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丁々発止が鳴り止まない。改訂版  作者: ArU
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銀狼 9-2

 静寂が長く続いた。


 風の音。遠くで金属が軋む音。血が地面に落ちる音。それだけの世界。


 そして、声が聞こえた。


「――久しぶりに、痛みを感じた」


 私の全身が凍った。

今のは夢魘の声ではない。私自身の声でもない。低く、深く、地の底から響くような声。獣の声ではなく、明確な言語。意味を持った言葉。


 見えない獣が、喋った。左腕がまだ疼いている。壁に叩きつけられた背中が軋む。立っているのがやっとだ。


「闡釐......今の......」


 夢魘が降りてきて、肩の上で硬直している。爪が食い込んでいる。


「聞こえたわ」


「......まただ。猫の次は、狼かよ」


 人語を話す動物。夢魘、猫、そしてこの獣。三体目だ。偶然であるはずがない。


「お前たちは、妙な組み合わせだな」


 獣が再び喋った。声の方向から察するに、廃墟の奥の暗がりにいる。見えない。しかし声は聞こえる。声だけが、暗闇から届いてくる。


「......あの猫も、私たちを見ていたわ。声を聞いた。言葉だったけれど、何を言ったかは聞き取れなかった」


「猫か。ああ、あいつだな。あいつは臆病だ。言葉を覚えたくせに、使おうとしない」


 猫を知っている。やはり同類なのだ。人語を話す動物たちは、互いを知っている。


「貴方は何者なの?」


「何者か、と問われると困る。名前はない。人間たちは俺を見ることができないから、名前のつけようもなかった。ただ足跡だけが残るので、この辺りの人間は俺を『銀狼』と呼んでいるらしいが、銀色でもないし狼でもない」


「......銀狼。確かに自警団もそう呼んでいたわ」


「呼び名などどうでもいい。それより、お前に聞きたいことがある」


 獣の声が少し低くなった。問いかける声。攻撃の気配はない。


「なぜ俺を殺しに来た?」


「貴方が人を殺したからよ」


「殺した。しかし、それは人間が俺の棲み処に入り込んできたからだ。俺はここにいた。先に来たのは向こうだ」


 反論としては筋が通っている。この廃墟は人間の村の外にある。ドームの外だ。ここは「人間の領域」ではない。銀狼がここに住んでいたなら、侵入してきたのは人間の方だ。


「でも、家畜も殺したでしょう」


「腹が減っていた。お前たちも、腹が減れば獣を殺すだろう」


 そうだ。人間は家畜を殺して食べる。銀狼は家畜を殺して食べた。やっていることは同じだ。ただ、人間の所有物を奪ったから「悪」とされている。


 火葬の村で夢魘が問いかけた言葉が蘇る。「カラスが死体を食うのと人間が焼くのと何が違う」。同じ構造だ。同じことを問われている。


                  §


「お前に話しておきたいことがある」


 銀狼の声が、少し柔らかくなった。戦闘の張り詰めた空気が変わっている。


「俺は、檻の中にいるようなものだ」


「檻?」


「この体が檻だ。見えない。誰にも」


 言葉が途切れた。長く話すことに慣れていないのだ。暫くして、絞り出すように続けた。


「触れることは出来る。殺すことも出来る。だが、見つめ合うことが出来ない。足跡を残しても、それは『何かがいた痕跡』でしかない。俺は......ずっと、透明だった」


 夢魘が肩の上で、小さく息を吐いた。こいつも孤独を知っている。一羽で飛び、一羽で食べ、一羽で世界を見てきたカラス。言葉を話すが故に仲間からも浮いていた存在。銀狼の孤独は、夢魘のそれと重なるところがある。


 膝が笑い始めていた。限界が近い。だが、この獣の声には、斬りかかる気配がなかった。「もう一つ、聞いてくれ」


「......聞いているわ」


「お前たちは国を作ると言っていたな。カラスが喋っていた。国を作る、と」


 聞いていたのか。戦闘の前に、夢魘が私に話していた会話を。あるいはそれ以前から、見えない体で近くにいて、聞いていたのか。


「国というのは、境界線だ。内と外を分ける線。内にいる者は守られ、外にいる者は排除される。人間はずっとそうしてきた。ドームがそうだ。膜の中にいる者は安全で、外にいる者は魔物になる。それが国だ」


「俺は、常に外にいた。どんな境界線の内側にも入れなかった。見えないから。見えない者は、境界の中に入ることを許されない。存在を認識されない者には、居場所が与えられない」


「だから問う。お前たちの国は、俺のような者にも居場所を与えるのか?境界線の外にいる者を、中に入れるのか?」


 夢魘がこちらを見た。私も夢魘を見た。


「......俺たちの国はまだ出来てねぇよ。でも、出来た時には――外にいる者を排除しない国にしたい。じゃなきゃ、俺が国を作る意味がねぇ」


 夢魘の声は、いつもの軽口の調子ではなかった。真剣に、一語ずつ選んで答えている。カラスの国を作る夢を語った時よりも、ずっと重い声だった。


 銀狼が、低く唸った。唸り、ではなかった。笑いだ。獣の笑い。


「......そうか。面白いカラスだな」


                  §



 銀狼との対話は、そこで終わらなかった。


 境界線の話の後、長い沈黙があった。風が廃墟の隙間を吹き抜けている。銀狼の呼吸だけが、静かに空気を揺らしていた。


「もう一つだけ、話させてくれ」


 銀狼の声が、さっきより小さくなった。哲学者の声ではない。もっと個人的な、独り言に近い声。


「俺は、この土地で生まれたのではない」


 空気が変わった。夢魘の爪が肩に食い込む。


「......どういう意味?」


「分からない。だが、確信がある。俺はここの獣ではない。どこか別の場所で、誰かに作られた」

作られた。その言葉の異常さに、背筋が冷えた。生き物が「作られる」とはどういうことだ。


「作られた、って......誰に?」


「......覚えていない。ただ......白い部屋。匂いのない空気。同じように作られた者たちが、いた」

猫。あの猫も「作られた者」なのか。夢魘はどうだ。人語を話すカラス。あの異常な知覚。こいつも――

銀狼が言葉を探すように黙った。それから、低く続けた。「目的があった。与えられた目的が。だが、俺は考えることを覚えてしまった」


「考えること?」


「考える道具は、道具ではなくなる」


 道具。その言葉の冷たさが、胸に残った。


「俺と同じように作られた者が、他にもこの土地にいる。猫もそうだ。そしておそらく、お前の隣にいるカラスも」


 夢魘が硬直した。肩の上で、全身が強張るのが分かった。


「......俺が、作られた?」


「お前は人の言葉を話す。見えない獣の位置を感覚で捉える。それが自然に身についたと思うか?」

夢魘は答えなかった。答えられなかったのだろう。「気がついたら喋れた。いつからかも覚えていない」。前に夢魘自身がそう言っていた。覚えていないのではなく、覚えることを許されていないのかもしれない。


「......お前の記憶にも、白い部屋はあるか?」


 夢魘が長い間黙った。それから、掠れた声で言った。


「......分からねぇ。でも、今お前の話を聞いて、何かが揺れた。前にも同じ感じがあった。忘れ物をしている感じ。ずっと」


「そうか。お前も、檻の中にいるのかもしれないな。俺とは別の檻に」


 銀狼の声は静かだった。同情ではない。同類を認識した声だ。

夢魘は黙ったまま、私の肩の上で小さくなっていた。翼を体に巻きつけるようにして。殻に閉じこもるように。


 こいつのこんな姿は初めて見た。

声をかけるべきか迷った。でも、かける言葉が見つからない。

 だから、何も言わなかった。ただ、肩の上にいることを許した。それだけが、今の私にできることだった。


                  §


 対話が途切れた後、沈黙が長く続いた。

体のあちこちが痛んでいた。動くたびに背中の傷が引き攣る。荷台まで歩くだけで息が切れた。蒸留酒の瓶を取ってきた。商品の中で一番度数の高いもの。舌が焼けるような酒だが、こういう時に飲むものは、これくらいでいい。


「銀狼。酒を飲まない?」


「......酒か」


「人間は、対等な相手と別れる時に酒を飲むの。今日、貴方は私と対等に戦い、対等に話してくれた。それに敬意を表したい」


 長い間。風が吹いた。そして、巨大な気配がゆっくりと近づいてきた。足跡が一つ、二つ。目の前に、見えない獣が座った。呼吸が近い。


「......良いだろう」


 瓶の蓋を開け、地面に置いた。酒の匂いが広がる。

しばらくして、瓶が傾いた。見えない口が酒を飲んでいる。瓶の中身が減っていく。透明な喉を通過する

酒が、一瞬だけ空中に赤茶色の線を描いてから消えた。


「......強い酒だな」


「消毒にも使えるくらいの度数よ」


 私も瓶を受け取り、一口飲んだ。喉が焼ける。目の奥が熱くなる。でも、体の芯が温まった。

しばらく、二人と一羽で酒を回した。見えない獣と、銀髪の女と、黒いカラス。奇妙な酒盛りだ。


 夢魘はまだ黙っていた。酒を勧めたが、首を横に振った。こいつなりに、銀狼の言葉を消化しようとしているのだろう。


「闡釐」


「何?」


「俺は、もう長くないだろう」


 唐突な言葉だった。しかし、声に悲壮感はなかった。


「この体は、少しずつ壊れている。作られた時から、そうなるように出来ていたのかもしれない。考えることを覚えた代わりに、体が朽ち始めた。不可視でいられる時間も、昔より短くなっている。いつか完全に姿が見えるようになった時、俺はただの老いた獣だ。あの村の討伐隊にも殺されるだろう」


「だから頼みがある」


「......言って」


「お前が殺してくれ。今日、ここで」


 息が止まった。


「討伐隊に追い詰められて、惨めに死ぬのは御免だ。俺は戦士として死にたい。今日、お前と戦えたことは幸運だった。初めて、対等に刃を交えた相手だ。その手で送られるなら、悪くない」


 夢魘がこちらを見た。何も言わない。だが、その目は「お前が決めろ」と言っていた。

殺してほしい。その頼みを引き受けることの重さを、私の体は知っている。この獣は人語を話し、哲学を語り、孤独を嘆いた。人とは何だ。この存在は何だ。


 この獣が求めているのは、私の刀による「終わり」だ。りょうが語った哲学が、脳裏を過った。「一生に一度しか作れん、最高傑作」。銀狼も、一回しか死ねない。


「......一つだけ条件がある」


「なんだ」


「貴方が死んだら、燃やす。煙を空に昇らせる。見えない体のまま朽ちていくことは、させない。貴方が存在したことを、誰かの目に映る形で残す」


 沈黙。それから、銀狼が笑った。低く、穏やかに。獣の体から出たとは思えないほど、柔らかい笑い。


「......お前は面白い人間だな。殺す相手の弔い方まで先に決める殺し手は、初めてだ」


「りょうという知り合いに似てきたのかもしれないわね。嫌だけど」


 銀狼が立ち上がった。巨大な気配が、目の前で静かに佇んでいる。


「お前たちの国が出来たら、俺の分の場所も空けておいてくれ。見えない獣がいたということを、覚えていてくれ」


「覚えているわ。約束する」


「闡釐。来い」


 銀狼が、無防備に首を差し出した。見えないが、気配で分かる。頭を下げ、首筋を晒している。戦士が戦士に向ける、最期の信頼。


 国光を抜いた。

手が震えなかった。震えてはいけない。この一太刀に、迷いがあってはいけない。


 ――ありがとう。


 一閃。


 手応え。血が噴き出し、空中に赤い弧を描いた。見えない体から溢れる見える血が、銀狼の最期の姿を描いた。巨大で、優美で、確かにそこにいたという証。


 銀狼は倒れなかった。一瞬だけ、巨大な気配がゆらりと揺れた。それから、ゆっくりと、大木が根元から倒れるようにして崩れ落ちた。


 声はなかった。痛みの声も、恨みの声も。最後まで、静かだった。


                  §


 薪を集めた。夢魘と二人で、廃墟の周囲から使えそうな枯れ木を集め、施設の壁に嵌め込まれていた木枠を剥がした。乾燥しきった木材はすぐに集まった。


 銀狼の体に薪を積み上げる。見えない体の上に、薪だけが浮いているように見える。奇妙な光景だ。

火を点けた。

 炎が薪を舐め、広がっていく。やがて、見えない体にも火が移った。不思議なことに、燃え始めると銀狼の輪郭が見えた。炎に包まれた巨体が、初めてその全容を現した。


 銀色だった。


 毛並みが銀色に輝いている。炎の光を反射して、銀色の毛が一本一本燃えていく。狼の姿。美しく、巨大で、どこか悲しい姿。足跡からの推測通りの、しかしそれ以上に美しい獣だった。

銀狼。名前の通り、銀の狼だった。生きている間は誰にも見えなかったその姿が、死んで初めて世界に現れた。


「......綺麗な獣だったんだな」


 夢魘が呟いた。私も頷いた。言葉が出なかった。


 煙が空に昇っていく。白い煙。銀狼が望んだ通りの、「見える」形での最期。煙は空高く昇り、薄い雲に溶けていった。


「カラスの国に墓標を作るわ」


 火葬の村でも言った言葉だ。あの時は少年の父の死体を送った。今度は銀狼を送っている。


「ああ。作ろう。銀狼の墓標を。見えない獣がいたって、ちゃんと覚えておこう」


 夢魘の声が低く、静かだった。だが、先ほどまでの殻に閉じこもった声とは違う。銀狼の死を見届けたことで、何かが変わった。「作られた存在かもしれない」という恐怖は消えていない。だが、その恐怖を抱えたまま、前を向こうとしている。


 銀狼が最後に言った言葉を思い出す。「お前たちの国が出来たら、俺の分の場所も空けておいてくれ」。存在を認識されなかった獣が、死の間際に求めたのは、居場所だった。


                  §


 村に戻ると、門番が驚いた顔をした。


「生きてたのか......!」


「努力したから」


 リオが走ってきた。顔を見るなり、目が潤んだ。泣くのかと思ったら、泣かなかった。唇を噛んで堪え、それから私の腰の辺りに顔を埋めた。牙の首飾りが冷たく揺れた。


「......おかえり」


「ただいま。これ、お返しするわ」


 首飾りを外してリオに渡した。リオが牙を握りしめて、強く頷いた。


「化け物は?」


「もういないわ。空に昇ったから」


 リオは少し首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。仇は取れたのか、と聞きたかっただろう。でも聞かなかった。「空に昇った」という言葉を、この子なりに受け止めたのかもしれない。


 村で一晩休ませてもらった。銀狼を殺した報酬として、自警団長が銀貨の入った袋を差し出したが、受け取る気になれなかった。


「報酬はいらないわ。代わりに、食事をご馳走して」


 自警団長が苦笑して、村で一番大きな定食を出してくれた。腹が空いていた。死にかけたのだから当然だ。大盛りの飯と焼き魚と汁物を平らげている間、夢魘は窓枠に止まって黙っていた。

食事を終えて外に出ると、空が暮れかけていた。星が一つ、二つと灯り始めている。


「なぁ、闡釐」


「何?」


「今日の戦い。俺が位置を叫んで、お前が斬る。あれ、上手くいったよな」


「ええ。貴方がいなかったら死んでた」


「俺もだ。お前がいなかったら、あいつを止められなかった。俺一羽じゃ、爪の一つも立てられねぇ」


 夢魘が少し間を空けて、言った。


「......相棒だな、俺たち」


 相棒。その言葉を、夢魘が使った。目覚まし。荷物。通訳。偵察役。色々な呼び方をしてきたが、「相棒」は初めてだ。


「......そうね。相棒ね」


「おっ、素直だな。否定しねぇのか」


「否定する理由がないわ。今日は貴方に命を預けたもの。それは相棒でしょう」


 夢魘がケラケラと笑った。いつもの笑い。でもその奥に、少しだけ嬉しそうな色が見えた。


 その笑い方が、何かを言っていた。聞かなくても分かる類の、言葉にならない何かを。

 相棒。悪くない響きだ。


 胸の穴を、温かい風が通り過ぎた。今日は色々なものが通り過ぎた。冷たいものも、鋭いものも、重いものも。でも最後に通ったのが温かい風だったことに、少しだけ安心した。


 星が増えていく空を見上げた。銀狼の煙はもう見えない。空に溶けて消えた。でも、あの獣がいたことは覚えている。檻の中の孤独も、国と境界線の問いも。


 銀狼の言葉が、まだ耳の奥に残っている。檻。境界線。作られた者。


 馬が鼻を鳴らした。三年一緒に旅をしている、名前のない馬。

......そろそろ名前をつけてやってもいいかもしれない。

そう思えたこと自体が、きっと変化なのだ。

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