星を読む夫婦4-3
午後の調査で、もう一つ奇妙なものが見つかった。
遺跡の奥、崩れた壁の下から出てきたのは、何枚も重なった薄い金属片の束だった。手のひらほどの大きさで、角が丸く削れている。錆びてはいるが、表面に細かな刻印がびっしりと並んでいるのが分かる。
「これは......」
レナータが息を呑んだ。慎重に表面の土を払い、一枚ずつ剥がしていくと、金属片の両面に文字が刻まれているのが見えた。小さな、整然と並んだ文字。押し付けて刻んだような、均一な深さの刻印だ。
しかし、その文字は私の知っているどの文字とも違った。
「読めるの?」
「いいえ......。でもこれ、前にも別の場所で似た文字を見たことがある。規則性があるの。同じ文字が繰り返されているから、何かの言語であることは間違いない」
レナータが興奮して金属片を一枚ずつ眺めている。その横でソウマが、束の端の一枚に刻まれた小さな文字列を見つめていた。
私は彼の横顔を何気なく見ていた。
ソウマの唇が微かに動いた。声にはならない動き。文字列を目で追いながら、唇だけがそれをなぞっている。音読する時の口の動きだ。無意識にやっている。
それは「読めない文字」を前にした人間の反応ではない。意味を追っている。文字の並びに沿って、唇が動いている。
気づいたのは私だけだった。レナータは金属片に夢中で、夢魘は上空から遺跡を見回している。
ソウマが視線を上げた。私と目が合った。
ほんの一瞬。ソウマの目に、何かが走った。驚きではない。見られていたことに気づいた時の、静かな警戒。しかしそれはすぐに消え、いつもの穏やかな表情に戻った。
「不思議な文字だね。レナータ、これは持ち帰って詳しく調べよう」
「ええ!大発見よ、これは!」
レナータの興奮に引きずられて、空気が明るくなる。夢魘も「俺にも見せろ」と降りてきて、金属片を覗き込んでいる。
「何が書いてあるんだ?暗号か?」
「分からないわ。でも解読できたら、この文明の正体が分かるかもしれない」
「文明の正体、か......」
夢魘が呟いた。金属片の文字をじっと見つめている。嘴が僅かに開いて、閉じた。何かを言いかけて飲み込んだ、というよりは、言葉が出てこなかったように見えた。知っている何かに手を伸ばして、指がすり抜けたような顔。
「夢魘?」
「......いや。何でもねぇ。見たことねぇはずなのに、何か引っかかるんだよな」
引っかかる。前に祠の前で「忘れ物をしている」と言った時と同じ色の声だった。このカラスの中には、思い出せない何かが眠っている。それが遺跡の文字に反応する。まるで、鍵穴に合わない鍵を差し込もうとしているような。
私には分からなかった。分からなかったが、覚えておくことにした。商人は人の言葉を覚えるのが仕事だ。
§
日が傾き始めた。遺跡から村に戻る道で、四人と一羽が並んで歩いた。
「闡釐さん、次はいつこの辺りを通るの?」
レナータが聞いた。
「商品の巡回ルート次第だけど、二月後くらいかしら」
「その時また寄ってよ。今日見つけたものの解読が進んでいるかもしれない」
「ええ、楽しみにしてるわ」
社交辞令ではなく、本心だった。この夫婦の熱量は心地いい。何かに夢中になれる人間の近くにいると、自分まで少しだけ前向きになれる気がする。
「ソウマさんも、次の調査で何か分かるといいわね」
ソウマは少し驚いたように私を見て、それから柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。......僕たちも頑張るよ」
「僕たち」と言った時のソウマの声は、本当に温かかった。レナータと二人の仕事を、誇りに思っている声だった。
「闡釐さん、夢魘さん。旅の安全を祈ってるわ」
「ありがとう、レナータさん。......ソウマさんの豆のスープ、今度御馳走してね」
発酵させた豆のスープ。名前は知らないが、気になる料理だ。食べ物に関しては好奇心を抑えられないのが私の悪い癖だ。
「もちろん。作っておくよ」
ソウマがそう答えた時、彼の目が少しだけ潤んだように見えた。故郷の料理を誰かに振る舞える喜びなのか、もう戻れない場所への郷愁なのか。その両方が、一瞬だけ彼の目の中で混ざり合って消えた。
私には分からなかった。ただ、この人は複雑な何かを抱えている人だな、と思った。
悪い人ではない。それだけは確かだ。
§
村を出た後、野営の準備をしながら夢魘が言った。
「あの二人、いい人間だったな」
「ええ」
「特にレナータ。あの情熱は本物だ。過去の文明を掘り返して意味を見つけようとする......。ある意味、俺のやってることと似てるかもしれない」
「似てる?」
「ああ。俺は未来のカラスのために国を作ろうとしてる。レナータは過去の人間のために記録を残そうとしてる。どっちも、今ここにいない誰かのためにやってんだ」
今ここにいない誰かのために。
その言葉が胸の穴の縁に触れた。恩人のことを思い出したからだ。もういない誰かのために、私は商売を続けている。恩人が教えてくれたやり方で、恩人が生きていた世界を繋いでいる。
もしかしたら、私も同じなのかもしれない。今ここにいない誰かのために旅をしている。
「ソウマの方はどう思った?」
「良い人だと思ったぜ。でも......」
「でも?」
夢魘が首を傾げた。
「上手く言えねぇんだが、あいつ、時々遠い目をしてたよな。幸せそうなのに、どこか寂しそうっつーか」
私もそう感じていた。ソウマの穏やかさの裏に、何か隠しているものがある。それは秘密というより、言えない事情のようなものに見えた。指先の強張り。唇の動き。故郷の話で曖昧になる語尾。断片は集まりつつある。だが、全体像は見えない。
「人にはそれぞれ事情があるわ」
「まあ、そうだな。......でも遺跡は面白かった。またあの夫婦に会いたいぜ」
「次の巡回で寄るわ」
「約束だぞ」
焚き火が爆ぜる音。星が散らばる空。夢魘が片目を閉じて眠りにつく。
私も目を閉じた。明日はまた別の村へ向かう。
懐の中に、ソラの石と女の子の人形がある。荷台の上には商品と、夢魘が一羽。そして今日また、帰ってくる場所が一つ増えた。スープを作って待っていてくれる人がいる場所。
馬が鼻を鳴らした。首筋を撫でてやる。三年一緒に旅をしている、名前のない馬。この子にも、いつか名前をつけなければ。
荷台が重くなっていく。商品の重さではない。約束の重さだ。行く先々で交わした、小さな約束の積み重ね。
でも、重さが増すたびに、胸の穴を通り抜ける風が少しだけ弱くなっている気がする。穴が塞がっているのではない。穴の周りに、何かが積もり始めているのだ。
遺跡で見つけた奇妙な文字が、瞼の裏にちらついた。あの文字が何を意味するのか、私にはきっと一生分からないだろう。
でも、誰かが分かる日が来るかもしれない。レナータが解読するかもしれない。
それまでは、この世界の謎は謎のまま、星の下で眠る。




