銃声
読んでくださってありがとうございます。
いつになったら話が進むのか、そんな感じですがお付き合いくだされば幸いです。
女子トイレの中を見てシオンは昔の学校のトイレを連想する。
見事なまでに簡素な造りだった。
自分の通っていた学校のトイレよりも古いと感じるのは個室が三つしかないせいだろう。
「やっぱさ、花子さんとかいるわけ?」
「ハナコさん?いいえ、そんな名前の人はいないわよ?」
アスカは一番手前の個室の扉を開き、シオンに中に入るように促す。
扉のたてつけが悪いのかギイギイと音が鳴る。
「おお、日本の洋式トイレじゃないですか。良かった、和式って苦手なのよ」
シオンはホッとしたように言い中に入る。
「レジェンドには、地球の血を引く技術者が多いの。地球の技術って素晴らしいのよね。昔は女子トイレって概念さえなかったらしいの」
「じゃあ、お風呂とか温泉もあるの?」
「ええ、レジェンドにも大きな浴場があるわ。でも、シオンの今の状態ではまだ無理じゃないかしら?」
「そうね、お風呂で溺れるとか洒落にならないわよね」
残念そうに言うとアスカにファスナーを下げてもらうべく、シオンはアスカに背を向ける。
アスカは手早くシオンの背中のファスナーを下ろして脱ぎやすいように肩の部分まで服を広げるように下ろしてくれる。
「アスカって弟とか妹とかいるの?」
手馴れた様子のアスカにシオンは聞く。
「ええ、弟も妹もいるわ。今じゃ嫌われちゃって話もしてくれないけどね」
アスカは苦笑する。
「それより、子供服は不便でしょ?私の服で良かったらもっと楽な服があるけど、何か持ってきましょうか?」
アスカの申し出にシオンは目をパチクリさせ、アスカを見る。
「いいの?アタシはとても助かるから嬉しいけど」
「勿論よ。レジェンドに居ると中々着る機会もないし。今の内に着替えてしまいましょう?すぐ持ってくるわ、一人でも大丈夫よね?」
アスカは言うと、シオンの返事を待たずにトイレから出て行く。
「副官、シオンに私の服を持ってきますね!」
外からアスカの元気な声が聞こえ、パタパタと走る音が遠ざかっていく。
シオンはライダースーツと下着を下ろして便座に座る。
「……ふう」
シオンは小さく溜め息をつく。
正直に言えば色々有り過ぎて戸惑っている。
これからどうなるのだろうと不安もある。
知らない人間ばかりだ。
アリアクロスの人間は正宗の言うとおり寛大な心を持っているとは思う。
何しろ自分のふざけた発言すら怒る事もなく受け流してしまうのだから。
「シオン、大丈夫ですか?」
外から少し大きめなルミエールの声が聞こえ現実に引き戻される。
「大丈夫って何よ?」
シオンも大きめな声で答える。
「いえ、声が聞こえないので流されてしまったのではないかと」
「一人で喋るほど、頭おかしくないし!流されるほど小さくもないから!」
シオンの返事に大笑いする声が聞こえる。
「アンタこそ、女子トイレの前で一人で爆笑ってどう思われるかしらね?」
シオンの追撃にルミエールは固まる。
確かに誰かが見れば異様なことだろう。
シオンは気を取り直し、用を足すとレバーを引く。
個室の中の手洗い場で手を洗うと貫頭衣で手を拭く。
アスカが服を持ってきてくれると言うのでついでに脱いでしまおうと貫頭衣を外しライダースーツを足元まで下げる。
「あれ、あれれ?のわっ?!」
後は足を抜くだけというところでバランスを崩す。
シオンは立て付けの悪い扉ごとドオーンと派手な音を立てて個室の外に背中から倒れ込んだ。
「シオン!?」
ルミエールは大きな音に驚き慌てて中に飛び込む。
「いったたた、立て付け悪すぎね?」
中には外れた扉の上に下着姿のシオンが足にライダースーツを絡めた状態で転がるように仰向けに倒れていた。
「……」
ルミエールはその様子に無言になる。
とても可愛らしい少女が下着姿で居るというのに全く色気を感じないのは何故だろう。
ああ、シオンだからか、と納得しルミエールは行動を起こす。
「何をしているんです」
呆れたように言うと、シオンの足に絡まってる服を取り去る。
「どこか痛くしてませんか?」
小さな子供に言うようにシオンを立たせようと手を伸ばす。
「キャー!副官、何をしてるんですか!!」
アスカの悲鳴が入り口から聞こえたと思った瞬間、考える間も無くルミエールは殴り飛ばされていた。
「え?」
シオンは目の前でルミエールが殴り飛ばされたことに驚く。
「ちょ、アスカ?誤解よ?ルウちゃんは助けにきてくれたのよ?」
シオンは呆然としながら更にルミエールを殴りそうなアスカの制服のスカートを掴んで止める。
「……え?」
アスカはシオンの言葉にピタッと止まる。
そして、状況を見て段々と青褪めていく。
倒れた個室のドアの上に下着姿のシオンは上半身を上げ座っている。
シオンは副官が助けに来てくれたと言っていた。
そして、自分が大きな勘違いをしていたことに気づく。
副官がシオンを襲っているというとんでもない勘違いだ。
恥ずかし過ぎる勘違いで上官を殴り飛ばした。
完全な懲罰対象である。
「も、申し訳ありません!」
アスカは殴り飛ばした副官に真っ赤な顔をして頭を下げて謝罪する。
「……中々良い拳でした。ですが、状況をよく見なさい」
ルミエールは殴られた頬を押さえながら言い、ため息をつく。
アスカの拳は速く恐ろしく重い。
殴り飛ばされたのは何年振りか。
まさか一回り以上、歳の離れた少女に殴り飛ばされるとは。
ルミエールは自分の不甲斐なさに情けなくなる。
不意とはいえ避けようと思えば避けれたのではないかと思うが実際に殴り飛ばされている。
基礎訓練を怠ったせいだろうか。
口の中に血の味が広がる。
腫れそうだ。
この顔を見たらレイスやゼルダに笑われるだろうと、もう一度ため息をつく。
「本当に申し訳ありませんでした!」
アスカは恐縮しながらもう一度深く頭を下げる。
「いえ、私の方こそ誤解されるようなことをしましたね。今回のことは不問です。次はまず状況を考えなさい。他の者では懲罰対象になります」
ルミエールは苦笑し立ち上がる。
普通に考えて下着姿の少女に手を伸ばしていたら誤解されても仕方がないだろう。
「外にいるので着替えが終わったら出てきてください。あとで、クライブに扉を直すように言っておきます」
ルミエールは淡々と言うとフラフラしながら女子トイレを出て行く。
顔の痛みより精神的なダメージの方が大きかった。
「…ああ、やっちゃった」
アスカはへなへなと座り込む。
「ごめん、アタシのせいね。先に服を脱いでおこうとしたのが悪かったのよ」
落ち込むアスカにシオンは謝る。
「貴女のせいじゃないわ。私の早とちりだもの」
アスカは苦笑し、持ってきた袋を持ち直すと立ち上がりシオンの側に行く。
「考えてみれば、副官が若い女の子襲うなんて有り得ないわ」
「それはやっぱり艦長の恋人だから?」
シオンの言葉にアスカは驚いた顔をする。
「え?あの噂って本当なの?」
「他に何か理由あるの?」
シオンは首を傾げる。
「いや、副官の好みは年上らしいって同期の子達が言ってたのよ。でも、そうか、艦長の離婚の理由はやっぱり男が好きって理由らしいしね」
考えるように言うアスカの言葉にシオンは噴き出す。
夏生がいたら大喜びするに違いない。
「それより、これでいいかしら?」
アスカは袋からワイン色のワンピースを取り出す。
可愛らしいフリルとリボンがついたものだった。
「シオンは可愛いからきっと似合うと思って、もしかしてこういうのは嫌い?」
シオンのひきつった顔にアスカは心配そうに聞く。
「いや、なんかお姫様とかお嬢様みたいなワンピースだなって。もしかして、アリアクロスの女の子ってこういう服が標準なのかしら?」
シオンは聞く。
「大体、街の女の子はこんな感じの服を着ているわ。今流行ってるらしいわよ?」
アスカは言う。
「私は正直、可愛い服よりはもっとラフなのが好みなんだけど」
「アタシはどちらかというとパンクとかカッコいい系の服が好みね」
シオンは苦笑しながら言うが、きっとここにはないのだろうと思った。
「…じゃあ、今度一緒に市街地に見に行きましょう?艦長と副官に許可をもらえば行けると思うわよ?」
「おお、宇宙で初買い物ね。楽しみだわ」
アスカの思いがけない提案にシオンは嬉しそうに笑う。
「ごめんね、とりあえず今はこれで我慢してね」
アスカは言うと、シオンが立つのを手伝う。
シオンの背中が赤くなっている。
「あとでメルさんに診てもらった方が良いわね。痛むんじゃない?」
「大丈夫よ、つーか、扉ごと倒れるとかコントみたいだわ」
シオンは苦笑いしながらアスカの持ってきたワンピースを受け取る。
アスカはその間にシオンの着ていた服を回収して軽く折って袋に入れる。
見れば見るほど可愛らしいワンピースにシオンは固まるが、せっかく用意してくれたアスカの為に着ようと頭から被り引っ張る。
見た目とは違い、着心地はかなり良かった。
アスカはうっとりしたようにシオンを見ていた。
とてもよく似合っていた。
自分が着た時は全く似合っていなかったが、シオンが着ると華やかな感じで貴族の令嬢のようだった。
「とても似合ってるわ。やっぱり可愛いと何でも似合うのね」
「ありがとう。アスカにはこの色よりも水色とか寒色系のほうが似合うと思うわ。一緒に買い物に行ったらアタシがアスカの服を選んであげる。アタシ、友達の似合う服見つけるの得意だったんだ」
シオンはアスカを見ながら笑顔で言う。
「いいの?嬉しいな。あの、私、女の子の友達少ないから、…友達になってくれる?」
アスカのモジモジした態度にシオンは素直に可愛いと思った。
「勿論よ。アタシ、女の子っぽいアスカみたいな子と友達になれたら最高に嬉しいわ」
「シオンだって女の子じゃない」
アスカはシオンの言葉に笑い嬉しそうに手を差し出す。
「よろしくね」
シオンは差し出された手を握り笑う。
「さあ、これ以上副官を待たせたら申し訳ないから行きましょう」
アスカは言いながら、トイレの外に出るべくシオンを支えながら扉に向かう。
女子トイレの外に出るとルミエールは壁に凭れるように腕を組んで立っていた。
「…見違えました。とてもよく似合っています。アリアクロスの貴族の姫君にも負けないくらい美しいと思いますよ」
ルミエールは着替えたシオンを見てにこりと笑う。
「アリアクロスの男って賛辞の言葉をかけないといけないの?つーか腫れてるわよ?ぶふっ」
シオンは殴られて赤くなったルミエールの頬を見て思わず笑う。
「女性を褒めるのは男の嗜みです。…それから、私の好みは年上ではなく淑女です。ちなみに艦長も女性の方が好きだと思いますよ?それとシオン、変な話をアスカに吹き込まないでください。君のようになったら困ります」
ルミエールはジト目でシオンに言う。
「盗み聞きですか?熟女好きさん」
シオンはニヤッと笑いルミエールを見る。
「扉の前で喋ってれば聞こえますよ。それから熟女ではなく淑女、淑やかな女性です」
ルミエールは言いため息をつく。
「では、戻りましょうか?博士に嫌味を言われそうだ」
言うとルミエールは来た時のようにシオンを抱えあげる。
「ルウちゃんってホント力持ちよね?正直、抱っこされる側に見えるのに」
シオンの言葉にアスカは艦長に抱えられる副官を想像し笑いを堪える。
「……アスカ、今、何を考えました?怒らないから言ってごらん?」
「いえ、何も。副官とシオンはお似合いだなって」
アスカは苦笑して答える。
「あ、この中にパジャマも入ってます。私、そろそろ業務に戻りますね。失礼します」
アスカは袋をルミエールに渡すと敬礼し、シオンにまたねと唇だけ動かしパタパタと走っていく。
「…逃げられましたね」
ルミエールは言い、医療室に戻るために歩き出す。
「打ち付けた背中は痛くありませんか?」
「特に痛くないわ。つーか、ごめんなさいね?ルウちゃんこそほっぺが痛いんじゃない?」
シオンの言葉にルミエールは落ち込む。
出来ればなかったことにしてしまいたい出来事だ。
「まさか、トイレの扉を壊してしまうとは思いませんでしたよ」
「立て付けが悪いのよ。つーか、何でトイレだけ昭和なのよ?他のとこはハイテクなのにさ。花子さんが出てきそうだったわよ」
「ショウワ?ハナコ?何ですかそれは?」
ルミエールは首を傾げる。
「昭和は日本の元号よ。お兄ちゃんが古いもの見るたびによく昭和の遺産って言ってたわ。アタシは平成しか知らないけどね。花子さんはトイレに出る女の子の幽霊よ」
「幽霊?そんなのいませんよ。それにもし幽霊が出るならトイレではなく医療室か格納庫だと思いますよ?何人ものパイロットが還らぬ者となりましたから」
ルミエールは考えながら言う。
「出るの?」
シオンは驚いたようにルミエールを見る。
ルミエールの首に巻きついたシオンの手に力が篭る。
「……もしかして怖いのですか?」
ルミエールの言葉にシオンは明らかに目を泳がせる。
「うん」
シオンの素直な言葉にルミエールは思わず噴き出す。
「君にも怖いものがあるんですね?ふふ、大丈夫です。今のところレジェンドで幽霊の目撃情報はありません。何も出ないから安心してください」
「ホント?出ないのね?」
シオンはホッとしたように言う。
「ええ、出ませ・・」
――パン
声に重なるように聞こえた銃声にルミエールは顔色を変える。
「え?何今の?」
シオンは身体を強張らせる。
ルミエールは答えずに銃声のした方に走り出す。
シオンは落ちないようにルミエールにしがみつく。
ルミエールはかなり速かった。
シオンは不安そうにルミエールを見る。
銃声などテレビやゲームの中のものしか知らない。
できれば銃声が聞こえた方になど行きたくない。
一人で移動するのもままならないためここで待ってるとも言えない。
「大丈夫です。君の事は必ず守る」
ルミエールはシオンを安心させるよう言う。
通りの向こうからザワザワと複数の人の声が聞こえてくる。
「食堂?」
ルミエールは呟くと袋をシオンに持たせ、空いた手で軍服の腰ベルトから短銃を取り外し用意する。
シオンは銃を見て顔色を変える。
まさか撃ち合いでも始まるのかと息を呑む。
ルミエールは一歩進み角から食堂前の様子を見て眉根を寄せるとそのまま進む。
食堂の前には自分と同じように駆けつけた者と所在無さ気に食堂の扉の前に立ち塞がるカウスがいた。
「カウス・エグセイ、そこを退きなさい」
ルミエールは厳しい表情でカウスに言う。
「何があっても誰も通すなと艦長に言い付けられています」
カウスは真っ青になり敬礼しながら答える。
涙目になっているのは彼が新兵だからだろう。
ルミエールは無言でカウスの前に立ち彼の額に銃を突きつける。
「退け!」
カウスは顔色を失い、ヒッと力なくぺたんとその場に座り込む。
ルミエールは食堂の扉を蹴破り中に入る。
そこには銃を構えているゼルダと対峙する料理人のベルツボークが居た。
「カウス、誰も入れるな」
ルミエールは言い付けるとすぐに扉を閉める。
上官の言葉にカウスは泣きそうな顔をするが命令を遂行するため彼は再び食堂の扉の前に立ち塞がるしかなかった。