神が始まりを創るなら6-1
街道に死体が転がっていた。
珍しいことではない。ドームの外で人が死ぬことは日常だ。魔物に襲われたか、賊に殺されたか、あるいは大気に蝕まれて力尽きたか。理由は幾つもある。
しかし、この死体はどれとも違った。
男の死体だ。仰向けに倒れている。目を閉じて、両手を胸の上で組んでいる。服は整えられ、髪は梳かされ、顔の汚れは拭い取られていた。
まるで眠っているようだった。安らかに、穏やかに。野ざらしの街道で、こんな死に顔は見たことがない。
「......おい闡釐、あれ」
夢魘が声を低くした。死体の周囲に、花が散らされている。野に咲く白い花。死体の周りに丁寧に配置されていて、まるで花壇のように見えた。
誰かがこの死体を「飾った」のだ。
背筋にぞわりとしたものが走った。これは普通の死ではない。普通の弔いでもない。何かの意図がある。美的な意図が。思わず膝をついて死体を覗き込んでいた。首筋の傷、花の配置、閉じた瞼の自然さ。全てに目を奪われていた。
「殺されてるのかしら」
「分かんねぇ。でも自然死じゃねぇだろ、この状況は」
近づいて死体を確認する。外傷は――首筋に一太刀。細く、深く、正確に頸動脈を断っている。苦しまなかっただろう。一瞬で意識を失い、そのまま死に至ったはずだ。
上手い。恐ろしく上手い剣筋だ。殺すことに特化した一撃ではなく、「苦しませないこと」に特化した一撃。こんな斬り方をする人間に、私は一人だけ心当たりがあった。
そしてこの飾り方。死者を「作品」として丁寧に整える者。殺すことと弔うことを同時にやってのける者。
まさか。
「よう、久しぶりやな」
声は、背後からした。気配に気づかなかった自分に舌打ちする。死体に意識を取られすぎた。
§
振り向くと、影が立っていた。
影、と表現したのは比喩ではない。逆光で顔が見えなかったのだ。ただ、輪郭だけで分かることがある。
でかい。
異様にでかい。私の頭ひとつ分どころか、二つ分は上に顔がある。二間は超えているだろう。手足が長く、肩幅は荷台の幅に匹敵する。こんな巨体が街道に立っていたら、それだけで風景が歪む。
影が一歩前に出て、顔に光が当たった。
不細工だった。
それ以外の表現が見つからない。鼻が大きく、顎が角ばり、目が妙に離れている。頬骨が張り出していて、口元が歪んだ笑みを浮かべている。だが不思議なことに、不快ではなかった。醜さの中に、妙な愛嬌がある。子供が粘土で作った顔のような、歪んでいるからこその味。
「やっぱり闡釐かいな。りょう君ね、遠くから見てたんよ。あの銀色の髪、目立つわぁ」
声が高い。この巨体から、裏声のような高い声が出る。初めて聞いた時は耳を疑ったが、この声も含めて「こいつ」なのだと知っている。
知っている。私はこの男を知っている。
「......りょう」
「おー、覚えとってくれたんか。嬉しいわぁ」
りょう。本名は栗原諒。昔あった言語と言われる、独特の訛りで喋る大男。自分のことを「りょう君」と呼ぶ。初めて聞いた時は冗談だと思ったが、ずっとそうだった。
戦場で会った。何度も。敵として、味方として、あるいはどちらでもない第三者として。私がまだ傭兵団にいた頃――グレンの下で人を殺すことしか知らなかった頃の、古い知り合いだ。
「何してるの、こんなところで」
「見ての通りや。仕事しとった」
りょうが親指で死体を指した。「仕事」。この男はそう呼ぶのだ。人を殺し、その死体を飾ることを。
「闡釐、知り合いか?」
夢魘が警戒を解かずに聞いてくる。当然だ。街道で死体を飾っている巨大な男に警戒しない方がおかしい。
「昔の知り合いよ。......危険ではない、と思う。多分」
「多分って何だよ」
「おっ、カラスが喋っとるやんけ。面白いなぁ。なんちゅー名前や?」
「夢魘だ」
「夢魘か。ええ名前やな。悪い夢っちゅー意味やろ?昔の言葉は知っとるで」
夢魘が少し驚いたようにこちらを見た。意味を知っている人間がいたことに驚いたのか、それとも、この不気味な男にいきなり褒められたことに驚いたのか。
§
街道の脇に座り込んで、話をすることになった。
りょうは死体のそばに腰を下ろし、長い脚を投げ出している。私は荷台に腰掛け、夢魘は私の肩に止まったまま。奇妙な三者会談だ。
「闡釐が行商人やっとるっちゅーのは風の噂で聞いとったわ。人殺しやめて商人かいな」
りょうの口調は軽い。でも目が笑っていなかった。値踏みしている。あの頃と今の私を、比べている。
「人殺しをやめたわけじゃないわ。賞金稼ぎもしてる」
「賞金稼ぎなぁ......。金のために殺すんか。まあ、それも商売か」
棘のある言い方だった。りょうがこんな風に刺してくるのは珍しい。いや、珍しくないかもしれない。この男は昔から、刀よりも言葉の方が鋭い時がある。
「貴方に何か関係ある?」
「関係はないわ。ただ、りょう君はなぁ......」
りょうが死体を見た。花に囲まれた安らかな死に顔を見て、それから私を見た。
「もったいないと思うんよ。りょう君な、さっきから見てたんよ。闡釐がドームの門を出て、荷台を引いて、街道を歩いとるのをな。昔の闡釐は歩くだけで空気が震えてた。今は馬と同じ速さで、同じ歩幅で、まっすぐ歩いとる。周りを警戒する目が、商品の心配をする目に変わっとる。あの頃の闡釐は、りょう君が見た中で一番面白い剣士やった。それが今は香辛料売って、小銭を稼ぐ行商人や。刀が泣くわ」
「刀は泣かないわよ」
「泣いとるで。りょう君には聞こえる」
冗談なのか本気なのか分からない目だった。恐らく、両方だ。
刀が泣いている。りょうが言った言葉の意味を、私は二重に受け取っていた。剣士としての才能を腐らせている、という表の意味。そしてもう一つ――殺さなくなったこの刀が、飢えている、という意味。光の粒が減り続けていることを、りょうは知らないはずだ。知らないはずなのに、正鵠を射ていた。
「りょう君はね、死体芸術家や」
りょうが突然、話を変えた。夢魘がぴくりと身じろぎする。
「人の死に際を美しくするんがりょう君の仕事や。苦しまんように殺して、綺麗に整えて、花で飾って送り出す。あの世でも恥ずかしくないようにな」
「一生に一度しか作れん、最高傑作。人は一回しか死なれへん。やったら、その一回を最高のもんにせなアカンやろ」
りょうの目が、一瞬だけ真剣になった。いつもの飄々とした表情が消え、刃物のような光が瞳に宿る。
「だからこそ、適当には殺さんのや。意味のない死は、冒涜やからな」
意味のない死は冒涜。この男は殺す者だ。だが殺す相手を選び、殺し方に全霊を込め、死後の体を芸術として整える。命を軽んじる者とは正反対の場所にいる。
そう思った瞬間、胸の穴を冷たい風が吹き抜けた。私は殺さないことで命を尊重しているつもりだった。だがりょうは殺すことで命を尊重している。方向が真逆なだけで、根っこは同じだ。
立ち上がった。ゆっくりと。あの巨体が影のように伸び上がる。
「せやから聞きたいんよ、闡釐。闡釐はこのまま停まるつもりか?」
「停まる?」
「商人として穏やかに暮らして、たまに賊を斬って、そのまま老いていくつもりか。あの頃の闡釐は、そんなもんやなかったやろ」
りょうの手がコートの下に伸びた。刀の柄に触れている。
私の全身に、電流のようなものが走った。戦場で培った感覚。忘れていたはずの感覚。相手がこちらを殺しにくる、その一瞬前の空気の変化。
「闡釐、来い」
――りょうが刀を抜いた。




