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丁々発止が鳴り止まない。改訂版  作者: ArU
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探検家の招待7-2

 出発前に、ソウマが約束のスープを振る舞ってくれた。

木の椀に注がれた茶色い液体。湯気が立ち上り、香ばしくて深い匂いが鼻を包む。発酵した豆の匂い。今まで嗅いだことのない種類の香りだが、不思議と落ち着く。


 一口飲んだ。

――美味しい。


 塩気と旨味が舌の上で溶け合い、喉を通って胃に落ちていく。体の芯が温まる。疲れていた体が、内側からほぐれていくような感覚。二口目、三口目。止まらない。


「......これ、何が入っているの?」


「発酵させた豆の糊を出汁で溶いたものだよ。具は海藻と豆腐。......闡釐さんの口に合って良かった」


 ソウマが嬉しそうに笑った。レナータも「でしょう?美味しいでしょう?」と自慢げだ。


「豆腐?海藻?どの村でもこういう料理は見たことがないわ」


「そうだね。かなり......特殊な製法だから。僕が育った土地の伝統料理なんだ」


「俺にもくれよ」


 夢魘が椀に嘴を突っ込もうとするので、小皿に少し分けてやった。


「......うめぇ。でも変な感じだな。初めて食うはずなのに、どっかで嗅いだことがある匂いだ」


 夢魘が首を傾げた。いつもの「忘れ物」の表情だ。何かを思い出しかけて、掴めない。

あの独特の匂いに、夢魘が既視感を覚える。それは確かに変だ。でも今は考えない。美味しいものを前にして考えるのは、勿体ない。


                  §


 食後、三人と一羽でドームの外に出た。

前回の遺跡よりも更に奥へ。街道を外れ、枯れた丘陵を越えて、岩壁に挟まれた谷間に入る。ここまで来ると空気が一段と重い。大気に毒が濃い証拠だ。長居は危険だが、レナータは気にしていない様子で先を急ぐ。


 途中で魔物が現れた。蛇型の小さなものが三体。私が斬り伏せる間に、夢魘が上空から「左にもう一体!」と叫ぶ。四体目を仕留めて、先に進む。

魔物を斬った後、刀の周りに光は見えなかった。いつもそうだ。


「闡釐さん、やっぱり強いわね。安心感が違う」


「お世辞はいらないわ。報酬の代わりに面白いものを見せてくれれば十分」


 谷間の突き当たりに、洞窟のような入口があった。自然の洞窟ではない。天井が直線的で、壁に人工的な溝が刻まれている。建造物だ。しかし地面の下に半ば埋まっていて、入口だけが地表に顔を出している。


「ここよ。三週間前に見つけたの。入口の崩落を少しずつ取り除いて、やっと人が通れるようになった」


 レナータの目が子供のように輝いている。ソウマは慎重に入口の構造を確認し、灯りの準備をしている。


 中に入った。暗い。

灯りの火が壁を照らすと、表面に文字が刻まれているのが見えた。壁一面に、整然と並んだ文字。前回の廃墟で見た記号とは全く違う。角ばった、石に刻むための硬い線で構成されている。壁に沿って規則的に並ぶ、見たことのない言語だ。

 しかし文字だけではなかった。壁の下半分には、絵が描かれていた。

人の姿。丸い頭に細い体。手を繋いで輪になっている。その背景に、大きな木と、動物の群れ。鳥や獣が、人と一緒に描かれている。素朴な線画だが、力強さがあった。


「これは......この土地の人たちが描いたものね。文字と一緒に、自分たちの暮らしを記録しているんだわ」


 レナータが声を震わせた。学者としての興奮ではない。もっと深い感情。この土地にかつて生きていた人々の痕跡を、直接目にした感動。


「人と動物が一緒に描かれてるぜ。仲良さそうだな」


 夢魘が壁画を覗き込んで言った。確かに、人と動物は対立しているようには見えない。共に暮らしている。そういう時代があったのだ。大気が汚染される前の、この土地の本来の姿。


「すごい量......。壁全体が文書と壁画になっているのね」


 レナータが手帳を取り出し、猛然と書き写し始める。文字だけでなく、壁画もスケッチしている。

私は護衛として周囲を警戒しながら、壁の絵を眺めた。この人たちは自分たちの暮らしを、石に刻んで残した。文字が読めなくても、絵は伝わる。ここにいたよ、と。こうやって生きていたよ、と。

廃墟の声だ。前回の遺跡で夢魘が言った言葉が蘇る。「ここにいたぞ、忘れるなよ」。この壁画もまた、同じことを叫んでいる。


                  §


 遺跡の最奥部で、それは見つかった。

金属製の箱。壁に嵌め込まれるようにして設置されていた。錆びてはいるが、密閉されていたおかげで中身は比較的綺麗だった。


 レナータが慎重に蓋を開ける。中に入っていたのは、薄い板状の素材に挟まれた紙束だった。紙自体はかなり劣化しているが、文字はまだ読める。


 しかし、この文字は壁のものとは全く違った。


 壁に刻まれた文字は角ばった硬い線だった。紙束の文字は曲線的で、滑らかに流れている。明らかに別の言語だ。前回の廃墟の看板や金属片に刻まれていた記号と同じ体系のものだと、すぐに分かった。

興味深いのは、壁の文字とこの紙束の文字が同じ場所に共存していることだ。壁の方はレナータが長年解読を続けてきた、この土地に元からあった言語。紙束の方は、全く別の場所から持ち込まれたもの。二つの言語が一つの施設に同居している。


 それは、二つの文化がここで交わったということだ。片方はこの土地の文化。もう片方は、どこから来たのか分からない文化。そしてどちらも、私たちが日々使っている日本語ではない。


「レナータさん、壁の文字と紙束の文字、全く別物ね」


「ええ......。別の言語よ。同じ施設の中に二つの言語が混在しているなんて、珍しい。さっき話した発明家の人なら、両方の言語を研究しているかもしれないわ」


 ソウマが紙束を横から覗き込んだ。その唇が微かに動いた。


「あ、これは......」


 声は途中で消えた。


「何?」


 レナータが聞いたが、ソウマは首を横に振った。


「いや......何でもない。見覚えがある気がしただけだよ」


 レナータはそれ以上追わず、紙束を慎重にめくり始めた。私は灯りを持って照らしてやった。紙の端が崩れかけていて、扱いが難しい。


「この紙束の文字の方は、闡釐さんが前回持ってきてくれた金属片の記号と同じ体系よ。つまり、この言語を使っていた文明が相当広い範囲に存在していたことになる」


「あるいは、この土地に入ってきたのかもしれないわね。壁の文字がこの土地のものなら、紙束の文字は外から持ち込まれたもの。交易か、あるいはもっと別の何か......」


 言いかけて止めた。何が「別の何か」なのか、自分でも分からない。ただ、二つの言語が同居する場所に立つと、胸の奥がざわつく。友好的な出会いだけで生まれる光景ではない気がした。


 レナータは私の言葉を聞いて、少し考え込んだ。


「......そうね。穏やかな出会いだったとは限らないわね」


 その時、ふとソウマの方を見た。

ソウマはレナータの少し後ろに立っていた。紙束を覗き込んではいない。壁の方を見ていた。壁に刻まれた角ばった文字――この土地の、元からあった言語を。


 その目が、かすかに潤んでいた。

一瞬で消えた。瞬きの間に。でも確かにあった。壁の文字を見つめるソウマの目に、涙に似た光が浮かんだ。

 なぜだ。読めないはずの文字を前に、なぜ泣きそうな顔をする。

――読めないから、ではないか。


 この土地の文字を読めないソウマ。紙束の文字なら読める可能性が高いソウマ。二つの言語のうち、片方しか読めない男が、読めない方の文字を見て泣きそうになっている。

もし私の推測が正しいなら、ソウマは紙束の文字に何か心当たりがある。だがそれを口にしない理由がある。それだけは確かだった。


 この人がレナータとこの土地を愛しているのは、見ていれば分かる。だからこそ、あの一瞬の潤みが気になった。


「ソウマさん、大丈夫?」


 声をかけると、ソウマは少し驚いた顔をして、それからいつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「ああ、大丈夫。......ここの壁画、綺麗だなと思って。人と動物が一緒に暮らしていた時代があったんだね」


 嘘ではない。壁画は確かに美しい。でも、それが涙の理由の全てではないだろう。


 レナータがソウマの方を見た。


「ソウマ、最近ちょっと気になっていることがあるの」


「何だい?」


「あなた、星の配置にやけに詳しいでしょう。この間、夜空を見上げて星座の位置を全部言い当てたじゃない。私より正確に」


「......まあ、星が好きだからね」


「それだけじゃないの。あなたが星を見る時、時々ね......数えるような目をするの。楽しんでいるんじゃなくて、確認しているような」


 ソウマの表情が、ほんの僅かに硬くなった。一秒もなかった。すぐに笑みに戻す。


「学者の癖かな。つい分析的に見てしまうんだ」


 レナータは納得したように頷いた。でも完全に納得した顔ではなかった。何かが引っかかっている。でもそれを言語化できないでいる。


 レナータの言葉が引っかかっている。楽しんでいるのではなく、確認している。それが本当なら、ソウマは何を確認しているのだろう。


 断片が集まりつつある。指先の強張り。唇の動き。故郷の話で曖昧になる語尾。壁の文字を前にした涙。星を確認する目。


 全部が一つの絵を描こうとしている。まだ見えないが、輪郭は濃くなっている。

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