探検家の招待7-3
遺跡から戻り、村で夕食を取った。
ソウマが腕を振るった料理が並ぶ。干し肉の煮込み、根菜の炒め物、そしてもう一杯の豆のスープ。どれも丁寧で、味付けが独特だ。他のどの村でも食べたことのない組み合わせ。
「ソウマさん、この炒め物に入っている調味料は何?甘いのに辛い」
「ああ、それは......木の実を発酵させたソースだよ。僕の故郷の......」
また「故郷」で言葉が止まった。ほんの一瞬だけ。
レナータが少し心配そうにソウマを見た。
「ソウマ、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ちょっと懐かしくなっただけだよ」
ソウマがレナータの手をそっと握った。レナータの表情が和らぐ。
夕食後、レナータが文書の書き写しに没頭している間に、ソウマが外の空気を吸いに出た。私も少し散歩がてら外に出ると、ソウマが村の外れで空を見上げていた。
背中が寂しそうだった。星を見ている。レナータが言った通り、確認するような目で。
昼間、カマをかけてみた。一呼吸の間。それだけが収穫だった。前回は「踏み込むべきではない」と思って黙った。今回は踏み込んだが、この人は簡単には崩れない。これ以上押しても、笑顔で躱されるだけだろう。
秘密を抱えている人間の懐に、それ以上手を突っ込むのは商人の流儀ではない。相手の言葉を覚えるのが仕事であって、相手の沈黙を破るのが仕事ではない。
静かに踵を返して、宿に戻った。
§
村の宿で、夢魘と二人きりになった。
窓から夜空が見える。星が散らばっている。いつもの空。でも今夜は、どこか違って見えた。何かが足りないような、物足りないような。
夢魘が窓枠に止まって、空を見上げていた。黒い羽が星明かりに照らされて、微かに青く光っている。
暫くそうしていた後、夢魘がぽつりと言った。
「なぁ、闡釐」
「何?」
「......月が見えなくなって、いつぶりだろうか」
月。
その言葉が、奇妙な引っかかりを生んだ。月。夜空に浮かぶ、丸い光。そういう概念は知っている。恩人の書庫にあった古い本に、月という言葉が載っていた。でも、実際に見た記憶は――
「......月?」
「ああ。......デカい光だよ。空に浮かんでる、丸い......。いつの間にか、見えなくなった」
夢魘の声には、いつもの軽さがなかった。独り言のような、遠い記憶を手繰り寄せるような声。
「そもそも月なんて、あった?」
私がそう言った瞬間、夢魘がこちらを向いた。目が少し大きくなっている。
「......あったはずなんだ。なんで......なんでお前には見えねぇんだ」
「覚えていないわ。星は見えるけど、丸い大きな光なんて見たことがない気がする」
夢魘は暫く黙った。嘴を閉じ、星空を見つめている。何かを探しているようだった。あるはずのものが、ない。それを確認しているような目。
――レナータが言っていた、ソウマの星を見る目。あの話と、今の夢魘の目が重なった。
背筋に冷たいものが走った。レナータの言葉を借りれば、ソウマは星を「確認する」目で見ていた。夢魘は月を「探す」目で見ている。どちらも、今ある空を見て、何かが足りないと感じている。
何を確認しているのか。何を探しているのか。答えは分からない。でも、二人の目の色が似ていたことだけは、胸の穴に冷たい風として残った。
「......おかしいな」
「何が?」
「俺の記憶がおかしいのか、この空がおかしいのか。分かんねぇ」
夢魘の声が揺れていた。猫に出会った時よりも、りょうとの殺し合いを見た時よりも、深い困惑。自分の記憶を疑っている。世界を疑っている。
「夢魘」
「なんだ」
「前に言ったでしょう。忘れ物は、旅をしていれば見つかるって」
「......言ったな」
「だから、今は分からなくてもいいのよ。月のことも、変な感じのことも。旅を続けていれば、いつか分かる」
自分でも信じていない言葉だ。でも、今の夢魘には必要な言葉だと思った。
「......お前、最近それ多くねぇか?『旅をしていれば』」
「便利だから使ってるのよ」
「素直でよろしい」
少しだけ、夢魘の声に軽さが戻った。窓枠に止まったまま、片目を閉じる。いつもの半睡だ。
私も布団に入り、天井を見つめた。
月。
夢魘が言った「月」。ソウマが確認する星。レナータが気づき始めている違和感。廃墟で喋った猫。りょうの刀と私の刀の共通点。壁に刻まれた二つの言語。紙束の文字を読めるかもしれないソウマ。そして、失われた技術を復元できるという、どこかにいる人間。
全部が、何かに繋がっている気がする。でもその「何か」が見えない。手を伸ばしても届かない。夢の中の影のように、掴もうとすると消える。
でも、今は眠ろう。明日もまた旅だ。
月のない空の下で、夢魘の寝息が聞こえている。
月がなくても、星は見える。それだけで十分だと思いたい。
でも、隣にいる一羽は「月があったはずだ」と言う。
どちらかが間違っている。その答えを知るのが怖いのは、私だけだろうか。




