間がひ

くつき、一瞬の驚きと畏怖が顔に現れる。


「サイラスか……お前達は南の戦争に向かっていたのでは?」


『サイラスだって!?』


バートラムが呼んだその名に反応し、観客達が驚きその男を中心にしてすぐに円

が出来上がった。


 その様子を見ながら、カリーナはサイラスへ声を掛ける。


「ごめんね団長。また問題おこしちゃった」


「お前は後でお仕置きだ」


 お仕置きか……当たり前だけど……。

 わかりやすく彼女の両肩が項垂れる。


「さて、まずはこの状況の収集をしないといけないな。バートラム、ここで話す

 のもなんだし、場所を変えないか?」


 サイラスの提案をバートラムは承諾し、重たそうに体の向きを変えると、奥の

通路へ姿を消していく。

 その後ろ姿を暫く眺めた後、サイラスは部下達に指示を出していく。


「ブレット。お前は状況の説明役として俺に付き添え」


「それ以外の狼共は、あそこにいるお前らの大将と兎の子を宿まで連れて行って

 くれるか?特に兎の子は怪我がひどいから、ダミアンの魔法紙をありったけ使

 って治療してやれよ」


 それぞれ指示を出された狼達は手際よく行動を開始していく。

 カリーナの元に部下達が下りてくると、事の顛末を聞きたそうに兎の少女とカ

リーナを交互に見つめてくるが、その目線を無視して少女を抱え直すと、「行く

ぞ」と短く言葉を発してその場を離れる。

 

 ――主役が居なくなった闘技場では、嵐が去ったような静けさだけが残ってお

り、誰もその場を動けず暫く固まったままであった……。


 カリーナを筆頭に、街の建物の上を風の様に走り抜け、傭兵団が貸し切りにし

ている宿まで直線距離で目指していく。

 彼女の腕の中で気絶している兎の少女は、息はしているものの外傷が酷く、一

刻も早く手当をしなければいけない状態なのは一目瞭然だ。

 バートラムとの話し合いは団長に任せれば問題はないはずだ。後はこの子を無

事に宿まで送り届け、ダミアン達に治療をして貰わなければ……。

 少女を抱えている為、どうしても走る速度が遅くなってしまうカリーナは、後

ろについてくる狼兵の1人に指示を出すため声を張り上げる。


「おい!!バッカス!!先に宿に向かって、ダミアン達が出かけないよう呼びと

 めておいてくれ!!」


 バッカスと呼ばれた男は、風で揺れて度々片目にかかるアシンメトリーの前髪

をかき上げると、速度を上げてカリーナ達を追い抜いていく。

 残りの狼兵達はそれを合図に、カリーナを囲い守るような形で陣形を変えて走

り続ける。

 【ミズガルズ】に訪れるとあって、いつもとは違うお洒落をしてしまった自身

の恰好に後悔しながら、カリーナもなるべく速度を落とさないよう宿を目指す。

 街の中央を走り抜け、次第に郊外へ抜けてくると、建物の高さも低くなってく

る中で目的地である4階建ての建物が見えてきた。

 建物の門の前には、見覚えのある2人の双子の少女達が、此方に手を振って出

迎えてくれているのがわかる。

 建物の屋根から飛び降り、兎の少女に振動が伝わらぬよう慎重に着地をすると、

双子の少女達が大量の魔法紙を抱えて走り寄ってきた。


「「カリーナさん!!ダミアン先生からありったけの回復魔法紙を預かってきま

  したよ!!」」


 一語一句合わせるとは……さすがは双子ということか?

 関心しながらも、双子に治療をお願いする為、少女の状態を見せる。


「鬼人との戦闘で体中怪我だらけなのと、何よりひどいのはこの雑巾みたいに絞

 られてバキバキになってる腕だ……。無理に治すと後遺症が残らないか?」


「そうですね……。であれば、巻き戻しの魔法紙のが良いかもです」


 双子のうち、左耳に黒いピアスをした少女がテキパキと魔法紙の束の中からお

目当ての紙を見つけ出し、兎の少女の胸元部分へ当てる。

 すると、紙から一瞬光が漏れたかと思うと、少女の全体を包み込み、まるでそ

の空間だけ時間が遡るように少女の腕が元の位置に戻るべく逆回転を始め、本来

の形へと姿を戻していく。

 その様子を見届け、カリーナは双子にお礼を告げると、自身の部屋まで兎の少

女を運び込み、ベットへ寝かせた。

 暫くすれば目は覚ますであろうが、それまでは近くに居てやらなければ……。

 カリーナは少女の頭を撫でながら、目を覚ますまでその場を離れなかった。


 

 ――懐かしい感触がキャリーの頭部を行き来する。

 小さい頃、寝る前に母親が良くキャリーにしてくれたものだ。

 これは私が1番求めている安らぎの思い出だ……。

 しかし、頭の感触は次第に現実の重みを増していく。


「……」

 

 キャリーが目を開けると、そこには綺麗な顔立ちな獣人の女性の顔が映り込ん

だ。

 「!?」驚き飛び起きようとするが、体が悲鳴を上げ元の位置に収まる。

 その様子を見ていた女性は、掛け布団を私にかけなおしながら話しかけてくる。


「目が覚めたか。まだ安静にしていろよ?魔法紙で無理やり傷を治したが、暫く

 はまともに動けない」


 魔法?どういうことだろう。

 私は目だけで周囲を確認する。

 どうやらここは、闘技場ではない事だけは理解したが……。

 私は確か、鬼人と……。

 

「鬼人のことが気になるか?」


 私の考えを察したのか、女性は話を続ける。


「本当に素晴らしい戦いだったよ。鬼人の左腕に切り込みを入れたが、お前も気

 絶してしまったから、あの試合は中断された」


 女性の話によれば、気絶した私はそのまま彼女が属する兵団の借宿に運び込ま

れたらしい。

 闘技場とは現在、団長が今回の混乱の収拾に向けて話をつけにいってくれてい

るそうだ。

 自身の今後についても気にはなるが、他にも色々と聞きたいことはあった。

 今までの10戦目の挑戦者がどうなったのか……アビーはどうなったのか。

 しかし、女性に「今は寝てろ」と無理やり寝かしつけられてしまう。


「お前が元気になったら、また話をしてやるさ。」


 そう言い残し、女性が部屋を出ていこうとしたので、咄嗟に呼び止める。


「あの……助けていただきありがとうございました。名前は……」


「カリーナだよ。【北の傭兵団】の切り込み隊長だ」


 彼女はニッと明るい笑顔を残し、扉を開けて出て行ってしまった。

 傭兵団……。どうしてそんな人達に私は助けられたのだろう。

 頭の中で色々な出来事を整理しようとするが、上手く纏まらない。

 体は綺麗に治ってはいるようだが、体中から激痛は続いており、その痛みも私

の思考を邪魔している。

 カリーナさんに言われた通り今は休む事しか私にできることはなさそうだ。

 動こうにも、体がまったくいうことをきかず、どうすることもできないのだか

ら。

 硬い牢獄と違い、フカフカのベットの上で、私はいとも簡単に再び深い眠りに

落ちていくのであった。


 ――どうやら兎の少女はまた眠りについたようだ。

 扉の前で聞き耳を立て確認を終えると、カリーナは「ふぅ」とため息を漏ら

す。

 私もあの子の名前を聞いておけばよかったと後悔しながらも、また起きてから

の会話のネタにしようと思考を後回しにする。

 問題なのは、闘技場を経営している商業ギルドとの交渉事だ。

 我ながらとんでもないもめ事を持ち込んでしまったものだと、改めて反省する。

 本来であれば、客であるカリーナが割り込んでいい場面ではなかった。

 どう考えても此方側に批があることは明らかだ。

 団長がどのように話をつけてくるかにもよるが、最悪な結末も考えなければい

けない。

 闘技場を経営しているギルド【王の目】は、その名前の通り、国王と密接な繋

がりのあるギルドである。

 彼らの保有する鬼人の治療に必要な回復系の魔法書の要求やら、鬼人が戦いに

復帰できないと、客足が遠のいてしまう為、その損失分の請求など……。

 パッと考えつくだけでも、相当の損害賠償を請求される。

 そして1番は、あの少女の所有権に関してであろう。

 兎の獣人は、非常に高値で取引される種族だ。貴族でもなかなか手が出せない

ほどの……。

 それを勝手に連れてきてしまったのだから、いくらふっかけられるかたまった

ものではない。

 最悪、中央国にも目を付けられ、傭兵団ではなくただの犯罪集団扱いされても

おかしくない。

 それでも、カリーナにはあの少女を見捨てることができない理由があった。

 本当に自分勝手な理由だが、どうしても彼女の脳裏にこびり付いている記憶は

払拭されるものではない。

 色々と不吉な考えが頭をよぎるが、団長の顔を思い浮かべ落ち着きを取り戻す。


「うちの団長ならなんとかしてくれそうだな……」


 何の根拠もないが、何となくそう思ってしまうのだ。

 カリーナは【北の傭兵団】結成当初から属しており、団長とも付き合いは長い。

 いつも思い切りのある行動……といえば聞こえはいいかもしれないが、破天荒

な考え方は団員達を振り回してきたものの、全てのことを終えてみると、あの決

断で良かったのだと思えることが多い。

 この先の展開がどう転がろうが、団長についていくだけだ。

 1人でぶつぶつ考え事をしながら、階段を下り宿のロビーに向かう。

 すると、カリーナの存在に気付いたのか、先程治療をしてくれた双子が「「カ

リーナさん!!」」と声を合わせて彼女の元に駆け寄ってきた。

 

「あの子の様子はどうですか!?」


「今はぐっすり寝ているよ。心配ない」


 右耳に白い球体のピアスを付けている少女が不安そうにカリーナに話しかけ、

それに対して返答を返すと、双子は良かった……。と言うように胸を撫でおろし

ほっとしてみせる。

 

「ふん!よそ者に対してあんな高価な魔法紙を何個も持ち出しおってからに」


 ふいに、ロビーの後方、4人掛け程の大きさであるソファーを1人で占領して

いる、50歳は超えているだろう、人間の如何にも魔法使いが被っていそうな尖

がり帽子を被った男が不機嫌そうに声を飛ばしてきた。

 その声にハッと我に返り、慌てて双子はその男の元に駆け寄り深々と頭を下げ

て謝罪する。

 

「申し訳ありません。ダミアン様」


「申し訳ありません。しかし、魔法紙を使用したのはシアンです。私ではありま

せん」


「なぁ!?シビル!!ダミアン様の元からありったけの魔法紙を持ち出したのは

 あなたでしょう!?」


 シアンは、黒いピアスを揺らしショートボブの髪を乱しながら、自身とまった

く同じ容姿である白いピアスを付けたシビルにすかさず悪態をつく。

 2人の毎回の言い争いが始まると、ダミアンと呼ばれた男はやれやれ。と首を

左右に振り、カリーナの方に向き直る。


「わしの可愛い助手達をこき使い追って。しかもわしのマナが込められた大事な

 魔法紙ばかり……」


「ごめんねダミアン。でも仕方ないでしょう?あの女の子が死にそうだったんだ

 からさ」


 論点はそこではないと、ダミアンは答える。


「毎回持ち出すときは必ず声を掛けろといっているだろう!!私のマナが込めら

 れた魔法書は、私の分身そのものなのだ!貴様だって、もし肉親がおって急に

 いなくなったら心配になるじゃろう!?」


 魔法書と肉親を同列に考えることこそ違うのではないか……。

 第一、私はバッカスにダミアン達に許可をもらうよう指示を出しただずだが。

 チラッと、素知らぬ顔で様子を伺っているダミアンに目線を向けるが、彼はか

たくなにカリーナと目線を合わせようとはしなかった。

 まったく……。仕方ないか。


「わかったよ。私が悪かったわ。次からちゃんと言うから機嫌治して?」


「まぁ……ワシの魔法紙でなければその少女とやらも生きてはいなかっただろう

 しな。ワシの魔法紙でなければ「うんうんそうだね!!ありがとね!!」」


 自慢話が始まるといつ終わるか分からないしな……。そんなやりとりをしてい

ると、宿の扉が勢いよく開かれる。

 ロビーにいた団員達は一斉に目を扉のほうへ向けると、満面の笑みで佇むサイ

ラスの姿がそこにはあった。


「ようおまえら!留守番ちゃんとしてたか?」


「団長!!おかえりなさい。それで、結果は?」


 カリーナはダミアンとの会話を放り出し、サイラスの元へ駆け寄る。


「とりあえず、営業損失分や、治療費に関しては、南の大陸でもぎ取ってきた鬼

 人の角60本で承諾してもらえた。」


 「60本じゃとぉ!?」ダミアンが目を白黒させながら聞き返す。

 あまりの衝撃でそのまま心臓発作でも起こしそうな勢いだ。

 しかし、気になるのは次の問いだ。


「それで……あの子の件は?」


 皆もそれが1番きになっていたようで、固唾を飲んでサイラスの言葉を待つ。


「それに関しては、金では解決できそうになくてな……」


 サイラスが少し言いにくそうな、渋い顔つきで次の言葉を躊躇っていると、後

ろからのっそりと顔を覗かせた、牛の獣人である屈強な体つきの大男が代わりに

口を開く。


「あの小娘に代わる兎の獣人を差し出すか……そうでなければ王に報告し我らを

窃盗の罪でさらし首にすると脅してきた」


 傭兵団が国を相手に喧嘩を売るなど無謀すぎる……。


「我々は戦争屋だ。金次第でどの国に加勢するかもわからん。そんな我らが今回

 の件で中央国に喧嘩を売れば、どうなるかは解るであろう?」


 すかさずカリーナが反論を唱えようとするが、大男はそれを遮り、最後まで言

葉を並べる。


「あの小娘を闘技場に引き渡すべきだ。我々【北の傭兵団】を危険に晒すわけに

はいかん」


 カリーナは言葉を詰まらせる。

 そんなことは重々承知だ……冷静に考えればあの少女を闘技場に引き渡せば全

てが丸く収まる。

 それに、行く行くは北の大地奪還の為に、今は同胞を集めなければいけない大

事な期間でもある。

 他国と揉めているような余裕はこの傭兵団にはないのだ。

 頭では解っているのだが、カリーナは昔から考えるより先に行動してしまう癖

がある。

 それは動物としての直感なのかは解らないが、今までそうして起こしてきた様

々な出来事と、その結果には悔いがないのだ。

 そしてカリーナはそういった内情が顔にもすぐでてしまう。

 

 ――両者に沈黙が流れ、その成り行きを他の団員達も見守る。

 カリーナが顔だけで反抗するときは、相手の言っていることが正しいと肯定し

ている時だ。

 彼女を1番近くで見てきたブレッドにはそれがすぐ理解できたし、もちろん味

方をしたいと思うのだが、今回ばかりは難しいか……。


 カリーナの納得していない顔と、正論をぶつける大男の顔を交互に見ていたサ

イラスは、「オホン」とわざとらしい咳払いをすると、つぶやくように口を開く。


「俺には両方の気持ちが痛いほどわかるぜ……。カリーナの少女を助けたいとい

 う気持ちも、ブルクハルトの兵団愛もな?2人共間違っちゃいない」


 「だがらな……」彼は左手をスッと上げ、2階を指さしながら


「今後の人生はあの子自身に委ねる。前回の勝負では引き分けだったんだろう?

 なら、お互いが本調子に戻った時、改めて彼女の自由を賭けた10戦目をさせ

 ればいい」


 彼の提案を聞いて、カリーナは「そんなのはダメだ!」とくってかかる。


「あの子が鬼人と1:1で戦ってかてるわけがないだろう!?前回は運が良かっ

 ただけだ!私達があの場に居合わせていなかったら死んでいたぞ!それをもう

 1回戦わせればいいだ『最後まで話をきけ』


 サイラスがカリーナの言葉を遮る。

 いつもと変わらぬさわやかな表情を浮かべてはいるが、その声色には戦士の凄

みを感じてとれる。


「あの少女が奴隷として捕まえられ、あの闘技場で戦いを強いられているのは同

 情するさ。きっと、奴隷になるまでの経緯も悲惨なものだったんだろう。でも

 な、可愛そうだからといって兵団の仲間まで巻き込んで危険な橋を渡るのは許

 されない。兵団をとるか、あの子をとるかの話なんだよこれは」


 一気に言葉を吐き出し疲れたのか、彼は腰に差している水筒から水を飲んで口

の渇きを潤すと、話を続ける。


「だからあの子が助かる道はあの子自身が掴み取るしかない。先程の試合で死ん

 でいたはずの子が、今はこの宿の2階でスヤスヤねていやがる。案外強運の持

 ち主かもしれないぜ」


 助かる道をあの子自身の力で掴み取れば、後の道を敷いてやるのが私達という

ことか……。

 確かに、中央国と揉めず、尚且つあの子を助けるにはサイラスが示した案が無

 難な着地点なのかもしれない。

 ギルド側からすれば、再戦でまた多くの観客を呼び込むこともできる。

 本来、先ほどの試合で役目を終えたはずの少女を使い、また金を稼ぐことがで

きるのだから、おいしい話なのだろう。

 

 ――彼女が自由を掴み取るには、あの鬼人に勝つしかない……。


 「ちなみに、再戦日はいつになるんだ?」


 カリーナがサイラスに質問をすると、人差し指を1本たて、数字の1を示している

ことを教えてくれる。

 1ヶ月か……いや、1週間?

 彼女が首をかしげているのを見ると、サイラスはフフッと笑いながら


「1ヵ月後だよ切り込み隊長。お前が仲間を巻き込んでまで仲間にしたいと思え

 る程、惚れ込んだ戦士なんだろ?なら鍛えてやりな」


 ――!!


「もちろん!」と返事を返し、無意識にしっぽを左右にブンブン振る。


「兎の獣人が本能を解放するなんて、聞いたこともないがな……ブレットが俺に

 そのことを教えてくれなかったら、ここまであの少女をかばいもしなかった」


 サイラスの発言にカリーナも反応を示す。


「そうなんだ……。微かだが本能をあの子から感じ取れた。兵団にとってあの子

 を味方に引き込めればかなり大きい戦力になる」


 その言葉に、他の獣人達がざわめき出す。


「それがあの子を助けた理由なのか?ベルタを重ねたんじゃないのか……」


 サイラスが、カリーナの元まで近づき、テーブルに置いてある果物を取る際に

彼女にしか聞こえない声量で呟いた。


「……」


 カリーナは何も答えずにると、サイラスはパッと顔をロビーに集まる【北の傭

兵団】達へ向け、声を張り上げた。


「よーし!!暫くは【ミズガルズ】での滞在も決まったことだし、今日はとりあ

 えず飲むとするかー!!」


『おおー!!』


 その声に兵士達も声を張り上げ返答をし、先ほどまで静まり返っていたロビー

は嘘のように騒がしさを取り戻す。

 各々が宴の準備を始める中、サイラスは再びカリーナに向き直ると、肩をポン

ッと軽く叩き、心配するなと言わんばかりにいつもの笑顔を向けてきた。


「俺だって自分の勝手な野望の為にお前も含め、こいつら全員を振り回してるん

 だ。ブルクハルトはあんなこと言っていたが、本心では誰もお前の決断を否定

 なんてしないさ。だから気張れよな」


「わかったよ……。ありがとうサイラス」


 短いやりとりを終えると、カリーナも他の兵達と一緒に宴の準備に取り掛かっ

ていく。

 

「野望の為にこいつらを……か」


 サイラスがポツリと呟くが、誰もその声を拾う者は居なかった。

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