森の中 (1)
冷房の効いたオフィスから出てきた沢木 梨花は、
大通りの真夏さながらの暑さに辟易して、早々にタクシーに乗り込んだ。
全く、初夏だというのにこんなに暑くては、秋冬向けの新作ファンデがすぐによれてしまう。
梨花は、3ヶ月前に転職した有名コスメブランドの新作を持ち歩いて出版社巡りをしている。
8月発売の雑誌に、『秋の優秀ファンデ』としてより多く掲載してもらいたいのだ。
高校のとき、美容室で初めてみた大人の女性向けファッション雑誌で
コスメティックブランドのPR職の女性の写真を見たときの衝撃は、今でも忘れられない。
彼女は、数多くの読者モデルとは全く違う扱いを受けて、
その雑誌に君臨していたのだ。
彼女のように、いつか自分も『高級ブランドのPRとして雑誌で紹介される。』ことを
夢見て頑張っている途中なのである。
PRへの道が狭き門の今、2流国産化粧品メーカーの広報を経て
やっとつかんだ、高級コスメブランドでのPR職。
失敗するわけにはいかない。
PRの仕方次第で、いか様にも化粧品が売れるのだから、
あたかも自分が、女性心理を操っているかのようで、本当に面白いのだ。
今一番の関心ごとは、自社の新作ファンデが秋にどれくらい売り上げを伸ばせるかで
梨花の友達のように、恋愛や結婚には全く興味がないといっていい。
『所詮、結婚や出産なんて、仕事や人生が楽しくないオンナの逃げ道。』
これが、梨花の持論だ。
梨花には、結婚しないで仕事を愛する女が『負け犬』だなんて、到底思えない。
最高に、面白い瞬間は、自分の提案がシナリオ道理に消費者心理をつかんだときだけ。
冷房のきいた車内で、3時からの社内会で提案する資料を確認するために取り出した。
ガクンっと車が揺れる感じがして目を開けると、梨花は森の中に座っているのである。
先ほどまで乗っていたタクシーではなく、切り株に座っているのだ。
なんで、森?
なんで、切り株?