閑話3
読んでくださりありがとうございます。
「シオン、君はお友達の言っている意味が解るのかい?」
ルミエールはシオンに不思議そうに聞く。
シオンだけが納得した顔をしていたこともだが、それよりはあの説明で理解できたことの方に驚きがある。
「あんまり難しく考えなくていいと思うわよ。海の中にいるってのは確実なんじゃない?要するに張った膜が鏡の役割を果たしてるってことよ」
シオンは答える。
「平行世界とか膜宇宙とか言うから訳が解らなくなるのよね」
シオンは映像の笑っている夏生を見て苦笑する。
「鏡の中…か。なるほど、確かに平行した世界だな」
レイスは考えるように呟く。
「鏡の中…それも海の中って」
ハルは考えるがやはり理解することは難しい。
「アタシが四百年も歳も取らずに寝てたのよ?普通に考えたって解らないわよ。深く考えると眠れなくなるだけだわよ」
シオンは笑ってハルに言う。
「だが、解明もされていない」
ゼルダはため息をつく。
「解明ったって、地球はもう滅んでるし、もうお兄ちゃんもいない。歴史的な謎もロマンを追い求めるマニアなら自分で想像して浸りながら喜ぶんじゃない?」
「……変わっているな、君は」
レイスは嘆息する。
シオンは自分が寝ている間に地球が陥った状況には一切関心を示していない。
生まれ育った地球のことが気にならないのだろうか。
「…何かさ、やっぱり実感がないのよね。昨日まであったものが寝て起きたら何にもない。夢じゃないことは解ってるわ。でも、何かまだ夢の中にいるような気もするのよ」
レイスの意図を感じ取ったのか、シオンはポツリと本音を洩らす。
「………」
シオンの言葉に艦長と副官は一瞬視線を交わす。
「…別にホームシックに掛かって泣き出したり、取り乱して暴れたりしないから安心しなさいよ。つーか、アンタ達のそれはやめた方がいいと思うわよ」
シオンはゼルダとルミエールを呆れ混じりに見ながら言う。
「……それ?」
ゼルダは首を傾げる。
長い付き合いのルミエールとのやりとりにおかしなところがあるとは思えなかった。
「…気付いてないのか。アイコンタクトよ。アンタ達の誤解されるのはそれよ。なっちゃん風に言えば、熱い視線を一瞬だけ交わして相手とのじょ…」
「それ以上言わなくていい。頼むから言わないでくれ」
ゼルダはシオンの言葉を慌てて遮る。
聞いてはいけない。
自分の尊厳を守るための本能が激しく拒否していた。
「私もあまり聞きたくないな。それより、何故、我々の危惧に気付いたのか教えて欲しいですね」
ルミエールは苦笑し、試すような視線を送ると目を細める。
「あれ?もしかして、本当のラスボスはアンタ?何か、すごく冷たい視線を感じるんですけど?」
シオンは茶化すように言うが、変わらないルミエールの冷ややかな視線にため息をつき、諦めたように口を開く。
「普通に考えて、実感がないって言われたらその後に考えがいくでしょ?急にアタシがおかしな行動を起こして困るのは保護してるアンタ達でしょーよ。取り合えず、他人様に迷惑をかける気はないわよ?」
「……」
シオンの言葉に同期生たちは微妙な顔をする。
実際にシオンの言う通りではあるのだが、本人がそれを淡々と説明するのには違和感がある。
シオンは当事者であるにもかかわらず客観的に物事を見過ぎだ。
「…我々は君を害する気はありませんよ。できれば、快適な暮らしをさせてあげたいとも思っています」
ルミエールはため息をつく。
本当に調子が狂ってしまう。
少女は素直だと思うが非常に用心深く感覚が鋭い。相手の言葉の裏側や真意にすぐに気付くことだろう。
形だけの言葉などはすぐに見破られてしまう。
「……じゃあ、何でこの服なのかしらね?アタシ的には嫌がらせのようにしか感じないんだけど」
「…子供服だったことを根に持っていたのですか?」
呆れたようにルミエールは言う。
「違うわよ。出された服には全く落ち度はない。そうじゃなくて、一人で脱着できない服を動かない身体で着てるのよ?」
シオンの言葉の意味が解らず、一同はシオンを見る。
「…お前の言いたいことがよく分からない」
ハルは首を傾げる。
脱げないのなら手伝って貰えばいい。
それだけのことだ。
「甘いわね。アタシが今すぐトイレに行きたいって行ったらどうするの?」
「…行きたいのか?」
ハルは顔をひきつらせる。
「アタシ、空気は読めるけど生理現象はどうしようもないと思うのよ。それともアンタはここで服も脱げないアタシに漏らせって言うの?何プレイよ」
ハルは顔をひきつらせたまま上官たちの方を見る。
「誰かが来るまで待ってろはなし。アタシの膀胱は爆発寸前よ」
「本当に年頃のお嬢さんとは思えない発言ですね」
ルミエールは言いながら軽々とベッドに座っているシオンを片腕だけで抱き上げる。
「…意外と力持ちね」
シオンは驚いたように言いながら、ルミエールの首に腕を回す。
どちらかと言えばルミエールは細身で非力なように見える。
幼い頃は正宗によくこのように抱き上げられたような気がするが高さが全く違う。
「細マッチョなのか」
「副官は僕と艦長を両脇に抱えて走ることくらい平然とやってのけるぞ」
レイスは腕組みをして言う。
「…シュールな画が見えたわ。見てみたい気もするわね」
「嫌ですよ?何で野郎二人を抱えて走らなきゃならないんです」
ルミエールは呆れ混じりに言うと、そのまま医療室を出ていく。
「意外だな。奴が自ら連れていくとは思わなかった」
レイスは二人の気配が消えたのを確認してから言うと、コンピューターを操作し映像を元の場面に戻してから停止させる。
いつもの副官なら艦長か医療室の誰かに行かせただろう。
「気に入ったのではないか?」
「…それは珍しいな」
ゼルダの答えにレイスは驚く。
副官が艦長以外の特定の誰かを気にかけることなど見たことはなかった。
「己とシオンの境遇が重なったのだろうな」
ゼルダは言いながら備え付けの椅子に腰を掛ける。
「僕は奴の過去など知らない。副官は間歇遺伝を持っていたために虐待でもされていたのか?」
レイスはゼルダを見る。
「ルミエールの両親は見事なまでにルミエールに無関心だった。彼らはルミエールの育児を放棄したのだ。あいつを育てたのはさして歳の変わらぬ姉上と兄上だ。ある意味虐待だな」
ゼルダは嫌そうに言う。
幼い頃のルミエールは傍から見て不憫だった。ゼルダはどうしても彼の両親のことが許せなかった。
「唯一の救いは姉上と兄上がルミエールに惜しみ無い愛情を注いでくれたことだ」
ゼルダは目を伏せる。
「過保護過ぎるくらいだがな」
そして、小さく笑う。
「ハル・ジェイド。君の周りには副官のような間歇児はいたか?」
レイスは黙っているハルに聞く。
「居ましたよ。でも、本人が言うまでわかりませんでした」
「だろうな。今では薬で獣化を抑えることができるし、髪までそうなることの方が珍しいからな。薬を開発したのはルミエールの兄上だ。その薬を間歇遺伝の者に無償で提供しているのだ」
ゼルダは言う。
「だが、間歇遺伝の者の扱いは未だに昔のままだ。まあ、実力主義の軍ではあまり差別はないがな」
レイスは言いチラリとゼルダを見る。
元将軍であるゼルダが間歇遺伝の者の有能さを実証したのだ。
「実際、彼らは有能だ。有能であるにも関わらず間歇遺伝を持つ為に軍以外では差別される。愚かの極みだ」
ゼルダは吐き捨てるように言う。
医療室内は静まり返り、医療室の者が作業する音だけが響いていた。
間歇遺伝の者に対する差別は目に余るものが多い。
デリケートな問題だけに誰もが口を閉ざしていた。
「副官の間歇遺伝は顕著だからな、さぞ生き辛かったことだろう」
レイスは腕を組みゼルダを見る。
「ルミエールは幼い頃から己の意思で獣化を抑えていた。姉上や兄上が自分の為に周りの者にバカにされるのが悔しいと努力して抑えていたのだ。昔のアイツは兄上と姉上以外は敵だと思っていたことだろう」
ゼルダは目を伏せ言う。
「ところで、貴様の初恋相手は副官だと聞いたが事実なのか?」
レイスの言葉にゼルダは固まる。
思い出す度に苦くなる思い出だ。
「……知らん」
「副官の過保護な姉上が吹聴していたぞ」
愉しそうに笑うレイスにゼルダはオペレーター達の噂を思い出す。
「……レイス博士、お前がアイにそれを話したのか?」
「いや、有名な話だ。貴様と副官は殆ど夜会に出ないから知らないだけではないか?貴様の元奥方も知っているはずだが?」
レイスの言葉にゼルダは頭を抱える。
夜会とは情報交換の場でもあり、政治家や軍人、民間人の一部や貴族などが集まる。
そこでの情報は役に立つものが多いがゼルダはどうしてもあの場の雰囲気には馴染めなかった。
だから、いつもレイスや他の部下に行かせている。
「今度はシオンも連れていこう。面白いことになりそうだしな」
レイスの言葉にゼルダは青くなる。
「やめてくれ。本当に娘に会えなくなる。頼むから止めてくれ」
ゼルダは疲れたようにため息をつく。
「ならば、自分で行くことだ。本星の話は代理では聞けないことの方が多い。まあ、あの姉上が居れば勝手に教えてくれるがな」
レイスは腕を組んで言う。
「それと、残念なことにどうやら政治家側の間者がいるようだ。昨日話をしたが叔父上はシオンのことを既に知っていた」
レイスの言葉にゼルダは眉間にシワを寄せる。
「まさか」
「僕もそう思った。メルがうっかり口を滑らせたのかとも思ったが違う。シオンは間違いなくハイエナ共に狙われるだろう。あまり、時間はないぞ。あの娘は軍の切り札にもなる」
レイスの言葉にゼルダは考え始める。
「どうせどこに居ても彼女は利用される。どこが一番得になるかを教えてやった方がいいと思うぞ」
レイスはため息をつきながら言う。
艦長と副官の人の良さは知っている。
今回のシオンのことも本人に決めさせようとしているのだろう。
甘すぎる。
「……解っている。だが、できれば本人の意志で残ってもらいたいのだ。意志のない強制は苦痛なだけだ」
ゼルダの返事にレイスはため息をつく。
「それよりも間者が誰だか解っているのか?」
ゼルダの低い声にハルはビクッと身体を震わせる。
艦長の怒りを間近で見たのは初めてだった。
「ベルツボーク」
レイスの言葉にゼルダは一瞬だけ自嘲するように笑う。
「そうか、分かった。まさか彼が裏切るとはな」
ゼルダは呟くと椅子から立ち上がり医療室を足早に出ていく。
「早計な男だ。ベルツボークが居なくなれば食事が不味くなるだけだろうに」
レイスは残念そうに言う。
「…殺すんですか?」
ハルは息を呑んで聞く。
ベルツボークはハル達を我が子のように可愛がってくれるレジェンドの料理人だ。
「いや、殺しはしないだろう。ベルツボークは監房行きだ。そして、後は退職だろうな。軍関係には絶対に再就職は出来ない。艦長は裏切りだけは許さないからな」
レイスはハルの質問に答える。
ハルはホッとしたように胸を撫で下ろす。
ベルツボークを殺してしまうのではないかと思うくらい、艦長の怒りは凄まじいものだった。
「艦長は変わっている。普通は違反をした者を監房にいれるものだがな。例えば上官の退避命令を無視した新兵などをな」
レイスの嫌味にハルは俯く。
「…すみませんでした」
「僕に謝っても仕方あるまい。アスカとカウスは君の勝手な行動を擁護して副官に怒鳴られていた。君より罵られたんじゃないか?」
「……」
ハルはその言葉に顔を上げる。
「君の迂闊な行動で君以外に被害がいく。戦場で私情を挟むな。でなければ、本当に大切なものを失う」
レイスは言い深いため息をつく。
「すまない、もう叱責は受けたのだろう?余計なことを言った。君はアスカとカウスにも怒られるだろうな、覚悟しておくがいい」
「…はい。ありがとうございます」
ハルは答えレイスに頭を下げる。
レイス博士が善意で言ってくれたことが解ったからだ。
自分のことしか考えていなかったことが恥ずかしい。
後でアスカとカウス、それに心配してくれたレジェンドの仲間たちにも謝らなければと、心に誓うのだった。
それと同時に間者と言う言葉に一抹の不安を感じる。
何かが起きている。
漠然とした不安が込み上げる。
「ハル・ジェイド、解っていると思うが」
「俺は何も聞いていません」
ハルはレイスの言葉を遮り無表情で答える。
軍人である以上、綺麗事では済まされないこともある。
ハルの答えにレイスは小さく笑う。
彼にとって満足のいく答えだった。