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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

蛍シリーズ

蛍は過去を生きていた。

作者: 十十廃色
掲載日:2025/12/01

【上】


 気持ち悪い。どうしてこんな人間がこの世界に存在しているのか、分からないぐらいに。その存在が、受け入れられないぐらいに。それはあまりにも厄災で、人類にとっては明らかに負債だった。

 あんな女子高生が、いてもいい世界なら、私は生きていなくていい。

 心の底から、そう思わされるぐらい。

 あの子は『ダメ』だった。

 たとえば、あの子は悪いことをするのが好きだった。社会に対する些細な反抗だとか、スリルを味わう手段だとか嘯いていたが、実際はただの自傷行為でしかない稚拙な犯行だった。法律に反しているのではなく、自分に反しているだけだった。

 あの子にとっては、全てが己を傷付けるための道具でしかないのだろう。

 あの女子高生――伏谷(ふせや)深良(みら)にとっては、なにもかもが。

 ありふれた救済だった。

 あり得ないことに。


 彼女のことを、私はミラちゃんと呼んでいた。年下だったし、人懐っこい子だったから、馴れ馴れしくそう読んであげた。ミラちゃんは、少しだけ喜んでくれた。

 ミラちゃんと、彼女の友達である外咲(はずさき)奏音(かのん)が私の住むボロアパートに引っ越してきたのは、私が入居してからおよそ一ヶ月後のことだった。ミラちゃんは私の隣の部屋に、カノンちゃん(あまり話したことはないが、頭の中ではそう呼んでいた)は波久礼さんの隣の部屋に。一階が波久礼さんとカノンちゃんで、二階が私とミラちゃんだ。

 波久礼さんはすぐに女子高生ふたりと親交を深めたようだけど、私は少しだけ彼女たちを避けていた。周りの人間が続々と死んでいく名探偵体質(名探偵ではないが)を持っている私が、未来ある若者の女子高生と仲良くなったりすれば、ふたりは死んでしまうかもしれないと、そう思ったのだ。

 だから、私はこの頃、あまり人と関わらないようにしていた。人が好きな私でも、人が死ぬのは好きじゃない。死んだ人間はただ死んだだけだとか、昔の私はそんな風に考えていたみたいだけど、とんでもない。死んだ人間は、死んでしまったのだ。それだけでも、私は悲しくなる。

 しかしある時、ミラちゃんが私の部屋を訪ねてきた。なんと、深夜の一時に。

「こんばんは。挨拶が遅れて申し訳ありません」

「……別に、大丈夫。えーと、名前は……」

「伏谷深良です。そちらは?」

「……常盤(ときわ)ほたる、だよ」

「常盤さんですね。これから三年間、よろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ……」

 第一印象は、『普通の子』だった。深夜の一時に挨拶をしてくるだなんて、なんて非常識な子だと思ったかもしれないが、そもそも私は日中ほとんどアパートにいないのである。最近はテレビに呼ばれることが増えたので、中々帰ってこられないのだ。正直、東京に戻ろうかなと考え始めている。

 だから、今日も私は深夜の零時五十分あたりにやっと帰宅してきたわけだが――ボロアパートなだけあって壁が薄いので、外で物音がすれば丸聞こえになるのだ。たとえば、足音とか。そこを狙われた。

 いや、狙われたって言いかたはよそう。ミラちゃんは別に、悪意を持って私に近付いてきたわけではない。

「高校生?」

「はい。ピカピカの一年生です」

「……学校は、どう? 楽しい?」

「あんまりです」

 あんまりか。まぁ、大抵はそんなもんだろう。学生時代に学校が楽しいと思えるような人間は、ごくわずかだ。

「どこの高校に通ってるの……?」

「北第一高校です」

「進学校じゃん。てか、そこって……」

 千夏(ちなつ)が教えているところだ。

 私の友達である綱茶(つなちゃ)千夏は、中学校の頃から教師を夢見ていた。その夢は無事に叶い、今は高校の教師として生徒になんかの教科を教えている。なんの教科かは知らないが、千夏は英語が嫌いだったので、英語だけはないだろう。数学教師かな。

「……なんでもない。へぇ、伏谷さんって頭良いんだね」

「とんでもない。わたしなんて雑魚中の雑魚ですよ。えへへ」

 どこに笑う要素があったのだろう。今考えたら、自虐ができたから嬉しかったのかもしれない。

 破滅願望もそこまでいくとただのドMだ。

「頭の良い友達にレベルを合わせたんですよ。その結果、授業にはついていけなくなっちゃいましたけど」

「あらら……」

 私は勉強ができたほうの人間なので、そういう悩みについては「あらら」としか言いようがない。勉強ができない人の気持ちが、よく分からないというか。

 教科書に書いてあることを覚えるだけで、授業は退屈になる。それなのに、どうしてみんなはそうしないのか。

 一回で覚えろと言っているわけではない。何千回読み返してでも、覚えろと言っているだけだ。覚えさえすれば、提出物を出さずとも卒業することはできるだろう。

 私なんかは、学校に『試験では常に満点を取るので、出席と提出物を免除してくれ』と申し立てて、そのとおりになった。夏休みの課題も冬休みの課題も、私には配られることすらなかったのだ。

 教師泣かせではあったかもしれないが。試験以外はほとんど学校に来ない、不良生徒だったから。

「不良、ですか……」

「?」

 不良とはいえ、素行が悪いわけではなかったので、生徒指導行きになったことはない。ただ、行く先々で殺人事件に出くわすだけだ。

 ……まぁ、これは全部、千夏から聞いた話なんだけどね。

「私はもう、学生時代のことを全く覚えていないから、アドバイスできることなんて全くないんだけどさ……」

 なにか、大人っぽいことを言いたい。大人っぽくて、かつ格好良いことを。

「……程々でいいんだよ、学校なんて」

 そこまで格好よくはないけど、なにかを諦めた大人っぽいセリフだ。

 まぁ、及第点だろう。薄っぺらい言葉だ。

「……程々、ですか」

「うん。授業とか、学校だけじゃなく、全てに対して言えることかもしれない」

 程々でいいのではなく、程々にしなければならないのかもしれない。真面目にではなく、程々に。でなきゃ、耐えられずに投げ出してしまうかもしれない。たとえば、人生だったりを。

「わたしは、真面目になんてなったことないですよ」

「なら、安心だね……」

 少なくとも、自ら人生を投げ出すようなことはない。

「そろそろ寝なよ、伏谷さん。きみはもう十分、悪い子だから……」

「……はい」

 寝たいのは私だったので、私はそう会話を打ち切った。


 突然の来客があった。

「えっと、あなたが常盤ほたるさんであっていますか!」

「……はい。えーと、どちら様?」

 さっぱり心当たりがない。目の前の少女は、ミラちゃんやカノンちゃんと同じ制服に身を包んでいた。ということは、同じ高校の女子生徒か。一体、何の用でウチに来たのか……。ふたりのどっちかが学校で私のことに言及して、私のファンが突撃してきたってところか。

 と思ったが、それは全然違った。

 女子高生は言った。

「お願いします! 伏谷さんを、どうか殺してください!」

「……は?」

 声が出た。

 え、なになに? 誰が、誰を殺すって?

 私が状況を少しも理解できない隙に、女子高生は勝手に話を進めた。

「申し遅れました! 私、頼宮(たのみや)夜月(やつき)と申します! 実は、お願いがあって来ました!」

 知らない名だ。今朝確認した日記帳にも、そんな名前はなかった。本当に誰か分からない。

「分からないのも無理はありません! だって、私たち、初対面ですから!」

 ……よく分からない。唯一ひとつだけ分かることは、この頼宮夜月という少女が、初対面の人に殺人依頼をするちょっとおかしな子だってことぐらいである。分かったところで、得もなにもないが。

 これほど困惑したのは、今日が初めてなのかもしれない。そう思ってしまうぐらい、不可解な状況だった。

「……詳しく説明して。よく分からないから」

「かしこまりました!」

 元気が良い子だ。だからといって、良い子であるとは限らないけど。どうやら、ミラちゃんを殺してほしいらしいし。ミラちゃんはこの変な子から、一体どんな恨みを買ったんだろうか。彼氏でも寝取ったのかな。

 ミラちゃんは可愛いので、彼女持ちであろうと大抵の男は奪えるだろう。どこかで恨みを買っていても、確かにおかしくはない。そんなことをする子には見えなかったので、もしかしたら逆恨みなのかもしれない。『好きな子ができたから別れる』っていうヤツ。

「まずですね、伏谷深良さんについては知っていますよね? 一緒のアパートに住んでいるんですから」

 同じところに住んでいるからといって、知っているとは限らないだろうと思わず反論したくなったが、実際には知っているのでなにも言えない。自分はそうだけど、そうだとは限らないだろうという正論は、いくら正しくても無意味だ。

 私は頷いた。

「彼氏を寝取られました」

「……」

 想像どおりか――そう思っていると、追撃が来た。

「そして、学校では嫌がらせを受けました」

「……ん?」

 嫌がらせ?

「えーとですね、筆箱を捨てられたり、わざとぶつかってきたり、あと、ハサミで髪を切られました!」

 あれ、思ったよりもガチのヤツっぽい。これは、普通にイジメである。

「体育の時にズボンを下ろされたり、上靴の中に溶かしたチョコを入れられたこともあります! それと……」

「ちょっと待ってちょっと待って」

 え、ミラちゃん……?

 かなりの衝撃を受けた。でも、私の前では、あんなに良い子だったのに――とか、そういう知ったような口を利けるほど、私はあの子のことをよく知らない。ミラちゃんの全てを知っているわけではないのだ。そういうこともある。

「それって、イジメだよね?」

「そうです! 私、伏谷さんにイジメられてるんです!」

 ……事態は、思ったよりも深刻である。イジメから発展した殺人事件に巻き込まれたことのある私なので、イジメには敏感だ。それだけは許せない――と言えるほど、イジメられっ子に同情できる私ではないが。

 でも、私はイジメっ子には優しくない。

「……それは、大変だったね」

「ええ、とても大変だったです! だから、殺してスッキリしたいです!」

 動機は分かった。でも、分からないことがひとつある。

「どうして私なの……?」

「え?」

 いや、え? と言われても……。私には分からないから、訊いているのに。

「どうして私に頼んだの?」

「そんなの、常盤さんが有名人だからですよ!」

 ……有名人?

「常盤さんって、周囲の人が全員死んでるんですよね? だったら、伏谷さんのことも『周囲の人』にして、伏谷さんを殺してくださいよ! いつもやってることでしょう? だから、気楽だと思うんです! お願いします!」


 そりゃ、そうだ。周りの人間がバタバタと死んでいけば、噂されるに決まっている。周りの人にも周りの人はいるし、そうでなくても、おかしいと気付くだろう。死神として、有名になってもおかしくない。というか、有名にならないとおかしいぐらいだ。人を過小評価していた。私の死神っぷりはまだ世間に知られていないと思っていたけど、地元では十分に知れ渡っていたのか。

 ……それにしても、気楽か。

 いつもやってることだから、気楽――一瞬、おちょくられているのかと思った。だけど、あの目は、違う。あの目はガチだった。つまり、あの子は本気でそう思っているというわけだ。それがイジメられる理由ではないのかと問いたくなるが、どんな理由があったとしても、イジメていいということにはならない。

 イジメは正真正銘の悪なのだ。

 ……だからこそ、なのかもしれないが。

 私が善じゃないことを、思い出してしまった。

 本音を言えば、私は別に怒っていない。許さない、という気持ちすらない。イジメられたことがないから、イジメられっ子の気持ちが分からない――というわけではなく。分かった上で、どうでもいいのだ。

 頼宮夜月――初対面の女子高生。印象は悪い。初めましての人間に、しかも周囲の人間が片っ端から死んでいくような人間に、殺人の依頼だなんて、バカげている。あり得ないどころの話じゃない。そんなことが許されてはいけない。

 この時の私はそう思っていた。

 とりあえず頼宮には帰ってもらい、私はひとりで考えてみることにした。別に、あの子が嘘つきだとは思っていない。だから、ミラちゃんがイジメをしているという情報を、私は鵜呑みにしていた。実際、それは正しかった。

 だけど言いかたが悪かった。

 ミラちゃんがしていたことは、イジメではなく、ただの破壊だった。

 破壊であり、そして自傷行為だった。

 伏谷深良は悪い人間じゃない。悪いことをしているだけで、悪い子ではない。彼女に、善悪の区別なんて付いていなかった。だからこそ、あんな事件が起こったのだ。

 ミラちゃんとは、無関係に。

 ただ、物語は進行する。

 今回ばかりは、過去を振り返らねばならない。




【下】


 結局、すべては伏谷深良の与り知らぬところで完結した。それは『完全に終結した』という意味であり、間違っても『完璧に終結した』とは言えないものだった。

 言ってはいけない。

 この件のすべてにミラちゃんが関係しているにも関わらず、この件のすべてにミラちゃんは関与していない。直接は繋がっていない――間接的に繋がっている。

 たとえば、頼宮夜月というイジメられっ子。たとえば、外咲奏音という傍観者。そして、綱茶千夏という先生と、常盤ほたるという語り部。

 たとえば、沖谷穂香。

 彼女は母親と自らを殺害し、私まで道連れにしようとした。さらに、父親を不幸に追いやった。それは許されざる行為であり、たとえ故人であったとしても、裁かれるべき犯罪だ。

 閑話休題(それはさておき)――この事件から、ある要素を抽出してみようと思う。

 自殺、というひとつの要素。

 自分で自分を殺すというのは、もしや、最大級の自傷に近しい行為なのでは?

 今のミラちゃんなら、おそらく『違う』と即答できるだろう。でも、昔の――数ヶ月前のミラちゃんには、回答すらできない。

 だって、知らないんだから。

 なら、今のミラちゃんはどうして知ってるんだろう。

 今回はそういう話だ。

 この物語に救いはなく、ありふれた胸糞悪さと胸糞悪いだけの結末、慰めも励ましもすべてが等しく無価値になる、そんなお話を。

 そんな過去を振り返ろう。


「外咲奏音さん、だよね……?」

「……」

 カノンちゃん――波久礼さんの隣人であり、ミラちゃんの親友であり、同じアパートに住む女子高生に、訊きたいことがあった。

 というのも、私はついさっき、頼宮夜月というミラちゃんカノンちゃんの同級生から教えられたのだ。『伏谷深良がイジメをしている』、と。正確には、『私は伏谷深良にイジメられています! だから初対面の常盤さん、私のために伏谷さんを殺してください!』だったけど。

 そこまで教えることはできない。

「……いかにも、私が外咲奏音だが」

 カノンちゃんは、ゆっくりと私に視線を向けた。自身が満ち溢れている――というわけではないが、なんらかのオーラを発している。態度は、不遜という感じ。

「なんの用だい? 常盤ほたるさん」

「……私のこと、知ってたんだね。だったら、自己紹介は不要かな?」

 なんだか、心がざわつく。どういうわけかは分からないが、カノンちゃんに、デジャヴのようなものを感じたのだ。おそらく、過去に似たような――もしくは、真反対の人間と出会ったことがあるのだろう。

 真反対で、同じ。

「いや、自己紹介は済ませておこう。挨拶が遅れてすまない。私の名前は、知ってのとおり外咲奏音だ。これから三年間、よろしく頼む」

「……知ってのとおり常盤ほたるだよ。こちらこそ、よろしくね……」

 三年間というのは、おそらく高校を卒業するまでの間だろう。確か、地元は静岡なんだっけ?

「それで、用件はなんだい? 悩みごとかな?」

「悩みごと――うん、そうだね……」

 悩みごとである。本当に悩まされているからこそ、私はわざわざ新しい関係を築きに来たのだ。名探偵ではないただの死神である私が、未来のある女子高生を殺してしまうリスクを背負ってまで、わざわざ。

「では、聞こうじゃないか。あなたは一体、なにで悩んでいるんだ?」

 私はできる限り正確に、分かりやすく彼女に説明した。ミラちゃんと仲の良いカノンちゃんにこのことを訊くのには少しだけ抵抗があったけど、他に方法はない。まさか、ミラちゃん本人に直接訊けるわけがないし。

 カノンちゃんの友達であるミラちゃんが夜月って人をイジメているらしいんだけど、なにか知らないかな――そんな感じに訊いた。普通は、後ろめたいか不快になるかの二択だけど、カノンちゃんの反応は……、

「そうだね。ミラは確かに、頼宮をイジメているよ」

「え」

 カノンちゃんはあっさりと白状した――いや、白状ではない。ただ、淡々と事実を伝えただけだ。どうでもいい事実を、どうでもいいように答えてくれただけだ。罪だとは、微塵も思っていない。

「ほ、本当なの……?」

「すべて本当の話だよ。今時、そこまで珍しくもないだろう。驚くことじゃあない」

 確かに、イジメなんてよくあることで、珍しいものではない。加害者と被害者は、必ず学校に存在するのである。

 珍しがるだなんて、そもそもが不謹慎だし。

「それで、それがどうしたというんだい?」

「……いや、なんでもないよ」

 裏は取れた。

 でも、取れたから?

 どうして私は、そんなことを訊いたんだ? 別に、罰しようだなんて思っちゃいないのに。

 イジメは許されざる行為だけど、別に私がイジメられているわけでも、仲の良い人がイジメられているわけでもない。それなのに、どうして私はそんなことが気になったんだろう? 顔見知りが、イジメっ子だったから、気になった?

 そんなの、ただの好奇心じゃないか。

 私に、ミラちゃんを殺す気なんてない。なら、スルーすべきだったんじゃないか?

 目を逸らすべきだった。

 それなのに、どうして裏なんて取った?

 仲が良いわけではないが、顔見知りがイジメっ子だったなんて、良い気分にはならないだろう。むしろ、嫌悪感を抱く人がほとんどだろう。それなのに、私はどうして知ろうとしたんだろう。私って、もしかして知りたがりだったりするのかな。

 急激に、自分のことがよく分からなくなった。

 でも、ひとつだけ言えるのは。

 私はイジメを許せない行為だと思っているけど、別にイジメが嫌いなわけではない。

 イジメっ子が嫌いなわけではない。

 ミラちゃんを、嫌いになるわけではない。

 嫌いには、なれない。

 私は、イジメなんてしたこともなかったけど……。

 だけど、ほんの少しだけど、彼女は――私だ。

 伏谷深良は、私と同じだ。


 私は、都合の悪い記憶を――自分を忘れられる。だから、上書きが容易なのだ。

 だけど、ふと『それがそこにある』ということを認識する。純然たる本物で、純悪たる自分を、純粋な私を。思い出しているわけではない。混じりっ気のない純正な私が、未だに残っているというだけだ。もう、私を構成してはいないようだけど、それでも死んではいない。私であるがゆえに、消えてしまえば、私という存在は非常に曖昧なものとなる。

 自分でないそれ以外の要素だけしかない私を、『私』と自称できるだろうか?

 ……要するに、私が言いたいのは、私みたいな人間が、ミラちゃんのしてることに口出しする資格はないということだ。

 なにを言っても、どの口になってしまう。

『……だから、ほたるはなーんもしないの?』

「うん……」

 私は今、小春に電話で相談に乗ってもらっていた。近況報告ついでに今起きていることを話してみたら、謎に興味を示されたのだ。とはいえ、私ひとりじゃ解決できない問題なので、相談に乗ってくれるのはすごく助かる。

 人間関係がメインとなる問題は、私の苦手分野だ。

『でも、どの口とかそんなのはただの言い訳でしょ? ほたるが気にしているのは、そのミラって子のことを許せないと思えないことじゃないの?』

 痛いところ――ではないが、本質を突かれた。小春の言うとおり、そんなのはただの言い訳であり、本気でそう思っているわけではない。そこまで私の自己肯定感は低くないのだ。どの口で、は要するに、『私なんかが』、ということだから。

 過去の私は異常だけど、だからといってそれを気にしたことは一度もないのだ。

 だって、そんなの無意味じゃないか。気にしたところで、得をするわけでもない。むしろ、気にするだけ損ですらあるだろう。それなら、自分のことを好きになったほうが効率的だ。そっちのほうが、楽できる。

 私は自分のことが嫌いじゃない。だからこそ、ミラちゃんのことも嫌いになれないのかもしれない……。

「……ありがとね、相談に乗ってくれて」

『友達の相談に乗るだなんて、至極当たり前のことなんだから、全然気にしないで。大丈夫、私は死なないからさ』

 小春のその言葉は、私にとって、最も心強いものだった。

 どうせ、小春も千夏もいつか死ぬのだろう。今までのことを踏まえれば、そう考えるのが妥当だ。だけど、それまでは、私がふたりを死なせてあげないことにする。

 ふたりが死ぬまでは、ふたりを殺さない。


「……」

 目の前にあるのは、女子高生だった。『ある』、という言いかたは少し変かもしれないが。なんせ、まだ生きているのだから。ただ、意識を失っているだけだ。もう二度と、目を覚ますことはないというだけで。無反応覚醒症候群――通称、植物状態である。

 彼女の――頼宮夜月の意識は、戻らない。

 言っておくが、どうしてこんなことになったのかという質問には、『分からない』としか答えられない。私は、本当になにも知らないのだ。なにも知らないし、興味もないけど、だけど、これが事件であることぐらいは分かるだろう。おそらく、というか確定で殺人未遂だ。

 頭を執拗に殴られたらしい。そういう跡が、あったそうだ。それこそが、脳損傷の原因でもある。

 さて、一体誰に?

 もちろん、見当は付いている。

 ここまでの情報が出揃っているのに、分からないだなんて口が裂けても言えない。だけど、私は迷っている。

 答え合わせをするかどうか。

 だって私は、別に怒っていないのだから。

 犯人にも、原因にも、被害者にも、私は怒っていない。だから本来は、私が動くような事件は起こっていないのだ。それなのに、私はまた勝手に動こうとしている。千夏に呆れられるのも当然だ。危機感が足りなさすぎる。

 でも、これは問題だ。

 私にとっての問題。だから、私が解決せねばならない。私の中でだけ、解決させなければならない。じゃなきゃ、私はずっと悶々としたまま生きることになる。それは嫌だ。それだけの理由で。

 私は迷うのをやめた。

 別に、断罪をするつもりはない。私はまだ一度しか話したことがないけど、頼宮夜月のことは少し苦手だったし、ミラちゃんがこの子をイジメてようがどうでもよかったし、カノンちゃんがこの子を()()()()にしたからって、どうも思わない。

 これはガキ同士の喧嘩であって、大人の出る幕ではないし、興味の対象にもならない。

 だけど、たとえば虫が近くを飛んでいたら、私はその虫を徹底的に殺さなければ気が済まない性格の持ち主だ。今回も、それとおんなじこと。鬱陶しいから、さっさと消えてほしい――それだけ。

 大した理由もなく、私は私のために、未来の私のためだけに、こうする。

 ……これらは、頼宮夜月に向けたただの独り言だ。もう二度と目を覚まさないであろう人間になら、全て隠さずに喋ろう。月とビートだけに。警察にはチクらない。

「――ってことだから。じゃあね、頼宮さん。もう二度と会うことはないだろうけど、元気で」

 

 ボロアパートに帰宅して、真っ先に自分の部屋でなくカノンちゃんの部屋に向かった。ノックをして、しばらく待つ。すると、扉の奥で物音が聞こえた。ほどなくして、扉が開く。

「……」

 無言で、扉の隙間からこちらを見つめるカノンちゃんに、私は「こんばんは。ちょっといいかな……?」と言った。大人のくせに、下手に出すぎじゃないかとも思ったが、年上だろうが年下だろうが、下手に出るのが大人だろう。これは、仕事と同じなんだから。やりたいではなく、やらなきゃいけない。

「……どうぞ、這入ってくれ」

 カノンちゃんは、無表情を保ったまま、私を部屋の中へと招いた。どうやら、私の用については、すでに検討が付いているようだ。流石だ、とは思わなかった。用件があってこの部屋を訪ねてくる人間なんて、私しかいないということを理解しているのだろう。

 特別なことじゃない。

「それで、用件っていうのは、頼宮夜月の件かい?」

 私が狭いワンルームの部屋の隅にあるベッドに促されて座ると、カノンちゃんは話を切り出してきた。

 冷蔵庫から麦茶を取り出しながら。

「……うん、その件だよ」

 コップに麦茶を注いで、こちらに手渡してくるカノンちゃん。ずっと見ていたので、毒が入っていないことぐらいは分かる。いや、それとも、この状況を想定して、事前に毒を入れていたのかもしれない。どちらにせよ、関係はないが。

 どうせ、毒なんて入ってないので。私は麦茶を一口飲み、コップを床に置いた。

「あの子を殺した――とはちょっと違うけど、あの子を襲ったのは、外咲さんだよね?」

「カノンでいいよ」

 カノンちゃんは、私の問いかけをスルーした。心の中ではちゃん付けをしている。

「じゃあ、カノンさんで。もう一度訊くけど――」

「訊かなくていいよ。常盤さんの言うとおり、犯人は私だ」

 カノンちゃんはすんなりと白状した。白状というか、こんなのはただの茶番である。どうせ、なかったことになる。

「迷惑をかけてしまったかな」

「いや、別に。ただ、知りたかっただけ。どうしてあんなことをしたのか……」

 知りたかっただけ――単なる、好奇心である。野次馬根性とも言い換えられるかもしれない。そのぐらいの、汚れた動機だ。私が収録をサボって、こんなことをしている理由は。

 ただ、それだけだ。本当にしょうもない。

「……知りたがりなんだね。意外だ」

「意外かな? 私、好奇心だけは人一倍強いから……」

「謙遜するなよ。常盤ほたるは化け物だろう?」

 化け物呼ばわりされたことについて、否定はするが、文句は特にない。どうでもいいからだ。否定すら、本来ならする必要がない。他人が私のことをどう思っているかなんて、本当に興味がない。

 数少ない友達が、私のことを大切に思っていて、私が、数少ない友達のことを大切に思ってさえいれば。

 簡単じゃないことだが。

「なにで殴ったの……?」

「金属バッドだよ。別に欲しいわけじゃなかったけど、昔の先輩からパクってたんだ。今はもう川の中にあるけど」

「うわぁ……」

 背中でもヤバいのに、頭を殴ったんだもんな。金属バッドで。

 普通にイカレているとしか思えない。

「理由は単純さ。頼宮さんが、常盤さんにイジメられていることを話したからだよ。初対面の人間に話すのなら、多分いつか他の人にも話すだろうと思ってね。今は、頼宮さんの周辺を調査中さ」

「……」

 まぁ、そんなもんだろう。というか、それしかない。

 結局私は、自分の考えが合っているかどうか、確かめたかっただけなのだ。

 知りたかっただけ。

「そっか。ちなみに、私のことを殺すつもりはある? 植物人間にするでもいいけど……」

「あるわけないだろう。そこまで命知らずでもないさ」

 ……私は、喧嘩が強いとかそういうわけではないのだけど。権力があるってわけでもないし。

 裏の怖い人たちとつるんだことは何度かあるが、その人たちは全員(殺人事件で)死んだので、怖い繋がりはすでに切れている。私なんて、金属バッドで殴られたらギリギリ死んじゃうぐらいだ。

「頭、陥没してたよ……」

「知っているよ。私が犯人だからね」

 そう誇らしげに言うもんでもない。いや、カノンちゃんにとっては、誇らしげこそが通常運転なのか。常に自信に満ち溢れているように見えるが、中身は普通なのだろう。もしくは、普通が中身なのかもしれない。どちらにせよどうでもよかったし、分からないので、考える必要はなかった。

「じゃあ、帰るね……」

「さようなら」

 別れの言葉は、なんだか淡々としていた。


 その後、この件とは無関係にカノンちゃんは殺された。どうやら、色々な事情があるみたいだ。

 嫌な気分である。人が死んで、人が死んで、人が死んだというのは。あの件――頼宮さんの件について、結局のところミラちゃんは何ひとつ関与しなかった。頼宮夜月が私に教えて、カノンちゃんが殺して、それで全てが終了した。

 これは私の妄想だけど。

 カノンちゃんは別に、頼宮さんを殺したくはなかったのだろう。

 証拠はない。強いて言えば、私がカノンちゃんにイジメについて訊かなければ、カノンちゃんは頼宮さんを殺したりしなかっただろうという事実だけだ。

 だから、殺したくなんてなかったのだろう、と私は妄想した。

 これは妄想であり、仮説ですらない机上の空論であり、答え合わせなんて必要ないぐらいに明白な間違いであることは、私にもよく分かる。

 でも、そうじゃないかって、思った。

 そして、すべてに関係していながら、すべてに関与せずにすべてが完結したミラちゃんについて。

 気持ち悪い、と思った。

 これはきっと、同族嫌悪だ。

 私の周りの人が殺されて、それでも私だけは生き残ってきたのと同様に、ミラちゃんは生き残った。ひとりだけ。

 だからこれは、ただの同族嫌悪であり、また憎悪でもあった。

 なんとなくそう思った。

 そして私も、失敗をした。

 もし私が、カノンちゃんに話を聞いていなかったら、こんなことは起きなかった。

 だから私の責任でもあるわけで。

 大きな失敗をしてしまった。

 だけど、私を責めないでほしい。

 頼宮さんが死んだのは、ミラちゃんのせいでもあるんだから。

 ……いや、まだ死んでいないんだっけ。

 どっちでもいいけど。

「……ふう」

 嘆息する。

 嫌な気持ちだけが募って、なんだか息苦しい。

 生きづらい。

 こんなに不思議な気持ちになったのは、生まれて初めてだ。

 どうでもいいし、どうでもいいのに、どうでもいいはずなのに、嫌な気持ちになる。

 さっさと、忘れてしまいたい。

 日記帳に記したくない。

 そう思った私だけど、結局日記帳に記したのが、過去の私だ。

 今の私は、そのような過去を捨てているので、嫌な気持ちにはならない。

 振り返ったことで、思い出したけど、思い出しただけだ。それは記憶であり、記憶でしかない。

 結局のところ。

 私は今を生きている。

 それはいつまで経っても変わらないようで、だったら、穂香を許していなかったあの気持ちだって、きっと過去のものになってしまったのだろう。実際、今の私は、穂香のことなんて思い出さなければ思い出せないぐらいだ。でも、しょうがない。

 私は今だけを生きている。

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