脅迫メール
この作品、女の方から見て多少不快さを感じるかもしれません。あらかじめご了承ください。
『お前の大事な者を預かった。返して欲しいなら私の言うことにしたがってもらおう』
こんな、メールが来たのはあたしが買い物に行った帰りのことだった。夕ご飯の買い物に来ていたのだ。
正直、最初このメールを見たときはただの悪戯だと思った。誰だってそう思うだろう。しかし、あたしはこのメールの内容が嘘ではないことをすぐに知ることになる。
あたしには、家族がいない。あたしの両親は早くに亡くなったし、夫は三ヶ月前に他界。夫の両親とは仲良くなかったので一人身だ。
でもそんなあたしにもようやく家族が出来る。あたしのお腹には生後三ヶ月の赤ちゃんがいる。すこしお腹が膨れているのがとてもうれしい。あたしのお腹の中にいるのは、あたしの大事な大事な赤ちゃん。
そんな晴れやかな気分で買い物に向かった帰りだった。このメールが突然携帯に送られてきたのは。
あたしは悪戯だと思ったので、そのメールをすぐに消して、携帯を閉じようとした。するとまた携帯がメールの受信をはじめた。
――メールは、またさっきと同じ人からだった。ただ少し内容に変化があった。
『お前の大事な者を預かった。返して欲しいなら私の言うことに従ってもらおう。やることは簡単だ。そのお腹の赤ん坊を降ろせ。そうすればお前の大事な者の命は助けてやる』
……なぜ、あたしのお腹にいる赤ちゃんのことを。このことは今はまだ誰にも話していない。先日分かったばかりで友達にも話していないのだ。それに――赤ちゃんを降ろせって。そうすれば大事な者を助けるなんて。
なにを言っているのだ。あたしには家族はいない。今一番大事なのはお腹の中にいる赤ちゃんだ。ほかの誰にも代えられない。もし赤ちゃんか他の誰かを殺せと言われたらあたしは間違いなく赤ちゃんを守るために他の誰かを殺すだろう。
メールを見ながらそんなことを考えているとまたメールが来た。
『赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。
赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。そうすればお前の大事な者の命は助けてやる』
このメールを見た瞬間、あたしの顔は青ざめ、背筋に冷たいものが通った。なんなの……このメールは。
怯えて鳥肌が立っている自分に気が付かずメールから目を離せないでいると突然携帯が鳴った。携帯の音に身体が一瞬、硬直したが、すぐに戻り、電話をとった。
『はい、もしもし?』
『あ〜、山村さん? 今日は定期健診の日ですよ。病院で待ってますんでちゃんと来て下さいね』
病院の院長からだった。この人には昔から世話になっている。産婦人科と整形外科を構える病院の院長だ。こんな電話をかけてくるのもあたしがこの間の定期健診に行かなかったからだ。ただ忙しくていく暇がなかっただけなんだけど。
あたしはその電話にすこし肩を撫で下ろし、病院に行くために買い物袋を家に持って帰った。そして荷物を降ろし、車に乗り込んで病院へ向かう。
病院に着いたあたしは、少し順番待ちをした後、院長のいる診察室へと呼ばれた。
「やぁ、どうだい? お腹の状況は?」
「あ、順調だと思います」
「うん、顔を見ると幸せそうだよ」
「え? あ、ありがとうございます」
少し頬を赤く染めテレ笑いをしながら答える。そんな恥ずかしいことを急に言われるとは思わなかった。
「それじゃあ、そこに横になってくれるかな?音波検査をしてみよう」
そう言われあたしはベッドに横になった。
「ホラ! 見てみて三ヶ月の君の赤ちゃんだ」
先生に言われて、画面を見ると確かになにかが映っていた。これが赤ちゃんなのか。三ヶ月ということでまだほとんど分からなかったが実感はあった。あたしのお腹にいる赤ちゃん。
検査が終わり、あたしは帰宅した。そしていつものようにご飯を食べ、お風呂に入り、布団に入って静かに寝静まった。一人暮らしは、気楽でいい。確かに寂しさはあるけど、あたしには赤ちゃんがいる。
翌朝、いつもと変わらない朝だ。しかもとても天気がいい。こんな日は散歩にでも出かけよう。赤ちゃんもきっと喜ぶ。そう思いあたしは自分のお腹に手を乗せた。
「……え?」
あたしのお腹は、へこんでいた。なにもふくれていない。なにもないただのお腹。
「え!? え!? どういうこと!? え!? そんな!? あたしの……!?」
あたしは激しく動揺した。いや、動揺なんてレベルじゃない。お腹の中にいたはずの赤ちゃんが跡形もなく消えているのだ。あたしは、飛び起きて化粧もなにもせずに、ご飯も食べずに着替えだけ急いでして、すぐに病院に向かった。
病院についたあたしは、カウンターにいる看護士の人に先生を呼んでもらった。たまたま手が開いていたのか先生はすぐにやってきた。
「せ! 先生!! あた……あたしの、あたしの赤ちゃんが!!」
先生は驚いた表情をしている。
「落ち着いてください。柳瀬さん。大丈夫ですか?」
「あたしの……赤ちゃんがいないんです!! どうして! なんで!! あたしの……」
「ちゃっと柳瀬さん……。あまり激しく動かないでください」
先生は妙に落ち着いている。周りのみんなもあたしの顔を見ている。混乱しているあたしを見ている。
「でも! あたしの……赤ちゃんが……」
「だから、落ち着いてください。あなたは赤ちゃんを身ごもっていませんよ」
先生のその言葉にあたしの声は止まった。
「え? な、なに言ってるんですか? だって昨日も……」
「昨日は、あなたはその怪我した足の治療にきたんじゃないですか?」
先生のその言葉を聞いてあたしは自分の足を見る。すると膝の部分に包帯が巻いてあった。身に覚えのない傷に包帯。
「嘘……だって昨日も定期健診にきて音波検査しましたよ?」
「昨日は、あなたは確かに定期健診でした。足のね。包帯やガーゼを替えてX線写真を撮ったんです。覚えてませんか?」
「嘘……嘘よ! だって昨日は確かにあたしのお腹の中には……ちゃんと見たのよ。先生だって産婦人科の先生でしょ!?」
先生は、再び驚きの表情を浮かべている。周りの人も驚きの表情を浮かべている。
「柳瀬さん。ここは、整形外科だけで、産婦人科はありません」
先生は、冷静に答える。周りのみんなは近くの人とヒソヒソ話だした。
「嘘、嘘、嘘!!」
あたしは、先生達の横を走って通りぬけ昨日音波検査をうけた部屋へと走る。
「あ、ちょっと柳瀬さん!!」
みんながあたしを騙している。あたしは、確かに赤ちゃんの検査を受けていた。昨日までお腹も膨れていたし、感覚もあった。それが突然なくなるなんて馬鹿なことがあるはずがない。
昨日検査を受けた場所へとやってきた。あたしは走ってきたいきおいでドアを開ける。
そこにあったのは、暗い物置倉庫だった。目でみても分かるくらい何年も使われていない。掃除もされていないような部屋。立っていられなくなったあたしはその場に座り込んだ。眼からは大粒の涙が流れてくる。信じたくなかった信じることができなかった。
しばらくして先生達がやってきた。
「柳瀬さん、大丈夫ですか?」
あたしは看護士の人に助けられ、立ち上がる。
「柳瀬さん一度精神科のほうで見てもらったほうがいい、いい病院を紹介します」
あたしは、狂っているの? 確かに記憶があるのに。お腹に赤ちゃんがいた記憶が。でもいまこの現実でお腹にその感触はない。あるのは身に覚えのない脚の怪我だけ。
「……? え? ……先生、あたしこの足の傷どこで?」
「あなたから聞いた話だと、階段で転んで打ったと聞きましたよ。それで足の膝の骨に軽い亀裂が……」
「階段って、家の階段ですか?」
「いえ、神社って言ってたじゃないですか? 確か、大北神社だったかな?」
大北神社……聞いたことがある。確かあの神社は、安産祈願で有名だったはず。なんでお腹に赤ちゃんのいないあたしが大北神社に?
「とにかく、今日は家に帰って休んだほうがいい。精神的疲労から来る勘違いかもしれないから」
先生にそういわれたあたしはとりあえず家に帰る。ただ自分で運転して帰れる状態じゃなかったので送ってもらったのだが。
家に着いたあたしは、居間にあるソファーに座りお腹を触る。なんの感触もない。ほんとに幻だったの? そう思うとまた涙が出てきた。涙が出て止まらなかった。今日は仕事に行く気にもならない。仕事場に電話しなくては。そう思い携帯をかばんから取り出す。
「携帯」
あたしは気が付いた。メール昨日来ていた変なメール。あたしは携帯をすぐに開きメールの確認をする。
そこには確かにあった。
『お前の大事な者を預かった。返して欲しいなら私の言うことに従ってもらおう。やることは簡単だ。そのお腹の赤ん坊を降ろせ。そうすればお前の大事な者の命は助けてやる』
『赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。
赤ん坊を降ろせ。赤ん坊を降ろせ。そうすればお前の大事な者の命は助けてやる』
今見ても気持ちが悪い。でもそれより確かにこのメールは存在している。ということは間違いなくあたしは赤ちゃんをこのお腹に宿らせていたということ。でも朝起きたらそれはなくなってて。病院も……。意味が分からない。
と、その時メールの受信画面に突然切り替わった。
「え?」
驚いたあたしは画面に食い入るように見る。受信されたメールはこのメールを送ってきた人からだった。
『降ろせ』
その一文だけだった。どういうこと? あたしは余計に混乱した。降ろせって、赤ちゃんを降ろすということ?
もうあたしの中にはいないのに。それなのにまたこんなメールが。みんなあたしの気が狂ってると思っている。でも確かにメールには赤ちゃんを降ろせと書いてある。このメールがあるということは確かに赤ちゃんは存在していたということ。ということは病院はグルになってあたしを騙している? でも確かに昨日寝るまでは赤ちゃんがいたのに、急に消えるなんてそんなこと。
その時、電話がかかってきた。病院の先生からだった。
『あ、柳瀬さん。精神病院の先生に言っておきましたので言ってください。場所は――』
「先生、嘘ですよね? あたし、やっぱり赤ちゃんいましたよね?」
『……、柳瀬さん。精神病院で一度見てもらってから……』
「その必要はないですよ。赤ちゃんがいた証拠があるんです。間違いなくあたしのお腹には赤ちゃんがいました。そして病院でも見てもらいました」
『……』
「先生が、盗ったんですか?」
『え?』
「返して……、返してください!! あたしの赤ちゃん!!」
『……がッ……ババッ……プッ……おろ……ろせ……』
「え?」
あたしは、電話機の向こうから突然聞こえてきた謎の音に耳を傾けた。
『……』
なにも聞こえない。気のせいだったのだろうか。
「せ、先生?」
『……赤ん坊を降ろせ』
あたしは、その声を聞いた途端携帯を落としてしまった。それもそのはずだ。今の言葉は、昨日来ていたメールの内容のそのままだ。
あまりに驚いたため、あたしの身体は動かない。落とした衝撃で電話は切れたらしい。また電話がかかってきた。でも身体はなぜか動かない。しばらくコールが鳴った後、留守電に切り替わった。
『ピーー。……降ろせ。赤ん坊を降ろせ。降ろせ。赤ん坊を降ろせ、降ろせ、降ろせ、降ろせ、降ろせ』
その声は、留守電が録音する時間ずっと流れていた。意味がわからない。あたしのお腹には赤ちゃんがいない。突然消えたのだ。赤ちゃんを降ろせと言われてもいないんだ。降ろせない。どうすればいいの?
「あたしにどうしろって言うの?」
あたしは、ポツリと呟いた。
赤ちゃんを降ろすことであたしの大事な者の命が守られる。でもあたしには赤ちゃんが一番大事なのに。返して誰でもいいから。あたしの赤ちゃん。もうあたしは動く気力さえなくなっていた。
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あたしは、赤ちゃんを身ごもっていた。でもそれは、あたしの中でのことだ。あたしは、お腹の中に赤ちゃんがいると勘違いしていたのだ。”想像妊娠”というものだと思う。
夫を亡くしたことで精神的に病んでいた。それが原因の想像妊娠だと思う。
妊娠したと勘違いしたあたしの心と身体は、それに備えはじめ母性本能が出てきた。それに伴い、神社へと安産祈願、その帰りに階段から落ちたあたしは、病院への通院、定期治療。
その間も、あたしの中の勘違いは大きくなっていく。そして三ヶ月。あたしの想像妊娠は終わった。
あのメールや電話は、まともなあたしが残したメッセージだったのかも知れない。
”想像の中の赤ちゃんを降ろさないと、自分の命が危険にさらされる”という意味の自分に向けた生きることへの最後のメッセージ。
それに気がついていれば、あたしは……餓死という無残な死に様で発見されることなどなかったのに……。
了
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