権力絵図
ポロン、と最後の一音を爪弾き終わると、まだどこかあどけなさの残る顔立ちの少女は深く一礼し、居並ぶ面々に緊張してか視線を上げることはない。
そんな彼女の緊張を解すように声をかけたのは、上座の最奥にゆるりと腰かけた王妃だった。鮮やかな色の刷かれた紅唇が動く。
「見事であったぞ、六姫」
「ありがとうございます、王妃様。私の演奏もまだまだ楽師達には敵わぬ出来でございますが……」
「ほほ、公主……いや、後宮に生まれた子女のうちで六姫ほど芸達者な者はおるまいて、のぉ蓮隼」
上品に扇を口元に当てて笑う王妃に同意を求められた太子もまたゆっくりと頷き、異母妹を見やる。
「はい。六姫、お前に筝を弾かせては楽師の面目がたたなくなると楽殿の長が嘆いていたのは事実なのだから、あまり謙遜することはない」
「そのようなことは……けれど嬉しゅうございます、一の兄様」
王妃と太子からの声がかかったのを皮切りに、共に六姫の演奏に耳を傾けていた公主達や側室達が次々と六姫に称賛の言葉をかけていく。その中にはまだ器楽を習いたての幼い公主達も含まれており、童女達は無邪気に六姫へどうしたらそのように上手くなれるのか、といった質問を投げかけていた。
「六の姉様、今度私に筝を教えて下さいませ!」
「ずるいでしゅわ、六の姉様、十姫にも教えてくだしゃいまし」
公主の中でも幼い九姫と、まだ舌足らずな十姫のいとけない願いに、六姫はふと顔を曇らせる。それぞれ母は違えども、可愛がっていた妹達の頼みに六姫がそんな顔をした理由を察して、王妃は上座から声をかけた。
「これ九姫、十姫、そなたらは六姫に教わるよりも前にもっと真面目に練習せねばならぬ」
「はい、お母様」
「はい、王妃様」
王妃の実子である九姫は母の言葉に幼いながらに長い衣を上手に捌いて上座の母の元へと駆け寄る。幼いながらに王妃と側室の関係は教え込まれていた十姫が九姫に置いていかれてしまい、どうしようかと不安そうにしていたところに上座より少し下の席から声がかけられた。
「十姫、こちらへいらっしゃいな」
「七の姉様!」
淡い黄色の衣を纏った異母姉に十姫は顔を輝かせ、九姫よりは丈の短い衣の裾を持って駆け寄った。
「ふふ、あまり走っては行儀が悪いと緑霞に怒られてしまうわよ」
「……あい、」
「十姫も筝の練習を始めたの?」
「まだ、琴れしゅ」
「そう、曲が弾けるようになったら聞かせてもらってもいいかしら?」
「母様とりょくかの次でもいいれしゅか?」
ええ、と微笑んだ七姫に十姫は先程までの不安そうな表情はどこへやら、上機嫌に最近の自分の上達振りを話して聞かせるのだった。
九姫の話を聞きながらもその様子を見ていた王妃は流石後宮で生まれ育っただけはあると七姫の心配りに満足していた。ちょっとした女同士の諍いが致命的な醜聞に繋がりかねないこの後宮では、複雑に入り組んだ勢力図の均衡を保ち舵取りしていくこともまた後宮の女主人たる王妃に求められる力量の一つである。その王妃に育てられた公主達――その中には七姫も含まれる――が王妃の采配からそうした技術を身につけていくのは自然なことではあるが、公主達の中でも七姫は性来の遠慮がちな気質もあってか心配りには長けていた。
(妾の産んだ公主達は皆気が強い姫であったゆえ、そのせいもあるのかもしれぬの)
誇り高く気の強い姉公主達や負けん気の強い妹公主達の中で、異母妹という立場の違いから仲介役になることの多かった七姫は、余計にそういうことの経験を重ねたのかもしれなかった。
「……九姫、そなたも少しは七姫のように気配りを学ばねばならぬぞえ」
「はい、お母様!」
飛び抜けて元気のいい王妃腹の末の公主の返事に王妃は笑うと、七姫と共に十姫の話を聞くことにしたらしい太子を見やった。
先日の王への進言は後宮にいる王妃にも聞こえており、既に太子の外祖父――王妃の実父からも話は聞かされていた。
――降嫁の際の支度を抑えてでも七姫を降嫁させてしまおうという王の言葉も、また。
(まったく、陛下もどこまで妾達を軽く見ておられるのか……)
生家も属する勢力も違う王妃や側室達ではああるが、長年王に粗略に扱われてきたという点では同志ともいえる。それに元々血筋としては弱かった王が一公子から太子、ひいては王へと上り詰めることが出来たのは、先王の異母弟である公子を父に持ち、先王と同腹の妹公主を母に持つ王妃が王の妃となり、権勢を振るっていた王妃の父の後押しがあったからこそだという自負があった。
すなわち王妃をないがしろにするということは己を王へと押し上げた勢力を袖にするということでもある。
それに加え件の七姫の今は亡き母は王妃の母と同じく先王と同腹の妹公主であり、その血の濃さからすれば七姫は王妃腹の公主達に次ぐ地位にある。下手をすれば、王よりも七姫の方がよほど血が濃くもあるのだ。
それゆえに七姫に対する仕打ちには王妃だけでなく王族の血に誇りを持つ王妃の父にも納得のいかないものである。
既に他の王族への働きかけを進めているという父の言葉を思い出しながら、王妃は血も濃く才覚にも優れた太子を見る。
太子の地位にありながら臣からの信は篤く、いずれ賢王と称されるのは間違いないと囁かれる卯国太子、蓮隼。
その隣に並ぶのは下賤な血を引く後宮のなんたるかも理解していないような粗雑な娘ではなく、高貴な血を引き後宮の御し方を心得た公主である方が相応しいことは、疑いようもない。
太子と父の働きで得たしばしの猶予の間に何としても七姫の縁談を取り潰し、七姫を次期王妃の地位に就けなければならぬ、と王妃は闘志を瞳に覗かせた。