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丁々発止が鳴り止まない。改訂版  作者: ArU
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獣の村 8-1

 その村は、怯えていた。


 ドームの膜を通して見える風景は他の村と変わらない。緑が溢れ、屋根から煙が上がり、井戸の周りで女たちが洗い物をしている。しかし、人の動きに余裕がなかった。誰もが足早で、空を見上げる者はなく、子供たちの姿が見えない。

村全体が、何かに怯えている。


「嫌な空気だな」


 夢魘が肩の上で羽を詰めた。こいつの勘は鋭い。空気の変化を嗅ぎ取る能力は、私よりも上だ。

門番に声をかけると、不安そうな目で私を見た。


「行商人さん、悪いことは言わない。今この村にはあまり長居しない方がいい」


「何かあったの?」


「......化け物が出た。ドームの外に。いつものとは違う。見えないんだ」


「見えない?」


「詳しいことは自警団長に聞いてくれ。ただ......息子の叔父がやられた。カイって猟師だ」


 穏やかな暮らしの村で、猟師が殺される。門番の顔に刻まれた疲労が、事態の深刻さを物語っている。

門番の隣で、小さな影が動いた。


 少年だ。十歳くらいだろうか。門番の脚の後ろに隠れるようにして立っている。私を見上げる目が大きくて、不安の色が濃い。だが泣いてはいなかった。唇を噛んで、何かを堪えている。


「この子は?」


「息子のリオだ。......猟師のカイが、あいつの叔父でな。やられたのはカイだ」


 リオという少年が、私をじっと見ていた。目が腰の刀に止まって、それから顔に戻る。


「......おねえさん、強い?」


 真っ直ぐな声だった。怯えてはいるが、折れてはいない。だがソラとは違う。ソラの目には喪失があった。この子の目には怒りがある。行き場のない、小さな怒り。


「そこそこね」


「じゃあ、あの化け物を殺して。叔父さんの仇を取って」


 仇。十歳の子供の口から出る言葉としては重い。門番がリオの肩を掴んだ。「お客さんに無茶を言うな」という顔だ。しかしリオは目を逸らさない。私を真っ直ぐに見ている。


 仇を取る。それは私の仕事ではない。行商人は物を売る商売であって、復讐を代行する商売ではない。

でも、この子の目を見てしまった。怒りの奥に、たった一つの問いがある。――なぜ叔父さんが死ななければならなかったのか。


 その問いに対する答えを、私は持っていない。誰も持っていない。だが、化け物を殺すことはできる。

化け物が暴れている間は、この村で商品を卸せない。客が怯えている村では商売にならない。排除した方が早い。それに――


「......報酬次第ね」


 商人としての言葉を返しながら、もう腹は決まっていた。


                  §


 自警団長に話を聞いた。


 化け物が現れたのは十日前。最初は家畜小屋が襲われた。牛が三頭、一晩で喰い殺されていた。翌日、村の猟師カイが追跡に出て戻らなかった。三日後にドームの外で遺体が見つかった。全身の骨が砕かれ、肉が引き裂かれていた。


「痕跡は?足跡、体毛、匂い、何でもいい」


「足跡はあった。巨大な四足の獣。犬......いや、狼のような足跡だ。だが姿は誰も見ていない。足跡だけが地面に残って、その上には何もない。透明な獣としか言いようがない」


「足跡の間隔は?」


「三歩で馬車一台分くらいだ」


 馬車一台分。つまり一歩が二間半ほど。体長は馬の三倍以上。大きい。非常に大きい。


「闡釐、こいつは普通の魔物じゃねぇかもしれないぜ」


 夢魘が低い声で言った。同感だ。不可視で巨大な四足獣。今まで聞いたことがない。廃墟で遭遇した酸の魔物とは格が違う。


「自警団に勝てないものが、一人の行商人に倒せるのか?」


 自警団長が疑わしげに聞いた。もっともな疑問だ。


「分からないわ。でも、あの子に頼まれたから」


 自警団長が苦笑した。「子供に頼まれたから」。商人らしからぬ理由だ。でも、嘘ではない。あのリオという少年の怒りが、私を動かした。


「情報をもう一つ。その化け物は、どこに巣を作っている?」


「ドームの東側、街道を外れた先に廃墟がある。元は何かの大きな建物だったらしい。足跡はそこに向かっていた」


「廃墟か。最近やたら廃墟に縁があるわね」


「好かれてんじゃねぇか、廃墟に」


「嬉しくないわよ」


                  §


 出発の準備をしていると、リオが走ってきた。

手に何かを握っている。紐に通された獣の牙だった。磨かれて白く光っている。首飾りのようだ。


「おねえさん」


「何?」


「これ、叔父さんの牙。初めて仕留めた獣の牙なんだ。叔父さん、いつもこれを撫でてた。これがあれば怖くないって」


 リオの目が据わっていた。十歳の子供が浮かべる表情ではない。


「叔父さんはこれを置いて出た。だから死んだんだ。持ってたら死ななかった。俺はそう思ってる」


 もちろんそんなことはない。獣の牙に魔物を防ぐ力はない。だがこの子にとって、叔父の死には理由が必要なのだ。「牙を持たなかったから」という理由が。そうでなければ、叔父は何の意味もなく死んだことになる。十歳の子供がそれを受け入れるには、世界はまだ広すぎる。


「だから、これを持っていって。あの化け物に、叔父さんの牙を見せてやって。叔父さんの代わりに」


 復讐の依頼。形見を武器に見立てた、子供なりの弔い方。ソラが石を「旅に出す」ことで父を弔ったのとは、方向が全く違う。あちらは放つ弔い。こちらは向ける弔い。


「ありがとう。お借りするわ」


 牙の首飾りを首にかけた。胸元で牙が冷たく揺れる。


「おねえさん、名前は?」


「闡釐よ」


「センリ。......必ず帰ってきてね」


「必ず、は約束できないわ。でも、努力はする」


 リオが少し目を伏せた。それから、顔を上げて、強く頷いた。


「じゃあ、努力して。それと、あの化け物を殺して」


 二つの要求。帰ってくることと、殺すこと。片方は約束できない。もう片方は――努力する。

子供は残酷なほど率直だ。嘘を嫌い、出来ることだけを求める。その潔さに、少しだけ背筋が伸びた。

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