第二話 「知識と魔法」
今、僕は二歳になった。
体もぐんと大きくなって、歩いて、転んで、起き上がって——廊下を(ほとんど)つまずかずに走ることだってできる。
家の階段はまだ高いけれど、一段ずつなら登れる。
この一年で、お父さんやお母さんとも前よりずっと自然に話せるようになった。
この世界の言葉も、少しずつ口に馴染んできた。
リリエンとダリエン。
二人はいつだって僕を見守ってくれる。
気を抜いたところを見たことがない。
……本当に、こんな両親のもとに生まれて良かった。
気づけば、頬を一粒の涙が伝っていた。
理由はわからない。ただ胸の奥がふっと軽くなった。
前世で何かあったのかもしれない——でも思い出せない。
それとも、今が幸せだから、なのかな。
僕が涙を拭うより早く、お母さんが駆け寄ってきた。
「アード、どうしたの? どこか痛い?」
声が出ない。僕は首を横に振るだけだった。
お母さんは僕を抱き上げ、片手で頭を撫で、もう片方の腕でそっと包む。
それだけで、心が静まっていく。
もう少しだけ、この肩に甘えていたい——そんな気持ちになった。
「大丈夫。ママはいつでもあなたのそばにいるわ。守ってあげる」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が温かく溶けて、感情がこぼれた。
僕はお母さんの肩のセーターをぎゅっと握り、顔をうずめた。
「よしよし……もう大丈夫よ、アード」
お母さんの声は、春の風みたいに優しい。
お父さんは今日も欠かさず鍛錬中。あの人は一日も休まない。
ミラは相変わらず、少し疑うような目で僕を見てくる。
——たぶん、僕が普通の子どもと違うって気づいてる。
でも嫌いじゃない。むしろ頼れる人だって、もう知っている。
落ち着いた僕は床に降ろされ、家の探索を再開した。
立入禁止の扉を見つけたけれど、鍵がかかっている。
廊下の向こうから、お母さんの独り言が聞こえた。
「アードはもう小さな大人ね……歩けるし、おしゃべりも上手。ううん、天才だわ。いつかこの家を出て、世界へ旅立つ日が来るのね……」
お母さんの声は少し震えていた。
ミラが肩に手を置いて言う。
「それが人生というものです。きっと立派な方になりますよ」
胸がじんわり温かくなったけれど、照れくさくて自室へ戻った。
***
数か月後。
鍵のかかった扉のひとつが、ふと開いているのを見つけた。
——図書室だった。
本棚には本がぎっしり。胸が跳ねた。
ここなら、この世界のことをもっと知れる。
中でも、僕が手に取ったのは次の六冊。
①『エリンドラの世界』
地理・政治・経済・文化をまとめた百科書。
②『エコロジー』
モンスターの生態、弱点、生息地の記録。
③『魔法マニュアル』
魔法の原理と副作用、初級~上級の呪文体系。
④『アルヴァニック語入門』
人間が用いる共通語の文法と発音。
⑤『アルヴァンドールの英雄』
大虐殺の時代に悪に打ち勝った英雄譚。
⑥『ダリエンの旅日記』
——お父さんが冒険者だった頃の記録。
まず『エリンドラの世界』から読み始める。
数日かけて、全体像が見えてきた。
この世界には、五つの大陸と四つの王国がある。
中央大陸、北大陸、光の大陸、悪魔の大陸、そして南の獣の大陸。
王国は、悪魔の大陸を除く四大陸に一つずつ。
アルヴァンドール:中央大陸。繁栄し、多種族が共存する王国。
ヴァルクレスト: 北大陸。規律と信仰を重んじる帝国。戦を好み、オーリディアと同盟。
オーリディア:北東。光の大陸の聖地。オーリエス信仰に基づき、外界とは閉ざされがち。
タルリエン:獣の大陸。獣の氏族の王国。特別な湖——エメラルド湖がある。
悪魔の大陸には王国はない。総称してニストラ。
部族は散在し、二派に分かれる。
人間へ敵対的なベルカ派と、共存を望む監視者派。
——この世界、面白くなりそうだ。
四季もある。名前は違うけれど、巡りは同じだ。
ヴェルナレス(春):静脈の目覚め。マナが湧き、森が輝く。
ソルヴァル(夏):光の頂点。月々が並び、魔力が満ちる。
オーヴヴァン(秋):黄金の衰え。契りの季節。
インヴェラ(冬):静寂の時。精霊は眠り、祈りの季節。
一年は三百六十日、十二か月。
……早く外に出て、世界を見てみたい。
次に『魔法マニュアル』を手に取った。胸が高鳴る。
この本だけは、どうしても読みたかった。
魔法——この世界の鼓動。
どんな仕組みで、どんな種類があるのか知りたい。
そして、もしできるなら……僕自身も使ってみたい。
***
この世界には、いくつかの種類の魔法がある:
① 攻撃魔法
② 防御魔法
③ 召喚魔法
④ 治癒魔法
⑤ 黒魔法
⑥ 神聖魔法
元素は火・水・氷・風・土・雷。
熟達度は、初級/中級/上級。
強い魔法ほど威力は増す——そこまではわかる。
でも、もっと大事なことが書かれていた。
永遠の静脈——
神々が創造のときに遺した力の流れ。
人は魔法を使うとき、この静脈からマナを取り込む。
使いすぎれば、疲労・失神・色素の喪失、最悪、身体崩壊。
補助にはマナ結晶、ルーン、魔法陣、そして——儀式や供物(黒魔術)も存在する。
個人の使用で静脈が傷むことはないが、大規模なカルトが高濃度のマナを集めると、流れが不安定化する恐れがある。
……読んでおいてよかった。無知は死に直結する。
それでも、僕は魔法を学びたい。
できるかどうか、試してみたい。
右手を開き、呪文の頁を思い浮かべる。
「——静脈の熱よ、僕の掌に集まれ」
体の内側がじわりと熱を帯びる。
「そして、炎よ——」
視界がぐにゃりと歪んだ。
力が抜け、意識が闇に飲み込まれる。
……温かい。
誰かの腕に抱かれている。足音。柔らかな声。
目を開けると、僕はお母さんの膝の上で、寝室へ運ばれていた。
状況を思い出す。——火球。無茶。気絶。
お母さんの顔が青ざめている。
「確かめるわ……
神聖なる光よ、病める者に立ち上がる力を与え——『ヒーリング』」
緑の光が体を包み、重さがほどけていく。
「……ごめん」
うつむいた途端、涙がこぼれた。
お母さんは微笑んで、そっと頭を撫でる。
「無事でよかった。本当に、よかった……」
子守唄が遠く近くで揺れて、いつのまにか眠っていた。
***
数日後、もう一度挑戦した。
少し長く耐えられたけれど、やっぱり倒れた。
——まだ体が小さすぎるのかもしれない。四歳になれば、あるいは。
「お母さん、魔法を教えて」
「だめ。アードはまだ幼すぎるわ。二年後になったら、約束する」
泣き疲れるまで、ただ泣き続けた。
でも、その日ひとつ大切なことを学んだ。
——魔法には限界がある。
知識だけじゃ、決して動かない。
理論と実践、その両方が必要なんだ。
僕は、まだまだ学ぶことがたくさんある。
四歳の誕生日が、二つの月が重なる日に訪れますように。
日本語は完璧ではありませんが、一生懸命書いています。
間違いを見つけたら、コメントで教えてください。
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