十一人の公主
この作品は『悲恋もの』です。
ハッピーエンドにはなりませんので、その点をご注意ください。
この卯の国には、佳麗三千人を誇ったという古の大国ほどではないにしろ多くの女人が住まう後宮が存在する。
たった一人の王のために国中から集められた美女と、その美女の生んだ王の子、それに仕える者達のみが住まうことを許された、後宮が。
そして当代の王には正妻たる王妃腹の子供と側室腹の子供を合わせれば両手両足の指でも足りないほどの子供達がいる。
最も名が知れているのは、と問えば一番に上がる子の名は王妃の生んだ、冷酷と噂される太子の名。
けれど次に上がる名前は────
「八の姫!八姫様!いい加減になさいませ!」
「皆、八の姫を早く探し出して参れ!」
侍女や侍官のいきり立った声が後宮に響く。
いつものこととはいえ眉をひそめる他の侍女や女官、居並ぶ妃達の口に上るのは人騒がせな八の姫と呼ばれる王の八番目の娘のことだった。
「またあのお方は……」
「九の姫も十の姫も、あのお方よりはずっと落ちついて姫君らしいですわ」
「ほんと三つも四つも年が離れているのに」
優雅に袖や扇で口元を隠しながら吐き出される陰口の主達は、あらかた言い終えたところでそっと上座でそれを聞いていた女人────王妃の顔色をうかがった。
王妃はそれに気を悪くした風もなく、艶やかな美貌に嘲笑を浮かべた。
「ほんに情けなき娘よの。高貴な王族の血を引いたとも思えぬ、粗野な娘……なにゆえ海燕があの娘に肩入れなぞするのか……」
「下賤な母親のように公子様をたぶらかしたに違いありませんわ!」
「そうでなければあの二の公子様が八姫のような者をお相手にされるはずありませんもの!」
王妃の口から王妃腹の第二公子の名が上るやいなや、すぐさま周囲の侍女や居合わせた側室が王妃の懸念を払拭するように言葉を重ねる。
それに王妃は薄く笑い、ふと近くに控える自分が世話をしている公主に目をやった。
「七姫、」
「はい、王妃様」
「確かそなたにあてがわれた男もあの八姫と親しいようじゃの」
「はい……私が至らぬばかりに、申し訳ございません」
「何を言う、そなたに不足があろうものか」
困ったように目を伏せた七姫と呼ばれた公主に、王妃はそっとため息をついた。
何も王妃に告げ口をしようとはしない七姫の代わりに、隣に座っていた三の姫が口を開く。
「お母様、七姫の縁談の相手は七姫を訪れる前に八姫のところへ行っていたんですのよ。他にも降嫁した、普段こちらにいない私にも聞こえてくるほど……」
「三の姉様、」
咎めるように三姫を呼んだ七姫に、それが真実だと理解した王妃は苛立ちから爪を噛んだ。
形が歪んでしまうと隣にいた侍女に諭されても苛立ちは収まらずに扇を強く握りしめる。
「お父様も何もあのような者を七姫様にあてがわずとも……」
「そうですわ、七姫様は側室腹といえど王妃様がご養育なされたお方ですし、母君も王妃様の従妹姫」
「八の姫よりずっと格上ですのに」
居合わせた側室たちまでもがそう口にし始めたことに七姫が気まずさから顔を青くした時だった。
「────母上、よろしいですか」
扉のところに現れた青年に女達の間にざわめきが広がった。
この後宮に立ち入ることが出来る男は王以外には妃の腹から生まれた公子達を始めとした限られた者のみだ。
そしてこの青年は、その中の一人であり王妃の腹から生まれた第一公子、次代の王となる太子の地位にいる青年だった。
太子が現れたことに他の側室や側室腹の公主が王妃の部屋を辞す。
それを目の端で老いながら王妃は我が子の名を呼んだ。
「蓮隼」
「お久しぶりでございます、母上」
清冽な美貌にほんのわずかな笑みを刷いてそう母に頭を下げた太子は、未だ怒りが収まらない様子の三姫に視線を向けた。
同じ母を持つ姉と弟といえどいささか苛烈な性情の弟を苦手としていた三姫は太子の視線に身をすくませた。
「三姫、回廊まで聞こえていたぞ」
「ご、ごめんなさい蓮隼。でも……」
「粗野ととられるような行動はするな、我々まであの八姫の位置まで成り下がる」
「そ、そうね」
「一の兄様、三の姉様は私を心配するあまりあのように昂ぶってしまわれたのです。すべては私が至らないせいで……」
「なにもお前を咎めているわけではない、七姫」
「そうよ七姫、今のは私がはしたなかったのよ」
あまりに姉が不憫に思えた七姫が口を挟んだが、即座に太子と三姫に切り返されて言葉に窮する。
そんな三人の様子を見て王妃は目を細めた。
「ほんに七姫が妾の娘でないのが不思議よの」
「ですがお母様、七姫はまだ子供の九姫よりも気が弱いんですのよ」
「……相変わらずじゃの、七姫は。気質が母そのままじゃ──あれも自分からなかなかものを言うことも出来ず……内にため込む質じゃった」
三姫の言葉にまた王妃はため息をついた。
己の従妹であった実母に似て、どうも気が弱い七姫が不憫でしょうがない。自分の生んだ公主たちもそう思っているのか昔から何かれとこの七姫を気にかけてはいたが、年長の公主が次々と他国や臣下に嫁していった今、七姫より年上の公主は側室腹の六姫しかいない。
──ということは、七姫を気にかけてやる後宮の人間は自分しか残っていない。
だが七姫ももう成人の年に近付きつつある年であるのに、養母とはいえ王妃である自分が過度に気にかけることはあまりよろしいことではない。
早くに母を亡くした七姫を血縁のよしみで引き取り養育しただけに、七姫を実の娘同然に可愛がっている王妃にはついこの間持ちあがった七姫の縁談は頭痛の種にしかならなかった。
(名門貴族とはいえ、あの側室でもなく召使から生まれた八姫に与するような男を選ぶとは、陛下も何を考えておられるのか……)
徐々に纏まりつつある七姫の縁談について考えて、ある考えに思い当たった王妃は顔を上げた。
視線の先には七姫に二言三言、言葉をかけている太子の姿。
「蓮隼、ちと七姫を房まで送ってやるがよい。三姫と少々、の」
「──分かりました。さ、七姫」
「は、はい……王妃様、今日はありがとうございました」
「また来るがよい」
控えめに笑った七姫と太子を快く送り出して、王妃は三姫を手招きした。
自分譲りの華やかな顔立ちの三姫が首を傾げながら王妃の元に寄る。
「お母様?」
「七姫の縁談なのじゃが……どうも妙じゃと思わぬか」
「相手のことにございますか」
察しのいい三姫に王妃は頷いた。
「思えば少々陛下は急いでおられるような気がしての……一姫、二姫、そなたはともかく、四姫から縁談が矢継ぎ早に纏まったであろう」
「ええ……」
公主の他国への嫁入り、貴族への降嫁ともなれば支度に莫大な額がかかる。国庫に負担がかかるそれを近年はほぼ毎年のように行っている。
それが出来ているのは王の意向以外の何物でも────
そこまで考えた三姫の顔色が変わった。
脳裏によぎるのは幼いころからほとんど接したことのない父王の姿。
父が気にかけるのはいつだって──
「ま、まさかお父様はあの八姫を!?」
「……そうとしか考えられぬ。陛下は八姫を────蓮隼の正妃にしようとしているとしか」
行きついた結論に三姫が絶句している中、王妃は唇を噛みしめた。
この国の王の正妃は、血が近い姫の中から選ばれると決まっている。
現に王妃も王とは従兄弟にあたる。
そして未だ世継ぎたる太子は正妃を定めてはおらず、太子の従姉妹にあたる姫に年の釣り合いが取れそうなものはいない。
ならば次は公主、となるが流石に母を同じくする公主は太子の正妃にはなれない。
十一人いる公主のうち太子である蓮隼と母を同じくするのは一姫、三姫、四姫、九姫。
残った公主のうち年が離れているのは二姫と十姫、十一姫。
違う腹から生まれ年の頃合も近いのは五姫、六姫、七姫、八姫。
そのうち五姫は既に臣下に降嫁し、六姫の母の実家は零落してしまいとても次代の王妃とはなれない上、既に縁談がまとまりあとは降嫁の日取りを待つのみ。
そして七姫の縁談も直に纏まろうとしている────
どう考えても王が八姫を蓮隼に嫁がせ、次代の王妃として後宮に留め置くつもりとしか思えなかった。
その結論に八姫を嫌っている三姫の表情には苦いものが混じる。
三姫にとっては下賤の出の品のない生意気な八姫よりは、同じ腹ちがいの妹であっても気立てのいい七姫や、芸達者な六姫の方が可愛いに決まっていた。
弟であり太子の蓮隼もそう思っているのか、異母妹であっても可愛がるのは八姫以外の公主であったし、正直、八姫を可愛がるのは王とその子飼いの貴族、後宮で肩身の狭い思いをしている者といったごく少数に人間だ。
そのごく少数であるところのもう一人の弟を思い出して、三姫は柳眉を寄せた。
能天気で気概にも欠ける、全てを蓮隼に持っていかれてしまったかのような二番目の同母弟は、何故か八姫に肩入れしていた。
どうせ八姫と結婚するなら、あの弟にすればいい。
「お父様はあの八姫を溺愛していらっしゃるから……けれど臣下であっても嫁がせるのがお嫌なんて……海燕では駄目なのかしら」
「海燕を都に留め置くと母を同じくする兄弟といえど蓮隼との争いを生む種となろう、いずれ一時とはいえ地方や他国に行く時があるやもしれぬ……陛下は八姫をこの後宮から出すつもりがないのであろう」
「でも、あんまりですわ。蓮隼が八姫を厭うているのは紛れもないこと」
「ふん、陛下はあの娘さえよければご自身の息子も娘もどうでもいいのだっ……!!」
吐き捨てるような王妃の言葉に三姫もまた顔を歪める。
身分の低い女を寵愛し、その女に生き写しのようにそっくりに生まれた八姫を国王は目に入れても痛くはないほどに溺愛していた。
八姫に関することだけは後宮を預かる王妃を無視し、全てを国王自らが取り計らう。
その度を越した扱いように、ますます八姫は後宮の中で孤立していく。
「──後宮の決まりも知らぬあの者が、どうして次代の王妃となれましょうか」
温度のない三姫の言葉にため息をついて、王妃はつい先ほど太子と七姫が出て行った扉を見つめた。
「七姫」
少し先を行く兄の声に慌てて七姫は顔を上げた。
「はい、一の兄様」
「……他には誰もおらぬ、普段のように呼ぶがよい」
「では、蓮隼兄様と」
呼び方を改めた七姫に小さく頷いて、太子──蓮隼は視線を横に向けた。
その先には七姫が今しがたまで見ていた庭園が広がっている。
「何を見ていた」
「香りにつられて寒梅を見ておりました」
「そうか、ならば後で一枝そなたの房に届けさせよう」
「ありがとうございます」
「他に何か欲しいものはないのか?母上ばかりに言うのも心苦しいと遠慮しているそうではないか」
一体誰がそれを蓮隼に告げたのだろうと苦笑しながら七姫はかぶりを振った。
美しい衣も玉も、王妃や嫁いだとはいえ親しい姉公主が折につけ贈ってくれるおかげで不自由したことはない。
だが蓮隼は眉をひそめる。
「そなたは昔からどうも寡欲に過ぎる。九姫ですらこの間顔を合わせたら色々とねだって来た」
「道理でこの間九姫がお兄様に怒られた、と落ち込んでおりましたのね」
年を重ね滅多に自分を訪れてはくれない父よりも、こまめに母、ひいては自分の下を訪れてくれる年の離れた蓮隼は九姫にとって父親代わりとも言える存在だ。
幼い時より九姫を妹のように可愛がっていただけに、兄にねだっては品がないと叱責され落ち込む九姫の姿が容易に想像出来て、七姫は笑った。
きっと怒りながらも九姫の下には後でねだった品が届けられたことだろう。
冷酷だと恐れられている蓮隼がその実、血を分けた兄弟姉妹には少しだけ甘いことを七姫は知っている。
きちんと分をわきまえてさえいれば、身分や能力に合わせて相手を扱う。蓮隼はそういう人だった。
だからこそ、異母妹である七姫も他の姉妹同様に扱ってくれている。
「……そうですわ、離宮の梅園を九姫と見に行きたいので、そのお許しを下さいませ」
「またそなたは……分かった、手配しておこう」
口にした我儘が、実は九姫にねだられたものであることを承知の上で頷いてくれた兄に感謝して、七姫はまた笑った。
それに少し満足げな表情を浮かべて、蓮隼は不意にもう一度庭園の梅に目を向けた。
「蓮隼兄様?」
「ちと待て」
七姫にその場にいるよう言い置いて、回廊から庭園に降りたかと思うと蓮隼は一本の白梅の木に近付いた。
花をつけた小ぶりな枝を選んで手折ると、すぐさま七姫の下に戻ってくる。
手折ったその白梅の枝を、蓮隼は七姫の耳元に挿した。
端正な顔立ちに笑みなどは浮かんでいないが、七姫は姉から聞いた言葉を思い出す。
「部屋にも届けさせるが、先にこれを」
「……蓮隼兄様も、意外と『たらし』というやつですのね」
「何のことだ」
「いえ」
どうやら自覚していなかったらしい兄にまた笑って、歩き出したその後を追うように七姫は歩を進めた。
──自分より少し後ろを歩く異母妹をちらりと横目で確認して、蓮隼はそのまま周囲に視線を送った。
王妃の養育下にある七姫が居住する房は王妃の房からもほど近く、もうそろそろ辿り着く頃だ。
行き来する女官が礼をとるのを視界に入れながら、もう一度七姫の様子を窺う。
先程自分が贈ったばかりの梅の枝が落ちぬようにと時折耳元に手をやっているのが見えて、まったくこの妹らしいと思う。
(後宮ほど、これに似つかぬ場所もあるまいと思っていたが……)
この気の弱い方である妹には女の欲望渦巻くこの後宮はさぞ息苦しいだろうと思っていたが、昔の様子を思い返すとそうでもなかったのかもしれない。
己の母でもある王妃の庇護の下、姉公主や妹公主に囲まれ過ごしていた頃の方が、この後宮を出る話がまとまりつつある今よりもずっと笑っていたように思える。
四姫のように他国に嫁すよりは、と思っていたが────見知らぬ貴族の屋敷にこの妹一人を嫁がせるのは、どうも気がかりでならない。
姉も妹数人ずついるが、蓮隼自身はこの控えめな思慮深い異母妹を一等気に入っていたし、可愛がってもいた。
太子に過ぎない自分が姉妹の縁談に口を挟むことは望ましくないだろうと思ってはいたが、これは七姫の縁談相手を詳しく調べるべきかもしれなかった。
頭の中で姉妹の中で特に七姫を可愛がっていた三姫に協力してもらおうかと考えつつ蓮隼は歩を進めた。