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丁々発止が鳴り止まない。改訂版  作者: ArU
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銀狼 9-1

 体が少しずつ動くようになっていく。


 左腕の鈍い痛みが、少しずつ引いていく。五分ほどで、腕が動くようになった。完全ではないが、刀は握れる。

 ただ、回復が遅い。前よりも、ずっと。


 廃墟の中で、見えない獣がこちらを窺っている。まだ出てこない。待っている。


「闡釐、作戦があるなら聞かせろ。あいつ、まだ中にいる」


 夢魘が肩に降りてきた。声は落ち着いている。覚悟を決めた後のこいつは頼もしい。


「正面からの剣戟は通じない。見えない、硬い、速い、強い。でも一つだけ隙がある」


「なんだ?」


「あいつ、急がないでしょう。獲物を観察する癖がある。つまり知性がある。知性がある相手なら、騙せる」


「騙すって、どうやって」


「貴方が囮になるの」


 夢魘が目を丸くした。


「俺が囮?カラスが馬四頭分の化け物の囮になるのか?」


「貴方は空を飛べる。あいつは飛べない。上空から声を出して注意を引いて、あいつの動きを私に伝えて。私が死角から斬る」


「死角って、見えねぇんだぞあいつ。死角もクソもねぇだろ」


「見えなくても足跡は残る。匂いも、空気の流れも。貴方にはそれが分かるんでしょう?」


 夢魘が黙った。先ほど自分で言った「何でかは知らねぇけど、全部が頭の中で繋がる」。自分の異常な知覚能力を、今度は武器として使えということだ。


「......分かった。やる。でも死ぬなよ」


「死ににくいのよ、私は」


「それ、もう何度目だ。信用していいんだな?」


 前はこの言葉に迷いなく「ええ」と答えられた。今は一瞬の間があった。この体がいつまで保つか、分からない。


 でも。


「信用して」


 嘘ではない。信用に値するだけの覚悟はある。保証がないだけだ。

夢魘が翼を広げた。黒い影が空に舞い上がる。

私は立ち上がり、国光を両手で構えた。体は動く。まだ戦える。


                  §


 夢魘が空から叫んだ。


「行くぜ!」


 黒い翼が急降下した。廃墟の入口に向かって、地面すれすれを飛ぶ。翼が砂利を巻き上げ、金属管を蹴り、音を撒き散らす。


「おい化け物!こっちだ!鳥の味は不味いぞ!」


 空気が動いた。銀狼が反応している。巨大な気配が入口から飛び出してきた。地面が揺れる。足跡が夢魘の方を追っている。


 今だ。


 走った。左腕が軋む。まだ完全には治っていない。両手で握るのが辛い。右手に力を集中し、左手は添えるだけにした。


 銀狼の背後。足跡の向き、空気の流れ、全てが夢魘の方を向いている。こちらを見ていない。

踏み込む。居合い。


 手応え。硬い。だが前回より深い。


 獣が身を捩った。尾が来る。伏せた。頭上の空気が裂けた。髪が数本持っていかれた。

転がって距離を取る。膝が砂利を擦り、左腕に衝撃が走った。声が出そうになるのを噛み殺す。


 夢魘が上空から叫ぶ。


「闡釐、離れろ!こっちに向き直った!」


 銀狼が私の方を向いた。地面が唸る。来る。

前足の叩きつけ。横に跳んだ。着地した場所の石の床が砕けた。破片が脛に当たる。痛い。


 夢魘が再び降りてきた。


「もう一回だ!」


 銀狼の頭上を掠めるように飛ぶ。翼が見えない毛皮を叩いた。小さな音。だが獣は反射的に上を向いた。


 その瞬間を待っていた。

横合いから踏み込む。右脇腹。さっき斬った場所の近く。同じ傷口を狙う。


 刀が食い込んだ。深い。肉を裂き、筋繊維を断つ感触が腕に伝わる。

獣の体が痙攣した。見えない質量が膨れ上がるように動いて、私の体を弾き飛ばした。背中から地面に叩きつけられる。肺の空気が抜けた。口の中に砂利と血の味が混ざる。


 起き上がる。左腕が悲鳴を上げている。右手だけで刀を握り直した。

夢魘が三度目の急降下を試みた。銀狼の頭上を飛ぶ。


 反応しない。

もう上を向かない。囮が見切られた。二度までは効いた。三度目で学んだ。


 私は叫んだ。


「通じない!パターンを変えて!」


 夢魘が即座に切り替えた。上空から廃墟の中に飛び込む。柱の間を縫うように飛び、銀狼の足元を掠め、金属管に翼をぶつけて音を立てる。上からではなく、下から。四方から。音で惑わせる。

銀狼が足踏みした。足元を踏み潰そうとしている。頭が下がった。


 走った。足が重い。体中が痛む。だが動く。動ける。

左斜め後方から。首筋を狙う。脇腹は硬い。だが首なら——


 全力の踏み込み。居合い。一閃。

刀が首筋の肉に入った。骨に触れた。手首に硬い振動が走る。


 獣が暴れた。体が大きく回転するように揺れ、見えない質量が私をまともに弾いた。地面を二回転がって、柱に背中をぶつけて止まった。


 視界が白く飛ぶ。息ができない。一瞬、意識が薄れかけた。


 だが——刀はまだ握っている。


 夢魘の声が遠くから聞こえた。


「深い傷だ闡釐!血が——見えないのに血だけ見える!空中に赤い線が浮いてる!」


 体を起こした。目を凝らす。


 赤い線が空中に浮かんでいた。不可視の体から、可視の血が流れている。地面に滴り、空中に弧を描き、透明な獣の輪郭をうっすらと浮かび上がらせていた。


 初めて、敵の形が見えた。

巨大だった。馬四頭分はある。四足歩行で、背中が高く、頭部が低い位置にある。狼だ。この世界のどんな狼よりも遥かに大きい。


 血が流れているのに、動きは衰えない。獣が後退した。距離を取っている。

追わなかった。三度目の囮を見切ったこいつが、退却を装っていない保証はない。


 夢魘が降りてきて、肩に止まった。息が荒い。こいつも限界に近い。


「あいつ止まった。廃墟の奥。じっとしてる」


「......追わないで」


 対峙。見えない獣と、満身創痍の人間と、息の上がった一羽が、距離を置いて向き合っている。血の線だけが、空中で静かに滴っている。

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