ヒトラーの計画
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当時ドイツでは新兵器の開発が着々と進んでいた。変わった兵器なども試作され実験をされていたのだ。
特に無線兵器などは飛行機、爆弾、艦船など多岐に渡り作られていたのだが実用化されたのはごく僅かである。
V3号と呼ばれる長距離砲もフランスに建設されていた。
これは砲弾が長い砲身(約150m)を通過するうちに数m単位で設置された炸薬により加速され射程150kmにも到達する兵器であった。完成するとフランスからロンドンまでを射程範囲に入るとんでもない長距離砲である。
他にも超重戦車マウスなどは重量188トンもの化け物戦車である。
さらにロケットUボートや音波兵器、ステルス兵器などドイツにはこの時代では世界最高水準の科学力があったのだ。
実際、第二次大戦後アメリカに撤収され実験された物や後世のモデルになった兵器も数多くあるようだ。
ある科学者やアイゼンハワーなどは開発されていたほとんどの兵器があと半年早く作られていればヨーロッパ解放は難しかっただろうと述べてもいる。
それほどドイツにはありとあらゆる物が構想され実験されていたのだ。
いまドイツ将校の目の前に新たな兵器が実験されようとしていた。
V2の新型である。
全長20m、直径2.1m、重さ22トン、搭載量2.3トン、射程6000km
いまで言う大陸間弾道弾の前身である。
ロケットエンジンは2段式になり一気に航続距離を伸ばしたのだ。
これが成功すればドイツからアメリカまでが射程距離に入る計算になる。ジャイロも高性能になり目標への誤差も軽減されたようだ。
今回の実験では弾頭は付けられてはいないが無線機が搭載され、飛行中に電波を発信し距離が測定されるようになっている。
目標は北極方面である。
カウントダウンが開始され皆が見守る中ゼロのコールとともに発射された。
ミサイルはゆっくりと上昇を始め加速し始めると一気に上空に消えて行った。
成層圏まで到達したミサイルはデンマーク上空を通過しノルウェーを飛び越え海上に待機していたUボートの近くに着弾した。
成功である。
この報告はすぐ様ヒトラーにも報告され、すでに5発が実験用に開発されていたため残りは実戦に回される事になった。
V4号と命名されたこのミサイルはヒトラーの計画を実行する事が可能になり、すぐ様命令が発令された。
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イタリアを占領しつつある日本軍は現在主力艦隊がアドリア海に展開し、陸軍がイタリア本土に侵攻していた。
そんな時、日本艦隊の一隻の戦艦がいきなり爆発し轟沈したのだ。
山本司令長官は
『何があった?すぐに艦隊を分散させろ!』
『近くにいた駆逐艦より報告です。いきなり何かが上空から超高速で落下し、それが艦橋中央に当たった瞬間爆発し艦体が真っ二つに折れてしまい、あっという間に沈んでしまったとの事です。』
『V2の攻撃か?まぐれ当たりだろう!全艦に発令、上空を警戒し全速で回避行動をとれ!』
日本艦隊は分散しながら上空警戒をしたがその後一発も飛んでこなかった。
同時刻、モスクワ市内でも轟音とともに爆発が起きた。
1区画が吹き飛び火災が発生している。
こちらも市民の報告により上空より飛来した物が爆発したと解った。
アメリカにも同様の報告がなされた。ワシントン市内にも1発が落下したのだ。
被害を受けた事がない市民は何が起きたかも解らずガス管か何かが爆発したのかと思い攻撃と考える者はいなかった。
これはアメリカ政府も同じであった。
この時は街中での爆発火災と判断され政府に報告が来なかった為である。
しかしその1時間後、世界中に驚くべき放送が流された。
ドイツから世界中に向けての一般ラジオ放送である。
『世界中の指導者達に通告する。私はドイツ帝国総統、アドルフヒトラーである。今回アメリカワシントン、ソビエトのモスクワ、日本艦隊に対しミサイル攻撃を我が祖国より直接攻撃した。これは我が国で開発された新兵器V4号である。
これより世界各国の都市に対しV4号による攻撃を行う準備をしている。
ただちに戦闘を中止しなければ今度は核弾頭を搭載したV4がどこかに落ちるだろう。
我が国に対し降伏をした国より標的から外す事を提案する。
早目の決断が国民を守る良い手段てはないだろうか。
それでは世界の指導者達よ、連絡をお待ちする。』
世界中に衝撃が走った!
ヒトラーは核を脅しに使う計画だつたのだ。
各国では市民のなかでも放送が聞けた為パニック状態に落ち入り政府に詰め寄る市民も現れた。
各軍も停戦し政府からの命令を待つ形になってしまったのだ。
特にアメリカではルースベルト大統領が突然死去し、さらにこの攻撃と放送である。政府での混乱はひどい有様であった。
急遽ハリー・トルーマン副大統領が就任することになったが対策会議は後手に回る事になった。
そのためイギリス駐在のアメリカ軍も何も行動が起こせなくなり軍内部でも混乱が広がってしまったのだ。
日本も同様である。東条内閣がこの対応に動いたが、国民自体が各地でデモを起こしドイツと三国同盟の破棄をした国に対し異議を唱え始めたのだ。
その為議員達は地方から離れられず軍部では指示がないため動く事が出来なく、混乱は増す一方であった。