反逆の萌芽
六姫に引き続いて七姫を臣下に降嫁させる、と王が直々に触れを出したのは夏の終わりのことだった。
正式に通知されたそれに、後宮で王妃が扇を壊れそうなほどに強く握りしめていたのは巷には伝わらぬことだが、それでも後宮ばかりでなく王宮内にもその縁談に異を唱える者の姿は見られた。
その筆頭が太子たる蓮隼である。
「父上、六姫に引き続いて七姫も成婚となれば、その支度金のために国庫への負担が懸念されます。そうでなくとも昨年の五姫と連続しての六姫の降嫁です。今年も決して豊作とは言えぬ状況、ここは何とぞ七姫の降嫁を考え直し、国庫に蓄えを」
「陛下、わたくし共も太子様と同じ考えでございます。どうかお考え直し下さいませ」
「「「「お考え直し下さいませ」」」」
玉座よりも一段下でそう言った蓮隼と議堂で膝をついて跪拝する官吏の訴えを、国王は煩わしげに玉座に笏を打ち付けることで拒絶した。跪拝していた官吏の中には国庫を預かる戸部の長官であり――王の即位当時からの旧臣でもある尚書もおり、居合わせた官吏達の間には動揺が走った。
「増税をするわけにはいかぬか……ならば公主の降嫁の際の支度金を切り詰めよ」
「陛下!?」
「外つ国に嫁す訳でもあるまい。ならば少々今までよりも費用を抑えたとて、時期王たるそなたの婚姻でもなし――支障はあるまい」
暗に王となるものの婚姻――すなわち蓮隼の妻にと王が考えているであろう、掌中の玉である八姫の婚姻に関しての話は別だと予防線を張った王に、蓮隼は舌打ちをした。
さすがに王室の事情を議堂に持ち込むつもりはなく、自身の案に賛同してくれる官吏を増やすために国庫の負担増大を引き合いに出したのだが、王直々にそう言われてしまっては強い理由として挙げることは出来なくなってしまう。
議題の当人でもあり、この度蓮隼が殊に可愛がっている異母妹の婚約者となった男――崔侍郎はその若さゆえに議堂に列席することは許されているものの、発言は暗黙の了解がなければ行うことが出来ない。
現に今口を開いて発言を許されているのは太子たる蓮隼の古参の高官達のみだ。他の議題ならば違ったのだが、なにぶん王室の婚姻に関しては有能だからといって口をはさむのを許すわけにはいかない。
「お言葉ですが陛下、近年の公主様方――公主の降嫁を急ぐような素振り、私には疑問でなりません」
「何故だ」
一歩前に進み出てそう進言した一人の官吏に、王の眉間には傍目にも明らかなほど皺が寄る。
けれど官吏は――蓮隼の外祖父にあたる宮廷でも有数の地位にある高官はひるむことなく言葉を続ける。そうすることが出来るのはひとえに彼が太子たる蓮隼の外祖父であることと、先代国王の弟――つまり現国王にとって叔父にあたる血筋の持ち主だからということもある。
「王室典範の定めるところにより、国王となる者の正妃は地の近しい者から選定する決まり。先々代も先代も陛下も、そうして正妃様を選ばれて参りました。太子様もそのようになることでございましょう。けれど年の頃合のとれる公主様が次々と降嫁されてしまっては、時期正妃となる公主様の資質を見極めるだけの時間もありますまい。正妃ともなればそれ相応の教養、作法が必要なのは言うまでもありません。年の離れた妹公主様達はあまりに幼く、従姉妹姫も決して血の濃い年頃の方が残っておられるわけではございません」
「なれど――」
「公主様の降嫁よりも、蓮隼様の正妃を選定し式を上げられることこそ急がれるべきかと思われます」
太子の外祖父――次代正妃の選定に一定の決定権を持つ老臣の言葉に、居合わせた官吏達がざわめいた。
王妃の選出ともなれば、それに合わせて外戚が国政に参与する契機を与えるに等しい。
太子である蓮隼が切れ者であり操り人形にされるような昏君ではないとはいえ、正妃を排出した一族の意思を無碍には出来なくなるのは確実だ。
それゆえに、次代の王妃となる太子妃の選定という言葉にはそれだけの重みが伴う。
祖父の言葉に蓮隼は一拍を置いて頷き、視線を父王へと向ける。
「……時期王妃の選定ともなればその生家、後見を含め王室だけでは決められぬこと。臣が都に集まる新年の式に合わせ、我が妃の選定を行いたく」
臣下の意見を、とはっきりと口にした蓮隼に慌てて居並んだ官吏達も同調し、国王に向け跪拝した。
もし自分の与する派閥の血筋の姫が王妃となれば、官吏達の出世にかかわる。新たな外戚の国政への参与は王宮の勢力図を大きく塗り替えかねないのだ。
様々な思惑が込み合う中、官吏達の意見をないがしろにするわけにもいかないのか、渋々ながらそのように取り計らえ、と口にした王に蓮隼は面を伏せながら内心でほっと一息をついた。
異母妹である七姫の降嫁を完全に撤回させたわけではないが、うやむやにすることは出来た。
自身の外祖父に内々に根回しをした甲斐はあり、しばらく自身の周辺は騒がしくなるものの、最終的に蓮隼の思うような形に持っていくことは出来るだろう。
「…………」
ちらりと王の近く、老臣が多いその場所で一際目立つ比較的若い官吏の一段が王の決定に不服そうな顔をしているのを視認して、蓮隼は眼差しを鋭いものへと変えた。
周囲から浮いているその集団は王の近臣とは名ばかりの、八姫の取り巻き集団と言い換えてもいい官吏達だ。くせの強い彼等は自身を拾い上げてくれた王に忠誠を誓い、その王が溺愛する八姫を同じく溺愛している。それさえ抜きにすれば仕事の出来る有能な者達ではあるのだが、その一点のために蓮隼は彼等のことを毛嫌いしていた。
おそらく彼等は王の思惑――八姫を次代の王妃とすることに同意しており、蓮隼の妃のことに話が移った際もあわよくば王の口から『八姫を太子妃に』との言葉が出るのを待っていたのだろう。しかし王がそう発言する暇もなく蓮隼と蓮隼の外祖父が話を纏め上げてしまった。それが不満なのだろう。
だが蓮隼もあちらの思惑通りにことが運ばぬように今日この日までに綿密に根回しを重ねてきた。
七姫の降嫁という問題は、父王にないがしろにされてきた蓮隼達八姫以外の王の子供達と正妃である蓮隼の母の威信をかけたものへと変貌してしまっている。他の側室の生家もそれに呼応しており、水面下では王と正妃側とで貴族達も分裂を始めていた。今のところは蓮隼達の方が有利な状況ではあるが、最終決定権は王にある以上油断は出来ない。
(あなたの好きにはさせない――)
散々ないがしろにされてきて、今さら好きなように使われるなどたまったものではないと、自分達からの返答を叩きつけてやろう。
そう固く決意した蓮隼の瞳は、冴え冴えと研ぎ澄まされていた。