廃墟の声5-1
ドームの外は、いつ来ても寂しい。
乾いた風が砂を巻き上げ、枯れた草が地面にへばりついている。空気が少しだけ重い。長くいれば体が蝕まれ、やがて魔物になる。それを分かっていてなお外に出るのは、行商人か、よほどの物好きだけだ。
私は前者で、夢魘は多分後者だ。
「なぁ闡釐、あれ何だ?」
夢魘が上空から降りてきて、肩に止まった。嘴で前方を指している。地平線の向こう、砂と草の境界線に、灰色の何かがそびえている。
廃墟だ。しかも、今まで見た中で一番大きい。
近づくにつれて全容が見えてくる。巨大な建造物の残骸が、まるで骨のように空に突き出している。壁は崩れ、天井は消え失せ、鉄骨が錆びた腕のように四方に伸びている。ところどころ、緑が這い上がるように絡みついている。生命の力強さと、廃墟の虚しさが同居した光景。
「すげぇ......。こんなデカいもん、人間が作ったのか?」
「昔の人間がね。今の私たちには、こんなものを作る技術はないわ」
「なんでなくなったんだ?」
「知らないわ。私が生まれた時にはもう何もなかったもの」
自分で言いながら、妙な気持ちになった。これだけのものを作れた人間が、なぜ全部失ったのだろう。
考えても答えは出ない。私は歴史家ではなく行商人だ。
「中に入ってみようぜ」
「商品になりそうなものがあればね」
本音は違う。私も、少しだけ好奇心を刺激されている。レナータとソウマに会ったせいかもしれない。あの夫婦の、遺跡を前にした時の目の輝きが、少しだけ伝染したようだ。
§
中に入ると、外から見るよりもさらに広かった。
天井のない巨大な空間。もともと何かの施設だったのだろう。壁の一部に色褪せた塗装が残っている。赤と白と青の三色が、規則的に並んでいた。何かの模様――いや、何かの印だろうか。色の組み合わせに意味がありそうだが、私には読み取れない。
「あの模様、見たことあるか?」
夢魘に聞いてみたが、首を横に振った。
「ねぇな。でも妙にきっちりしてるだろ。自然にできた模様じゃない。誰かが意図して塗ったもんだ」
同意する。だが、何のために塗ったのかは分からない。
さらに奥に進む。瓦礫を踏み越え、崩れた階段を避け、横倒しになった巨大な柱の下をくぐった。夢魘は上空から先行して、安全な通路を教えてくれる。こういう時、本当に頼りになる。
柱の奥に、壁が比較的しっかり残っている一画があった。
そこに――看板のようなものがあった。
巨大な板に描かれた人物画。片足を上げて走っているような姿勢で、両手を広げている。背景は青。添えられた文字は、レナータたちと見つけた紙束の文字に似ている。あの曲線的な記号の仲間だろうか。読めないが、形に見覚えがある。
しかし、目を引いたのは文字ではない。人物画の表情だ。
笑っている。満面の笑みで、何かに向かって走っている。こんな絵を、なぜ建物の中に描いたのだろう。
「楽しそうなヤツだな」
夢魘が看板を見上げて言った。
「走りながら笑うなんて、よほど楽しいことがあったんだろうよ」
「......そうね」
何百年も前の人間が描いた、名前も知らない人物の笑顔。それが、この崩れかけた廃墟の中で、まだ笑っている。時間も、崩壊も、この笑顔だけは奪えなかったのだ。
私にも笑えなかった時期がある。何を食べても味がしなくて、誰と話しても声が遠かった頃。あの頃の私がこの看板を見たら、何も感じなかっただろう。今、この笑顔を見て胸の奥が揺れるのは、恩人がくれたものがまだ残っている証拠だ。
看板の下を通り過ぎて、次の部屋に入った。ここには別の遺物があった。
金属の棒が地面に突き刺さっている。棒の先には、布の残骸がぶら下がっていた。風化してほとんど形をなしていないが、元は四角い布だったのだろう。色の痕跡が僅かに残っている。赤と、白。
「これは何だと思う?」
「旗......かもしれないな。動物の群れでも目印を使うことがある。人間はもっと複雑な目印を作るんだろう」
「国旗、かもしれないわね」
国旗。国を示す旗。かつてこの土地に国があったということだ。今はドームの中の小さな村しかないこの世界に、かつては国旗を掲げるほどの大きな共同体があった。
「国旗か......。カラスの国にも旗がいるな」
「何色にするの?」
「黒だろ。決まってる」
「真っ黒の旗って、不吉すぎない?」
「カラスの国なんだから黒で当然だ。文句あるか」
文句はない。ただ、旗を考えるところまで話が進んでいることに、少し笑ってしまった。




