ソージ・1+ナツキ・1
――LOG IN
女性型の合成音声が耳朶を打ち、瞬間、僕はソージになる。
目を開けば、それぞれのプレイヤーに用意されるというHOMEが広がっていた。十畳ほどの部屋に、簡素なベッドやタンスなどの家具が置かれているだけの、ちょっと寂しい部屋だ。ふと、その数少ない家具の一つである姿見に、僕の体が映った。
ぼさぼさの少し色素の抜けた黒髪、体躯は中肉中背。真っ黒な外套を羽織り、その下にはぴっちりとしたこれまた黒のボディースーツに黒のスラックス。どこにでもいそうな、なんて自分で言うのもなんだけど冴えない容姿の額には人間種を表す、両頬には《風》を表す『紋』がそれぞれ刻まれている。
それが僕。この、電脳世界がもう一つの世界として機能し始めたこの世界で、約3000万のインストール数を誇る世界最大のVRMMORPG『シンドルビック・オンライン』のプレイヤー、もう一人の僕、ソージ。
ここでは、『僕』は『僕』でなくなる。
僕の名前はソージ。
この世界。『絶対神ファルス』が収める『第一世界・ファーリエイト』に住む一住人だ。
ソージ 1
ふと頬をなでるそよ風に、それが入り込んできた窓へと視線を変える。HOMEの外は、さまざまな種族が行きかう大通りになる。通称『始まりの道』なんて呼ばれる、どんなプレイヤーでも必ず通るという大通りだ。
まあ、この通りに初心者向けの賃貸HOMEが並んでいるというだけなのだけど。
ここはこの中央大陸エリフィスのほぼ中央に位置する街、メル・ラウドの円周部に位置する場所で、大通りを歩くプレイヤーの殆どが初心者だ。賃貸HOMEももちろん初心者向けの簡素なものばかりで、ここから中央区に行けば行くほど上級者向けの賃貸HOMEや専用HOMEが用意されている。
つまり、中央区にHOMEを構えることは、全プレイヤーの中でも選りすぐりの人だという証になるわけだ。
エリフィスの他にも大陸はあるし、街もたくさんあるけど、やっぱりこの最初の街メル・ラウドは特別らしい。この世界でも選りすぐりのトッププレイヤーが軒並みこの街に専用HOMEを構えていることからもそれは見て取れる。
「いいよなぁ……専用HOME」
中央区をぼんやりと眺めながら呟く。
専用HOMEは一つのステータスだ。家賃なんかの維持費も高いし、家具類の代価も初期HOMEとは比べ物にならないほどになる。正直、魔法を買うお金をケチって露天を利用するような僕の経済状況では、それらのうち一つもまかなえないと思う。
とはいえ、それもまだ僕がこの世界に入ってから三日しか経っていないからだ。
あと一ヶ月もすれば、押しも押されぬトッププレイヤーの一人として君臨してやる。
……うん。まあ、無理だろうけど。
「ま、上を向いても仕方が無いか。さて……今日も今日とてSPを稼ごうかな」
シンドルビック・オンラインは昨今のMMORPGにしては珍しく、スキル制を採用している。
モンスターを倒して得られるのはSP……スキルポイントというポイントで、これがいわゆる経験値の変わりになる。このポイントを消費して、能力値を上昇させるステータススキルや、戦闘技術のスキルやら乗馬スキルなんかの様々なスキルを習得する。
レベルの概念はそういったスキルにしか存在しない代わりに、その種類は膨大で、組み合わせはまさしく無限大。一見使えなさそうなスキルでも、組み合わせ次第では訳のわからないレベルの役の立ち方をすることもあって、そのあたりもこのゲームが人気を獲得している要素の一つとなっているらしい。
また、最初のキャラクターエディット時のときに選ぶ種族や職業によって覚えられるスキルはかわってくる。
僕は人間種――この世界に最も多くポピュラーな種族だ。で、人間種が最初に選択できる職業は剣士、武闘家、舞士、学者の四つが用意されている。
剣士と武闘家はその名の通り肉弾戦を得意とし、学者はどちらかというと魔術師よりで、魔法を得意とする。舞士はその中間といったところで、身軽さを生かして戦う。武闘家とよく似ているといわれているけど、その戦闘モーションが独特で面白く、コアなプレイヤーからは結構な人気がある。また、舞でモンスターを混乱させたり味方の能力を上昇させたりするスキルを覚えることが出来るのも特徴のひとつだ。そしてある時期になり、一定の条件をクリアしてさえいれば全ての職は二次職に転職することが可能になる。
ちなみに僕の職業は剣士。そして習得しているスキルは、基本ステータスにそのままプラスされるステータススキル以外では、『片手剣』、『魔法技能』、『体力増強』、『戦闘反射』、『ステップアップ』なんかのコンバットスキルと、魔法――マジックスキルがいくつかだ。
それに、スキルは僕の属性によっても影響する。属性というのは、この世界に存在する万物を構成する要素、『火』、『風』、『水』、『土』のこと。エルフなんかの別種族になると、これに『光』と『闇』や、『雷』、『森』なんかもプラスされる。
僕の属性は『風』だ。『風』は速度に関係するステータスが伸ばしやすく、また戦闘補助系の魔法と相性がいい。だから、僕が習得しているのは速度を重視したスキルと、ステータス補助系の魔法だ。それぞれのスキルのレベルは低いけど、まだまだこれからだ。
「さて、今日はどこに狩りに行こうか!」
窓を閉めて、ステータス画面を開く。
早速装備を確認すると、今度は魔法とスキルをチェックする。戦闘で使える魔法は、『ヒール』のレベル2と『シィード・アヴィリティ』のレベル3だけだ。前者は治癒魔法、後者は脚力を強化してすばやさを上げるもの。剣士だから魔法はそんなに多用できないし、シィード・アヴィリティの効力時間は数分程度。ほんの少し戦闘が楽になる程度だけど、それでもほとんど一人で狩りをする僕には重宝する魔法だ。
実はもうひとつ魔法を習得しているんだけど、まるっきり実用性もないしある意味恥ずかしい魔法なので、人気がなかったりする。たぶん、あれを初心者のうちに習得しているの僕ぐらいじゃないかなあ……。
……どうしてそんな物を習得しているかというと、うん、お金がなかったから露天で売ってた初心者用巻物詰め合わせパックを買って、ただソレに入っていただけの話だ。HOMEにおいておけるアイテムも有限だし、捨てるのもなんか悔しかったので、一応習得したけど……恥ずかしいから未だ一度も使っていない曰く付きである。
そして、残りの攻撃系スキルのチェックを済ませる。片手剣スキルを習得してそのスキルを上げると習得可能スキル欄に出てくる攻撃系スキルは、通常攻撃よりも威力は上に設定されている。だけど、その分敵を倒したときに手に入るスキルポイントの量が少なくなる。
その反面、それぞれのスキルレベルを上昇させるにはスキルポイントの他に、そのスキルを何度以上使ったか、なんて条件もあるのだから、割と意地が悪いのだ、このゲーム。
「ま……今日もたぶんソロ向けの場所だろーけどなー」
小さく呟いてみて、なんだかなーと息を吐き出す。MMORPGは知らない人ともすぐに友達になれるってな話なのに、このゲームを始めて三日、実は僕には一人の知人も出来ていない。
元々内向的で、上がり症だからリアルでも友達が少ない。それはここでもあまりかわらないようだった。
「さぁびしいなー」
苦笑いを浮かべて、僕は町の外に向かう。
さあ、今日もがんばるかー。
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本物と寸分たがわないほど……いや、排気ガスのような汚れた空気が混じっていない風は、リアルに吹く風とはやはり少し違う。
「……ついにここまで来たかーってなかんじね」
胸いっぱいに綺麗な空気を吸い込み、そして吐き出してみる。
人間の意識体を電脳空間に没入させる技術が出回り始めたのが、今から大体十年ぐらい前になる。
技術自体はもっと前から開発されていたけれど、よくあるサイバーパンク小説のような危険性やらで実用化が遅れていたのだ。
ただ、それらは確かに解決されたけれど、やっぱり最先端の技術ってのはお金がかかるものだ。この技術が世に出てきた十年前は、一つの機材揃えるのに豪邸が建つぐらいのお金がかかったらしい。
それが民間レベルにまで落ちてきたのが三年前。それからたったの一年で、此処までリアルと変わらない世界を作れるんだから、娯楽にかける日本人のエネルギーは半端じゃないと思う。マジで。いいぞもっとやれ。
「これがお仕事じゃなければ、もっと楽しめたんだろうけどなぁ……」
そう、そこが一番心に引っかかっているところだ。自分で言うのもなんだけど、私はゲームが大好きだ。だからこの仕事を請けたときは、趣味と仕事がいっしょに出来ると舞い上がったものだけど、その内容を聞くにつれそんな感情は消え去っていった。
「まったく……先輩も、妙な依頼をしてくれるんだから」
ナツキ 1
「お久しぶりです、先輩」
「元気そうだな、中村」
少しドキドキしながら、私は先輩の前にお茶を置く。すらりとしたスレンダーな体形に、うらやましいほど整った顔。とても三十を越えているとは思えないほど若々しいオーラを放つ彼女の名は遠藤凛菜という。
警視庁サイバー犯罪対策課の課長を勤めている人物で、私がサイバーポリスに勤めていたときの先輩でもある。
相変わらずビシーッとしているなぁ、先輩。あの最先端の機材が集められた仕事場ならまだしも、港からちょっと離れた廃倉庫を事務所とする我が探偵事務所には本当に場違いなことこの上ないわ。
「……ふむ、いただこう」
ゆっくりとお茶を口元に運び、先輩は小さく息を吐き出した。そして、いつもの人をくったような笑みを浮かべる。
「実はな……」
「サイバーポリスには戻りませんよ」
「……それは残念だが、今日は違う用件だ」
一応機先を制しておくが、どうやら今日の用件は違うようだった。まあ少し残念そうな顔を見る限り、それもあったようだけど。この電脳犯罪全盛の時代において、サイバーポリスは基本的に人手不足だからなあ……。
先輩は小さくため息をついて私のほうを見た。
「……まだ、戻るつもりにはなれんか」
「なれないですね。未来永劫」
「あの上司は『あの』あと、自分のスキャンダルが上にばれて懲戒免職を喰らっているが」
「知っていますよ。私が、ばれるように仕組んだんですから」
「……やっぱりか貴様」
先輩は再度ため息をついて、呆れたような目で私を見たがすぐにきりりとした表情に戻る。そして、クリアファイルを鞄から取り出し、私の前に差し出した。
中に入っているのは、依頼書と少し厚みのある封筒、それから……ゲームのチラシじゃない、これ。
「……これは」
「今回来たのは、その調査を頼みたいからでな」
「まさか。世界で一番売れているゲームに、ですか?」
書類に書かれていた調査対象があまりに信じられないものだった。一度見ればたいていのことを忘れない私が、思わず二度三度と読み返してしまったほどに。
『シンドルビック・オンライン』。ワールドワイドソフトという、IT業界では世界を牛耳るとすらまで言われるバケモノが作り出した、全世界で約3000万のインストール数を誇る世界最大のVRMMORPGだ。
サービス開始から二年そこそこでそこまで上り詰めた、親元と同じバケモノゲームである。私もやりたいと思っていたけど、財布の都合で未だインストールできていない。
非合法な手段ならいくらでも金を稼げるけど、それはもうしないと先生と約束したしねー。
「ああ。だからこそ、だ」
「……何か、あったんですか?」
先輩の表情に、私は何か薄ら寒いものを感じた。こういう表情をする先輩を見ると、いつもいいことがないのだ。
「一週間ほど前に、私の甥が意識不明になっている。……その、シンドルビック・オンラインをやっている途中に、な。意識はまだ戻っていない」
「……それはまた、一昔前の電脳関係のライトノベルみたいな話ですね」
「まあな。私もそう思う」
「しかし、それでサイバーポリスは動かないんですか? 警察は」
それを聞いたとき、先輩は珍しく苦虫を噛み潰したような表情を作った。うわ、地雷ふんじゃったかも。
「事件の可能性ありと上層部に上申してみたのだが……ものの見事に可能性なしとの即答だ。調べることすら許してもらえん」
なるほど、それで……
「それで私に話を持ってきた、というわけですか」
「ああ」
今度は私がため息をつく番だった。本当に、つくづく腐っている。一度上層部のスキャンダルを全て公表して、総辞職でもやらかせてやろうか。……止めておこう。首の挿げ替えになるだけだし。
私の考えを読んだのだろう、先輩はにやりと笑って口を開いた。
「ま、その考えも捨てがたいがね。この仕事は、お前としてもいいものだと私は思うのだが」
「依頼料は、先輩のポケットマネーですよね?」
「もちろんだ。しかも経費として、通信代およびインストール料をこちら持ちにしてやる。課金も多少なら大目に見よう。来月発売の最新GT-Rをあきらめた私の予算は潤沢だぞ、こんちくしょう」
もうその言葉で、ゲーマーとしての血をくすぐられた私は承諾の意を先輩に伝えていた。後に、そのことを後悔することを知らずに……
○
「さて……外からのアタックは最終手段として、やっぱり実際プレイしてみるのが一番よね」
先輩の話では甥っ子さんはゲーム中に意識を失っている。なら、やはり内部から何とかしたほうが効率的だろう。それも怪しまれないためにはチート行為もやってはいけない。先輩も個人的に動いているみたいだし。
そんな条件が課せられる状況の中でしかし、私は唇は知らず知らずのうちに笑みを描いていた。
ゲーマーとしての血が騒ぐどころじゃない。一つ間違えれば、それこそデスゲームになる可能性のあるゲームで、それを成し遂げる。
――なんとやりがいのある仕事なのだ!
「おっしゃ、やりますか!」
あとで聞いた話だと、このとき、寝ている状態であるはずの体が拳を振り上げ、たまたま毛布を掛けようとしてくれていた所長をぶん殴っていたらしい。
ごめんなさい。
昔自分のサイトで公開していた小説のリメイクです。
ソージとナツキ、二人の主人公の視点で話は進みます。よろしくお願いします。