第4話
決死隊の生存者二十三名が暗がりの中連れて渡河点に向かう。歩ける者は自分の足で、歩けない者は両隣が肩を貸している。声は出さず足音だけが草の上を擦っていく。
左腕に斬り傷のある兵がいた。カール・フェーダー。御厨侯の第二中隊にいた一等兵で夜襲の白兵でやられた。遺書の宛先は妻と息子。その男が右手一本で隣の兵を支えながら歩いている。
川の音が近づいてくる。水の匂い。夜の冷気が川面から立ち上って汗と泥にまみれた体に染みる。
渡河点の仮設橋は残っていた。工兵が架けた丸太の橋で幅は二人分、欄干はない。暗がりの中で水面が黒く光っている。
兵を二人ずつ先に渡す。橋の上で足を滑らせないように声をかけながら一組ずつ送り出し、負傷兵は両脇を支えて渡す。橋が軋んで水音が下から響いてくる。川面が見えない。落ちたら流される。
全員が対岸に着くまでこちら側に残って渡河点を見張る。追撃の気配はないがいつ来てもおかしくない。暗がりの中に目を凝らしたまま最後の一人が渡り終えるのを待って、ハンスが最後に橋を渡った。渡り終えてから仮設橋を落とす。丸太が水に落ちて音を立てる。
対岸にサリーがいた。
松明を一本だけ灯して橋のたもとに立っている。左腕の布がまだ巻かれたままで泥だらけの顔が松明の光に照らされている。
渡河点の周囲には兵が整列していた。五百近い兵を夜の間にすべて渡河させて掌握している。崩れていない。負傷兵には手当てが施され、動ける兵は武器を持って列を作っている。決死隊が出ている間も寝ていない。五百人を渡して整えて武装を確認して、それからここに立って待っていた。
サリーは何も言わなかった。ハンスを見て一つ頷いただけだ。
「置き土産は済ませてある。残った装薬を塹壕に埋めて杭に撃鉄を繋いだ。こっちから叩けば起きる」
振動通信の杭を爆破に転用していた。こちら側の杭を叩けば対岸の杭が共鳴して撃鉄が落ちる。渡河の準備をしながらこれも仕込んでいたのかと思うとこの男の手際に感心するしかない。
*
六十時間にはまだ少し残りがあるが渡河が完了した時点で実質的な持久は終わっている。残りの時間で距離を稼ぐ。
負傷兵が多く列の速度が上がらない。担架が足りず歩ける者が歩けない者を背負っている。夜が明けかけた灰色の空の下を泥だらけの隊列がゆっくりと西に向かっていく。街道の両脇は草原で朝霧が低く這って兵の足元を隠している。時折、列の中から咳や呻き声が聞こえるが誰も喋らない。歩くことだけに体力を使っている。
サリーが列の先頭と後尾を行き来して負傷兵の容態を見て、遅れそうな者には兵をつけて列が伸びすぎないように声をかけている。左腕の傷は気にしていないらしい。
追撃は来ない。夜襲の混乱がまだ続いているのか別の理由があるのかわからないが、来ないならそれでいい。
歩きながら部隊の人数を数えていた。渡河した五百弱と決死隊の残り二十三名で合わせて五百と少し。千百八十七名で始まった殿が半分以下になっている。残りの大半は渡河途中で後方に送った負傷兵と疲弊兵で、死者は百五十を超えるだろう。名前が頭の中に並んでいる。消えない。
マティアス・ブルーナー。二十歳。母親宛。
後方の渡河点あたりに動きが見えた。対岸の塹壕陣地に敵が入り始めている。
サリーが足元の杭を見る。ハンスは頷く。
一拍置いて低い震動が地面を伝い、それから遅れて空気を揺らす重い破裂音が届く。対岸の陣地から煙が上がる。
*
辺境伯隊の後方陣地が見えたのは日が完全に昇った頃で、丘の上に旗が立って陣幕が並んでいる。見張りの兵がこちらを見ていた。泥だらけの隊列が近づいてくるのを警戒しているようだった。
サリーが前に出て声を上げる。
「ハドニツァ防衛臨時大隊、帰還。シルテン少佐以下、五百二十三名」
見張りが一瞬動きを止めた。伝令は出したがあの爆発音の後で生きているとは思わなかったのだろう。
陣地の入口が開いて兵が寄ってくる。負傷兵を受け取り水を配り担架を運んでくる。ハンスの部隊の兵が立っていられなくなった者から順に地面に崩れていく。遺書を書いて死兵になって塹壕で戦い続けた兵がようやく地面に体を預けている。水を受け取る手が震えている。
報告をしなければならない。指揮官が最後に倒れる。教科書にそう書いてあった。
足が重い。視界の端がぼやけて音が遠い。サリーの声が聞こえているが言葉の意味が少しずつ遠ざかっていく。戦場にいる間は感じなかった痛みと疲労が一度に押し寄せてくる。体がこんなに重かったのか。
——すみません。
口をついて出た言葉は報告ではなかった。
膝が折れる。地面が近づいてくる。朝の空が青い。




